《シンガポール旅行》

 

令和のシンガポール旅行

        2020/10/24 

        十河 智

 序

いま中国から発生した新型コロナウイルスによる肺炎で、日本にもシンガポールにも、患者が出て、大変なことになっている。

 令和二年がこんなことになると、お正月にシンガポールへ旅をしたときには、想像だにしていなかった。まだひと月も経っていない。中国ではもう始まっていたかもわからないが、まだシンガポールでも日本でも何も起こっていない、平穏に旅を楽しむことができた。

 

ウイルスは飛行機船で去年今年

春節の人倒れゆく武漢かな

新年の猛威新型ウイルスの 

 

数回に分け、去年から今年にかけての、シンガポール旅行を書く。

 

1 

出発

 孫が中学生になる前に、外国を見せておきたいと家族旅行を娘一家が計画、もう外国は無理かと思っていたけど、家族旅行ならと一緒に行くことにした。現地では別行動ということもありで。

 インターネットを駆使して、娘たちが夫婦で綿密な計画を練り、5泊6日の綿密な計画がお正月の難しい時期に予約もできて、行けることになった。

 シンガポール、何も考えずに支度をしていた。一応詰め終わった頃に主人がテレビでシンガポールの気温は30℃だと言っていると教えてくれた。シンガポールがそんな南の国と認識していなかった。「赤道直下やで。」そして荷物を入れ替えて、夏物を持っていく。軽くなったが、この寒いのにと、実感がわかなかった。

 

迫りくる正月にいくシンガポール

 

年用意年代物のスーツケース

冬の旅なれど詰めゆく夏の服 

 

風邪引くなシンガポールへ皆で行く

 

 

2 

羽田前泊

 静岡ヘまず出掛けて、そこから、シンガポールに向けての計画がスタートした。

 娘と下の孫、私達夫婦が第一班で、30日朝8時発の飛行機に乗るので、29日に羽田で前泊、30日夕方シンガポール着、空港隣接のホテルで一泊して、第2班の二人を待つ。

 第2班は、婿と上の孫、30日夕方静岡出発、31日早朝にシンガポール着、ホテルで合流する。その日は、この旅の間3泊する本来のホテルに移動するだけとなる予定である。

 羽田空港の近くに前泊のホテル、京急蒲田で乗り換え、穴守稲荷駅で下車、ほてるJALシティ羽田東京。朝4時バスで羽田ターミナルに送ってくれるホテルだそうだ。

 京急という電車も初めて。街を夕方歩くのも、そんなにはない。ホテルでの食事はないので、外にでかけた。お酒の飲めない子供連れはすき家に入った。すき焼き定食は売り切れて、牛丼にした。

 ホテルと街の間は大きな幅の道路だった。輸送用のトラックが夜は多いようだった。羽田空港の方角は暗かった。

 朝が早いので、すぐに寝た。朝のバスにはこれほど客がいたのかというほど乗り込んできた。寒い。空港へ着くと荷物をすぐに預けた。

 何年ぶりかの海外旅行で、娘まかせ、待っていることが多かった。Wi-Fiを借りに行っているようだった。

 シンガポール航空に乗った。スチュワデスの制服が南国らしく薄物のワンピースで、とてもスタイルが良い人ばかりだった。改めて思うこともないが、容姿を言われれば、私は、絶対に不合格。そして、彼女らの今いる東京は、真冬。暖房の中でも空港は寒い。私はマフラーを離せない。

 あまりに朝が早かったので、宿泊ホテルの部屋のキーカードを娘に渡し忘れて、そのままバスに乗っていって、旅の間中気づいていなかった。娘がチェックアウトをすんなりできたのが不思議、案外よくあるのかもしれない。一週間後になったが、帰宅後、ホテルに郵送しておいた。最近よくある物忘れ話である。

 

これで最後冬の羽田のターミナル

京急のの各駅停車年の果

すぐそこが羽田と冬の夜の灯り

すき焼きは売り切れてをリ牛丼屋

タイ語らしき会話のロビー暮れ早し

小晦羽田辺りの午前四時

流石まだ動かぬ東京冬の灯よ

ダウンコート冬暁を空港へ

マフラーを間際まで巻き搭乗す

寒暁や財布に残るホテルキー

年を越すホテルのキーを返すまで 

 

3 

機内

 シンガポール航空に乗った。私達夫婦と娘・孫は、二人ずつ離れて座った。エアバスは、前後は狭苦しいが、大昔の海外渡航のときの飛行機よりもゆったり感があった。キャビンアテンダントの数も多かったように思うが、乗客の数も多い、七時間なので食事も出る。忙しそうであった。

 機内食に、日本食と国際食があった。子供がハンバーグは国際食と思い込んだらしく間違えたと、日本食を頼んでいた私に交換してくれと言ってきた。よく見ないとハンバーグは日本食なのかということになる。漬物があるというのが分かれめらしい。

 タブレットが備え付けられていて、面白いのは、今現在の飛行状況を教えてくれ、外の空の映像を見せてくれることだ。羽をつけて天空、雲間を飛んでいるように感じる。

 主人は時代劇映画、私はチューダ王朝の連続テレビドラマを見た。これはCSで見逃したもので、面白かった。

 

冬の機やハンバーグある日本食

エアバスの配食にあり沢庵も

凍て雲や今ゐる空を見る画面  

 

** 以下、シンガポール現地では、俳句の季語は、悩みましたが、現地の気候に合わせることにしました。無季ということもあります。**

 

4 

チャンギ国際空港と隣接のホテル

 チャンギ国際空港シンガポールの空からの入口の名前を、到着寸前に知ったという始末。何もかも娘任せで、パスポートの管理しか頭にない。それともう一つ、出発前に渡された分厚い日程表とチケット予約の控の束。出かけるときは持ち歩けと言われた。もしも迷子になった場合は、これを見せると宿泊先や飛行便がわかるという。

 空港内の通路を抜けて、ホテルのあるエリアへ移動。ここで一泊する。

 私達はまだ上着を脱いだだけだったが、周りは夏そのものであった。背の高いバックパッカーや家族連れが、夏の装いでホテルに向かっていた。みんな速い。隣接するとはいえ、結構、長い通路であった。

 宿泊施設のある建物は巨大で、自動ドアを入ると、食堂街、アミューズメントエリアになっている。階を貫く大きな滝と亜熱帯の植生で目を惹きつける。写真スポットになっていた。

