干野風来子さんの「風のかたみ」「弥勒野」を読みました。

干野風来子さんの「風のかたみ」「弥勒野」を読みました。

        2021/10/18

        十河 智

 

 風来子さんは、「俳句スクエア」に長く投句なさっていて、そこでも俳句を読ませて頂いていましたが、インターネット句会での薄い繋がりのまま、過ごしてきた様に思います。

 フエイスブックに投稿なさる俳文に、風来子さんの個性が色濃く、毎日の投稿に、生命、自然と対峙する覚悟のようなものを、常に意識されている、深い意味を感じています。

 

一 

句集 「風のかたみ」

 


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 風来子さんは、ほぼ毎日、フエイスブックに句を上げていらっしゃって、読ませて頂いています。その句を選ばずに、そのまま日付通りに、印刷、掲載された大判の一冊を上梓されました。

 

 「風のかたみ」

 

 いつも思うことですが、インターネットの画面で一句ずつ読むことのその場限りの軽い感覚が、印刷された活字からは消えます。

 風来子さんは、心の底にどんと響くような、そんな句を書かれます。読み終わると、その前に立ち尽くす、味わいとか鑑賞の域を超えた言葉が、永遠の真理の様に、心に刻まれるのです。

 日日の心の糧として、たまたま捲ったそこにある句を味わうそんな句集になりそうです。

 

大書です。今年の四月から七月の部分から、ぱらっと捲り広げたページ。そこにある印象に残る句を挙げさせていただく。

 

春風駘蕩へそまんぢゆうの臍のごま

猫がゆくわりんの花の傍らに

人の世はももいろアインシュタイン

つれづれに十二単の青く咲く

やはらかき光と遊ぶねこやなぎ

恋人の絶対理論海市立つ

ゆく春に汝れも逝くとや蒼き山

弥勒野のミスターロンリー藪椿

 

天と地が春の別れを吹きけらし

春暑しテイクファイブを聴かせては

 

みろく野にさらばTakeyoshi春の風

からつぽの空へ迷へる夏わらび

 

美はしきおおみずあをの現れて

アルプスの黒百合遅きまはり道

罪のなき大水青の命かな

 

木天蓼の葉にしなだれてこの俺に

カレーパン食うてぽつかり梅雨晴間

あまやかにゆるる白山風露かな

真つ新になりきれなくて半夏生

 

北岳大日如来来在せば夏

小太郎尾根の夏道迷ひては仏心

吊橋のぐらりと揺れて青葉木

北岳草咲けヒマラヤの風あるぞ

息を吐くチャートにふたつ落し文

 

迷ひ込む尾根には夏の岩雲雀

伊豆山の人の行方や梅雨の蝶

くるほしき東京五輪熱帯夜

 

 懐かしい歌やメロディが思い出され、中腹までバスでしか行かないアルプスではあるが、空気を感じさせてくれた。野山に咲く草花にも、触れるような気持ちで、句を読ませてもらった。

 表記にも、冒険的に挑戦され、アルファベット、カタカナ交じりの句がたくさんあった。表記について、風来子さんは、なにか決まり事を持っていらっしゃるようであった。日本語の可能性のようなものが、気持ちを表したいということに叶うように、試行錯誤されているようであった。

 悲しみが迫り、コメントができないような句も多かった。これからも、時々引き寄せて、ページを捲るだろう。偶然の句に出逢いを喜ぶことだろう。

 

 

 

お友達への

 

追悼句集 「弥勒野」

 


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弥勒野に春星ひとつ失くしけり

春暑しTake Fiveを聴かせては

春暁の夜叉神峠ひとりゆく

亀鳴くや錆びたアイアン取り出して

Imajineを歌ひそこねて春夕焼

COMBATてふ野球チームや遠霞

恋人の絶対理論海市立つ 

初七日の真言となへては春風

おぼろ夜に己が慟哭晒しをり

みろく野にさらばTAKEYOSHIはるの風

 

