老後の暮らし方
2022/08/30
十河 智
最近頓に年をとったと感じる。落ち込んではいないが、少し不安な暮らしだと思う。することが前よりもたつく。自分に苛つく。そんな暮らしを書いて冷静に見つめておきたい。
去年、今年は、ちょっと出かけるとしたら喫茶店、という以外どこにも行っていない気がしている。コロナウイルス感染症の蔓延防止のためで、およそ人混みと言われるところは避けた。
だが、年寄2人暮らしだからといって、そうそう引き籠もってばかりでもいられない。話す相手はお互い同士と店での注文のときのみ、それでも出かけると、運転もするし、他の人達の様子を眺めたりも結構刺激にはなる。
メインロードは大阪外環状線(国道170号)、河内長野から寝屋川・枚方まで、少し伸ばして、京都というときもある。
主人は運転しか趣味がない。あとは将棋、今はテレビで観戦のみ。コロナで会社時代の将棋クラブは、なくなってしまった。
私はゆっくりだが草抜きもする、そして次の日は寝こむ。それでも草と虫の嫌いな主人には頼めない。一人で黙々とやるしかない。もうこの広い庭のある家が手に負えなくなりつつある。
娘は嫁に行き帰ってこない。
いつまでもここには住めないのだが、主人は動く気配がない。つもりはあるのだろうか。何があってもここに骨を埋めるのだろうか。将来なんて、その言葉は、今の私達には、ないのかもしれない。
選挙が、少し前にあった。コロナワクチン接種会場は小学校の体育館、選挙の投票は、中学校の体育館。久しぶりに会うご近所さんである。五十年の住宅街の付き合いも、親しさのなんと希薄なことか。
コロナのせいかもしれない。みんな長生きしすぎて、レクレーション等はもう無理な歳のせいかもしれない。どこも夫婦でかなり広い家に暮らしている。が、散歩の人も犬を連れ歩く人もいなくなってきた。外には、うちも同じだが、車でしか出ないようだ。
町内会の当番が回ってくる。年年堪える、しんどいかも。それでも役になったら、多分頑張って回覧を回しているのだ。私達よりここに十年くらい早く住み始めた人達がいるんだから。80代のはず。
それでも、少しずつ、住人の引っ越しや住み替え、建て替えをみるときもあるようになり、世代交代は、ゆっくり進んでいるとは思う。順当にそうなっていって、私達もちゃんと世話してもらえる老後を迎えたいものだ。
今は親が子の所へ寄っていく形が多いようで、主人の姉も娘の近所に老後の家を確保したという。ただ住む、寝るだけの空間だという。それもありかなと、人のやりようを見て、考えている。まだ結論は出ない。
炎天のそれでも空の青さかな
世の隅の溢れ一票風涼し
ざるうどん選挙帰りの人の列
青草と抜くぞ抜かさぬとふ勝負
草曳きも運転もあと幾年か
行合の空や老後の暮らし方