日展を見に、神戸まで

日展を見に、神戸まで

          2022/03/01

          十河 智

 

 月曜日、せっかく神戸まで行ったのに休館日で入れなかった神戸ゆかりの美術館の日展に、一日おいたが、昨日行ってきた。

 結婚する前の若い時から、絵はうまくないという自覚がありながら、日本画を習っていたし、日展も他の美術展も、よく見ていた。

 招待券を送ってくださった方は主人の陶芸の先生で、日展に出品されている。陶芸教室を主宰されているが、作品は金属を加工しての造型である。主人が、先生に大方手を入れて貰って、完成させて持ち帰る陶芸作品とは、全く傾向の異なる作品で、いつも意表を突かれて、見るまで期待が膨らむのだ。

 こうした美術展の後は、いつも記念として作品の絵葉書を買って帰るのだが、歳のせいか、今回、主人が、買った作品の絵葉書を、どこかに置き忘れてきたらしく、家に帰ったときには、なくなっていたのだ。大体が、こういう場合、手提げ袋を持っている私にすぐに渡してくれるのだが、私も先に進んで観ていき、買ったことを知らなかった。そんなわけで、ここで先生の出品作品をご紹介できず、とても残念で仕方ない。

 今年の日展は、コロナで、作品にかける熱が通常より大きかったのかなと素人ながら感じられるくらい、すべての作品の前に立つと、伝わるものが大きかった。作品からとも言えるし、鑑賞者である私からともいえる、双方向の以心伝心を、感じる作品に出会った気がした。そんな印象と感覚は、自分の表現手段の俳句に残しておきたくて、作品を思い出す縁として作った句もある。私の俳句は暮らしと気持ちの記録でもある。日記のようなものである。

 絵は描けないが、俳句という表現で、絵を切り取ることは、できるように思う。どうだろうか。

 

(神戸ゆかりの美術館)

春昼の神戸ゆかりの美術館

二つ三つ下萌え出づる広階段

自動ドアすんなり二つ春寒し

ドローンの視点と思ふ帰雁の絵

絵の前に立てば四季ある木の芽時

丹頂の背に紅葉の図春灯

オフィーリアなれど黒髪花は薔薇

春光や笹と鴉が影金地

仏像の立つ大画面暖かし

紺の地に綺羅を潜ます春の星

春の日の柔かきかな水の庭

 

(帰路)

春青空谷崎潤一郎館芦屋

赤信号春のおしゃれの芦屋人(あしやびと)

くつきりと飛行機春の稲野川

春霞通り縋りの人あれこれ

春コート阪大前の人通り

ダイヤケミカル壁に大きく春夕焼