 気候が違うと感じたが、異国に来たという圧迫感は不思議となかった。空港やモールの造りも、通行する人たちも、東京と変わらない気がした。

 入り口近くに、案内人がいた。この人は、ある一定区域へ誘導する人のようで、大きなビルの全部を知っているのではないようだった。で、ホテルの名前を出して聞いてみたが、わからないという。私の発音が通じないのかと思っていたが、地図案内板で確かめると、ややこしい名前を間違えて覚えていたこともわかった。地図を見てわかったのだが、ホテルが二つあるようで、ある一角の4階以上が泊まるホテルになっていた。どういう構造になった建物なのか、かなりの施設が繋がり同居しているようだった。

 かなり奥まで歩きエスカレーターで、ホテルの階へ上がると、チェックインカウンターがただ一つ、ソファーが二ヶ所、サイドにカフェがある、そんなホテル受付だった。宿泊スペースへは、カードキーが必要で、重い扉になっている。

 ビジネスホテルのようで、部屋もベッドとテレビ台で目一杯。洗面台とシャワーがある。が、私達の部屋は、故障で、洗面台の止水栓がレバーが上がらず閉じたままであったし、湯が出なかった。娘の部屋はそんなことはないというから、故障中の部屋にも詰め込んだ気配があった。それほどシンガポールのお正月は、書き入れ時だったのだろう。

 年末年始の番組はNHKの国際放送で見られると思っていたが、特別仕立てで英語の別番組であった。またオーストラリアの放送が入っていて、山火事によるコアラの被害を伝えていた。

 夕飯までは部屋で一寝入りした。

 

冬服を着て常夏の国に立つ

汗じみてセーターを脱ぎ入国す

空港と繋ぐ回廊麻の服

背のありて半袖短パンにて闊歩

空港ホテル涼しき滝を見せてをり

道案内に通じぬ言葉暑きかな

オーストラリア近し夏山火事のニュースかな

紅白を見ぬ大晦日とぞならむ

作り滝部屋は故障の洗面台

 

5 

合流

 翌日のチェックアウトは、12時でよいらしい。午前5時着の第二便の二人をゆっくり寝かせられると、娘は喜んでいた。
 空港直結のホテルは、水周りの不具合を除けば、ベッドもシーツはさっぱり真っ白、気持ちよかった。
 娘が昔の来たときのものを探して渡してくれた変圧器をセット。それにスマホを繋ぎ充電した。
 今から下の子を連れてアミューズメントコーナーに行くという。チケット予約に、サービスもあれこれついているので使ってくるのだそうだ。空港内の周遊トラムにも乗れるらしく、孫を退屈させないように手配していた。苦労して取ったサービスが、実際に有効なことを確かめに行ったとも言える。
 夕食にレストラン街に降りたとき、その子は、「空港を見てきた。」と、やっと楽しそうに話した。言葉が通じない未体験ゾーンは、興奮したり、興味津々たるには、この子はまだ小さすぎるのだろう。親だけが頼りという不安そうな様子でもあった。
 夕食は、小籠包が人気という中華屋さんがあるというのでそこにした。客が一杯で娘が順番待ちの間、私達夫婦は空いているカフェでコーヒーを飲んで呼んでくれるのを待った。下の孫も一緒にオレンジジュースを飲ませた。一応注文はしたが、どんなものが来るか、写真も絵もない英語のメニューだった。かなり大きいカップでコーヒーが来た。支払いはこんなファーストフード店の少額でもクレジットカードでさっと処理してくれる。
 順番が来たと呼びに来た。こんな一杯の客をどう処理するのかというほど混んでいた。が、案外、システマティックに、スムーズに注文も配膳もしてくれた。メニューは漢字表記もあり、意味が掴めた。
 小籠包は、ニオイが気に入らないと食べない。この子は白いご飯の好きな子である。炒飯も頼んでみたが、食べられないと言う。こんなとき家だと、ご飯にふりかけがあると解決するが、旅先では、そうはいかない。かろうじて小籠包一個だけ食べさせたが、それ以上は無理だった。まあ、飛行機の中ではハンバーグもご飯も食べているし、さっきのオレンジジュースと、今はコーラを頼んだ。当座のカロリーは足りている。
 あまりにも混雑の中にいて、美味しさを味わう雰囲気ではなかった。少し薄味で香辛料が料理によって複雑で、そういう意味で異国に来たという感じだったように思う。一番口にあったのは、豆苗の炒めものだった。山盛りで出てきた。
 小籠包の他に、レシートを見ながら思い出しているが、焼売や肉まん、牛肉の一品物も頼んだ。温水という項目もある。主人は冷水は飲まず、夏でも熱いお湯かお茶を頼むのが常で、ここでもそうしたのだが、Coke5ドル2杯と同列に温水1ドル1杯が並んでいる。シンガポールでは、水も有料のところが多いのだ。私はここでは水を飲んだだろうか、覚えていない。
 クレジットカードの処理は、大昔に、アメリカやニュージーランドに行ったときより、確実に速くなっている。VISAの2月の明細書には、正月に使ったシンガポールでの出費がすべて決済されている。
 昔は、店によって、決済がかなり遅かった気がするし、クレジットカードを使えず、両替できるところを探し回った記憶がある。後々述べる公共交通機関も、ガイドブックでは現金必要と書かれていたが、プリペイドカードは、クレジットカードで入金できた。便利である。後にタンスの引き出しに残る旅先通貨の小銭というのも、今回はなかった。
 食事を終えて、部屋では、湯船のある部屋にしてくれていたので、お湯にだけ浸かった。(このお湯はちゃんと出てくれた。)
 娘が、空港で借りたWi−Fiを持ってきて、説明してくれた。これにも充電が必要で、それもセットした。婿がもう一台借りてくるので、こちらは私達専用にしてくれると、設定もしてくれた。電話はラインでと言われて、電話回線の設定は断った。繋ぎ放しだと、高額の電話料が請求される可能性があるという。ここも娘におまかせである。
 婿たち後発組は飛行機に乗ったと連絡があった。一時間ほど遅れているとのことであった。
 翌朝、ロビーにあるカフェで、宿泊者向けの朝食をとった。夫婦で座っていると、英中日と順に言葉を変えて、おはようと言ってくる店のおじさんがいた。挨拶しか知らないようではあったが、久しぶりの知らない人からの日本語、ほっとした。
 ロビーで婿と上の孫に再会した。家族四人が、ニコニコしている。これから本格的なシンガポールの旅が始まる。

