コロナ禍の暮らし。ある夏の日。

コロナ禍の暮らし。ある夏の日。

        2021/08/18

        十河 智

 

 ことここに至ってコロナウイルスに感染力の強い変異株δ型が、猛威を振るっている。第4次、第5次の感染ピークが起こり、緊急事態宣言の再度の発令となった。

 話す相手がお互いだけの老人夫婦。どこかへ出かけるというと、ドライブで人がいない野外、広い空間があり、注文はタブレットでするファミリーレストラン、そんな生活を続けもう2年目になるのだ。

 スーパーでの買い物も、他の人と話すことなく、黙黙と必要なものをカートに取り込んでいき、セルフレジで会計する。友達とはライン、句会はメールや夏雲システム。

 一番人を感じるのは電話の声だが、娘くらいしかかけてこない。日頃直接会っている友達と今更電話で長話はなかなかできない。電話では話が途切れると間が持たないのだ。

 この間、俳句のお仲間で、すごく話の合う人が、電話をくれた。何の話をしたか覚えていないが、若いときの電話が主な通信手段だった時代の申し子だった自分が蘇って、ただただ2時間半喋り倒した。お相手も、そういえば、同じくらいの年齢。きっと同じ経験を持っておられるのだと思った。思い切り喋ってほんとに楽しい時間だった。でもそう何回も期待できることではない。

 人と会わない暮らしは、何に対してもやる気が失せる。すごく億劫になってくる。少し前まで、思い立ったらすぐに立てたと思うが、今は2回に1回は止める。主人も遠出の運転はやりたがらなくなった。気力が落ちたというか、到って健康に、感染に気をつけながら暮らしてはいるのだが、なんとなくやる気パワーが減じているように思う。

 それでも、このところワクチン接種がこのところ進み、コロナ禍の閉塞感が少し薄らいできた。

 少し前のある日、こんな事があった。

 買い物に出てみようかと思っていたところ、テレビでたこ焼き粉の美味しいブレンドを専門に売っている店があり、それが我が住む街だという。いつも家でやるたこ焼きの粉っぽさが気になっていたので、買いに行こうということになり、大きなスーパーのたもとにあるその小さい店を探して入った。たこ焼き粉と、専用ソース、いか天かすを売っていた。うちにはたこ焼き粉だけ買ったが、お中元代わりに兄弟の所に送ることにしてセットを3個発送して貰った。去年も今年も帰っていない故郷。帰るときには、大したものでなくても、美味しいお菓子を選んで土産にする。その代わりにと考えたのだ。どの家にもたこ焼き器はあったと思うので、子どもたちが集まったときにやってくれたらと、多目にセットを組んだ。

 せっかく出てきたので、普段はあまり行かない大型のスーパーへも寄った。買い物が目的ではなかったので、涼しい館内を一巡り。フードコートでかき氷を食べてすぐに駐車場へ。

 そこまで来て、主人が車のキーがないと騒ぎ出す。「えぇー」である。

 売り場へ戻り、買ったものの陳列の前に立ち、道順を辿る。フードコートにも寄る。行動を思い出す限り繰り返してみるが、どこにも見当たらない。

 サービスセンターに届けておくことにした。連絡を待つより仕方がないと、タクシーでスペアキーを取りに帰ろうとして、行きかけると、かき氷を買った店の人がすれ違いました。ぶらっと指先に揺れているもの、「キーだ。」そう閃いて、主人に追いかけて聞いてきてと言いました。

 帰ってきた主人の手には、車のキーが。

 何事もなかったかのように家に帰ると、30分もせぬ頃、静岡の娘婿から鰻が届いた。「遅くなりました。土用はもう過ぎていますが。」とメールも来ていた。

 遅くても、全く問題ない。今日が良かった。験直しにもってこい。美味しく、機嫌よく食べさせてもらった。

 

美味いとふ粉を買ひたし日盛へ

片蔭にたこ焼き粉売る小さき店

蛸を買ふこの先にあるスーパーへ

一巡の涼しきスーパーマーケット

コロナ禍のフードコートや氷レモン

車のキー失くす西日の駐車場

桃豆腐ハムも買ひしと探すキー

お中元を売る横サービスカウンター

キーはまだ届かずと言ふ開衿で

困憊の失せもの探し汗拭ひ

白服の他人(ひと)の手許のキーホルダー

難儀の日締めの幸せ鰻飯