八重葎
2022/06/16
十河 智
ほおづき、ダリア、
源平シモツケソウ
山あじさい、撫子
奈良の平群の道の駅にお花を仕入れに行った。ここの食堂で奈良のブランド苺古都華のかき氷をたべた。いちごの取れる時期が終わるとジャムとシロップに加工して長く提供してくれる。予約なしで食べることができた。ジャムは買って帰った。
かき氷が混まない時間と思って、三時過ぎに行ったので、お花の売り場は、バケツの底が見えるくらい、空っぽに近く、売れてしまっていた。
ダリアが割と立派なので、これをメインに据えようかと手にした。八重で花が大きく、それに合わせたように茎も固くしっかり太い。うちでも育てたことはあるが、こんなに茎が太くなったことはなかった。プロというか、流石だと思う。しかしダリアは華やかな花とは言えない。どこまでも普通、平凡。それに合わせて添えに撫子と、シモツケソウの紅白(源平と表示していた)が束になっているものを二束、線の細い山あじさいを選ぶ。そして、生ける時に、ダリアの強さに対峙できるようにほおづきを買う。ほおづきは色が緑の若いものと褐色に色付いたものを混ぜて取った。いつも素材は多めに買って帰る。
平群の道の駅には、こういう花がよく売っている。普通花屋で見る花が安く手に入るというのとは少し違って、ハーブと山野草を栽培したものが季節ごとに売られている。
車でほぼ一時間圏内に、方角を変えれば、特徴ある品揃えをした花売場がある道の駅が数か所あるので、気分転換のドライブを兼ねて、花を買いに出かける。そして、そこの食堂で、季節の味や自慢の料理を楽しむのだ。自慢の料理と言っても、有名シェフのものではない。生産者の奥さんとか近所の主婦のパートさんが作っていそうな料理である。私達の外食はこのごろこのパターンばかり。ささやかな贅沢と思っている。
平群は、道もよく行きやすいと思って、行くときの運転を買って出た。
私が運転するとき、主人は、追い越しや車線変更に指示を出す。それがちょっとうっとおしくて、運転手に任せろというと、次に高架を登る登らないで迷ったときに、聞いても返事してくれない。まあこの頃は、ナビがあるし、少々交差点を逃しても次の道を教えてくれる。そう思って、こういうことになっても運転中は冷静を保つようにしている。
私も免許を取ったのは四十歳を過ぎた頃、少し遅かったが、もう三十年以上運転していることになる。運転を始めたばかりの頃、新車を少しいい車にしたことがあった。私が車幅を読めず、物損事故で潰した。それから買い替えは全てカローラで通している。
まだ夫婦ともに運転できるので、今の暮らしが保てている。いつまでこの暮らしが続けられるのだろうか。近所中老夫婦二人暮らしの家ばかりだ。
一昔前までは、子供が多く、一人くらい近くに暮らす、そんな家族が、この付近にも多かった。戦後(この言葉も注釈なしに使うには、もう持たないほどに長く時が経過した。)、私達の育った時代の自由という空気、それはとてもいいものだと存分に謳歌してきた。私達の世代は子はせいぜい一人か二人、自由に仕事や学校、結婚相手を選ばせた。そして五十年、かつての新婚さんも皆老いて、まわりは老人ばかりの町になっていった。ここは開発された新興住宅団地である。住宅以外になにもない。歩いていけるところに病院も店もない。この町が作られたとき、こうなるという予測はあったのだろうか。今はスーパーや店舗付き住宅のある住宅地やマンションが増えているような気がする。しかし家は選んで住めば、そう簡単に引っ越せない。私達は、このままこの不便な街に住み続けるのだ。
なるようにしかならない。