岐阜、長良川への一泊旅行

岐阜、長良川への一泊旅行

        2021/11/10

        十河 智

 

 緊急事態宣言解除、その直後の女子旅である。前から決まっていたもので、解除がなくても、最新の注意を払い、挙行するはずのものだった。それが、解除のその日であったので、皆の気持ちは軽くなった。

 ありがたいことに切符の手配から何から全部してくれる人がいる。日程も、毎年10月第4週の月・火と決めている。

 今年の旅は、岐阜、長良川への一泊旅行であった。

 思いがけず、芭蕉に会える、とても思い出深い旅となった。

 

1 

大失敗をやってしまった旅の初め

 朝7時、起床。

 京阪交野市駅のバス停から京都行の高速直Q便に9時すぎに乗るために、主人に送ってもらう。京都駅八条口に着くので、京都から新幹線に乗るのはこれは一番便利。

 しかし停留所に早く付きすぎたらしい。イスを探して待っていると、何人か集まってきた。京都へ行く人ばかりと思っていた。そしてバスが来たから乗ってしまった。

 時刻を確認しなかった。高速に入った時、すぐに、反対方向、大阪難波行きと気がつく。動転した。が、どう仕様もない。しかし、どう考えても、11時の京都駅集合には間に合わない。

 初めは地下鉄で、新大阪へ出て、次の新幹線で追いかけようかと思った。が、難波の駅で、近鉄京都線に連絡がつくと閃き、駅員に聞いた通りに、大和西大寺駅で、普段は使ったことがない近鉄特急(特急券540円)に乗り換えた。旅の友達にはラインで、逐一、報告した。

 この頃のラインは、こういうときにすごく役立つ。「今ここでこうしている」がリアルタイムで伝わる。

 近鉄特急のおかげで、11時より遅れること、15分で京都駅新幹線のりば前に着いた。

 友人たちには、「先に行っといて。続く便で、名古屋で追い付けると思うから。」とラインで知らせておいたので、新たに乗車券を買おうときっぷ売場に行こうとした。

 ところが、京都駅では、友人2人が残ってくれていて、「便が違うので、座席指定は無効になるが、乗車券と特急券が有効だから、待っていた。」と言う。切符は二重にならずに済んだ。いい友達を持った。

 名古屋で他のメンバーと合流できた。

名古屋駅味噌カツ丼を、みんなで食べた。食堂は結構混んでいて、ああ、みんな旅に出ているんだと、実感した。

 名古屋から岐阜へ行く電車の中で、手配をしてくれた友に、宿泊代、運賃など費用を払った。原始的だが、一年に一度しか会わない私達には、簡単で便利。世話人におんぶにだっこの立替払いは気になっているけれど、甘えている。だから気楽に参加できている。

 今年からは記録の残るラインですべて連絡ができるようになった。ラインに予定表や経費のお知らせを写真で送ってくれる。ラインはグループが組めて、そのままのコメントや写真を見ることができ、こういう連絡にはすごく合っている。メールのような探したり開けたりの手間は感じない。  

 皆がスマホを持ったのと、それに慣れてきたためで、去年のこの旅の間は、暇さえあれば、スマホ教室が開かれていたことを思い出す。ラインのアカウントの作成を教え合い、、出来た出来た、連絡が取れた、と喜んでいたのを思い出す。メールのようにいちいち開けなくていいし、もっと前は、FAX、または手紙だったので、少しは世話をしてくれる友人も楽になったと思っている。

 

秋空の向かうのビルや大阪の

難波より奈良西大寺秋の蚊も

鳥渡る近鉄特急乗り初めて

秋思ありラインの助け有り難し

遅刻せし我待つ二人律の風

秋渇き駅チカ食堂四人席

秋の旅少し疚しき人任せ

スマホNOW教へ教はる秋の宿 

 

岐阜

 岐阜駅へ降り立った。一生も長いと、岐阜にも思い出す縁の人も居り、何度か恵那や飛騨高山への途中で通過してもいた。

 信長が岐阜城に入ってから、ポルトガルの宣教師に薬草の必要性に気づかされ、西洋から移入した薬草を伊吹山の薬草園に植えたと、物の本に書かれている。その名残で、今も伊吹山は薬草の宝庫である。またほぼ日本の中央で、標高もある程度あることから、自然の植生も自ずから多種多様なのである。

 岐阜には岐阜薬科大学、受験して、通ったかもしれないという親近感もある。大学で薬用植物学を専攻していた私には、滋賀と岐阜の県境の伊吹山は、聖地である。憧れである。岐阜薬科大の学生は伊吹山関連のカリキュラムがあって、必ず山に入り、薬草を含む植物の採集すると、私の教授から聞かされたこともある。