数え日や重き戸開けるカードキー
シンガポール炳としてあり年の暮(COVID19、中国で興る)
冬から夏季節変はりの一夜かな
幼きに訳のわからぬ暑さかな
飛行場大好きな母一人占め(無季)
先着の二人ホテルの白シーツ
年の瀬の書き入れ時や水有料
小籠包のだし蓮華よりちゆちゆちゆつと
飲み慣れた味のコーラよ小晦日
晦日ホテルカフェのフランスパン
兄弟の最初仲良し夏の服 

 

6 

ブギス(武吉士)へ

(2019/12/31)

 はるばる四日間かけて着いたシンガポール、いよいよ大晦日のこの日から、市内へ入り観光となる。

 空港隣接の複合施設JEWELを出て、空港の方へ戻り、搭乗口の手前のMRTという公共交通機関のターミナルへ行く。

 MRTは整備されつつあり、とても便利になっている乗り物だそうだ。駅は近代的で、広々としている。ガイドブックでは、現金必須と書いてあったが、今は

プリペイドカードを自動券売機で買えて、クレジットカードで支払い。カード代金5ドル、初回チャージ7ドル。電車、バス共通で、日本と同じ使い方である。しかし、常に乗車時に残金3ドル無いと乗れず、降車時に使い切ってしまうことができないシステムになっている。最後に払い戻してはもらえるのだが、カード自体は手元に残り、次の機会までお蔵入りとなるのだ。

 余談だが、現在新型肺炎ウイルスの拡散状況がテロップで流されており、シンガポールも大変な状況になっているようだ。なんの支障もなく行って帰れたことが、幸運かいうか不思議なくらいだ。それ以降は、お互い、国を出るのも入るのもできないのだから。

 MRTを空港から一度乗り換えてブギス(武吉士)というシンガポールの中心部に向った。

 これから3泊するこの旅行の拠点のホテル、インターコンチネンタル・シンガポールに、まずは落ち着くことにした。

 若い人たちと旅をすると、歩く、電車、バスに乗る。街がよく見える。観光客がとても多く、どこも混み合っていた。

 このMRT、乗換駅で、線と線の間がかなりの距離であった。今は雨季というが、町の空気はそれほどジメジメしていない。それでも、地下通路を歩き続けていると、喘息の身にはきつくなってきて、みんなを待たせて立ち止まり、吸入をせざるを得なくなった。やはり湿度を身体は感じているようだ。

 私は白髪のおばあさん、MRT車内では、若い乗客が、席を立ってくれる。ありがたく、清々しい。電車の中の人の光景が国際的で、皆宿に着く前なので、衣服もさまざま、飽きなかった。從って、この初めてのMRTでは、ほとんど車窓の外は見ていない。

 ブギスの駅に着いた。初めてシンガポールの公道に出た。きれいな街、道路が広い。駅から一直線に800mくらいだが歩けるかと聞かれた。ホテルまで頑張ろう。

 お昼は駅ビルの出口にあるパンケーキの店に入った。子どもたちは、食べ慣れた味だったので、いつも通りの食欲が戻っていた。現金なものだ。

 店に入ってビルの中が見えると、向いのテナントにウェルシアが入っている。

 娘がこの店の棚の紅茶の空き箱に気づいて、「この店は沖縄紅茶を使っている。」と言った。改めてメニューで見ると、本店は東京の会社だった。

 なんのことはないシンガポールにまで来て、なのである。が、ある意味年寄りや子供には馴染んだものがありがたかった。この先も実は、こんなことばかり続く。

 

冬服を脱ぎいざ赤道直下旅

晦日旅行鞄の重き音

階下また電車のホーム歳の暮

乗り換えの地下通路にて吸入薬

薄物の服に国籍ありにけり

席空けて立つ白靴の若き人

歩けるか歩ける雨季の晴間なり

ブギスにて沖縄紅茶アイスにて

パンケーキオレンジジュース笑顔の子 

 

7 

異国のホテルで、大晦日

(2019/12/31)

 ホテルに入った。インターコンチネンタル・シンガポール。普通に気持ちよくサービスがあり、部屋も居心地良かった。水回りも快適、飲用水のペットボトルも備えられていた。携帯電話と Wi-Fi の充電をまずセット。

 テレビは、NHKworldがあるが、BSは入っていなかった。從って、日本語は聞くことができない。それで、スマホでニュース。ホテル内の Wi-Fi は、安全だそうだ。借りているWi−Fiは、外出時のために充電、使わない。

 娘たちは予定しているカウントダウンのイベントがあり、出かけるので、夫婦二人で夕食はしろと言ってきた。

 食事時にロビーへ行ってみる。

 ホテルには、ステーキレストランと、うなぎの竹葉亭があった。年寄り二人、外に行くのも面倒で、自然と竹葉亭に足が向いた。

 店内は、寿司のカウンター席に寿司職人、仲居の女性、どちらも日本人だった。改めて名乗ることなく、日本語で注文した。鰻丼を二人で一人前でいいというと、それぞれを半人前にして、二膳運んでくれた。親切。

そして、大晦日だからといって、負担にならない程度の、一口の晦日そばがサービスについてきた。大晦日らしいことができて、何か安堵があった。嬉しかった。ゆっくりと食後に緑のお茶を飲んで、一時間ほどで部屋に帰った。

 主人が慣れないクレジットカードで支払った。これは後でわかったが、前の日の、チャンギJEWELの中華店が円で決済、この竹葉亭はシンガポールドルで決済、どうなっているのか、面白い交錯である。中華料理店の料金、一行だけ数字が大きいのでよく見ると、単位がJPYだった。

 部屋で、コーヒーを飲もうとしたが、機械がうまく操作できず、説明をしに来てもらった。メンテナンスの人で、英語はダメ、身振り手振り、無言でも伝わるものだ。

 入浴して、洗濯もして、スマホでお友達に新年の挨拶をして、寝た。

 その夜の娘たちのことは知らない。

 

日本語に誘導されて晦日蕎麦

鰻竹葉亭仲居と話す年一夜

熱き茶をクーラーの効く料理店

東から年改まりゆく地球

若者のカウントダウン年送る

除夜の鐘二十三時の異国にて

旅にあること発信の去年今年  

 

