干野風来子さんの「風のかたみ」「弥勒野」を読みました。
2021/10/18
十河 智
風来子さんは、「俳句スクエア」に長く投句なさっていて、そこでも俳句を読ませて頂いていましたが、インターネット句会での薄い繋がりのまま、過ごしてきた様に思います。
フエイスブックに投稿なさる俳文に、風来子さんの個性が色濃く、毎日の投稿に、生命、自然と対峙する覚悟のようなものを、常に意識されている、深い意味を感じています。
一
句集 「風のかたみ」
風来子さんは、ほぼ毎日、フエイスブックに句を上げていらっしゃって、読ませて頂いています。その句を選ばずに、そのまま日付通りに、印刷、掲載された大判の一冊を上梓されました。
「風のかたみ」
いつも思うことですが、インターネットの画面で一句ずつ読むことのその場限りの軽い感覚が、印刷された活字からは消えます。
風来子さんは、心の底にどんと響くような、そんな句を書かれます。読み終わると、その前に立ち尽くす、味わいとか鑑賞の域を超えた言葉が、永遠の真理の様に、心に刻まれるのです。
日日の心の糧として、たまたま捲ったそこにある句を味わうそんな句集になりそうです。
大書です。今年の四月から七月の部分から、ぱらっと捲り広げたページ。そこにある印象に残る句を挙げさせていただく。
春風駘蕩へそまんぢゆうの臍のごま
猫がゆくわりんの花の傍らに
人の世はももいろアインシュタイン忌
つれづれに十二単の青く咲く
やはらかき光と遊ぶねこやなぎ
恋人の絶対理論海市立つ
ゆく春に汝れも逝くとや蒼き山
弥勒野のミスターロンリー藪椿
天と地が春の別れを吹きけらし
春暑しテイクファイブを聴かせては
みろく野にさらばTakeyoshi春の風
からつぽの空へ迷へる夏わらび
美はしきおおみずあをの現れて
アルプスの黒百合遅きまはり道
罪のなき大水青の命かな
木天蓼の葉にしなだれてこの俺に
カレーパン食うてぽつかり梅雨晴間
あまやかにゆるる白山風露かな
真つ新になりきれなくて半夏生草
小太郎尾根の夏道迷ひては仏心
吊橋のぐらりと揺れて青葉木菟
北岳草咲けヒマラヤの風あるぞ
息を吐くチャートにふたつ落し文
迷ひ込む尾根には夏の岩雲雀
伊豆山の人の行方や梅雨の蝶
くるほしき東京五輪熱帯夜
懐かしい歌やメロディが思い出され、中腹までバスでしか行かないアルプスではあるが、空気を感じさせてくれた。野山に咲く草花にも、触れるような気持ちで、句を読ませてもらった。
表記にも、冒険的に挑戦され、アルファベット、カタカナ交じりの句がたくさんあった。表記について、風来子さんは、なにか決まり事を持っていらっしゃるようであった。日本語の可能性のようなものが、気持ちを表したいということに叶うように、試行錯誤されているようであった。
悲しみが迫り、コメントができないような句も多かった。これからも、時々引き寄せて、ページを捲るだろう。偶然の句に出逢いを喜ぶことだろう。
二
お友達への
追悼句集 「弥勒野」
弥勒野に春星ひとつ失くしけり
春暑しTake Fiveを聴かせては
春暁の夜叉神峠ひとりゆく
亀鳴くや錆びたアイアン取り出して
Imajineを歌ひそこねて春夕焼
COMBATてふ野球チームや遠霞
恋人の絶対理論海市立つ
初七日の真言となへては春風
おぼろ夜に己が慟哭晒しをり
みろく野にさらばTAKEYOSHIはるの風
大切な友への情愛が溢れていて、読むものも感情が揺さぶられる。私にこういう友がいないことが不幸とさえ思った。