「人に歴史あり、事件あり」
2024/06/21
十河 智
最近失敗の連続である。一昨日のことである。フライを揚げていた油を容器に移し替えるときに、容器をひっくり返してしまいどうなったかとっさのことで判断がつかなかったが、結果は手の甲に熱い油を被ってしまっていた。流水でかなり曝してから溜めた氷水にも漬けておいたのだが、大きく厚く水膨れを生じて、ひりひり痛い。水膨れのないところも赤く腫れている。水が油の膜で中まで浸透していないとわかる、熱湯や鍋の縁に当たるといういつもの火傷だと、流水で曝してしばらくすると体がぞくっと震えるくらいに冷えてきて、患部の腫れも退き、何事もなかったように、台所仕事を継続できる。今回はいつものようにはならず、水疱が膨れ上がったので、びっくりではあったが、消毒した針で水を抜き、皮を破らないようにして、ガーゼで覆い、包帯を巻いた。洗い物は翌日回し、昨日の朝になった。あとは、覆うガーゼと包帯を変えるだけを続けている。空気に触れてもひりひりしない様なら、そのままにする。そのほうが煩わしくない。
転んでも骨を折らないとどこかで書いたが、この手の火傷は、学生時代、製薬会社の技術部時代、たまにあったかと思う。ガラスの実験器具での指先の切り傷も経験した。溶剤の入った成分抽出のための分液ロートは、大きくて重いのだ。化学実験をする現場には必ず救急の場合に駆け込む医師が指定されていた。何か久しぶりの火傷で、色色と思い出されて、人生を振り返ってしまう。こんなことがなければ、もう思い出すこともなかった遠い過去、生きてきた証を噛み締めている。病気をすれば過去の大病を思い出し、こうして怪我をすれば、過去の大怪我を思い出す。何にもない平凡平安な人生といっても、
「人に歴史あり、事件あり」
であったと思う
自分のことではないが、同じように揚げ物をしていて、油から火が出て、袖口、カーテンへとひろがり、おおごとになった近所の家があった。幸いその人の怪我も火傷程度ですみ、火事も類焼はなく抑えられた。
まだ買い物にはいけるので、介護や援助まではいらないと思っているが、気をつけて暮らさないとと思うようにはなった。寄る年波を無視してはいけない。自分を知り、自覚して、注意して暮らすようにしたい。年寄り二人の家の自立は、いつかは終わる、それを忘れることなく、日日を繋いでいかなければならない。周りはそんな家ばかりなのである。昔のようには、ご近所が頼りにはならない。社会の仕組みや制度に頼るということになる。一日経たないと娘は来ない。
揚げ物から火傷、これから先のことを考える良いきっかけとなった。
来し方の怪我も病も夏の始
手の甲を覆ふ油膜に夏の水
冷たさの食い入る程に夏の水
見聞の大事小事や蚊を叩く
隣人と火事と見紛ふ大夕焼
水打ちやこれもひとつの危機管理
汗拭ひ隣近所は共に老い