橋本石火著 「長谷川素逝の百句 物心一如の凝視」 を読みました。

橋本石火著

「長谷川素逝の百句 物心一如の凝視」

を読みました。

        2022/04/16

        十河 智

 
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 長く投句しているゆう通信句会、そのメンバーの橋本石火さんが著された

「長谷川素逝の百句 物心一如の凝視」

を、贈って頂き、読ませて頂きました。

 

 長谷川素逝には多分初めて接したと思います。

 その一生は、結核に侵されたために40歳と短く、またその病の原因となる兵役への応召、中国の前線へ送られて、そこで作られた戦争体験句が中心の句集「砲車」もある。

 虚子がこの句集の序に、「………今度の戦線に出た将兵で俳句をつくる人は数限りも無くあって、其等の人の作る句は皆それぞれの特色があって孰れも内地に在って戦を想像して作った句とは比較にならぬ力強い或ものを持ってゐるのであるが、其等のなかにあって我が素逝くんの句は一頭地を抜いて居ると言ってよい。…………」と書いている。

 石火さんのあとがき「物心一如の凝視」で、これを引用、「砲車」は当時の時勢にのり、聖戦を鼓舞する句集としてもてはやされたと紹介している。

 しかし、石火さんは、素逝の「砲車』は「戦争賛美の句集ではない。敵兵への憎悪の句はあるが、中国民衆へ心を寄せた句もあり、戦友を思い遣った句もある。」と、強調しておられる。

 戦後素逝は選句集に、「砲車」からは3句しか採らなかった。これは、素逝自身のあの忌まわしい戦争を自分の記憶から抹消したいという思いからではという。「弟を返せ(天皇)を月にのろふ」という激しいまでの憤りの句を示し、聖戦と信じて疑わなかった戦争を嫌悪したためではとも書いている。(天皇ははじめ伏字となっていたようである。)

 「砲車」は素逝の温かさや優しさのあふれた人間味のある句集であるともう一度強調しておられる。

 素逝の妻ふみ子も俳人で、戦争中であったが、句に二人の夫婦愛がしっかりと刻まれている、とある。

 

伊勢神宮にある並んだ句碑の句。

 

円光を著て鴛鴦の目をつむり 素逝

天の川頭上に重し祈るのみ ふみ子

 

, この百句の中にもだが、素逝には、落ち葉を詠んだ句が多くある。

 素逝が病に倒れ、吟行に行けなくなったとき、落葉は身近な句材であり、凝視する格好の句材であった。

 素逝の自身の著「俳句誕生」の、「凝視する」という項で、

「写生は、結局ものを見つめる道である。」「作者と対象とが一如となってこそ真の写生」と書いているという。

 素逝の写生の実践についても、紹介している。

 「ひたすら物を見つめ、物の命を掴むこと、即ち物心一如が素逝の作句態度であった。」

 落葉の5句により、写生に対する素逝の境地の変化を考察している。物心一如の境地がいつ頃からだろうか、と考察している。

 

遠くより朴の落葉とあきらかに (S12)

落葉ふかしけりけりゆきて心たのし (S13)

忘れゐししづかな音の降る落葉  (S14)

地に敷いて朝の落ち葉のささやかず(S20)

 

 境地の変化は、病を得て帰還した辺りからとしている。病を抱えつつ、戦闘描写の句から、一線を画し、真なるものを追い求めた時期。苦行の果てに行き着いたのが「物心一如の凝視」だったのだ。と、石火さんは書いている。

 

 初めての長谷川素逝を知るために、あとがきを、先に、しかもかなりよく読ませていただいた。写生ということに日頃気にかける者として、思いの外に読んでよかった、参考になったと思う気づかせてくれることがあった。

 解説を書く石火さんの視点も見えてきたので、それを踏まえて読むことができた。

 

 本文より好きな10句を上げる。石火さんの鑑賞の要点の部分も添えて。私の感想も付けた。

 

雪をんなこちふりむいてゐたといふ 素逝

 

(雪国の囲炉裏端で土地の人との夜話  石火)

[いかにも、夜話らしい表現で、面白そう。  智]

 

いちにちのたつのがおそい炉をかこむ

 

(素逝初期の作品、句集「三十三才」、「砲車」以前の句であるが、出版は後である。 石火)

 

[今、私達のコロナ下、自粛生活も同じ気持ち 智]

 

友をはふりなみだせし目に雁たかく

 

(陸軍砲兵少尉として中国の戦地にて。自由な雁の飛翔に、境遇の悲しみが増す。石火)

[戦地では、こんな悲しいことがあるんだと、現実を突きつけられた感じがある。雁が余計悲しくさせる。 智]

 

食を乞ふ少年あばら骨さむく

 

(戦争状態での窮状をその通り淡々と詠む。敵とか味方ではない。助けたいがどうにもできないもどかしさもある。 石火)

[あばら骨が強烈に響く。飢えた少年の写真が、アフリカで飢餓があったときポスターとかニュースで流された。その姿が重なりました。 智]

 

郁子の門をくぐりてつねのごとかへる

 

(退院の帰宅の心境、安堵と矜持。郁子の門は、移築されて現存という。 石火)

[郁子の門、興味がそそられる。移築されるのだから、材質としての郁子の木なのだろう。 智]

 

紙干して村のその日がはじまりぬ

 

(紙漉きが産業の村のその日、奈良県吉野町、国栖の里。 石火)

[前の日に漉いた紙を、次の日に干すという。見学者の視点からだと、そのことも興味を持ってみている。 智]

 

流産の妻よふたりの蛍の夜

 

(妻を気遣う夫の優しさと愛に満ちた句である。 石火)

[肩を抱き合い、無言で蛍を眺め、時を過ごす。優しさが行き交う。 智]

 

子どもらに背戸の葉風のさたうきび

 

(葉を揺らす風の音がサトウキビの収穫を待つ子どもらの気持ちを象徴している。 石火)

[私の子供の頃の風景。収穫の途中に、枝葉を切って、渡してくれたものだ。 智]

 

咳くことに堪ふる両手をついて俯す

 

(俳誌「桐の葉」創刊後、病状悪化。どんどん悪くなり、咳、高熱、食事困難の中執筆。選句などは交替。 石火)

[喘息発症後、治療方針が決まる前、こんな咳をしていた。しんどい以上だった。 智]

 

10

卓の芙蓉ひらいて落ちて今日も過ぐる

 

(俳誌「桐の葉」第6号。素逝の追悼号。行年40。最後の2句の1。 石火)

 

[我が師、田中裕明とかさなる。彼も若くして亡くなる。ゆうを創刊。その死により終刊、追悼号を出した。 智]