本当の老いはこれから来る。

本当の老いはこれから来る。

          2023/04/22

          十河 智

 

 

へとへと。

夫婦二人で、午前中、家の前の排水溝の落ち葉を掃いた。

 うちの家は住宅街の端っこで、敷地は広いが平地は少ない。三分の二は矩地である。横長で、排水溝が、やたらと長い。裏は、池とその向こうに神社の杜があり、春と秋は、うちの排水溝に、落ち葉が吹き溜まる。春は秋ほど多くはないが、風が強い日のあとは、排水溝の凸凹の加減で、水はけに影響するほど積み上がる。

 ついでにコンクリートの割れ目から生えて来る雑草も根から引っこ抜く。昨日少し降った雨はちょうどいい湿り具合で、草が抜きやすい。そういう日を狙って、排水溝掃除をすることにしている。

 二人とも地方の街の真ん中にある商家の子で、家の真ん中に三、四坪ほどの狭い庭がある程度で、草抜きが大変という暮らしは、結婚してこの家に住むようになってからのこと。そのうえ主人は、ほんとに「町の子」で、泥と土が大嫌い。私が抜いた草をごみ袋に集めるくらいの仕事しかしない。植木屋さんに草曳きまで頼むと時間が長引きすごい値段になるので、植木の剪定のみ。私がやるしかない。庭の草と格闘しつつ、ここで暮らしてきた。さすがに歳を取り、一日仕事とは行かなくなったが、まだ足腰は元気で、痛いところはないので、時間さえかければ、庭仕事に支障はない。だが、やはり体には堪える。次の日は寝てしまう。今日はそういう状態の日なのだ。

 平屋の家の回りを雨で傷まないように波板プラスチックの屋根のベランダで囲んだ。その地面はコンクリートを打ち込んだ。これで家の周囲2mには雑草は生えなくなった。また、私が病気で長期に入院したことがあった。そのときに、草曳きが楽になるようにと、主人が、庭の半分に石のタイルを敷いてくれていた。その後退院してから、残った半分の一部は、煉瓦で囲んで花壇も作って、花も植えていった。その周辺を余ったレンガを埋めて歩きやすくした。土の見えるところは芝生にした。こうしてだんだんに庭を整えていった。庭の平面部は雑草の心配が少なくなってきた。   

 しかし、もともと庭に花を植えて手入れや土いじりをするような私達ではなく、庭といえば植木、植木の手入れは植木屋さんがしてくれる、そういう家で育った。大学で薬用植物を少し齧ったが、植物の細胞や組織を増殖させて効率よく薬用成分を取り出すという、栽培とは無縁の研究室だった。未だに手入れして花木を育てるのは苦手である。一度植えるとそのまま大きくなる木が植えられて、年に二度植木屋が来て剪定と消毒をしてくれる、そんな大雑把な庭である。 

 本当はマンションの庭のない住まいが、性に合っているのかも知れない私達夫婦なのだ。けれど、この土地が気に入ったのは、私達の父親二人であった。主人の父も、私の父も、昔人間で、庭の植木を大事にする田舎の育ちで、庭に植える木を植木市で買って、植えに来てくれた。生存中はよく手入れにも来てくれていた。私の父などは職業訓練の植木職人コースを受講して、家の庭の手入れを楽しんでいたのだが、何年もしないうちに亡くなり、残念だった。

 草曵きの話から、植木のことに逸れてしまったが、これから先、もっとこの庭を持て余すことは間違いなく、老後の暮らし方を考える必要をこんな側面からも感じている。

 自分たちが歳を取れば、お付き合いのあるいろいろな人たちも同様に歳を取っている、そんな簡単なことに改めて気づく。この前は主治医の先生が同年であり、八十歳になると医院を閉じるという話を聞いた。もう何十年と通っていて、喘息のやめることができない薬を処方してもらっており、ほかへ行くことなど考えたことがなかった。でも、どこか後後探さなければならない。もとの病院にもどって、今更ながら、長時間待って、3分診察、そういうことになるかも知れない。

 いつかは娘の近くの移り住み、世話になりたいと思うのだが、自分が保てて、その通りにできるかどうか、予測不可能である。本当の老いはこれから来る。

 

 

朧夜や先の予測のつかぬ老い

雑草と格闘しつつ青き踏む

古里の父が好みし植木市

若緑手入れに父の来てゐしか

気がつけば周りも老いて蜃気楼