8 

セントーサ島へ、S.E.A.Aquarium

(2020/01/01)

 

8−1[ゴーン出国]S.E.A.Aquarium
 元日、とも思えない暑い日。街はあかるい。異国へ来たと空気が伝えてくれる。
 まずスマホ。ホテルのWi-Fi、繋がっている。充電もできている。外でのWi-F用機器も、使用可。
 ニュースを開く。速報で、変な事が目にはいる。「ゴーン出国」意味を掴みかねた。NHKワールドで、確認すると居場所が分からないと、担当弁護士が憮然としているインタビューがあった。事件そのものの正義がどちらか、それはさておき、「日本大丈夫か?」と思った。ついこの間も、刑務所や留置場からの脱走事件があったばかりだ。

元日にゴーン出国とふニュース
明けましておめでとうとふホテルロビー 

 

8−2[セントーサ島へ、街の風景]
 9時頃、娘たちと出かけた。どこへ行くかは聞いていない、おまかせ。
 ムギスの駅ビルにあるマクドナルドで朝食。孫たちが拒否しないマクドナルド。
 孫たちは、物珍しそうに、自分たちが入力する自動注文の機械を経験していたが、私は並んで対面注文。これも国によって、やり方が違う。順番が来て、レジで注文すると、名前を聞き、コーヒーカップにマジックでを書いている。そこにレシートを貼り、間違いが起きないようにしている。流れに乗って渡され、持ってきたコーヒーを、まさに飲もうとしたとき、それは自分のだと言ってくる外人?(金髪白人同世代)がいた。少し怒りの表情。よく聞いてみると、カップに店員がマジックで書いた名前が、自分の名前だと指差す。私が名前の確認を間違えたらしい。まだ飲む前だったが、渡すとその人は、作り替えさせていた。まあ、私もそうするに違いないと思ったが。
 それから、同じビル内の並びにある、前の日見ていたwelcia で、濡れティシュを買ってみた。別に急ぐものではないが、シンガポールのドラッグストアの店内を見て回りたかったので。商品の展示の位置など、すこし違う。雑貨などは少ない。
 そのまま駅へ行く。カードに出るときに残金が規定以上に残るようにチャージした。入場のときにチェックされ、入れないそうだ。娘が予め調べておいてくれる。だから、予期せぬ出来事はこの旅もではあまり起こらない。もう頼り切りである。
 ムギスから、MRTでハーバーフロント駅へ。
 ハーバーフロント駅からセントーサ島へはモノレール、キップは往復で買う。セントーサ島は、帰りの切符を持って入島することになっているという。
 セントーサ島へ入れば、私達には無縁のカジノがまず目に入る。その入り口付近で見渡し、飲食店などが並んでいる通りの方へ。ここでも日本で馴染みのスタバックスに。コーヒー、ジュースで少し休憩した。
 そこで、娘たちには、「私達はプールに行くから。」と、見放された。
 島の入り口、モノレールの駅でもらった案内図で、娘一家と左右に別れて、私達は水族館(S.E.A.Aquarium)へ向かった。
 途中で、アイスクリームの店があった。 "Little Hokkaido" 、名前に引き寄せられたアイス好きの主人が食べるという。北海道のアイスクリームかもと、なんとなく安堵はするのだが、どこまでも日本がつきまとう。
 シンガポールでは歩きながらの飲食は禁止で、店の前に必ずテーブルと椅子が設えてある。ソフトクリームを食べていると、隣のテーブルには、関東地方かららしい親子連れ、少し離れた席に陣取ったのが、関西弁の大学生の男子3人。フードコート中、日本語だった。

去年今年世界チェーンの店ばかり
正月は休む異国の日本人
元日の日本語ばかりセントサに 

 

8−3[水族館、空と海、お年玉、ピザの店]
 S.E.A.Aquarium、入場料は、シルバー料金で一人 60$。大阪・海遊館や沖縄・美ら海水族館と同様の展示形式なのだが、ここの大水槽は、高低差が大きい、幅36メートル、高さ8.3メートルのパノラマ水槽が圧巻。この水槽の周りを巡回する形で、順路が決められていて、かなりのグルグルと歩かされた感があった。
 シンガポールの建物は、高く聳えるものが多く、空港のホテルの滝も、この水族館の水槽も、また後に行く亜熱帯植物園の高山植物の展示も、全階を貫く形で中心に展示物を置き、周りを回廊方式で見せる所が多かった。これは日本にはあまり無いやり方だと思う。高低差のもたらす威容は圧巻で見応えのある展示法だと思った。
 途中で一度座り込んで休憩した。遠足のような子供たちの一団の中に混ざって。お決まりの大水槽をゆったり泳ぐ魚たちに波長を合わせて、暫く楽しんだ。
 水族館から出て、亜熱帯らしい海風を受けた。空の青さが目に染みる。シンガポール本島が対岸に見え、ケーブルカーが行き来している。気持ち良い。島をめぐるモノレールも、空近く見える。プールに行ってきた孫たちが水族館前まで来てくれると連絡があった。設置の休息所で自販機で買った飲み物を飲みながら待っていた。自販機を初めてみたような気がする。
 気持ちが晴れ晴れ。シンガポールに来た感じがする。セントーサ島にいるという感じがする。
 子どもたちが来た。下の子がトイレと騒いでいる。父親が水族館のトイレを貸してもらいに行って交渉、それが帰ってくるのを待って、セントーサ島の駅へ向かった。
 歩きながらの話、娘が言うには、あのケーブルカーは本島との行き来用で、モノレールと同じく往復を買うようになっているので帰りだけは乗れない。島を巡るモノレールも、私の足には駅が遠いので乗れない。年を取ってからの観光では、諦めることも多いなと感じる。
 泳いだので若い人たちはお腹が空いたようで、通り道のピザが食べられる店に入った。
 そこへ行く途中、下の孫が突然、「お年玉は?」と言い出した。「そうだ、今日は1月1日」思い出しもしなかった。シンガポールの街に正月らしさは全くない。「静岡に帰ったら用意してあるから。」そう言って安心させた。
 ピザの店は混んでいた。やはり出稼ぎの外国人らしいウエイターが注文を聞きに来た。
 孫が、英語通訳できる機械を持っていた。娘が試しに wi-fi と一緒に借りてきたという。