 晴れた秋の空が綺麗だった。市内バスに乗って、宿へ向かう。いい市内観光ができた気分だ。ちょうど市内を縦断するくらい長くバスに揺られた。道路が広くて町も綺麗だった。宿のすぐ近くで降りた。

 

秋空を高く鳶の渡る岐阜

水の秋長良川へと市内バス

秋の蝶岐阜に住む友ありにけり

秋晴れて流れ激しき長良川 

城のあり県庁もある岐阜爽やか

山河秋光る国際会議場

薬草の宝庫伊吹や秋深し

秋の七草薬科大学岐阜にあり

 

芭蕉ゆかりの宿

  「十八楼」

 長良川が目の前を流れている宿でした。

 十八楼、変わった名前、岐阜には何番と名前の付いた宿がたくさんあるのかと思った。

 宿に着くと、友人たちは、荷物を置くとすぐに、近所を散策しに行った。まだ日が高かった。窓から長良川の清らかな流れが見える。今しがたバスで通った長良橋が 近くのところに見えた。

 朝から、色々あって、やっと落ち着ける宿の部屋で、私は頭痛がして、すごく疲れていたし、喘息の息も現れていたので、吸入をして、少し寝て、テレビでも、と思う。ほんとに疲れていた。鮎のお菓子とお茶を頂いた。それからしばらく寝た。

 小一時間ほどで、みんなが帰ってきた。お風呂に行くという。少し遅れて私もお風呂に行った。何時もは、寝る前にしか入らないのだが、疲れが取れるかもと思った。

 大浴場は空いていた。温め、熱めと露天風呂、三つの浴槽があった。体を洗ってから、温めのお湯にしっかり浸かって、寛いだ。

 体力が続かず、鈍い動作の私は、だいたいこのように参加はするが一人行動となる。

 お風呂から出て、ロビーで、宿のことを知ろうと、壁の説明やいろいろと冊子をもらい、坪庭を眺めていた。

 この宿の位置と、歴史にやっと気づいた。今はシーズン外れだが、長良川の鵜飼を見に来る客がたくさん泊まる宿だと。仲居さんがきて言ってはいたのだが、それが川の流れを一望できるロビーに来て実感できた。

 芭蕉はこの宿が気に入り、鵜飼を見に来る度に、挨拶の句を残し、庭に芭蕉の句碑があった。


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【十八楼のHPの女将さんの解説

 十八楼は、創業160有余年

  松尾芭蕉は、『笈の小文』(俳諧紀行・芭蕉著)の中で、旅の喜びを「只一日の願ひ二つのみ。こよひよき宿からん。‥‥もし、わづかに風雅の人に出会あひたる、よろこびかぎりなし」と述べている。 

美濃の地へは四回来遊している。 

(中略)

中川原新田(岐阜市湊町)の油屋、賀嶋善右衛門(俳号歩)の水楼(長良川に臨んだ高殿)で遊んだ。主人の求めに応じて楼名を選び、有名な「十八楼の記」を書いた。(現在、「十八楼」の一階ロビー壁面に、芭蕉の「十八楼の記」が展示。)】

 

 宿の敷地内の芭蕉句碑句碑の説明から引用すると、

 ① 十八楼と名を変えるよう勧めたという、由来の一句。

 「かの瀟湖の八のながめ、西湖の十のさかひも涼風一味のうちにおもひこめたり若し此楼に名をいはんとならば十八楼ともいはまほしや

 

このあたり目に見ゆるものは皆涼し」

 

【十八楼のHPの女将さんの解説

 かの有名な中国の瀟湘八つの景色と、西湖の十の地も、すがすがしいこの景色の中にあるように思われる。私のいるこの建物に名前を付けるなら、十八楼とでも本当にいいたい事だなあ。 「このあたり目に見ゆるものは皆涼し」 この水楼からの景色は野も川も森も村々も遠い山も総てがすがすがしいことよ (十八楼女将 伊藤泰子訳)】

 

 ② 鮎料理

 「名にしをへる鵜飼ということを見侍らんとて暮かけていさなひ申されしに人々いなば山の木かげに席をまうけ盃をあげて

またやたくひながらの川の鮎なます」

 

【十八楼のHPの女将さんの解説

またやたぐひ ながらの川の 鮎なます

 この長良川の鮎膾は何とたぐいないおいしいものだという思いを表現したもので、「またやたぐひ」と「や」を加えて字余りとすることによって、珍味だなあという感嘆が伝わってくる。】

