一年一度の恒例の旅、人生の終りも近い

一年一度の恒例の旅、人生の終りも近い

          2022/12/23

          十河 智

 

 もう冬も半ば、年の暮れである。色色と書いておきたい身辺ごとはあったのだが、歳を取ると、つい日が経って、それがいざ書くとなると、思い出が曖昧、あやふや、になっているのだ。昔はこんなことはなかった。認知症、私も例外なくそのうちに辿る道筋だと、今は実感がある。

 10月には、今までの人生で出会った人たちとの年1回の一泊旅行が、重なった。思い出すことだけでも今綴っておくことにしよう。

 なかには年齢に幅が少しある会もあるのだが、それでもみんな後期高齢者、今度が最後と思って、集まる旅ばかりになった。

 

 高校の同窓生8人の女子会で、星を見る旅

「長野県阿智村 園原の里」 

名古屋駅集合、長距離バスにて現地へ。

 このグループには、娘さんがツーリストという旅の世話の適任者がいて、計画を立ててくれる。見どころを抑えていく先先で楽しい。去年は和歌山の熊野水軍の痕跡を観に行った。こういう少し深入りする旅がおもしろい。

 ただただおしゃべりと星を見るだけ。素敵なナイトツアーが組み込まれていた。

 しかし残念なことに今年は雨も降り出す天気で、星を見ることができず、ちょっと悔しかった。一週間くらい長居で観るという若者グループがいた。それが正解なのだろう。

 まあいい、おしゃべりの方は完璧、星が降って来ようが雨が降ろうが、星を、雨を、それを受け止める森と丘を、話のねたに楽しい時を過ごせたのだから。

 

 大学の薬学部の同窓会

ホテル日航奈良にて会食、一泊」

 近鉄奈良駅集合、路線バスにて 奈良観光、夕方からホテル(私は観光はキャンセル、いつも行っているので。)

 出席率は抜群によく、80人のうち70人出席。来ない人には理由がある。(物故者または病臥者)

 ひところは、近況は、出世報告だったり、研究や仕事の成果報告だったりしたものだが、ここ5年ほどは、趣味の絵や焼き物、旅、詩吟や横笛(おうてき)、俳句、短歌ももちろんありで、病気と付き合っている人も多い、そんな近況報告である。

 私は、一緒に各駅停車鉄道旅を夏ごとにやっていた女友達に年に1回、このとき会えるのが嬉しい。場所は京都中心に畿内からはあまり離れない、一度だけ姫路城修復のとき姫路でやったことがあるくらいである。近くのものはいいのだが、きっと結構旅費がかかる人もいるであろう、また私のように体力や機能の減退での困難を抱えてきたものもちらほら。と思うと、もうそろそろやめどきかなという話にはなってきている。

 

 大学のクラブ活動ESSの仲間と一泊旅行。

「金沢東尋坊

 どこに行くにしても、皆全国に分散した友人たちが集まるので、目的地近くの鉄道駅が集合地となっている。

 学部を跨いでの交流は、卒業後は、自然と異業種間交流である。国連で活躍している人もいる、地域の中核産業の会社経営者もいる、その妻もいる。大学の教授で海外生活の長い人とその妻。クラブ内は恋愛禁止と言いながら、終わってみれば、こういうことだったのである。真に受けて片思いしていた私はなんと世間知らず、無邪気なこと。でも集まってしまえば、皆一人一人がメンバーであり、夫婦が目立たなくなる。

 卒後50年、前後三学年、全共闘のアジに背を向けて、英語でデベイト、ドラマをやってきたあの頃を語り草に今も楽しく話し込む。論じることが好きな回し役がいて、寝る前のディスカッションは、この旅で定番になっている。この歳になると、少少荷の重い、しかしちょっとした頭の体操ににもなっているそんなイベントではある。

 やはり温泉が多く目的として計画される、泊りがけの第一日目はまずお風呂と食事、そしてこのような近況報告を兼ねた討論会を楽しむ。

 

 夫はといえば、夕食会のようなものに、呼ばれたら出掛けてはいるが、泊りがけというのはない。

 友達がいないわけではないのだが、夫は高松から東京の大学なので、大阪にはあまり古い友達はいない。たまに高校や大学時代の友達が、大阪を通過中と言って、電話をかけてきて、再会を楽しむ。二人とか三人とかで夕食ということが多い。ただ夫はお酒を呑まないので、男同士の場合、味気無いらしい。これはお酒で付き合う娘婿を知ってから、よけいに感じさせられている。案外早く切り上げて帰ってくる。若い頃は無理をして付き合っていたが、もう無理をできない。歳をとってもそれなりに呑める人は呑む。それで、次第に億劫になるらしく、そんな会合からこのところ遠ざかっている。

 今は夫婦で、偶に近所でする外食も、一人前の量が多過ぎて、二人で分け合いができる店にしか行かない。

 

 思わぬコロナの災禍で、帰省や娘宅への訪問旅もままならぬ事態となった。

 恒例の旅も今年から再開というものばかり。それがここ最近の我が身の老化と反比例したために、何もかも縮小傾向、つまらない暮らし方に傾いて来ている。八十歳に近い年齢を考えると、最後に向かっているという自覚が膨らんできている。