迫りくる老いと呆け

迫りくる老いと呆け

        2024/01/28

        十河 智

 

 このところ古い友人で、老化の典型的な症状が進んでいるという人たちに、こちらから会いに行く機会が二度ほどあった。それぞれにグループがあって、どちらの人ともそのグループとして会うのだが、聞けば、施設に入ったり、介護が必要な状態になっているらしいのだ。

 一人は幼稚園から高校までの同窓生。特に親しいというわけでもないのだが、これだけ長い付き合いなので、普通よりは濃い親密度という認識ではある。その彼女がサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)という施設に入居したと聞いて、一度、私だけで面会に行った。主人もついてきたが面会の間、離れた場所で、施設の職員がパンフレットを見せて説明をしていたのが見えた。まだ受け入れる余地がこの施設にはあるようだ。この度は、共通の友人たちと見舞うことになったのだ。彼女のご主人も私達の高校の同窓同学年の知り合いであり、毎日面会に通っていると聞いた。彼女も娘が一人なのだが、東京で仕事を頑張っているらしく、家族での介護は難しい環境なのだ。うちも他人事ではない、家族構成は同じ、将来のこととしても、施設を見学しておきたいという気持ちもあった。

 開設二年目というその施設はとても綺麗で清潔感のある建物だった。ロビーでしばらく待っていると、車椅子を押してもらって、彼女がやってきた。少し表情が硬いように見えた。いつもの彼女はよく笑う和やかな雰囲気を作り出すおしゃべりが上手な人なのだが、その日は会うなり私の手をぎゅっと握りしめ、暇乞いをするまで離さなかった。その温もりは今も手に残っている。彼女はしっかり歩けるようにリハビリをして、家に帰るつもりだとそう言っていたし、希望が叶うといいなとその場にいる私達友人は皆が願った。私はその日一緒だった誰よりも長い付き合いで、常常彼女は、「十河さんに会いたい。」と言ってくれていたという。歩けない以外どこも悪いところがない、だが老人二人の家庭で、片方がこうなった場合、介護はとうてい無理、当然こういう成り行きになっていくのだろう。とても他人事とは思えない。施設で暮らすことが回復の妨げにならないことを祈っている。

 もう一人は、大学の同級生、学生時代はとても活発な人だった。論客でもあった。今は東大阪に住んでいて、共通の友人が横浜から帰阪する際に、私達はいつも京橋あたりで集合、再会するのだった。その論客の彼女が、痴呆の症状を呈して進んでいるというのだ。会って驚いた、この人からも表情が消えていた。ただまだ電車に乗って、約束の場所まで来て、家にも帰ることはできる。しかし、そういいながら、今までに何回か途方に暮れて、人に助けられたこともあるという。まだそういう経緯の話も自分でしてくれる、過渡期なんだろうなあ、精神的には少しきついだろうなあ、と心配になりながら、聞いていた。

 話は変わるが、昔薬局を開いていたとき、患者さんに来るたびに鞄をひっくり返して、処方箋を探す人がいて、見かねて息子さんに連絡したことがあるが、最初は信じてくれず、逆ギレされた。「家の父がそんな呆けるはずがない。」というのだ。それきりその患者さんは来なくなった。

 私も、最近、探しものを大大的にやってしまったが、結局あるべきところにあった、ということがある。77歳、老いという現実に竸っ憑かれながら生きている気がする。「いつまで友に会いに約束の場所まで出向いていけるだろうか?」などという疑問が頭を過る、それが怖い。友人に起きたことは自分にも、遅かれ早かれ、なのだと思う。自分では多分どうしようもない。症状は本人の自覚のないところで進むようだから。周りの人に頼るしかない。

 

大寒に途方に暮れて人の中