【南アルプスの西・東】 関東へ甲信越へ夏鴬 第二章

南アルプスの西・東】

関東へ甲信越へ夏鴬 

第二章 山梨県と長野県を行ったり来たりしました。
          
1 薬学部同窓会……山梨県北杜市小淵沢町

小淵沢へ〕
 あの飯田市への旅からほぼ一か月後、今度は南アルプスの東側の小淵沢で、薬学部の同窓会があった。小淵沢は、中央線の駅なので、名古屋からも行きやすい。集合時間も午後4時、場所が指定されて宴会があるだけ、ゆっくりと、懐かしい中央線の旅をした。一番仲のいい友人が、切符を手配してくれた。
 塩尻の駅には葡萄棚があって、ワインの樽も並んでいた。

それぞれに夏山超へて小淵沢

星野リゾート
 小淵沢に少し早く着いたので、観光案内所で聞いて、バスが出ている星野リゾートへ行った。
 星野リゾート、ロビーはとても広く瀟洒な造りだった。従業員が親切で、少しの間遊びたいと言ったら、中庭のあるモール街に案内してくれた。梅雨を前に、中庭の傘のオブジェがカラフルで曇り空に浮かび上がって飛んでいくようで、面白かった。
 おしゃれな店ばかりだった。雨も少し降った後だが、店の前は庇が続いていて、ある程度は濡れずに行けるようになっていた。山梨の果物を売る店やジューススタンド、アイスクリーム、手作りの服や帽子、アクセサリーの店、フランス人の夫がフランスのオリーブの古木を切り取った装飾品を売って
いる店があり、味わいがあった。普通のホテルでは暗い廊下の奥にあるような店が、広く明るく天を仰げるプロムナードになっている。青空市やオブジェの展示、色々なことがなされる空間であるらしい。
 お洒落な人たちも子どもには手こずる。母親が拗ねる女の子を叱っている。私も、昔、ああだったなあ、と懐かしささえ感じる。大人の買い物を楽しむ親子、屈強そうな若者、リュックを背負う2m近く背のあるある大男、避暑地であり、山への入り口である土地らしい通行人である。
 コーヒーを飲める喫茶店があった。若い男性の店員が入れたコーヒーがとても美味しかった。

ちよつと寄る星野リゾート梅雨の傘
登山者かガリバーかとも漢あり
甲斐の国山ふところの植田かな
梅雨の雲紛うことなく霧ヶ峰

〔同窓会〕
 待ち合わせの時間が来たので、小淵沢駅に戻った。次次と見知った人たちが降りてきた。青春時代を、ある意味、掴み合いのけんかもしながら、駆け抜けてきた人たちである。大体が薬業界、化学業界に生き、引退後、10年。こうして、3年ごとに、顔を見せ合う。宿は、ごくごく内輪の人の経営するゲストハウスで、私たちだけ。それぞれのテーブルはくじ引きで、一人ずつの近況報告。体の不調や趣味の陶芸、絵の話。年を取って、余生をどうにか繕っている観が漂う。私たちがどう人生を生きてきたか、わかりすぎる人たちだからだろうか。
 出席者は33名、近況報告者は32名、音信不通者は3名。卒入学がダブリの人もいて、総勢80何人なので、60人くらいあった3年前よりも、出席者が極端に減った。欠席の理由に所用は少なく、病気や介護、体力、気力の落ち込みがあげられている。
 二次会はお酒とカラオケ。逍遙の歌、琵琶湖周航の歌、必ず輪になって、肩に手を掛け合って、歌うのが決まりである。
 
紫陽花の花の雨なり同窓会
石楠花の乱脈に咲き雑に散り
来ぬ人の消息皿にミニトマト
老いたりと欠席近況杜若
羅を羽織る体型隠しとふ
病葉の色や残りの老い生きる
三年後後期高齢者たる夏に
同窓会ブログ閉鎖さるると蛍の夜 


