老い行く道

老い行く道

          2023/03/30

          十河 智

間抜けたこと、変なことをよくするのは歳のせいか、このところ多くなったように思う。

 まず失せ物、携帯電話、初めて行った神戸ゆかりの美術館前のサイゼリア、その日の行動は、そのコースのみで、レストランに置き忘れたと思いこんで、ネットのHPから電話番号を調べて、問い合わせた。遺失物としては預かってないという答えだった。トイレにも行ったことを思い出し、主人に頼み込んで、もう一度神戸まで出かけることにした。

 レストランでもう一度、同じテーブルの足元や窓際まで調べたのだが、ある筈もなかった。

 家にもどり、考えついたのが、主人の携帯電話で呼び出してみること、鳴らし続ければ、近くにいる人が落とし物と気づいて出てくれるかもと期待もしていた。発信した途端に、部屋の中から、着信音。驚いた。ソファーのクッションの下に潜り込んでいた。最初から電話をかけてみればよかったのだ。当たり前のようで、なかなか辿り着けない考えでもあった。子供を探すなら大声で呼んだだろうに、携帯が呼べば答えることに気づくのには時間がかかった。

 次に、ネットのブログ投稿サイトでつい有料投稿のボタンをポチってしまったこと。結構高額で一万円を超えていたが、2年間の期限が終了するときのみ解約の予約ができるとしている、つまり、一度ポチれば、取り消せないシステムなのだ。近頃は、なにかこういうシステムとして弱い者いじめ的な手続きがネットに蔓延っているような気がしてならない。無料の範囲でも私には十分なのに、損した感を薄めるために、せっせと投稿するしかないが、最近は籠り生活で話題も少ない。また自分の間抜けを責めてしまう。

 暖かくなった最近、上着を脱いでそのまま置いてくるという忘れ物である。さすがに外に出ると思いだして、取りにもどるが、結構頻度が高い。カシミアのストールは2時間後に戻って、見つからなかった。そういう経験もあるのに、堪えていない自分に少少うんざりもする。  

 だが、いずれ、失敗を失敗とも思わぬ思考状態になるのだろうな、それを夫婦二人暮しの限界点と思っているのだが、認識して、所帯を片付けられるだろうか。

 母方の祖母が、長男である伯父に通帳の管理を任せて頼ることにした日を覚えている。祖父は少し前に亡くなり、祖母も還暦は過ぎていた。ちょっとした儀式であった。なにかの祝の席であった。それからはあまり出歩かなくなり、83歳で、老人病棟で亡くなった。昔はすぐに入院できた。

 その次世代の母も、かなり早くから入院していた。入院が影響してか徘徊があり、病棟は閉鎖されているところだった。そして何回か症状により転院を繰り返し、やはり83歳で亡くなった。私にその年齢が近づいている。まだ健全、健康である。突然死ぬわけではなく、前段、準備期間としての病気、痴呆状態なのかもしれない。その時が来れば、なるようになると受け入れるべきなのかもしれない。

 

失せ物は携帯電話朧中

春なれや美術館への大階段

春ショール隣の椅子にふわと置く

春の闇母の徘徊する廊下

この先の老い行く道やかぎろへる