コロナ禍、あれこれ …… 続き3

コロナ禍、あれこれ …… 続き3

         2020/04/28
         十河 智

十一
 この一週間、緊急事態宣言下、起きている間は、ほぼ根が生えたように台所の自分の位置に座っている。
 エコノミークラス症候群の始めのような症状も気になり、足をぶらぶらしたり、立って足踏したり、運動音痴でもその程度は気にかけている。
 買い物はほぼ10日分ほどの大量買いで、足りないもの、付け足すものを、離れた場所で過ごす主人が買って帰る。
 それまでは一日一回、お昼を食べるかお茶をするか、外に出ていた。小一時間のドライブで、奈良や京都の道の駅かカフェで、買い物がてら気分転換をしていた。空気のように、風のように、二人でふらりと出掛けていた。

府県跨ぐ生駒超えゆく穀雨かな
春昼の密会のごとティータイム
春の風入れ隔テーブルの「利用不可」
高級食パン試しに買ひぬ春ショール
葉桜や植物園は休園中  

十二
 今のように出掛けないでいると相手がと、目につく。主人が、倉庫兼別宅の昔店だった家に、出て行くようになった。パソコンとテレビ、過ごし方は同じなのだが、離れている方が、気が楽である。     
主人の陶芸と将棋のクラブ。私の句会や吟行、そしてかな書の稽古、友人たちとの寄り合い。全てもう二ヶ月くらい、中止されたままである。もう若い頃のように諍う気力もない。なんとなく交代で、ニつの家を行き来している。
 そして、私が行ったときは、残しておいた古いものの片づけをやるようになった。
 調剤薬局をやっていたのだが、新型インフルエンザ流行時に予防用に購入した不織布医療用マスク50枚と、N95マスク25枚、コロナ感染のまだ早い時期に見つけていた。家に持ち帰って、不織布マスクは、手作りで布マスクを作るまで利用していた。N95、一般人には必要なく、そのまま置いていた。長引いて足りなくなれば、使うかもしれないぐらいの気持ちだった。でも作った布マスクは、アベノマスクでも言うように、洗うことができて、不織布マスクでさえ必要なくなった。
 折りも折り、先週の終わり頃から、ものが医療現場で不足していると、頻繁に報道されるようになった。院内感染が、防護具の不完全な状態で、コロナウイルス感染者と医療従事者が接触することで、防ぎようもなく、全国で話題になっていて、医療崩壊とまで言われ始めた。
 ある日の夕方、関西ローカルで、コロナ患者受け入れ病院の京都府立医科大学附属病院で、倉庫に使い残りのN95マスクを探している、協力をと訴えかけていた。新型インフルエンザのときのものでもいいと言っていて、画面にうちにあるメーカーのものも見えた。
 「これあるやん……。」
 京都府立医科大学は、そこの医師である友人の息子を通じて、これを渡せるかもと、同じく医師である友人にラインで連絡を取れないか聞いた。 
 返事は、
「息子は、必要と言っている。本人と直接話してほしい。受け渡しに、私は入れないで。」
 一年に何回かグループで会う友人で、まだ週何回か病院勤務で診察もする現役の医師である彼女は、最近、ラインのグループに近況を寄せ、
「私はコロナに感染して、死ぬかもしれない。」
などと、今までの彼女から考えられない弱音を呟いていた。彼女の勤務する病院ではコロナ感染者を受け入れてはいないはずだが、市中にその恐れほどに蔓延しているということであろう。
 善意で、少しでも役に立てたらと、のんびり構えていた私は、この対応にはじめはびっくりだったが、少しずつ、そういう彼女の逼迫感や、恐怖感を理解しなければと思うようになっていった。
 これも少し前に見た特集番組で、山中先生が、コロナウイルスについて、感染症の専門家から詳しく聞いているうちに、ふと口走っていらした、「遺言を用意しようかな。」という言葉にもドキッとした。司会者が、思わず、聞き返していた場面が、今も忘れられず、私もコロナウイルスは怖いと、思うようになった。山中先生のこんな普通の人感覚が、私達に、本当の怖さを伝えてくれる。
 それからである。世界と日本の状況を見比べるために、ニュースのはしごをするようになった。

銃立ててコロナアメリカカーニバル
CNNでコロナ世界を見る春宵
春北斗遺体搬送切りもなし
突然のコロナ行路死この春の
病院の北窓開く日に幾度  

十三
 全世界で、医療用器具、防具が取り合いになっている。自国最優先は仕方ない。人は入国拒否。物は輸出拒否。何もかも中国とアメリカに頼っていたのが、今の日本の無防備を生み出している。
 話をうちのN95マスクの話に戻そう。
 友人の息子から電話があって、病院では、本当にかき集めている状態で、彼の診察室でも、片隅で放置されていたものを、聞けばそれでもいいというので差し出したという。25枚でも、担当部署に取り次いでもらうことにした。
 手段は病院の車寄せで、ドライブスルー方式でということにした。郵便局も、その日くらいから、感染の職員が出始めたし、少し前に切手を買いに行ったときには、結構密の感じがした。配達も業務も間引いている感じだった。今の時点では、車の窓越しに手渡すのが一番確実だと思ったのだ。
 娘と変わらない年齢の、生まれたときから知っている彼と、ほんの一言どうし、
「お願いします。」
「ありがとうございます。担当者に伝えます。」
 これだけで、終わるのは、残念ではあるが、今は仕方ない。高リスクの高齢者であり、私は一刻も早く病院から立ち去るべきであった。折しも、その前の日に、子育て中によく見ていた情報番組はなまるマーケットのキャスター岡江久美子さんの感染死が伝えられ、ショックを受けていた。
 行って帰る、3時間ほどで終わった。 今が大事なのだと思う。そのうちに、国内でも協力体制が出来上がるだろう。知恵が出されるであろう。収束にも向かうだろう。
 しかし今は、病院に院内感染が広がり、使い捨て雨合羽が、マスクが供出を要請されている。要請に応じたいと、行動してよかったと、心から思っている。
 運転手にも感謝したい。

春寒の昼のニュースや女優死す
たんぽぽや岡江久美子は笑顔良
コロナ禍に不足の連鎖芽立時
遅桜メイドインジャパンの防護服
朧より出で来しマスクN95
芽ぐむ頃医師に疲れと物不足
医療用マスク届けむ柳絮飛ぶ
春霖やマスクを持ちて急ぎけり
春夕焼ほつと安堵の茜色