 大切な友への情愛が溢れていて、読むものも感情が揺さぶられる。私にこういう友がいないことが不幸とさえ思った。

御中虫句集「関揺れる」を読みました。

御中虫句集「関揺れる」を読みました。

        2021/10/07

        十河 智

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 この本を読みたいが、手に入らないとフェイスブックで、お友達同士が話をしていました。出版社の人が、「在庫有りますよ。」とコメントしていた。なんとなく関心が湧いて、読んでみたいと思った。出版社のオンラインショップではもう売り切れになっていた。そうなると、もっと読みたいと思うようになった。メッセンジャーで担当の人に、直接聞いてみると、「本のカバーは草臥れてるけどよろしいですか?本文は綺麗です。」と言って、最後の一冊
というのを売ってくれた。それほどの苦労はしていないが、この手に入り方で、ちょっと特別の本になった。送られてきた本の、どこが草臥れてるの、というくらい表も綺麗でホッとした。

 ペンネーム、俳号だと思うが、名前が変わっていて、こういう人が書くものは面白そうと思った。
題名も変わっている。2011年3月11日14時46分東北地方太平洋沖地震東日本大震災)を俳句にしたかったそうである。
長谷川櫂の『震災句集』に対抗したかったーーーーー」そうです。だから、125句、その句集の収載句数ときっちり同じ数だけ、だそうです。
 なんとなくの興味で読むことになった句集が、こんな動機で作られていたとは。なんとなく入った大学で、あの紛争に巻き込まれて覚えたかつてのドギマギが、甦ってきた。
 手にした以上読むしかない。
 発表の場所は、ツィッターで、毎日だったようで、この発表の際の印象と、この本の活字で読む印象の違いなども面白いかもしれない。

 不思議な印象の本である。
 活字で揺れる揺れると攻められると、自分が揺れてくるように感じた。
 この本の、大本の揺れは、10年前の3・11東日本大震災である。ちょうどその時、近所の治水緑地の道を自転車走行していた私も、自身の揺れは自転車が吸収したのかあんまり実感がなかったが、地球が、台地がふぅわりと揺れていると思った。何事かと、すぐそばの友人宅に立ち寄って、テレビの報道で地震と知った。津波が大きな画面から吹き出そうに襲ってきていた。被災はしていないが、揺れたという事実はあった。この私の実体験とこの本の感覚の奇妙な一致が、もっと大きな揺れとなって、響いてきた。
 なぜ「関揺れる」なのか。それは、震災の被災にあっていない著者が、自身の揺れを少しでも我が身のこととするため、少し面識のある被災された関さんが実際に揺れたであろう場面に思いを馳せての、呟き125回
なのだという。彼は真面目に考えて取り組んだが、結果、シュールな世界が構築され、被災者までもが大爆笑したという感想もあったという。
 前にも書いたが、ツィートでは毎日1句が目の前にある。1句ずつでは結構笑ってしまう句もあるのだ。私は結構癖のある活字で見開き4句の本を見ている。これは、全く印象が変わるのだ。本にすることの意味のようなものを体感している。

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インパクトの強かった句を挙げる。


関揺れる人のかたちを崩さずに

日本人代表として関揺れる
「この季語は動きませんね」関揺れる

関揺れし後の瓦礫の山に立つ

茨城に関といふ人あり揺れる
国民の眠気覚ましに関揺れる
世界中が注視している関の揺れ

同情はごめんなのです関揺れる

関はいつも一人で揺れてゐた、いつも。

「名を名乗れ」「関です」「出会え!出会え!出会えーーーー!」
暴動の起きない国を関が揺らす
関はたゞ寝返りをしただけだった

揺れるなら止めてみせよう関悦史

「関じゃない!その揺れ!」「え!?何!?地震なの!?」


 
面白かった。それ以上ではないことも素直な感想だ。 
 私は雑誌とかに抽出された物しか長谷川櫂の震災句を読んでいない。
 片方だけだが、それでいい。

有馬みどりさんのピアノ・リサイタル

有馬みどりさんのピアノ・リサイタル

        2021/10/06

        十河 智

 

