川と水路、そして溜池

川と水路、そして溜池

        2022/06/11

        十河 智

 

 多分梅雨に入る直前、昔から、水害、浸水の予防策としての溝掃除をしているのだろう。6月の第一日曜日は、自治会の一斉溝掃除の日になっている。

 うちは山を造成した住宅街の端っこの細長い区画で、家を建てられる割が少なく、矩地が大部分、溝がまた長い。溝掃除は、夫婦で半日仕事である。

 六月の初め頃には、目立たなかった春落葉や車が通る度に傷めた道から溢れ落ちた土が、溝に積もり積もっていたりする。そんなところからも芽ばえる夏草の緑がある。すぐに抜いてしまうものなのに、意外と目の保養である。

 家の裏は池で、池の管理は、旧村の自治組織がやっていて、勝手に竹を伐ると、昔は叱られた。かといって、定期的に竹を伐ってはくれず、竹藪から竹が侵襲してきて、油断すると地下茎が庭にぽつっと筍を出したりする。すぐに掘って跡に酢をたらし込む。そうしておかないと、庭が竹林に取り込まれかねない。恐怖に近い竹の生命力、繁殖力である。

 ここに住んでもう五十年、旧村の田畑はすっかり姿を消し、この池の農業用水としての役目は終わっている。しかし住宅地の雨水の放流場所、調節池としては機能しているので、最近の豪雨、驟雨といった降水状況を見ると、やはり必要な池なのである。

 自治会で、放水管理協力金のような名目のお金を、旧村の池などを管理するの共有財産管理委員会に支払っていたと思うが、今はどうなのか、自治会の役から遠ざかり、はっきりとは知らない。池の周りの丈もしっかり管理してもらいたいものだと、要望は何度かしたものだが。

 旧村部では、消えた田畑の上に、今は住宅が密集し、次次と新しい町と自治会ができている。その昔、田畑に水を入れていた用水路と堰は、都会の道路橋高架下にそのまま残り、ときに暗渠、ときに小川となって、寝屋川、そして淀川に合流する。そんな水の張り巡らされた町、寝屋川市。私達が住み始めた頃には多かった、寝屋川の洪水や浸水は、ほとんど起こらなくなった。川の流れを変えたり、堤防を補強したり、国や府市のいろいろな対策のおかげである。

 川沿いに遊歩道ができたり、治水緑地が整備されたりで、鳥が来て、人が散策する。町の景色に潤いが生まれた。都会に多い枯渇した風景の都市にはなっていないし、都会の谷間のように、すごく交通の便が悪く取り残された地域があるということもない。都市近郊の丁度いいバランスが保たれていい具合に成長した市になった。

 

竹落葉これは掃かねばなるまいか

自治会とご近所の目と溝浚へ

青草や溝蓋重きその下の

田水引く池の半分学校に

一旦は梅雨の雨量を治め切り

いや増して線状降水帯出水

緑なす鷺来る治水緑地かな

横並びにてベビーカー緑蔭に

堤防を埋めて躑躅や川の町