興梠みさ子さんの第二句集「律の調」を読みました。

興梠みさ子さんの第二句集「律の調」を読みました。
 〈2019/12/02 興梠みさ子さんは、帰らぬ人となられました。ここに深く哀悼の意を表し、お悔やみ申し上げます。〉
          2019/11/27
          十河智

 興梠みさ子さんの第二句集を読ませていただきました。

「律の調」  文学の森刊

この句集は、第一句集「海からの風」上梓後、あまり時を置かず、僅か二か月の刊行であった。そこには、死期が迫り来ているという著者の特別な事情があり、生前の自分の俳句を整理し、本という形あるものを残したいという切望、彼女の俳句に魅せられた俳句仲間や先達からの要望にも答えたかったのだろう。第一句集の読者たちは、彼女に降りかかる過酷な運命を知り、彼女の俳句がここで断ち切られんとすることを残念に思ったに違いない。詳しくは知らないが、彼女の最後の力を振り絞る形で、この句集は出来上がった。
 北島和弘氏の「序」、興梠みさ子さん本人の「あとがき」がなければ、明るく爽やかな、色とりどりの味わい深い句が散りばめられている、普通の句集である。そこにはなんの焦りも絶望感も見えない。一ページ一句の俳句は、とても落ち着いた女性の暮らしぶりと思い出、気付きの視点が心地よい。

 「あとがき」には、ホスピスに移って以後が、句として紹介されている。綺麗事でない現実をたんたんと語る彼女、死に向かって生きるという現実が迫る。これらを語り、俳句にすることは、彼女だからできる。彼女は最後の最後まで鮮明に気持ちを言葉にできる、その状態が死に行く本人にとって、どうなのかを、語り、教えてくれる。これは語る方にも、読む方にも、稀有な経験であり、一歩踏み込む新境地でもある。聴いておくべき箴言である。
「あとがき」の彼女の句と、心境を引用する。

『 ホスピスや骸引き摺る秋の蟻 

 私はホスピスの批判をしたい訳ではありません。ただホスピスにはその安楽なイメージとは異なった現実もあることを知って頂きたいと思ったのです。

第二句集を纏めることが出来、今の私の願いは……、この体を脱ぎ捨てて自由になりたいということ。
 大好きな風になって好きなところに飛んでゆきたいです。

 令和元年十月
      興梠みさ子』

 みさ子さん、あなたは風になって、もうみんなのところにきています。
 この句集にある言葉が、あなたの自由な心を受け止めさせてくれました。その幽体離脱した自由なあなたに、あなたの意識に、「第二句集をありがとう。」と、お返事を書いています。
 もう生と死の境界に関係せず、あなたは私のお友だちとして、永遠に、生きて語りかけてくれることでしょう。

一葉落つを見ゆホスピスの一日過ぐ
無月無情命尽きるを待つ窓辺
山眠る猫が日向で寝るやうに
参道の我が身に触れて萩の花
池廻る浄土に風と秋桜    十河智
 

句集「律の調」の中から好きな句をあげます。

[「風に立つ」抄]
花石榴ロマの少女の髪の根に
一枚の玻璃の向かうの蝉時雨
薬飲む水にもすこし秋立ちぬ
かなかなかな夕餉仕度をはじむ時
新涼の書架に寝そべる「さだまさし

[夏帽子]
ぐんぐんぐん竹皮を脱ぐ宇宙へと
飛行機雲一筋ひかる終戦
星月夜「山猫軒」へつづく道
衣被里の訛りの豊かなる
鵙猛り人みなスマホ掲げをり

[待宵]
黄金虫ほんとは怖い童歌
質店の赤きネオンや月天心
芋虫にひよつこり草間弥生かな
「もういいよ」こたへは風に吾亦紅
指揮棒の先より律の調かな

[ささら荻]
初秋風屋根に雑草らしきもの
ホスピス三線響く月見かな
彼岸花田の神様の道しるべ
見つからぬ最後のピース小鳥来る
ひとりきてひとりゆく道ささら荻