 有馬みどりさんのピアノ・リサイタルがあった。


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コロナ禍の開くことへの気配りからか、コピーではあるが、自筆の丁寧なお手紙が添えられて、案内がきた。いつもの神戸西宮兵庫県立芸術文化センター神戸女学院小ホールで。

 小ホールがほぼいっぱいになるくらいの、このコンサートのお顔なじみという人もいるくらいの、小さくて、和気藹々のコンサートである。今までの演目はベートーベン、リストと少し堅苦しい感じのものだったが、今回はショパンブラームス

 お手紙によると、コロナで少し気持ちが変わったとある。表現者にはその時の心境というものが大きく影響もするだろう。私は、どちらかというと、この演目は嬉しかった。そして、緊急事態宣言解除の前日、私の切り替えスイッチ、緊張からの開放の音楽をきくことができた。

 

コンサート秋緊急事態宣言下

コロナ夏手紙に綴る物思ひ

蛍飛ぶショパン舟歌ノクターン  

 

 電車で行っていたのだが、今回は感染忌避のこともあって、車で行った。高速道路は工事が多く渋滞とラジオが言うので、ナビに従って、地道を茨木伊丹と抜けてゆっくり行った。

 この道は久しぶりだった。主人の伯母が伊丹に住んでいて、生前はよく訪ねた。従兄弟たちもいた。伯母夫婦が亡くなってから、従兄弟の親しい方も亡くなって、あまり行き来がない。もう一人はどうしているだろうか。なくなった人の絵の上手な奥さんはまだ描いているだろうか。コロナ蔓延の今を、どう過ごしているのだろう。七十を超えたあたりから、年賀状が来なくなった。うちも去年やめることにした。一つの決心ではあるが、こんなふうにふと思い出してさびしくもある。

 伊丹には、大阪空港があり、着陸態勢は、千里川に沿って取られる。そこの河川敷では、震災のときに神戸から 大量にゴミが持ち込まれ、焼却の炎が上がった。神戸の街に震災のときに上がった忘れられない煙のひとつである。

 6時30分の開場なので、途中どこかで早いめの夕食を取ることにしていた。何キロかを一本道できて、会場へはこの角を曲がればもう着くという曲がり角にVOLKSがあった。そこで食事をして、コンサート会場に入った。確か地下に駐車場があったと入り口を見つけるのに一回りした。高速を使って行く道と入った方向が違ったようだ。秋の夕暮れ時は看板が見えにくい。

 駐車場からは、エレベータですぐに会場へ。駅からずっと歩いて会場に至る時とも違うところに来たみたいである。

 

秋の昼茨木伊丹西宮

震災の煙今無く秋気澄む

飛行機の影秋冷の千里川

コロナ禍に人懐かしや秋の蝶

薄紅葉感染忌避の車移動 

秋の暮駐車場入口に迷ふ

龍淵に潜む地下駐車場より上る  

 

 コロナ感染対策にはマニュアルがそれぞれの業種にあるようで、普段行くレストランではテーブルとテーブルの間に隔壁があり、アルコール消毒。VOLKSでも同様であった。コンサート会場では、半券裏に名前と電話番号を書くように言われた。密閉度の高い空間を共有するために感染者が判明した時の拡散を防ぐ対応策なのであろう。当日券はなく、会場はいつもより少ない観客だった。いつもと違い、人々は話さない。始まる前も静か。


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 演奏が始まった。ピアノの音がそれは静かに空気を包んでいった。休憩にも、コーヒーなどの提供がないため、立つ人は少なく、静かに時間が過ぎた。私達はいつもピアニストの指の動きを感じられる背中側の席に座る。ブラームスがゆっくりと流れはじめた。心地よい空気に満ちていた。気鬱が癒やされてゆく。

