過ぎてみれば、あっという間

過ぎてみれば、あっという間

       2023/06/08

十河 智

 

 6月の第一日曜日、自治会の一斉清掃日であった。側溝や自治会会館、児童公園などを清掃する日。年2回ほど設定される。うちは、たまたま前日に、植木屋さんが剪定に来ていた。そして散らかった枝葉を掃除して、結果、側溝は、きれいになっていた。この日の自治会からお達しの仕事はしなくても大丈夫だった。うちは敷地が道路に沿って長いので、真四角に区割りされた分譲地よりも、側溝も長いのだ。けっこう大変なのだ。

 自治会からは、あと、年末の夜廻り、役員当番以外で、この2つがあるだけ。回覧板もコロナ以後とんと来なくなった。

 隣のことは、孫が来たことが駐車場の車でわかるくらい。皆高齢になり、運転をやめた人も多く、人が住んでいるのかと思うくらい静かな住宅街である。

 うちはまだふたりとも運転するが、80までと決めている。運転をやめると、この家に住み続けるのは無理かもしれない。お買い物バスなるものを自治会が出してくれているが、荷物を持てない、歩くのが続かない、そんな老人にはあまり用をなさない。いずれは娘のすぐ近くのマンションに住んで、気楽に暮らすのがいいと思っているのだが、主人はまだ動くつもりがない。あれこれ考えても仕方ない、言い古されたことだが、 「今を生きる」しかない。

 私達夫婦は「町のネズミ」で、土いじり、庭仕事は苦手、こんな外回りに手が掛かる家、要らなかった。双方の父親が、どちらも「田舎のネズミ」で、ここを気に入ってしまい、私達が、式を挙げて、新婚旅行に行っている間に、玄関先の前栽に、郷里讃岐の松を入れ、石を入れ、調った庭になっていた。

 敷地は、中途半端な矩地で、地盤の関係で、平屋しか建てられないと言われた。基礎を堅い地盤まで達する様に打ち込まないと、高層の建屋を支えられないのだそうだ。結婚前で、実際あまり良くわかっていなかったので、親の言う通りに事が運んでいった。

 これも双方の身内に、基礎工事を業とする私の従兄弟がいたり、材木屋の主人の家繋がりで、左官も大工も、小屋を建てて、田舎から泊りがけで来て、希望通りの家をたててくれた。というのは、主人の家のスミに売れ残っていた有合せの柱、建具で、なんともデザインに統一性のない、だがしっかりとだけが間違いのない家ができあがったのだ。

 工事中は私も勤め先の徳島から、寝屋川まで通い、大工さんたちの宿泊する小屋の掃除や食事の差し入れも手伝った。そんなこんな、郷里の高松とも、材木の運搬や、大工さん、左官さんの行ったり来たりで、結局安上がりのつもりがそうでもなかったかもしれない。

 そんなこんなで、いろんな人にお世話になって作った家に50年住んでいる。やはり地盤に問題があって、床に少し軋みは出ているが、雨漏りもなく、暮らせている。

 子供がよく来て遊ぶ家になっていた。裏の矩で、おしりにダンボールを当てて滑り降りるとか、あちこち掘って宝探しとか、しっかりした庇に紐でブランコをつくったり、家の中では平屋なので動きやすいのか、かくれんぼを良くしていた。うちの子よりも年上の子が来てよく遊んで帰った。そんなことが、子供が幼稚園に入るまでの楽しい思い出である。

 「過ぎてみれば、あっという間」、実感である。

 

渦潮を超え手伝ひの新居かな

豆腐屋の鐘振りて来る冷奴

青草を滑り倒してきゃあきゃあと

軒先にしつかり結びふらここに

親に似る打水の人挨拶し