元日やシンガポールのシーサイド
冷房やスマホで英語会話して
反抗期見え来少年去年今年
お年玉異国の旅の空に請ふ
氷水ピザ注文のポケトーク 

 

8−4[ムギスの夜、王将]

 夕方、ムギス戻ってきた。ホテルまで歩くとき、方向はわかっていたが、私は遅れて一人になった。少しずつ街に灯が点りだす。皆はビルの間のマーケットプレイスに入ったのだが、私は大通りをそのまま行ってしまたようだ。ホテルに着くと、婿が私を探しに行ったと騒いでいる。信用されていない。

 部屋で、スマホwi-fiの充電。テレビ。オーストラリアの放送を見たりした。

 夜はマーケットプレイスを抜けたところにある王将に出かけた。メニューは英語。日本と同じように注文したが、味は少しシンガポールだった。店員のおじさんが、片言の日本語で孫に話しかける。閉店間際で私達だけだった。

 そこから、みんなが夕方通った道を、ホテルまで帰った。東南アジアの土産物が満載の屋台が並んでいた。

 歩き疲れた。

 

のろのろと歩き初市外れたる

冬の灯の異国情緒に彷徨ひぬ

シンガポール王将の味暑き国

這這(ほうほう)の体で熱帯夜のベッド

一月一日スマホの中の日本かな 

 

9 

ユネスコ世界遺産、Singapore Botanic Garden と National Orchid Garden (2020/01/02)

 

9−1[駅前のカフェ、Ya Kun Kaya Toast、MRT− DT線]

 1月2日は、娘一家は、セントーサ島の、別の一角にあるUSJシンガポールに行くという。私たちには、世界遺産の植物園を勧めてくれた。

 朝食は、地下通路に面した結構広い、駅前のカフェ、Ya Kun Kaya Toast。スープとドーナッツをセットを売っており、カウンター式の簡易なイートインになっている。メニューは数種類。孫はあまり食べない。スープに特有の香辛料が使っているような味を感じた。これがだめなんだと思った。

 駅で娘たちとは別れた。娘たちはまたセントーサ島へ。私達二人は、MRTのDown Town 線(青色)という違う路線で、世界遺産シンガポール植物園へ。MRTは今も路線拡大中で、駅はとても整備されていて、わかりやすく路線が色分けされている。迷うことなく植物園に入ることができた。

 

駅ナカのカフェのスープや汗をかく

USJへ植物園へ二日かな

色分けの路線図そこいら中の夏 

 

9− 2[Singapore Botanic Garden と National Orchid Garden]

 入口付近の案内書で地図を貰い、広大な敷地に驚く。歩くことを覚悟して、まず一休みと決めて、そこのスタンドでコーヒー。

 すぐ後に来た、英語を話す白人の4人家族、アイスクリームを頼む子どもたちは、背が高く、脚が長い。お母さんもかっこよく半袖短パン。一家でこれから園内を歩き回る様子。元気そうで羨ましい。私は喘息持ちで、すぐに息が上がる。休み休みでないと歩けないので、こういう歩くことが楽しみ方の基本のところでは、ほぼ100%の満足が得られない。

 主人がトイレに行くというので待っていたが、なかなか戻らない。駅まで戻ったとのこと。いろいろ探し回って迷子になるよりはいいかも知れない。

 地図で蘭を地植えで栽培しているナショナルオーチャードガーデンを目指した。地図では、一本道で、園の端を辿れば行けるのだが、両側に背の高い木立の森があり、鳥が鳴き、蜥蜴がはしる。大きな池があった。水鳥が燥いでいる。白鳥は見たことがあるのだが、この池には、黒鳥が優雅に泳いでいた。初めて見る。

 後で調べたら、渡り鳥ではなく、オーストラリアにいる漂鳥らしいが、シンガポールには移入されたらしい。日本でも移入がなされて、外来種とされている。厳密にはここにはいてはならない鳥なのかもしれないとわかった。

 鶯も正当な鳴き方でとても気持ちよく囀っていた。木々が高いので、鳥の声も高いところを通って行く。日本ではほんとにたまにしか聞かなくなったので、嬉しかった。

 ベンチがあると休む。いろんな母国語を喋りながら、いろんな人たちが往ったり来たりする。木陰は涼しいが、歩きはじめると、汗だくになる。

 オーチャードガーデンの前の広場に着いた。案外と人が多い。主人は植物園に興味が薄く、前の広場で、待っているという。いつもの将棋世界の付録を持ってきている。世界中どこへ行っても、これがお供、これさえあれば時間を潰せるようだ。

 私だけ、チケットを買って、入場した。見せるために工夫があって、面白かった。日本では温室でも、こんな立派な大きい仕立ての蘭は見たことがない。コーナーや道にテーマがあって、色んな種類の蘭が咲き誇っていた。手入れする人たちが忙しそうな一角もあった。まだまだ途上だそうだ。

 小一時間ほどかけて一巡りしてそこをでた。お土産に絵葉書か何かと思ったら、天然由来(じゃがいもデンプン)のエコバッグという、蘭を印刷した買い物袋を売っていた。ちょうど、レジ袋が有料になる前だったので、これをお土産にと20個まとめ買いした。女の人には喜んでもらえるかなと適当に配るつもりで買った。

アイスクリーム金髪の娘の食べ歩き

どの国の子も纒ひつく露台かな

緑陰のベンチに聞こゆフランス語

鶯や正調異国の植物園

大とかげ世界遺産の藪にのそり

黒鳥の後姿や涼しげに

植民地時代の遺産植物園

熱帯の森に世界より来し言葉

暑き国蘭を咲かせる植物園

蘭園に結婚式場水を打つ

ひとり行く蘭の隧道プロムナード

数千数万蘭華やかに咲き誇り

誰にとも蘭の図柄のエコバッグ 

 

9−3[園内レストラン、タクシーとMRTでホテル]

 外に出ると、風の通る涼しいところで、主人がまたアイスクリームを頬張っていた。向かいにカフェスタンドがあったのだ。

 レストランもあった。昼食はそこで食べることにした。

 広い店内で大きなテーブルがいくつもあった。従業員は役割が決まっている様で、中国語、英語、会計担当がいるように思った。隣に韓国人の一家が座った。テーブルがとても大きいので、半分その一家が占めた。どうも英語を話すのは、高校生らしい男の子の担当らしく、メニューを説明して、ウェイターに注文を伝えていた。なかなか頼もしい息子のようだった。