 あっという間に終わったような気がする。ブラボーといつもは上がる最後の応援も、ただ拍手が続くばかり。いつもより長く、強く。私達も。アンコールに応えてくれた。

 そして何回か舞台に出てきてくれて、コンサートは終演した。出口の張り紙が、

 「感染防止のため、終演後のロビーでのご挨拶、歓談は、本日行われません。」

 文面はしっかりと記憶にあるわけではないが、「ああやっぱり。」と思っていた。有馬みどりさんに、最後に一言、「聴かせて貰ってありがとう。」と、直接声を掛けて帰る、それがこのコンサートの締め括りとなっていた。わかっていても、それができないことに寂しい気持ちになった。

 何事にもちょっとした繋がり、交流が大切だと、私達はコロナ感染蔓延の災厄の2年間で嫌というほど味わった社会の関係遮断、断絶の経過の中で、身に沁みていた。ここでも我慢しなければならなかったのだ。

 

緊急事態解除前日九月尽

秋灯下半券裏に名と電話

水の秋リーフレットナポリの絵

柔らかや夜長彩るノクターン

萩の花メインに選ぶブラームス

ブラボーの声なく終る秋の夜

色なき風ピアノソナタの余韻乗せ 

 

 

 少し寂しい気持ちになって、夜の街を家に向かった。主人の運転は慎重であったが、私は暗がりによそ見をするものもなく、往きよりも却って早く帰れたように思った。

  

闇に沈む街素通りす夜半の秋  

 

 

 

 

 

句帖を拾ふ(2021年9月)

句帖を拾ふ(2021年9月)

        2021/10/01

        十河 智

1

「俳句大学」席題2021年09月第一週

 昼の虫気怠く指に掴まり来

その辺の草の茎と葉虫籠に

徒広き雑草の庭虫の秋

澄み切りて庭に虫の音ただ一つ

秋時雨藪の小径は寺へ抜け

 

2

「田舎の美術館」

松の葉に玉なす露や連連と

朝露の笑みそこここに晴れ渡る

 

3

(ダイナマイトカサブランカを生けて)

 

ダイナマイトカサブランカ爆発す
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4

「俳句大学」席題2021年09月第ニ週

「秋寒」

うそ寒し詐欺に注意と一画面

秋寒や安堵も込めて蒼き空

そぞろ寒庭師の置きし脚立など

やや寒き勤め帰りの接種場

テレワークリモート句会やや寒し

 

5

「サロン ケ・セラ・セラ」

お花をお楽しみください。

画像より香を聞こし召せ秋の薔薇 



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6

「俳句大学」席題 2021年9月第3週  

 

 「新酒」

利酒をしたきと一人戻りけり

何となく降りし伏見の今年酒

酒飲まぬ我家にせめて新酒粕

新酒酌む年に一度の女子の旅

新走り乗せて灘より江戸へ船

 

「糸島美術館」

荒屋のサッシが軋る菊の庭

晴れ渡る生姜の花の真白かな

 

8

「俳句大学投句欄」

 

金網に土止めに葛の葉が絡み

leaves of kudzu vines ;

twining over the retaining walls and around the wire fences

 

 

放棄田やみるみるうちの真葛原

abandoned farmlands ;

fields of kudzu growing in no time at all

 

9

「サロン ケ・セラ・セラ」

ただ遠く眺めてゐたり秋の山

 

10

「俳句大学」写真で一句

 「コロナ撲滅特別企画!」第10弾

 

コスモスの賑はひ薄き黄色かな

秋の蝶めしにありつく風来坊

秋灯図鑑を捲り鱗翅類

 

12

「俳句大学」

2021年9月第4週「テーマで一句」

夏雲システム利用 

 当季雑詠(初秋・三秋・仲秋、晩秋。自由律・無季俳句も可)