2 井戸尻遺跡……長野県諏訪郡富士見町境

〔井戸尻〕
 翌日は朝は、井戸尻遺跡に送って貰い、周辺を散策、井戸尻考古館の縄文土器の展示を堪能した。
 この他に、サントリーの白州蒸留所、美術館巡り、信玄の信濃攻略に使った棒道ハイキングと3コースあったのだが、自由に好きなところで時間を潰し、お昼を食べて、小淵沢へもどることになっていた。
 この年齢になって、心配することかなとも思うのだが、幹事から「あんた、井戸尻は女の子一人きりやで。」と、心配されました。お酒は飲まず、8キロも歩くのは無理、美術館は何回か行ったところもあり、縄文遺跡巡りが残ったのです。
 旅館のバスが送り迎えを順にしてくれた。私たちの井戸尻遺跡が一番遠いらしく、10時出発となった。着いたところは、長野県になり、大きな野原が広がるところだった。風が冷たい日であった。小雨であるが、空気がしっとりしていて、草木の青がとても美しい。考古館と民俗資料館が並んでいて、坂道を歩いていくと見た目を考えて作ったらしい回らない水車小屋と、蓮池があり、今は隅に花菖蒲とムラサキツユクサが咲いていた。
 坂道の下の窪地に民家が一軒ある。赤や黄色のひまわりダリアといった夏の花が咲き、野菜の畝があり、駐車場に白い車が止まっていた。そこだけ暮らしがあり、色があった。のどかである。 
 考古館の展示は、火炎土器や、耳のある土器、土器に掘り込まれた顔も面白く、いろいろな表情があった。縄文土器で初めて国宝に指定されているものもあった。
 ビデオの説明も見てはいたのだが、寝入ってしまった。聞けていない。
 黒曜石の鏃は大きくて鋭かった。石器の実用性を改めて認識した。新石器時代とは、案外私たちの時代と変わらないのかもしれないと思った。
 大きな地図で、この辺りの縄文遺跡の分布を表していた。 この前行った天竜川流域、その飯田から逆方向に岡谷市付近にもたくさんの印があった。
 縄文人は、黒曜石という狩をする道具の材料が手に入り、狩をしても獲物が多く、山の合間に広がる窪地があって集落をつくれるこのあたりに散らばって暮らしていたようだ。
 全てを含めて、日本遺産として、国レベルで縄文遺跡に指定されているらしい。いずれ世界遺産を目指すべく整備されようとしているようだ。
 もうひとつの民俗資料館の方は、この地方の、農機具など、私たちの小さい頃にはまだ使っていた生活や農業の道具の展示であった。雪の対策の道具が私には珍しかった。
 正午ごろ、雨も降りだしたので、距離のあるところは諦め、見えている岡にある復元された縄文住居にだけ行ってみることにした。急に振りだした雨に戸惑っていると、かなりおんぼろな忘れ物の傘を何本か貸してくれた。二人でひとつの傘を指して、岡をめざした。
 岡は草刈りをして手入れされたきれいな草地だった。ところどころに赤い蛇イチゴの実がよく目立っていた。
 縄文住居の建物に入れるようだったが、滑りそうで中は案外深くなっているのが怖くて、私はやめておいた。転けたりしたら、この後の都会へ戻る旅を土にまみれた服のまま、行くことになる、そんなしょうもない心配をしてしまったのだ。
 雨は、すぐに小降りになり、帰る前に傘を返そうと、施設へ戻る途中で、「坂はきついからここで待っていたら。」と、足の悪い二人に提案があった。「迎えのバスに乗って、荷物も持ってきてあげる。」と言ってくれたので、坂の分岐点で待っていることにした。
 お陰でこの潤いのある山懐の空気を満喫することができた。

青葉寒坂の途中の分岐点
手摺なきバスの乗降梅雨湿り
石楠花のおおらかに咲く車寄せ
流し吹く井戸尻考古館の前
広広と南アルプスよりの南風
火炎土器石の鏃や梅雨入して
花菖蒲池の片隅にて蕾む
飛び飛びにムラサキツユクサ折れて咲き
野辺の花雨に濡れたる濃紫
置き忘れ傘を奥より梅雨曇り
縄文の住居立つ岡蛇イチゴ
水車小屋のある風景や蓮の池
花いろいろ青野の中の一軒家 

ほうとう
 昼食は山梨県の名物、ほうとうの店へ行った。温いものがありがたかった。夫が山梨勤務の時があり、そのとき以来のほうとうであった。うどん育ちには実はあまり好みではなかった。この店のほうとうは、少しだしが効いていて、南瓜の入っていないメニューもあったり、食べやすくなっていて、いなか料理から逸脱しているようにも思った。何十年ぶりのほうとうは懐かしかった。

山梨に戻りほうとう氷水

小淵沢より帰る〕
 こういう小さい駅は、便数が少ないので、別々の予定でも、駅には自然と集まってくる。関西からの人たちは大体が、同じ電車で帰ることになり、それぞれのコースから小淵沢駅に戻ってきた。
 塩尻での乗り換えの時、急いで帰りたい人がいた。3分くらいでホームを移動しなければというので、とてもついていけないと、先に行ってもらった。また一人旅をすることになった。名古屋からはもちろん「こだま」。
 飯田の時よりずいぶん早く京都に着いた。

急ぐ人先に行かせて夏の駅
灯涼し次は京都のアナウンス          

           十河智