コロナウイルス・オミクロン出現、感染爆発

コロナウイルス・オミクロン出現、感染爆発

        2022/02/09

        十河 智

 

 オミクロンの拡がりに、怯えている。

近況である。

 

 学校の感染拡大

 

 学校での感染状況が、学校薬剤師への情報として、詳細に送られてくる。

 一ヶ月位前までは、[家族がかかり、児童や生徒は陰性でした。念の為当該児童は、登校停止としました。]くらいの対応であったが、今は、[学級に一人感染が確認されましたので、当該生徒が在籍するクラスの生徒と全員と担任のPCR検査を実施したところ、新たに‥‥‥‥‥]と、検査による確認が必須となっており、結果により、学級や学校の運営が分かれるようである。閉鎖となる学校、学級も多いようだ。今年度の学校への出務は、2月中の空気中のCO²濃度測定があるが、まだ実施の指令は届いていない。マスクをしていても息はしている。したがって、結果は同じだろうと思うが、換気については、感染予防のためにより頻繁に行なっていると思う。予定通り実施して、結果を見比べてみたいと思うのだが。ちょうどその時期は、期末試験や入試と重なるので、部外者の出入りは忌避されるやも知れず、まだ判らない。

 

 コロナワクチン接種、3回め

 

 3回目のワクチン接種の接種券が届いた。

 薬剤師として、私の住む市では、医師の問診の前の問診票のチェックに、既接種の際の副作用や反応等を詳しく聴き取る作業への出務要請もある。これについては、出務の際には3回接種済みが、必要と書かれていて、市では、かなり神経を使っている感じがする。医療関係の従事者には接種券配布前に先行で接種が行われている。今回の3回めの事前の接種を行う医療機関の一覧も届いた。ここで薬剤師会を通して予約すると、主人を置いてけぼりにするが、早くて簡単である。

 が、この出務、薬剤師会の募集文書には、会長名で、「家族の不同意を押してまでは応募しないで。」

との念押しがあり、主人はもう行くなという。歳だし、喘息持ちだし、軽く済んだとしても感染するのは避けたい。オミクロン株が出始め、その感染力が格段に強いと言われ始めていた。出務は、やめておくことにした。

 

コロナ禍の社会的対応

 

 今もニュースが、過去最大の感染者数と、オミクロン拡大を伝えている。余談だが、あべのマスクが復活、応募による配布としたら、過剰の希望があったという。他の感染、衛生対策等で、使う目的は色々あるだろう。無駄にならなくてよかった。施設でのクラスター感染が増えており、「無いよりはマシ」対策の足しになるというのもありかと推測している。

 今は症状により医師が、コロナウイルス感染症と判断し、カルテに書けるようになったようだ。保険適応上、「診断には****の検査を要する」という規定が、数限りなくある。コロナウイルスの、感染力増大の変異を見ていると、間髪を入れぬ隔離が必要で、この対応は、的を射ている。しかし、こういう法を事態に合わせる手続きが、往々にして、緊急事態にはタイムラグを招く。時期を失しない対応が、政府や行政に求められている。自宅療養が増え、保険適用やその他の周辺法を整備をして、事態を円滑に処理する方向性を示している。

 医療従事者、医療関係メーカー(薬、検査キット)には法に定められた範囲があり、逸脱は法令違反になる。いまジェネリック医薬品で起きている市場に出回らないという事態は、メーカーの申請された製造手順からの逸脱が原因という。それとは事情は異なるが、この新型コロナ感染拡大の状況下、検査キットが足りないといわれている。

 検査所で行う検査は、検体は、被検者自身でも採取も可能で、綿棒と、試験管、ビーカー、試薬があれば、集中的に実施でき、多少の増減にもフレキシブルに対応できる。が、どうしても一日あたり、一機器あたり、一人の検査員あたり、限界が生じる。 

 キットにすると、広範囲で、手軽に、判定が可能になる。だが、現在のような感染爆発の状況下、

臨時に必要で、いちどきに需要が増す事態に、検査キットの普段の製造体制では、追い着く筈もない。試料採取が手軽であっても、判断する検査用のキットが、どうも不足しているようだ、ここでも。

 ヤフーで、調べてみると、医薬品卸の話として、1月終盤時点で、「キットの出荷は、2万3000回分余りだった先月に比べ、今月は数週間で11万回分余りと5倍近くになり、先週末には物流倉庫などの在庫がほぼなくなった」というコメントがあった。凄まじい。

 喘息で月に一回は開業医と薬局に通っている。その医院には、発熱の人は、「先ず発熱外来の設置された病院を電話で予約する。」ようコールセンターの電話番号が張り紙されている。発熱があれば、かかりつけ医に拒否される。大変な世の中だ。ただただ終息を願うしかないのだが。

 

「電子的、超今風」のこと

 

 今回は、医療従事者枠でのコロナワクチン接種を遠慮した。

 それで、一般の高齢者枠で、大規模会場の予約を取った。電話は話し中や呼出音ばかりで、何回も10分以上待ったが通じない。とうとうスマホQRコードを読み込み、申込むことにした。こういう「電子的、超今風」のことは、家では私の仕事なのだが、七十の手習いには難しい。しゃしゃっと事が運ばない。 

 それぞれのスマホでそれぞれに予約しておくほうがいいと思ったが、主人と私ではスマホの会社、機種が違う、となると、QRコードの読み取り方が違った。それで、2人分をまず私のスマホから予約、予約の結果を主人のスマホからアクセスして、本人にわかるように説明したが、自分でさえ、後になったら、アクセスできないかもしれないので、接種券の封筒と、カレンダーにメモは残した。電子的処理が、お役所的には便利で、人も少なくて済む、良い方法なのだろうが、取り残されている人は多いことだろう。もっと電話が繋がるシステムにはならないのだろうか。もっと老いた自分のことを考えると、暗澹たる思いになる。