 

(テーマ)

1「道」

 一本のこの道長し名の木散る

 秋の錦鎮守の杜の小道かな

 

2「秋の水」「落し水」「水澄む」とかの季語がある。日本の秋は水と関係が深い「水」から派生して「液体」に関する句。「水」の文字は含まないこと。

 分け入れば小川せせらぎ櫟の実

 

3「空」の文字の読み込み。

 星月夜全き夜空失ひて

 

4「旅人」をテーマにして。

 周遊券各駅停車蕎麦の花

 

13

「サロン ケ・セラ・セラ」

お花をお楽しみください。

復活の藤袴かな宇治辺り
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菱の実

菱の実

        2021/09/29

        十河 智

 

菱の実

 

 FBにある人が赤い皮の菱の実を載せていて、「菱の実」ああ昔食べたなあと、思い出したのです。 

 子供の頃、祖母の家の前が大きな池で、菱の実を取っていましたが、食べる前の状態の白い実しか記憶にありません。写真では固く赤い殻があって、「こんな赤だったのかな。」という感じ。その写真の色は、思い出せませんでした。多分、取ってくれたのは男の子で、大人が茹でてくれたのを食べるだけだったんですね。

 祖母の家の前の池では、菱に絡んでおぼれたり、事故も起きたことがありました。あの池は、今はどうなっているでしょうか。市街化の波の中で、埋め立てられているか、柵を巡らし、公園になっているか、はたまた、立ち入れなくなってしまったかも。

 後に今住んでいる町でも、溜池で、毎年菱が池を埋め尽くすところが近くにありました。五十年経つうちに、ここでも、子供が溺れる事故がありました。菱は繁茂する前に刈り取ってしまわれるようになり、周りを金網のフェンスが囲み、立入禁止になりました。

 子どもたちは冒険できなくなったなあと思います。

 菱の実が、時代の変遷も含めて、いろいろと思い出させてくれました。

 下の写真はネットのクッキングのサイトから借りてきました。

 


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菱の実や見上げる堤防大き池

菱の実を茹でたる白きものとして

君がため菱の実採ると逝きたる子

菱の実の採取禁じて建つフェンス

菱の実や筏を組みて漕ぎ出だす

紅葉かつ散るアンの遊びし川面にも

今の子は遊びを知らず秋寂し  

奥坂まやさんの句集 「うつろふ」ふらんす堂  を読みました。

奥坂まやさんの句集

 「うつろふ」 ふらんす堂 

 を読みました。

        2021/09/26   

        十河 智

 

 

地下街の列柱五月来たりけり 

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり 

         奥坂まや

 

 もう30年くらい前、私が、「鷹」に投句していた頃、出会い、とても強烈に印象に残った二句である。それから、「鷹」を離れ、奥坂まやさんの句を読むことは殆どなかった。

 最近になって、俳句の総合誌などで、「鷹」の代表的俳人として、句が掲載されているのを読むことがあり、句集「うつろふ」が上梓されたとSNSなどで知った。懐かしさが湧いた。奥坂まやさんの今に会ってみたくなり、久し振りに、ふらんす堂のHPを開いた。オンラインで注文、代金を振り込んだ。

 「うつろふ」が届いた。

 奥坂まやさんの「あとがき」に装幀者菊地信義氏への謝辞があるが、とても優しい装幀の本である。

 昭和25年生まれ、思っていたより、年齢が近かった。70歳を越えた今を生きておられるのだった。「うつろふ」という句集名に込められた思いは、やはり「あとがき」に、こう述べられている。

 

 「私も『うつろひゆくもの』のひとつとして、願わくば死を迎えるその時まで、季語に捧げる俳句を詠み続けたいと願っております。」

 

