私の珈琲物語

私の珈琲物語

      2023/06/23

      十河 智

 

「コーヒーを飲みに行こう」これが合図で、最近のコロナ禍の夫婦二人、人人との交流のない退屈な暮らしをやり過ごしている。

 コロナ禍の以前は、まだ運転しているので、車で小一時間、大阪外環状線沿いで、京都から八尾、羽曳野辺りまで、方向を毎日変えて、コーヒーを飲みに行くということをしていた。

 この範囲にあるスターバックスコメダ珈琲、の各店舗には、ほぼ行ったと思う。偶に、京都や奈良のホテルの喫茶室も遣った。

 主人はケーキが必須でケーキセット、私は、歳を取ってから、甘いものが苦手になり、薄めのブラック、コメダのたっぷりサイズがちょうどよい加減で、二人とも、決まった注文をする。ホテルの場合、せっかく来たのだからと、アフタヌーンティーセットを奮発することもたまにはあるが、ここでも、大体はケーキセットと単品コーヒー、二千円までのレシート、ガソリン代を足しても高が知れている。この様な、お昼過ぎの三、四時間、心地良く、コーヒーを前に寛ぎのひとときを大事にしていたのである。

 しかし、コロナで、行動制限が掛かっていたここ三年間は、北河内の範囲でコーヒーを楽しむしかなく、遠くのホテルには出掛けることはなくなった。

 毎日とまでは行かず、スーパーオークワの買い物に行く日は、カートから買い物袋に荷物を移したあと、入口近くの自動販売機のコーヒーを買い、カウンターで、行き交う人をぼさっと眺めて、紙コップに入れたコーヒーを飲む。冷凍物やアイスを買ったときは、ゆっくりし過ぎに注意が必要だ、帰宅した時、アイスが緩んでいるという失敗もよくある。

 大体、私はいつからコーヒーに接したか、本物だったかどうかは分からないが、お菓子として、コーヒー味の飴やクッキー、タバコ型のコーヒーシガレット、そんなものもうろ覚えに思い出がある。コーヒーそのものとして、はっきりと飲んだことを覚えているのは、ネスカフェのインスタントコーヒー、中学生の頃、母はそのためのコーヒーカップを、近所の唐津屋(陶器の店を実家ではこう言っていた。)に買いに行き、一家でお茶をしたのを思い出す。この前実家に帰ったら、今は、ほぼ各人の気に入りのマグカップが、実家にも用意してあるので、何年も見ていない、その懐かしい、お皿が六枚、カップが二個、残っているのを、見つけた。少し古臭いデザインで、センスがあまり感じられない。大体、コーヒーカップと皿の六客セットというだけで選ぶこともなく買ったものだ。お皿も急場しのぎのセットのようで、今のように、カップソーサーの窪みはなく、模様が同じというだけであった。しかし、中学生から高校生の受験期、インスタントコーヒもリプトンのティーバッグ紅茶も、母が勉強しているところに、このカップに入れて運んでくれた。そんな思い出のカップアンドソーサーである。その頃は紅茶は渋いくらいに出して砂糖たっぷり、インスタントコーヒーもまだ濃いめの砂糖付きである。

 大学に入ってから、ブラックで飲むコーヒーが大人っぽくて、先輩の真似で飲み始めた。多分その頃、フリーズドライのインスタントコーヒーが出てきて、美味しさが飛躍した。インスタントコーヒーがブラックでも美味しく飲めるようになったのだ。急須がいらない、カスが出ない、学生の集まりには、インスタントコーヒーが定番になっていった。今のように自販機のまだない時代であった。ドリップコーヒーの喫茶店にも連れて行ってもらった。田舎から出て、初めて文化に触れた気がして、何でも京都や東京育ちの人たちの真似をした。今思ってもおかしいくらい、田舎者と思ってしまって、人の真似ばかりしていた。それもこれももう半世紀以上前なのかと、歳月と我が身の老いをつくづくと思うこの頃である。

 あの頃は、日々の暮らしのほんのひとときのアクセントとして、コーヒータイムがあったのだが、今は、何もすることがない暮らしの大事な気分高揚としてのコーヒーである。家でもコーヒーメーカーで、簡単にドリップコーヒーが飲める時代になって、日に何杯も飲むようになった。落ち着きたいときは日本茶を飲む。コーヒーはやはり気分が高揚し、元気が出るように思う。

 まだしばらくは、「コーヒを飲みに行こう」と誘い合って、ドライブがてら、様様に雰囲気を変えて、コーヒを飲む、そんな楽しみが続けられそうである。よくコーヒー専門店に掲げられる「香り高いコーヒ」というコピー、言い得て妙である。コーヒーのあるところ、店中を覆い尽くして広がる香りが、他の飲み物にはないように思う。それに誘われて、また飲みたくなるのもコーヒーである。

 一度長期入院でコーヒーが絶たれた時、禁断症状に近く、コーヒーを欲したことがあった。起きて買いに行けるようになると、まっさきに自販機へ走った。きっと死ぬまでコーヒーを飲み続けることだろう。

 

 

母と飲むコーヒー葦簀設へて

コーヒーの香り階段より寒気

コーヒーの苦き受験の冬であり

大人ぶるブラックコーヒー入学す

夏の夕スターバクスのテラス席