 ここでは軽くサンドイッチのようなものを頼んだように思うが、マッシュルームのスープ以外は覚えていない。

 ここでは、残り少ない旅程で、シンガポールドルを残しても仕方がないので、クレジットカードを使わず、手持ちの現金を使うことにした。ところが、カードの控は大事にするが、ここのレシートを失くしてしまった。ここで何を食べたか思い出す取っ掛かりがなくなってしまっていた。

 マッシュルームスープ、これは、飲んでみてわかったが、朝のカフェで飲んだくせのあるスープと同じものだった。シンガポールでは定番のものなのだろうか。

 またしばらく出口の方へ、地図を頼りに歩いた。私の脚と肺が、ほぼ限界に達していた。暑くて湿度の高い気候は、私の病気には良くないようだ。

 植物園内はよく見ていけば、見るところも、催しもまだまだあるみたいだったが、諦めた。

 バスやタクシーの待合所にようやく辿り着いて、係の人にタクシーを手配して貰った。その間に吸入を使い、呼吸を整えた。

 ほんの数分でタクシーは駅に。またMRTに乗り、ブギスへ戻った。ブギスの駅は大きくて複雑、出口を清掃の人や駅員に聞きながら、外に出た。見慣れた大通りの交差点で、安心したことを覚えている。

 ホテルにはまだ明るいうちに帰って、昼寝をして、娘たちたちの帰りを待った。 

 

マッシュルームスープレストランでは現金で

多国籍英語で動くシンガポール

亜熱帯湿度に負けぬ吸入す  

 

9−4[(付)

鳥たち、大とかげ、オニバスの池]

 

※マイナーバード※

 

烏は、シンガポールではあまりいないと思ったら、駆除される鳥だとわかった。ネズミのように。

 街なかで、カラスのよく似た黒い鳥をよく見かけた。マイナーバード(オオハッカともいう。)烏に似てるが、烏が天敵、カラスが駆除されるので、カラスのいそうなところにはいるようだ。

 

烏かと脚と嘴黄の小鳥

植物園街にも黒きマイナーバード 

マイナーバード街が明るき

シンガポール

 

 植物園で見たり、鳴き声を聞いたりした鳥たちを書いておきます。

 

※キゴシタイヨウチョウ※

 

 国鳥だそうです。、キバラタイヨウチョウもいるようですが、どちらを見たなかな?

 

太陽の真下の国やタイヨウチョウ

国鳥のその紅が目を引きぬ

熱帯の植物の色鳥の色

 

※黒鳥、白鳥※

 

 植物園の池で、泳いでいました。

 黒鳥のことは、前段で触れました。白鳥も同じ池で泳いでいました。白鳥の湖のシーンを思い出しました。

 

目の前にオデットオディール並ぶ池

白鳥の儚し黒鳥に力

 

カッコウ、ウグイス※

 

 鳴き声で背の高い木立を見上げ、姿を探しました。うぐいすの飛ぶところは捉えられました。カッコウは見つけられませんでした。

 

澄み渡る鶯の声木木高し

カツコウが鳴く熱帯の木下闇

 

コウライウグイス

 

 ウグイスとは別種、チュウーイーと鳴きます。これも鳴き声だけ聞きました。

 

また別の鳥の声聞く異国かな

 

※オオトカゲ※

 

ついでにオオトカゲ、植物園や後段で書くマリーナベイサンズの道端など、いろんなところで見ました。

 

頭だけ藪につつ込みオオトカゲ

オオトカゲ畏まりやうあな可笑し

 

オニバスの池※

 

もう一つついでに、植物園内では、オニバスの池が良かったです。亜熱帯地方に来た感じがしました。

 

オニバスの所を得たる植物園

 

10

夫、75歳(2020/01/02)

 今日は夫の誕生日、75才になる日です。

 旅の途中ですが、1月2日、夫の誕生日です。だいたい、昔から忘れはしないのですが、おめでとうはお正月用、田舎に帰省中ということもあり、祝うということを取り立ててしたことは少なかったのです。

 まず、夕方のひととき、ホテルの部屋で、みんなで集まって、ケーキでお祝い。娘に、「昨日セントーサ島へ行くMRTの乗換駅の構内に、馴染みのアンリシャンパルティエの出店があったので、誕生日のケーキを買って来て。」と頼んでおいたのです。主人は、お酒は全く駄目で、ケーキ大好きなのです。店には気づいていないと思うので、好きなケーキ屋のケーキは、サプライズになると思いました。

 シンガポールには日本がかなり入り込んでいるようです。地下鉄などの技術も最先端と言いつつ、日本の会社が請け負っているとも聞きました。シンガポール風でしたが王将やウェルシアもありました。ちょっと立ち寄ったカフェも本社は東京六本木とメニューに書いてあり、紅茶は沖縄産でした。

 風光は亜熱帯気候ですが、町の雰囲気は、たまに行く東京

とあまり印象が変わらない。そうそう、自動車も右ハンドル、左側通行なのです。これもしばらくしてから気が付いたのですが。

 飛行機の中は外国でしたが、シンガポール国内では、あまり人と話さなくて、物事が進むカード時代。それもあると思いました。

 アンリシャンパルティエのケーキ、ホールは持ち歩きに不便なので、カットのケーキを買ってきてましたが、皆で食べると、主人は喜んでいました。

 今年は、折角のシンガポール、娘たちが、ホテルのレストランで、お祝いの食事を予約してくれたのです。これが第二段。

 午後8時、レストランに行きました。雰囲気のある少し暗めの灯し具合です。ステーキを頼みました。私達夫婦は、お昼軽めだったので、ご馳走をとても美味しく頂きました。ゆっくりと時間をかけての食事は本格的で、英国風、やっと異国に来た感じでもありました。

 ところが、これで終わりではなかったのです。第三段。

 9時半頃、ドアがノックされた。ホテルからの誕生日ケーキがきました。これもサプライズ。

 さすがに、これ以上は無理だったので、冷蔵庫に保管、次の日の朝に頂きました。

 