 ③ 芭蕉鵜飼の句

 「ぎふの荘ながら川のうかひとて世にことごとしう言ひのゝしる、まことやその興人のかたり伝ふるにたがはず…………

 

おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」

 

【十八楼のHPの女将さんの解説

 おもしろうて やがてかなしき 鵜舟哉 芭蕉 がある。鵜舟が眼前を遠ざかって行き、水音・風声のみが聞こえる幽寂の世界。華やかな鵜飼が果て、すべてが闇に還る悲しさに芭蕉は心を打たれたのである。】

 

 この旅の手配をしてくれた友人に、どうしてこの宿にしたのかと聞いてみた。

 「お料理が美味しいことと、芭蕉が泊まった古い歴史の宿と聞いたからよ。」と、答えた。旅行社の人が強調して、勧めたという。

 

十八楼芭蕉ゆかりの宿や秋

あな惜しや長良に秋の鵜飼無く

下り鮎流れの疾き長良川

秋の声屈託もなく喜寿近し

露置ける坪庭にあり芭蕉句碑

よたよたとひとり秋の蚊飛ぶ如し

 

御献立 


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 飛騨牛長良川の鮎

 夕食の時間になった。教えられたエレベーターで、食事の部屋に出向く。私もだが、誰かが、「椅子で良かった」と、小声で言った。声には出さなかったが、私も安心して、部屋に入っていった。

 「御献立」を見てもらうとわかるが、本物の和食で、鮎と飛騨牛がメニューに入る、とても豪華でおいしい料理だった。

 先付、前菜も手が込んだ一品一品でひとつひとつを味わいながら頂いた。稲穂のまま煎り上げて煎り米が籾から白く迫り出している、それを季節の飾り付けにしていた。秋の終わりの旅を象徴していて、いい感じであった。

 この頃は岐阜の山の中でも刺身盛り合わせがつく。どんな山奥も道路が整備され冷凍技術も向上し、海のものもそれなりに美味しく運ばれてくる。まあそれでも、私達、海で育った者には、これはいつも余分だと感じる。多分、和食を目当てに来る外国人などには必須なのだろうが、私達には地で取れる旬のものが揃えばそれでごちそうである。ただ、ここで使われた刺身じょうゆは、そんな刺身の状態に合うように調合されているのか、濃厚な味で、少し甘みがあり、よくあっているように思った。実は刺し身は少し乾き気味だったが、この醤油があって、挽回したようであった

 メニューに「十八楼名物」と掲げている、飛騨牛の牛鍋。飛騨牛と銘打っている牛肉は、普段はあまり近所では見ない。旅に出たときの思い出には何度かあるのだが。

 今も主人と語り草なのは、上高地からの帰りにホテルのレストランで食べたA5のステーキ。その旅の帰り道、古川の肉屋で買って、家に帰って食べたA4のすき焼き用肉、ここで聞いた話では、「A5ランクはホテルや旅館が取って、A4が、自宅用では最高です。」だそうだった。等級の差は実のところわからない。美味しければいいのだ。

 鮎、実は海の魚を食べるのに慣れていて、川魚の味は、大人になってから知った。それ以後もあんまり馴染んではいない。大人になって住んだ京都や徳島、今住む奈良に近いところでも誘われて、川魚を食べには行った。なんど食べてもあんまり美味しいとは思わない。

 十八楼で出た子持ち鮎の塩焼きは美味しいと思った。淡水魚に感じる独特の匂いが薄かった。嬉しい驚きがあった。鮎雑炊も、本当に美味しいと思った。地元の銘柄米、「美濃ハツシモ」が使われていた。コースのあちこちに鮎がでてきて、ここが鮎の宿であることを実感し、満喫した。

 雑炊とともに供された香の物にも、「飛騨・美濃伝統野菜」の添え書きがあって、色といい、浸かり具合のいい味といい、最高の漬物だと思った。

 山にも川にも田畑にも、岐阜は美味しい物の宝庫だ。

 あまりにもすてきな夕食の「御献立」に、コメントが微に入り細に入り、入れ込み過ぎた感ありでした。

 

小寒畳の部屋の椅子の席

食卓に秋興のあり麗麗とー

松茸のほんの少しやゼリー寄せ

稲穂その姿のままに煎りてあり

露寒や宿の名物牛の鍋

子持ち鮎腕良き和食料理人

穭田や美濃ハツシモという米の

飛騨美濃の伝統野菜水澄めり 

 