 

老いの身に無聊なる寒コロナ禍の  十河 智

 

 頭も身体も、75を過ぎてとすごく衰えたという自覚がある。このところ、特にそれを感じている。感じているうちが、まだいいのかもと気を取り直す。

 主人も私もたまに思い違いをする。二人で確かめ合うようになった。記憶については少なからず自信のあった私、つい最近の免許更新のテストも予習はしていったが満点、その私が、怪しくなっってきた。

 クレジットカードの明細が届いた。ひと月前に、上新電機で5万円台、3万円台とまあ大きい買い物をしているが、何を買ったかと思う。そんな自分に驚く。その次の行の8千円がまたわからない。これも上新電機。主人に聞く。主人があきれ顔に、トイレの温水便座とプリンターの設置費用、と答えてくれた。温水便座は設置、引取を上新が行う、プリンターは、派遣の別会社が設置設定に来てくれるとそれぞれの売り場で説明を受けていた、その費用を払ってもいたのだった。

 毎日のことの、いつという認識が薄れるのだ。遠い昔のように思ってしまう。50年前と同じ記憶の池に、つい最近の出来事も漂っている。

 歳のせいとも言えない、コロナ禍のこの閉塞の暮らしが、興味の幅を狭めている。衰えを加速している。世間が無聊に満ちている。

 

 

人の親近感、そして距離感。買い物にも、記録にも、時代が、歴史がある。

 

 便利ではあるが、予約や注文は、ネットでの注文は極力しない。六十の手習いで、前にも書いたが、体感できない接触は、確かな手応えが薄くて不安なのだ。声が聞ける電話か、コピーが手元に残るFAXでする。メールでも同じ事と、陰の声が聞こえそうだが、感覚的にそう思うのだから、仕方がない。たまにどうしても、AMAZON とか、書籍はやらざるを得ないことがある。届くまで心配で仕方がない。実物を見ずに、ポチッポチっで数回、それでいいのだろうかと。

 レギュラーコーヒーのお店も、はじめは主人の会社のコーヒーショップで対面で分けてもらっていた。主人が退職したので、同じコーヒー豆を使っている喫茶店を教えてもらい、そこに通った。その喫茶店が閉店することになり、焙煎のメーカーに直接かいにいくこにした。幸運なことに、倉庫兼販売所が、近くにあった。知る人だけが買いに行く体の店である。それがなくなって、それ以来仕方なく、ネットで注文している。京都の七条に支店はあるが、少し遠い、わざわざ行く気にならない。やはりネット注文の便利さには頼ってしまう。矛盾である。

 俳句などでよくやるZOOM句会も苦手、このコロナ禍に、何度も誘われるが、参加したことがない。スマホでなくパソコンでも、あの分割画面に並ぶ顔が非現実的で、実感が湧きそうもない。インターネット通信句会というメールのやりとりのほうが馴染める。自分に隙が見せられない状況、画面の背景まで気を使う必要がつらい。

 人の親近感、距離感というのは実際の体温というか、体感の裏打ちがあってこそなのだと思う。私達の世代はそうして人と繋がってきた。文通にしても、たとえ署名だけでも肉筆であった。

 生まれたときからあったものはラジオとアイロンくらい。炊飯器、冷蔵庫、掃除機、テレビ、洗濯機、これらの始まりを知っている。子供の頃にこれらは家にやってきた。ちょうど今の子たちがネット文化に接しているようにである。

 子どもたちが私たちの歳になる50年後、紙に書く文化は消滅しているかもしれない。石や木切れに刻んでいた大昔、千年か2千年の紙に書き、プリントする時代、いま端緒となっている電子的記録の時代と、変わっていくのだろう。既に、テレビに映るオフィスなど、パソコン一台おいてあるだけになっていたりする。考えなくてもプログラムしておけば記録にもなるのだから。

 そのうち、お札もなくなり、紙は芸術分野でのみ使うものとなるのかな。

 

コロナで閉じ込められた感の俳句が多い。既に発表済みのものばかりだが。

 

 フェイスブックに探梅行が挙がる様になった。行ってみたいが、近いところはすぐに府県境を跨ぐ。そういう場所に住んでいる。行き辛いので、今は、うちの庭、もう少し暖かくなれば、近所の治水緑地、府立の寝屋川公園辺りで、梅を探そうかと思う。

 一月末、探梅に近つ飛鳥風土記の丘へ一年ぶりに行った。博物館は閉館していたが、梅は見ることができた。

 コロナ禍の影響の最大は、行動する気力を押さえ込まれることだ。年寄りには特にその作用が大きく、引き籠もる。

 高齢者枠で、順調に3回目までコロナワクチン接種を終えることができた。春本番には、気楽に花見ができるだろう。

 

 

列島の地図オミクロンそして雪

 

オミクロン拡がるばかり大晦日

コロナ禍の十日恵比須も過ぎにけり

コロナ禍の黙続きをり松の内

松の内人恋しくてまた電話

冬空に赤く塔の灯オミクロン

氷雪や子供世界にクラスタ

感染の身近のそこに寒土用

老いの身に無聊なる寒コロナ禍の

望みなどこのコロナ禍の老いの冬

春隣なれど扉を閉ざせとぞ

寒きかな何をすべきかまでゆかぬ

手焙のごとく入れ立てマグカップ

探梅や一年ぶりの近つ飛鳥

 

(2月8日、3回目のコロナワクチンを接種した。)

 

凍て返る広きワクチン接種場

セーターの片肌うまくはずしけり

春寒や言葉通りにちくつとし

春雨やワクチン接種終えし午後

二の腕に少し違和感あり余寒