一月二日時差あれど夫誕生日

笑初め望外アンリシャンパルティエ

ニ日の夜誕生祝のフルコース

常夏の薄宵闇に淑気かな

ステーキを切り分く孫の去年今年

伊勢海老に目を輝かすビュッフェかな

年酒や異国に有りて飲むワイン

ホテルより誕生ケーキ宝船

初日記シンガポールにある日本 

 

11

シンガポール、最後の長い長い一日(2020/01/03)

 

11−1

[マリーナベイサンズ]

 この旅も最後の一日となった。夜遅くの便で、日本へ帰る。朝にチェックアウトを済ませ、荷物をフロントに預けて、観光に出た。

 予定は、ベイフロントにあるマリナベイサンズの展望台、隣のガーデンズバイザベイに行くという。私達は娘に付いていくしかない。

 このコロナ禍のブランクのうちに記憶が飛んでしまって、この日のことは、忘れていることが多い。

 ホテルからの交通手段がうろ覚え、多分バスに乗ったと思う。MRTにしても二駅くらい、どこかでバスに乗るとしたらここなのだ。検索したバスの車内のまっ黄色の手摺、特徴的で見覚えがあった。

 マリーナベイサンズ。シンガポール観光では、今、最強スポット、ビルが船を掲げている。その船へ上ると展望台になっているのだ。チケットは航空券購入時にもらう割引券で、少し安いらしい。手続きはすべて娘一家に任せて、エレベーターで、57階の展望台へ直行する。展望だけは、宿泊していなくても楽しめるようだが、カフェやプールは宿泊客以外利用できない。そのことを知ってがっかりの人がいっぱいいるようだった。、

 シンガポールの展望は素晴らしかった。何よりも空がここまで高く来ると広い。海まで見えて、森もある。後で行くという植物園のエリアだ。熱帯気候の植物の森は緑が黒く、鬱蒼として密な感じである。この日の明るい空と海、空気の解放感とバランス良く配置された景色であった。

 この展望台も広々としていて、人は多いが、三三五五、写真撮って楽しんでいる。緊張の全くない空間。平和。

 多分この頃から、コロナウイルス感染は、武漢から始まっていたのだ。

 一廻りしたら、もう何もない展望台なので、下に降りた。

 

シンガポール観るぞ三日の深夜まで

荷を預け軽装熱帯雨林気候

子どもは立て常夏の国のバス

しつかりと黄色の手摺汗滲む

歩け歩け正月気分なき異国 

マリーナベイサンズ雲へ近づく淑気かな

遊歩道プールも特別客のため

もう一つ入店拒否のカフェ高み

運河悠悠熱帯の森高層のビル

背景に赤道直下の青空を

マリーナベイサンズ首を傾げてピースして

 

11−2

[Twinning Teaのカフェとショップ]

 ショッピング街の中に Twinning の、カフェとショップがあって、カフェは並ぶほど盛況であった。しばらく並んで、そこで昼食を取った。娘たちはここで土産の缶入り紅茶をたくさん買っていた。一つ、家にも買っておいた。日本で買うのと同じように思うのだが、香りが違う気もする。産地直売になるのかな

 食器など、凝っていたし、何より紅茶が美味しかった。入れ方が違うのだろうか。サンドイッチとかパンケーキ、マフィン、それぞれに頼んで、楽しんだ。

 今で言う三密の状態である。あれからのコロナ禍にあって、シンガポールもどのように変容していったであろうか。感染者数など数字はたまに見るが、気になっている。

 

植民地そして紅茶の積出し港

トワイニングアフタヌーンティー並んでも

缶入りの香りの高きとふ紅茶

紅茶飲む少しぎゆうつと六人で

縦横に名店ばかり作り滝

熱帯とカード払ひにもう慣れて

 

11−3

[ガーデンズバイ ザベイ]

 飛行機は23時発なので、20時までに空港に行けばいい。

 隣接する植物園はどうしても見たいという。歩いてもすぐというので、歩いたようにも思うのだが、記憶が曖昧。昔はこうではなかった。思い出すべきときに思い出せるのが私だったとまた思ってしまう。

 植物園の入り口にやってきた。園内周遊バスなどもあるようだったが、時間がないので、マリーナベイサンズから見ていた2つのドーム植物園を見ることにした。

 実は、入場券を買いに行った娘が、車椅子を押して帰ってきた。疲れるし、流れに乗れないから、車いすで回りなさいというのだ。娘には孝行してもらうのがいいかなと、友人たちが、同じことを言ってくれるときには自分のペースで行くからと断っていたのだが、折角のシンガポールの見せ場は満喫したかったのもあって、受け入れて、車椅子で回ることにした。孫たちが押してくれた。初めてでちょっとペースが乱れるのだが、楽だった。入場も裏口へ回してくれて、優先的にのエレベーターに乗せてくれた。

 二つのドーム、どちらも計算され尽くした人工の自然であった。

 一つは、乾燥地や地中海などの特別な気候帯ごとの植物の展示をするフラワードーム、もう一つは山を一つ再現し高地から麓の亜熱帯気候までの植生を見せるクラウドフォレスト。

 どちらも面白かったが、高低差をつけて、螺旋状に降りてゆく、クラウドフォレストが圧巻だった。クラウドは、ここではもちろん雲、ガラス張りであるため、外の青空と繋がり、ほんとに天空にいる心地だった。そこから少しずつ降りてゆくのである。実際に高温多湿の熱帯雨林の高地から低地へと気温や湿度、植生が変化していく体験ができた。

 

(フラワードーム)

樹木高き植物園を車椅子

車椅子背後の押し手夫から娘

車椅子もつと見たいと言い辛く

枯れ蔓で造るキリンと目が合ひて

車椅子エレベーターある裏側へ

 

クラウドフォレスト)

正月三日ドームの中の雲霧林

今し方をりし舟形マリーナベイサンズ

高山を螺旋に降りてゆく造り

霧と雨作り全館湿潤し

植生の高地低地に親密度

 

11−4

[夕暮れの広場]

 外へ出るともう夕暮れ。涼しくなっていた。しばらく車椅子を孫に押してもらう。突然、手を離された。孫が、道端のオオトカゲを写真に取りたくて、そちらに走ったようだ。びっくりしたが、家族中から、その子に非難轟轟も可愛そうでもあった。途中で車椅子を返して、入り口に戻った。

 娘一家は電車で、私達夫婦はタクシーでホテルに戻った。

 

