最近の二冊

最近の二冊

          2019/12/28

          十河智

 最近、読んだ本である。どちらも、SNS上で眼に留まり、ジュンク堂書店のネット販売で手に入れた。翌日には届いた。どちらも思ったよりは内容が浅かったが、考えを深める端緒や、新たな情報を提供してくれるものとしては、良い本になった。

一「本土空襲全記録」NHKスペシャル取材班、KADOKAWA 

 私にとっては、永久保存版のデーターである。意見や主張、論議はほとんど見当たらないが、どうしてこういう本が今までなかったのだろうかと思っていたのだ。
 断片的に被災者の言葉として語られたり、ある都市の記録としてはあっても、日本が持たないデータであった為だろうか、全体の犠牲者の大きさを把握できるような書物にであったことはない。
 残念なことに、高松のことは地図上の点でしか表されてないが、こんなにも広範囲に多くの犠牲者がいたのかと、それを、戦争を知らない世代が知ることは、意味がある。
 戦争は恐ろしい。勝ちも負けもなく、罪業である。米兵が、その時と、戦後と、時々の気持ちを語っているのは、本当のところだろう。戦争は起こしてはいけないのだ。起きてしまったら、こうなってしまう、という証言でもある。
 もう一生が終わりかけている私。今も、私が生まれる前にあった家庭の突然の終焉が、自分の生の始まりだったことに、罪というか重たい枷のようなものを感じている。幸せに暮らしながらも、悲惨な最後を遂げた「家族」が、土台にいる。心から幸せと思ってはいけないような気が、どこまでも続いている。

以下、機会ある折に発表した俳句を、この本の紹介とともに、再録しておこうと思う。


高松の七月四日我が縁  十河智

〈高松の空襲記念日は七月四日、私にとって特別の日である。父が全く知らずに、自分の妻子全員を失った残酷な一日であり、そこが、私の始まりの日である。その事実を知った後、私の思考の原点に渦巻く兄や姉の存在があるのである。東京や大阪など大空襲は、よく語られるが、高松でもこの日五千人が死亡したとされる。〉

七月の空襲熱き死でありと  十河智

終戦の年、7月4日の高松空襲がありました。逃げ惑う市民の中に、家族写真の父以外の全員がいた。後に市外から入り、遺体を探し歩いた伯父や伯母の話では、余りの熱さに防火用水の中で死んだ子がいたという。〉

家跡に戦士二人の終戦日  十河智

〈人も家も何もない、記憶と番地だけの家の跡。戦地に赴いていた男二人が、生きて帰る。一人の妻は、もう一人の姉であった。この二人を結ぶ縁は、消滅していた。〉

姉の名やセーラー服で入学す  十河智

〈父方の伯父伯母たちは、亡くなった甥や姪を可愛がったのだろう。写真の中に、私と瓜二つの子がいる。セーラー服の私に、その子の名で呼ぶ年老いた伯父がいた。〉

死の床に誰ぞ尋ね来や寒雀  十河智

〈父は死の床にいた。朦朧として脳裏には彼の人生が繰り返されているのだろう、ふと、全部が私たちではないんだと、外の寒雀ほどに知らない父を感じていた。〉


ニ ルポ「京アニを燃やした男」日野百草、第三書館

衝撃的な事件だった。
 初めは小さな火災かと思っていたら、どんどん死者が増え、放火でもあった。逃げられなかった人たち。
 時代に付いて行けず、京都アニメーションやその作品群について、何も知らず、その会社が宇治にあって、丁寧な背景が、出町や伏見、宇治をもとに描かれていて、聖地だという、そんなことも知らなかった。
 この事件のなぜ起きたか、想像が出来なかった。通り魔的、発作的な動機としか思っていなかった。こんなに大勢が亡くなった火事そのものについては、具体的な犯人の行動や建物の構造、仕事場特有の人の居場所などから、日に日に明らかになってゆく。
 犯人も大やけどして見つかり、治療中という。ただただこの男に何か語らせたい、そういう社会の意思がそうさせるのだろう。そう考えなければ、理不尽極まりない成り行きである。天秤にも掛けられない命の軽重である。
 この本がSNS で紹介されていた。少しでもわかりたいと思った。アニメーションというのは、若者にそんなに影響力があるのか、知りたかった。
 速報であり、ルポルタージュである。たんたんと書かれていた。ときおり、物書きとしての著者の成り立っていく過程が重ね合わされる。
 著者は、犯人のような心情や暮らし方は、そのへんに普通にあるという。彼が経験した不遇は、珍しくはないとも。普通人は思い留まる、が、犯人にはできなかった。
 最後に、著者は、生かされている犯人に、犯人が犯したことの重大性と、生かされていること、その意味を述べている。ホローコースト、ジェノサイド。恐ろしい言葉を連ねている。
 京都アニメーションの文化や歴史。それを生み出すクリエーターたち、人生があり、家族がいたと。それを一瞬に焼いてしまったと。
 犯人に、「君の末路は社会と関係ない。貧相な完成による君自身の帰結である。」と言い切っている。
 「京都アニメーションはまた立ち上がる。」
 この言葉が、希望に繋がる。

 犯人に向き合う形の構成、語り口。かなり早い段階での出版だが、勇み足にならず、読むものを納得させてくれた。ずっとあとになれば、社会もクールダウンして、ここまで言うかと思う言い草もあることはある、が、概ね今は受け入れられる。事件の衝撃がまだ残っているから。