 死が身近に感じられる年齢、というのは、現代の日本では、やはり70歳を超えた頃かと、我が身を振り返り、ひしひしと思う。100歳生きるのはどんなに多くいても結果であり、予定できる時代にはなっていない。おそらく一区切りの句集として、出されたことだろう。

 

「『うつろふ』は、自ら死と向かい合う句集となったと感じています。」

 

 この著者の言葉を念頭に、今から、奥坂まやさんの俳句を、味わっていきたいと思う。


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❋達観

 

全句の中から、この本の最後の句で、帯にもあったこの一句

 

春の星この世限りの名を告ぐる

 

 春の星、朧の中で、なんとなく曖昧な影薄きもの。私もうつろいゆくものと認めた人生の終わり近き日々。何かの書類に書く自分の名前。この名もこの世限りのものと思い至った時、人生とは、この世限り、あるかなきかに、消えてゆく私とその名、悟りにも似た、達観を得る。

「春の星」うつろうものの象徴として、ここに掲げる。一度告げるたびに、名の寿命を使い果たしていくかのように、未練を残さず、名を告げるのだ。

 

 

❋あめんぼ

 

あめんぼとあめんぼの影のみ動く

 

「あめんぼと雨とあめんぼと雨と」 藤田湘子

 やはりこの句を思い出す。この句がまやさんの句に重なることで、味わい深くなる。あめんぼとあめんぼの影は、藤田湘子の句の持つリズムで動いているのだと思うと楽しい。

 

❋リズム

 

芒かるかや不思議の満ちて童唄

 

 この句の持つリズム、

3−4−4−3−5

俳句らしくない不思議のリズム、

それ自体、童唄のようである。

 

 

❋韻と動き

 

きさらぎや風の水面の細(ささら)立ち

 

 少ない音数の中に、うまく韻を入れ込み、句意を補う動きを乗せている。二月に吹く、少し強い風に、池の水面の細かく震える様が描き出されている。

 

 

❋季語が決める一句の全貌

 

はつらつと揚がるコロッケ冬はじめ

 

 この句の上五中七は、ありふれた日常である。「はつらつと」と「揚がる」がうまく呼応して、コロッケが油の中で美味しそうに、揚がっていくのが見えてくる。そこへ、下五の季語、「冬はじめ」の効果は絶大である。暖かそうな揚げたてのコロッケが脳裏に浮かぶ。齧り付くときのサクッとした音と感触が思い出される。湯気が立つ。

 つまりこの句は、季語を据えることにより、動画の様に現れた場面が、繋がっていくのだ。句の全貌が見え始めるのだ。

 

 

❋鶴の声

 

鶴の声天に風穴ひらきけり

 

私は鶴の声を聞いたことがない。映像で見る鳴き声は本物のようで本物ではない。ことわざに言う、「鶴の一声」、これも想像する範囲で、威嚇的であるに過ぎない。

 しかし、この句の作者は、それを聞いて、感じたままを、「天に風穴ひらきたり」と表現したのだ。私は聞いたことがないが、この句を鑑賞して、度肝を抜かれる。天に風穴が開くほどのエネルギーがあるのかと。その凄い爆発的エネルギーが表現により伝播してくる。そして信じられる。

 

 

❋真理

 

寒夕焼生死蔵して海静か

 

 生命の素はどこから来たか、宇宙。生命はどこから始まったか。海。現代の科学が辿り着いた結論ともいえる。実証は学者に任せて、その成果を受け入れる。

 そうして見る海は、とても静かで、何かが起きているようには見えない。だが、全て、生と死のドラマがそこに内包されて、しかも静かだというのだ。寒夕焼の、冷たい朱さが、太陽、地球上に効率良く構築された生命を媒体とするエネルギーの循環(生と死の繰り返し)、その尽きないエネルギーの供給源を表していて、この十七音の中に真理を納め込んでいる。

 

 

❋死と向かい合う章

 

「Ⅷ」に収められた句の色合いに、特に「自ら死と向かい合う句集」を感じた。

 