風涼し暮色に染まる広場にて

大とかげ見たしと放す車椅子

暮れ泥む広場光の樹のオブジェ

再びのホテルのロビー三日夕

 

12

亜熱帯夜から極寒へ、帰国(2020/01/04)

 

12−1

[空港]

 

 ホテルロビーでまた合流し、荷物を積んで、タクシー2台で空港へ向かった。今度はかなり長い乗車で、女性ドライバーは饒舌だった。道路も交通が日本と同じせいか、安心感があった。

 きれいな夜景である。

ちょうど良い時間に空港に着いた。支払いはカードオンリーだった。

 ここで、来た日に両替した通貨が残っていたので、皆から集めて、タクシードライバーに、チップとして全部渡すことにした。女性ドライバーは、すごく喜んでくれた。家には昔海外旅行で残った小銭が、ずっと残っていて、結局使うことがなく、そのままなのだ。これは良いアイデアだった。

 出発ロビーは広々としていた。娘たちは到着の時と同じく、ここで待っていろ、と場所を指定。WiFiなど返したり、必要な手続きを済ませ、夕食の場所を探してきた。まず大きな荷物を預け、夕食へ。何を食べたか思い出せない程の軽い食事をして、長い通路を歩いて、搭乗窓口へ向かった。

 その前に化粧室によって夏服を冬服に着替えた。狭い所で、ごちゃごちゃと脱ぎ着したため、マフラーをきちんと巻いていなかった。一度人に呼び止められて、引きずっていると教えられた。その後、日本に帰るまでマフラーに気が回らず、空港のどこで落としたのか、置いてきたのか、全く覚えていないが、成田で首筋に寒さを感じて、失くしたと気付いた。

シンガポールチャンギ空港で、保安検査のどさくさで、母の形見のカシミヤの紫のマフラーをどこかに忘れてきてしまっていたのだ。残念。

 シンガポールでは暑かったので、娘は子供たちに飲ませるつもりで、ペットボトルの水を保安審査の前に買ってしまった。もちろんそれは全部開ける前に捨てさせられたといって入ってきた。あまり経験しない海外旅行では、やはりいろいろと小さい失敗をしてしまう。

 飛行機の中はずっと寝ていた。

 

正月を過ぐししシンガポールの灯

本物の熱帯夜抜け空港へ

ドライブで異国三日の夜景かな

日本の正月語るドライバー

半袖の人へあるだけチップの小銭

出国ターミナル冬服の人もをり

マフラーをシンガポールに置いてきし  

出国審査ペットボトルの飲料水

寝てをりし夏から冬へ戻るとき  十河 智

 

12−2

[成田から静岡へ、そして自宅]

 シンガポールからの便は成田着である。今まで2回外国へ行ったが関空発着便ばかりだった。成田は初めてである。朝の7時30分に到着した。日本だと思った。張りというか、緊張が取れた。

 しかし、成田につくと同時に喘息再開。深夜早朝着だったので、堪えたのだ。移動の途中で薬を飲む羽目になった。周りがびっくりするほど、薬のおかげで生きていることが証明された。

 荷物を受け取り、空港内の不二家に行った。ここでも外国人のウエイトレスだったのが、すこしどきっとした。朝食を取り、電車の駅に行った。成田エクスプレスというのに初めて乗る。千葉を窓から眺めつつ、東京へ。千葉県を横切つた。フェイスブックで俳句のお友達のあの人この人が住んでいるのだと、町の景色を目に焼き付けていた。皆さんと近いなと思ってみていると、主人が「千葉におる人と会えるやんか」と、電話していた時を思い出したのか、そんなふうに話してきた。無関心そうでも、ちょっと嬉しかった。ほんとに道がわかったからいつか会いに行きたい。

静岡に帰った。どこにも行かず、寝転がり、テレビでゴーンさんを追いかけていた。

 自宅へは6日に帰った。7日、七草粥を炊いた。

 

早朝の成田空港淑気満つ

寒の前不二家でコーヒーパンケーキ

成田エクスプレス仕事始めの人らしき

千葉に住む句の友のあり冬麗

初売りやもう大阪のおばちやんに 十河 智

 

13

[その後、コロナ禍の暮らし。遠い思い出](2020/9~10)

13−1

[コロナ禍]

 あれからコロナ自粛で家に閉じこもり、もう大方一年が来ようとしている。

 

春の雪自粛促すかのやうに

春浅し新型ウイルス猛威へと

触れ合ひを奪ふウイルス地球の日

夏の昼街角ピアノにシンガポール

思ひ出のガーデンズバイザベイの霧

コロナ禍の弾かれぬピアノ夏の駅

黒南風やウィズコロナウィズアルコール 十河 智

 

13−2

[ゴーツーキャンペーン]

 秋になって、人が動かされ始めたが、世界はまだまだコロナの禍中だ。トランプ大統領も感染したという。

 日本での感染者数、少ないと言いつつ、すでに8万人を超えている。いつまで続くのだろう。

 ゴーツーキャンペーンで、お得な旅とか食事とかができるらしいが、一方で地方でクラスター発生も、現実になった。

 マスクもアルコールも、心して続けなければいけない。慣れは恐ろしい。

 田舎へも帰らず、娘のところへも行かず、夫と二人だけのほぼ10ヶ月。呆けも鬱も、ひたひた近づいてきている。

 今度、10月第4週の月・火と日程だけ決まっている高校同窓の女子旅を、予定の日に、ゴーツーキャンペーンを使って、やることになった。

 このグループ、実は4月にも会食している。感染対策の万全なところで、安全に行動すれば大丈夫、幹事が確認しし、やることができた。

 今度の旅行も、いつもなら対面4人席にしておしゃべり全開となる筈のところを、お知らせメールで禁止と釘を刺されている。会える嬉しさが勝つので、みんなよく言うことを聞く。

 ゴーツーキャンペーン効果で、幹事は3万円台のところ1万5千円、半額になるという。確かに安い。マイナンバーカード、運転免許証、パスポート、身分証提示が宿泊施設で求められるので、忘れないようにとある。

 既に準備して、洋服も吊るしている。ワクワクする。 

 

菊日和いろいろゴーツーキャンペーン

秋高しコロナ禍中の選挙戦

初紅葉もうしばらくはウィズアルコール

マスクつい忘れて外の風寒し

十月の女子旅に要身分証

 十河 智

 

              完