生花に注意

 夕食後、他のみんなは、またお風呂にいくらしい。いつも場所を変えて、時間を変えて、楽しんでいる。私は、そんなに何度もお風呂には入れない。ロビーでお土産に食事に出た醤油を買った。

 廊下や壁にある掲示物や、活けてある花を見ながら部屋に帰った。

 最近私は駅やホテルで、本当に生花であることを願いながら、活けてあるお花を触るようになっている。50‰位の確率で、本物と紛うばかりの精巧な造花であったりするのだ。

 ここの意図はよくわからないが、花はホトトギスも竜胆も生のお花だった。しかし、どの花瓶にも、木の葉の小枝が添えられており、色や形に少し違和感があった。造り物だったのだ。少しがっかりだった。

 

竜胆や造り物なる緑の葉

 

岐阜城金華山に登る、そして駅へ

 岐阜は城下町、お城は金華山山頂にある。

 2日めは、宿からすぐのロープウェイふもと乗り場まで歩き、ロープウェイで途中まで登り、山頂、岐阜城を観光することになった。

 一泊なので荷物は皆リュックサック一つ、背負っていくことにして、ロビーに集合。コーヒーは今のコロナ禍だけのサービスなのか、自動のサプライヤーで、無料飲み放題だった。

 宿の方に、この辺りのことを詳しく書いたものをとお願いすると、奥から立派な冊子やリーフレットを持ち出してくれた。どうもこれも不特定多数の人が触れては戻さないように、コロナ対策のようだ。

 冊子には創業は万延元年、古い古い宿屋だとある。芭蕉との縁も詳しく書かれていたので、前の段に引用している。

 岐阜城金華山の案内図、写真集。長良川温泉のまちなか散歩のマップと割引券。使わせてもらった。 

 例によって、元気な人たちには先を歩いて、存分に行きたいところへ進んでもらう。私は、喘息持ちなので、吸入したり、途中の椅子で休んだりしながら自分のペースでこういう場所は楽しむことにしている。俳句をやっていてよかったと思うのはこういうときです。置いていかれたとか、弱ったしまったとか思う残念な気持ちをほとんど抱かず、この一人歩きを楽しむことができるのです。


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 宿を出て、坂道を上がっていくと、長良川の支流があり、大きな駐車場のところへ出た。大通りが交差していて、対角に金華山への入り口、信長の銅像のある公園が見えた。信長の庭を通ってロープウェイのふもと駅に行く。


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 私は、ロープウェイから降りて、岐阜城への道を途中で外れて、ロープウェイまで戻れる迂回路、その途中の展望レストランで、皆を待つことにした。

 他の人たちは金華山頂上まで登り、岐阜城も見学して、待ち合わせ場所のロープウェイから少しだけ上にある展望レストランへ。ここでもラインが役立った。

 金華山はかなり山らしい山で、木立が高く、薄暗い。木漏れ日がちらちらする。雑木の紅葉が、綺麗。

 最初の階段は浅く幅もあって歩きやすい。ゆっくりと登る。途中でゆるい地道の坂が続き、急階段のところで、迂回路があり、近くに芭蕉の句碑もあった。

 

夏きてもただひと つばの一葉哉 芭蕉

 

 この階段の下で馬は引き返す様で、そこの岩は、「駒返しの岩」と、地図にある。はっきりとはわからなかったが、ロープウェイ乗り場からこの階段までの、それまで歩いたところは馬場もあって、昔は馬で往来があったようだ。

 展望台でお昼を食べて、ロープウェイで山を降りた。ふもと駅から、また信長の庭を横切り、大通りのバス停へ。ここでは、皆が私にペースを合わせてくれる。

 地図によると、私はせっかく来たのに見るべき色々を見ていないことになる。人によると、岐阜に来て岐阜城を見ないとは、と言うかもしれない。私は今年も友と旅ができたことが嬉しい。旅館で食事をともにし、ともに笑い、近況を語った。一夜の宿が楽しい。

 その喜びを来年も味わえたら良いなと、またバスに乗り、市内を通って、岐阜駅に帰った。

 あとは家に帰るだけ。

 

落鮎や白鷺水面掠め飛ぶ

秋の午後麓に広き駐車場

若き日の信長の像菊花展

登らばや秋澄む空の金華山

近道に芭蕉句碑とぞ蚯蚓鳴く

何くれと友の気遣ひ秋暑し

山頂へ一歩進めば降る紅葉

這ふやうに高き一段づつ秋陽

天高し城へ石段まだ続き

岐阜に城紅葉の道を歩きけり

信長の庭を愉しむ秋の声

秋の川渡り来赤き岐阜バス