 

❋川、自我であり龍であり

 

春浅し川総身の鱗波

 

春の息吹、何かが生まれる力。「総身の」に川の精として乗り移ったような自我が感じられ、川が天へも向かう龍の様にも思わせる「鱗波」全てが漲り溢れる季節。

 

 

❋剪定の刃

 

咲き充ちて刃のつめたさの山桜

 

俗に言う「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」というときの桜は、ソメイヨシノ。山桜の場合は、剪定して、樹勢を調えるのだそうだ。

 山桜、本来の桜だった筈の品種、そして、ソメイヨシノの興盛に押され、追いやられたもの。

 この句を普通に読めば、実は、「少し咲き方が密になったので、剪定が必要、風に空かせてやろうと、木のためになることをしてやろう。」という記述なのだが、そのソメイヨシノと山桜の宿命を踏まえて、この句を読むと、世渡りの残酷さ、切なさ、無惨が、見えてくるようである。

 

 

 

❋❋その他に、各章ごとに、印象に残る句を挙げて置きたいと思います。

 

 Ⅰ

隕石の黒き密度や若葉冷

やや老いて写真館出づ罌粟の花

熱帯夜都会は無音怖れをり

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏蟻の列

西日との押問答や四畳半

 

 Ⅱ

釘抜がのつと釘曲げ秋暑し

かなかなの溢れ出でては退(しざ)るなり

天高し軍手をはめてやる気になる

曼珠沙華茎の直情有りてこそ

鏡が待つ家に帰りぬ鵙の声

 

 Ⅲ

高千穂や雲踏むやうに神楽舞ふ

人間寒し言葉を連ねビルつらね

白鳥の首をぐにやりと水より抜く

万象枯れ人間の声なまぐさし

少年の手が水仙をいきなり抜く

 

 Ⅳ

日にかざすわが手儚しねこやなぎ

吉事(よごと)呼ぶごとくに蝌蚪の揺るるかな

市電ゆつくりひかりを進む日永かな

桜咲き充ちコンチクシヤウおまへは居ない

わが肉(しし)もいづれ炎に散る花吹雪

 

 Ⅴ

どの窓にも老人が居て梅雨深し

灼くるなり声を捨てゆく街宣車

真暗な生簀匂へる溽暑かな

灼熱の大地を呼吸するケニア

日盛や全き拒否として黒犀

 

 Ⅵ

鉄筋が瓦礫に突き出カンナ咲く

汗ばみてをり鶏頭の襞のなか

星なべて自壊のひかりきりぎりす

十月の天は真青に打ち下ろす

月射してビルも私もいづれ

 

 Ⅶ

地下街のひかり均質十二月

極月や白く飢(かつ)ゑて磧石

滅びよと黒き手袋落ちてゐる

貨車溜月光溜大晦日

浜捨ての鮫かがやける寒暮かな

 

 Ⅷ

勘三郎亡し浅草の春の突風

キイキイとぶらんこの音死へ近づく

女雛にも髪衰ふといふことあり

ひろびろと波打つ布のやうに春

ロック響かせトラック過る桜かな

2021年秋の話

2021年秋の話

        2021/09/25

        十河 智

 

(コロナ禍の、今年も既に秋。すぐに終わると思っていた。だがまだ長引いている。)

 

 身内とたまに電話をする。弟は9月が誕生月と思い出し、久しぶりに電話してみた。奥さんが電話に出て、かなり話した。弟は電話を取ったときだけ。声を聞いただけ。いつものことだ。

 高松も緊急事態宣言下である。

 甥や、彼女の弟さんの現状を聞いた。かなり影響があり、大変そうだ。

 甥はビルの地下でバーをやっている。今は助成金を受けて休業中だそうだ。宣言明けに認定を受けて営業再開すべく、店内を模様替え中だという。窓が無いため、換気設備を置いたり、アクリル板で隔壁を作ったり、いろいろあるようだ。

