御中虫句集「関揺れる」を読みました。

御中虫句集「関揺れる」を読みました。

        2021/10/07

        十河 智

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 この本を読みたいが、手に入らないとフェイスブックで、お友達同士が話をしていました。出版社の人が、「在庫有りますよ。」とコメントしていた。なんとなく関心が湧いて、読んでみたいと思った。出版社のオンラインショップではもう売り切れになっていた。そうなると、もっと読みたいと思うようになった。メッセンジャーで担当の人に、直接聞いてみると、「本のカバーは草臥れてるけどよろしいですか?本文は綺麗です。」と言って、最後の一冊
というのを売ってくれた。それほどの苦労はしていないが、この手に入り方で、ちょっと特別の本になった。送られてきた本の、どこが草臥れてるの、というくらい表も綺麗でホッとした。

 ペンネーム、俳号だと思うが、名前が変わっていて、こういう人が書くものは面白そうと思った。
題名も変わっている。2011年3月11日14時46分東北地方太平洋沖地震東日本大震災)を俳句にしたかったそうである。
長谷川櫂の『震災句集』に対抗したかったーーーーー」そうです。だから、125句、その句集の収載句数ときっちり同じ数だけ、だそうです。
 なんとなくの興味で読むことになった句集が、こんな動機で作られていたとは。なんとなく入った大学で、あの紛争に巻き込まれて覚えたかつてのドギマギが、甦ってきた。
 手にした以上読むしかない。
 発表の場所は、ツィッターで、毎日だったようで、この発表の際の印象と、この本の活字で読む印象の違いなども面白いかもしれない。

 不思議な印象の本である。
 活字で揺れる揺れると攻められると、自分が揺れてくるように感じた。
 この本の、大本の揺れは、10年前の3・11東日本大震災である。ちょうどその時、近所の治水緑地の道を自転車走行していた私も、自身の揺れは自転車が吸収したのかあんまり実感がなかったが、地球が、台地がふぅわりと揺れていると思った。何事かと、すぐそばの友人宅に立ち寄って、テレビの報道で地震と知った。津波が大きな画面から吹き出そうに襲ってきていた。被災はしていないが、揺れたという事実はあった。この私の実体験とこの本の感覚の奇妙な一致が、もっと大きな揺れとなって、響いてきた。
 なぜ「関揺れる」なのか。それは、震災の被災にあっていない著者が、自身の揺れを少しでも我が身のこととするため、少し面識のある被災された関さんが実際に揺れたであろう場面に思いを馳せての、呟き125回
なのだという。彼は真面目に考えて取り組んだが、結果、シュールな世界が構築され、被災者までもが大爆笑したという感想もあったという。
 前にも書いたが、ツィートでは毎日1句が目の前にある。1句ずつでは結構笑ってしまう句もあるのだ。私は結構癖のある活字で見開き4句の本を見ている。これは、全く印象が変わるのだ。本にすることの意味のようなものを体感している。

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インパクトの強かった句を挙げる。


関揺れる人のかたちを崩さずに

日本人代表として関揺れる
「この季語は動きませんね」関揺れる

関揺れし後の瓦礫の山に立つ

茨城に関といふ人あり揺れる
国民の眠気覚ましに関揺れる
世界中が注視している関の揺れ

同情はごめんなのです関揺れる

関はいつも一人で揺れてゐた、いつも。

「名を名乗れ」「関です」「出会え!出会え!出会えーーーー!」
暴動の起きない国を関が揺らす
関はたゞ寝返りをしただけだった

揺れるなら止めてみせよう関悦史

「関じゃない!その揺れ!」「え!?何!?地震なの!?」


 
面白かった。それ以上ではないことも素直な感想だ。 
 私は雑誌とかに抽出された物しか長谷川櫂の震災句を読んでいない。
 片方だけだが、それでいい。