裏に池、藪、そして藤

裏に池、藪、そして藤

          2023/04/20

          十河 智

 

 うちは京阪電鉄系の不動産会社が開発した丘陵地に住んでいる。住宅街の端で、小高いので、少し歩くと見晴らしもよく、また裏は池があって、池に沿って三軒並びの家があるのみである。

 二十年くらい前までは、見渡す限り田畑だったが、都市化と道路化が進み、住宅街も満杯になり、今はそれも通り越して、年寄ばかりの街となった。運転をやめてバスに乗る人が増えている。現に私達も運転は八十歳までと言っていたがあと数年となった。理想はそれまでに娘の家近に手軽な寝るだけのマンションを買い、通いで食事を取りに出かけるという暮らしである。これは友人のご両親が岡山から京都に移り住んで、そういう暮らし方をしていた例に倣おうとするものなのだが、まだ今は、夫婦二人で、車で買い物の暮らし方を続けている。

 住宅街の造成中に結婚が決まり、家が疎らのところに建築、以後五十年、ここで暮らしている。材木商の主人の父がこの場所を選び、馴染みの大工さんを頼んで、建てて貰った家である。女の人が計画に加わらず、住み始めて気づいたことに、屋根のある物干場がない。最初の何年かは、ベランダの支えの鉄柱に荷物用のロープで物干し竿を結びつけて通し、半分雨に濡れるところに洗濯物を干した。子供が小学生になると干物にも日程が生じる。それで、既製品のサンルームを一部屋継ぎ足した。

 ベランダに干していたときに見えるのは、向う岸の竹のみで、鬱蒼としていた。それが、サンルームで床が上がったときには、池の水面が少し見え、周りの木が池に映えるのだ。景色がぐっと良くなり、藤がところどころに咲く池であると、この頃に気づいたのだった。

 池の縁に行くには、そもそもが一本道で土手と繋がるのみの、人の来ぬ秘密めいた池なのだ。辺りの三軒の裏でしか住宅地と接していない。男の子はそれが魅力で当初筏を浮かべたりして遊んでいた。住宅街の子供が一人、住み始めた直後に溺れて亡くなった。その後に土手側に金網が張られて、旧村の自治会が管理していると掲示が出た。安全にはなったが、景色は一変した。安全管理と景観とは相容れない二律背反であるのかも知れない。

 北河内には、一部埋め立てられて、学校やグラウンドに転用されたが、こういうため池がまだあちこちに残されている。しかしその殆どが、四角四面の金網に囲まれた水面、これから先もっと都市化が進めば、いずれは跡形もなくなる。

 住宅街の内側で、公園や各戸に桜が植えられていて、少し前には、春爛漫、華やかに桜が咲き誇っていた。公民館には桜の木が植えられ、藤棚が設えられている。その藤棚の見事さは言うまでもないが、作られ過ぎの感が否めない。


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 うちの裏の池に咲く藤の話に戻ろう。

 藤は静かに咲く。期待もさせない。洗濯物を干していて、「あっ、咲いてる」と、嬉しくなるのだ。うちでは、私だけしか見ていないのだが。最近の温暖化は、五月の連休頃だった藤の開花を半月早めた。身近に温暖化を感じるのだ。それでもこうして裏藪で藤の花が咲き、薄紫が空気に馴染んでそして消えて、春の終わりから初夏へ季節が移る。

 季節を、こうして花を愛でて感じつつ暮らせることの幸せを、この歳になっても噛み締めている。本当に幸せ。

 

藤淡くすでに揺れゐし温暖化

竹に絡み池を囲むや藤の花

我が庭の白き卓椅子藤見席

藤愛でる両三軒の物干場

居を構ふところに藤の花盛り