 貸しスタジオとイベント会場を経営している彼女の実家の弟さんの店は、飲食を止めて、窓を開放した状態、感染防止を万全にした上で営業継続中だという。 

 店の構造により、感染対策も、営業継続の是非も様々のようだ。

 弟夫婦は変わらず、元気そうだった。

 奥さんは社交ダンスのレッスンはずっとあるという。どうしているのか聞くと、シャドウ、とかなんとか。一人で空気を抱いて踊るらしい。また、基本的な型とステップの競技もあって、そちらの練習は一人が普通だそうだ。

 彼女が習いに行っているお花の教室とか、朝に公民館に集まる会のようなものは、今は休止中だという。公共の会議場や会館が閉館中のためであるという。

 弟は、ボランティアで、栗林公園玉藻公園のガイドをしているが、それも今は活動停止中。

 私も、高松の参加句会はそれと同じ事情で、主宰の個人的な指導のみになっている。大阪でも、少人数で先生の家でしている書道は中断中。再開するかどうか、先生の気持ちの問題もあろう。主人の陶芸教室も将棋クラブも、どちらも会場が開かないので、もう一年半、休止したままである。

 こうなったら老夫婦で、家族で、寄り添うしかない。窮屈な暮らし方になる。

 そんなわけで、弟夫婦も、なんとかかんとか、日々を過ごして、ワクチン接種ももうすぐ2人とも2回終わるという。

 




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[ルビ、実家の猫

洗濯かごが、今気に入っているそうです。]

 

 話は変わるが、弟の家で飼っている猫、ルビ、5歳位、元気かと聞いて、返事に驚いた。半年くらい前に脾臓の癌が見つかって手術して、術後、抗癌剤を飲み続けているという。家族、身内のことを聞いているのと同じ気持ちで聞いた。今は体重も増えて来て、少し元気になってきているという。

 高松へも去年3月に帰って以来、一年半、やはり帰れていない。電話は何回かしたが、ルビの話は、あまりしてなかったかもしれない。弟嫁は、「話したよ。」というのだが、聞いた記憶がなく、ほんとに驚いた。ずっと行動が制限されていると、忘れること、曖昧になることが多くなった気がする。

 猫も、家族、今は病気をすればこうして、手術もする。薬も飲ませる。身に沁みて、当然だと感じた。

 小さいときから犬も猫も飼ってきた。交通事故でなくしたり、病気でも、大昔は獣医さんは家庭の動物をあまり見なかった。動かなくなるのを手をこまねいて見送ったことを思い出す。

 弟とは、冬にどちらが抱いて寝るかで、猫を取り合ったことがあった。大岡裁きのように、猫がギャーと叫んで、私が手を話し、決着がついた。大岡越前守はいない。弟が猫を連れて行ったのだ。 

 そんな具合だから、実家の猫はしあわせだと思う。手術をしないと何か月とか余命を告げられたらしく、すぐに手術をしたらしい。

 行き来が自由になったら、まず実家に行こうかと思った。ルビの見舞に。

 うちは主人が動物嫌いで、おまけに婿が動物アレルギーと判明し、飼えないのだ。実家にいるときは主人もルビをしぶしぶ撫でたりする。ルビのほうが、主人にすり寄っていく。だが、私が呼んでも見向きもしないルビ。面白い関係だ。

 長生きしてよね。

 

逼塞の一年(ひととせ)義姉(あね)の桃届く 

いつの間にいま再びの紅葉かな

シャドウステップ秋の灯揺らぐレッスン場

公園のコロナ閉鎖や松手入

秋澄むや墨たつぷりと含む筆

焼かぬ陶土(つち)色なき風に罅割れて

紅葉づるに開かず栗林公園

弟の猫懐に布団へと

犬猫と遊びし庭や星月夜

闘病の猫がゐる家小鳥来る

一錠の延命信ず良夜かな