コロナ禍の年末年始

コロナ禍の年末年始

        2022/01/13

        十河 智

 

一 年末

 コロナの鬱陶しさからか、後期高齢者のレッテルのせいか、近頃なにかうまく行かない気がしている。

 別に何があったわけでもない。漠然とそんな感じがするだけである。

 鼻水が止まらないせいか、耳の具合がおかしい。聴こえが悪い。電話など耳に当てる場合は、聴こえるが、空中を伝播してくる音が聴き取りづらい。気づけば何度も聞き返している。

 気怠く億劫である。端折ることが多くなった。買い忘れも多くなった。お節のメインは外注しても、ごまめ、筑前煮、鰤、数の子、だし巻き卵、と別皿で並べるはずだった。だが、ごまめは、袋のまま、数の子は買ってもいなかった。

 いつもは晦日蕎麦の卓袱を作るとき、紅白歌合戦を聴きながらで、この時に去年一年分の流行歌を仕入れるのだが、ながらができなくなった、今年は全く歌が入ってきていないのだ。

 おせち料理は、いつも行くレストランで勧められて、少し遠い奈良の店だが、大晦日に取りに行くことになっていた。カレンダーにも書いていて、大晦日、朝の話にも上った。3時頃に電話が掛かってきた。レストランからで、おせちを取りに来てくれという。二人ともすっかり忘れていた。二人出かけては、娘が迎えられず、主人が一人で取りに行った。心配ない運転なのだが、1時間ほどで帰ってきたときはホッとした。

 娘たちがやってきた。雪予報だったが、高速は渋滞もなく順調だったと言っていた。住人が増えると、まず布団敷き、冬は寒いので、毛布など引っ張り出すものも多いが、これもいつもよりもたついた気がする。今年は3日までいるという。嬉しいが、多分まだ、私一人おさんどんと思うと、しんどくもある。

 そんなこんなをり返しながら、思い出してみれば、私達も、親たちの家でそうだった、いづれ娘が面倒を見に帰るときが来るのだろう。

 大晦日、うちの晦日蕎麦は、香川の卓袱である。もともとはパック入りの湯がいた蕎麦を買っていたのだが、娘の結婚後は、婿の家から出雲蕎麦が届く。それを湯がいて、卓袱をかける。美味しさは格段に違う。

 

予報は雪待ち焦がれては外れけり

滋賀琵琶湖大積雪と告げてをりオリオンも雲の向こうか赤き月

晦日(こつごもり)就寝前に夜が明けて

夜の雪に庭石濡れてゐたりけり

オミクロン拡がるばかり大晦日

松を入れ生正月飾りして

淀川の向こうより来て晦日蕎麦

年越のもろもろに出汁いろいろと

去年今年特番で知る流行歌

お祖母ちゃんおいしいと孫晦日蕎麦

 

二 年始

 正月、餡餅、白味噌のお雑煮も讃岐の風習である。上の孫は好きだ。下の孫は、偏食で、正月でもお米、おにぎりと海苔を通す

 伝統と融合とは家家にあるのだ。しかし、娘や孫は静岡で住み、これを受け継いでくれるだろうか。

 正月2日朝、大人はお雑煮、子どもたちには、年末からのパン(バゲット)が硬くなっていたので、フレンチトーストにしてみた。ふんわりとうまく焼き上がった。これも、上の孫は止まらないほどぱくついた。下の子は、また見向きもせず。

 娘に問うた。

「この子は何を食べて大きくなるの?」

 娘が答えて言う

「お米と海苔」

そう、今朝も、おにぎりと海苔。

 寝屋川に「一球」という野球の必要品を売る店があり、少年野球や草野球をする人人には、よく知られているようで、孫が帰るたびに、その店で、あるときはグローブ・ミット、あるときはアンダーシャツ、などなど、調達する。静岡はサッカー王国で野球道具はあまり売っているところがないらしい。と婿が言うのだが、それでも静岡で野球場もあり、チームもあるのだから、それなりに、調達可能に違いない。これはきっと親達の里心の発露だと感じている。まあ大阪にはメーカーも多く品揃えは確かではあると、付いて行って、思うことは思う。

 そんな買い物の続きはラーメン横綱と決まっている。静岡には王将はあるが、横綱はないらしい。

 娘一家は親にだけあって3日には帰っていった。今年は恒例になっている婿の幼馴染との新年会や娘の大学時代の友人たちとの会食はしなかったようだ。

 孫が中学生になると、部活や受験で忙しくなり、来られなくなるという。今年がコロナ禍でなければ、そうなる前のひとときを過ごせただろうに、緊急事態宣言中に中止となった行事や試合が、詰め込まれた日程を野球も学校もこなしているらしく、慌ただしく帰っていった。

 帰ったあと、布団を干して入れるのに2日かけ、その後、一応七草粥、鏡開きのぜんざいまで、二人分をきっちり守って、やっては見た。お粥は米からだが、5勺。鏡餅も小さいのにしていたし、小豆も一合だけにした。でも「いつも二人、つまらない。」そんな思いがつきまとう。

 年賀状は出さなかった。それでもくださった方にはメールかはがきで、10日過ぎてから、新年のご挨拶を返した。

 こうしてもう1月も半分終わった。

 昨日、2年ぶりくらいの、実句会に参加した。生きた心地がした。俳句が潤いであり、句会がメリハリをつけてくれる。

 

バゲットをフレンチトースト寒卵

美味しとふ箸を止めぬに初笑ひ

お定まり横綱二日風月三日

霜既に融けている頃起き出しぬ

庭に出て採らず七種パック詰め

なんとなく生きてゐるかも七草粥

小豆煮ゑどさつと砂糖鏡割

松の内過ぎてメールのご挨拶

成人日市民会館前の晴

高槻へ句会へ冬の橋渡る