機械の記憶力

機械の記憶力

        2023/12/21

        十河 智

 

 いつも都会に出かけるときには、守口の京阪デパートまで車で行き、そこから京阪電車に乗り換えて、まずは京橋、更に、JR大阪環状線に乗り換えて、大阪(梅田)、そのまた先の神戸まで行くこともある。寝屋川市駅前にも駐車場はあるが、乗場まで少し歩かないといけない距離である。家から車で行けば、守口市駅もそう遠くはない。そんな訳で、このデパートの駐車場をいつも利用している。

 コロナ禍にあったここ最近は、記憶にないくらいこの駐車場を利用していなかったのだが、一週間程前に、主人が使うパーカーのボールペンの替芯が必要になって、買い求めたこのデパートの文具売場に行くことになり、この駐車場に入れた。ついでに少し早いが、レストランで食事もした。それでも二時間弱の利用でしかない。

 出庫のとき、驚いたことに、過去の未払い料金を請求された。証拠の駐車中の画像まで見せられ、払わないと出られないので、その場は支払って出てきたが、思い当たらない。直近でも何回か同じ車でこの駐車場に停めたのに、こんな請求をされたことがないと主人は言う。そんな機械の気紛れ、あるのだろうかと思うのだが、実際そうだったのだ。

 家に帰って、手帳の予定表を遡り、調べてみたところ、三月に、友人のピアニストのコンサートが芦屋であり、駐車場がないと困るので、車をここに置いて行ったことがわかった。夜のコンサートで、アンコールもあり、帰りが遅くなった。駐車場から出ようとしたが、自動の料金支払い機がストップしていて、昼間はいたデパートの利用者を確認する係の人もいない。仕方なく料金を支払わない状況で出庫したのだった。

 疑問は二つ。幾度もスルーしておいて、なぜそのときだったのか。自動料金支払機なので、24時間稼働も可能の筈、どうしてそうしないのか。

 もろもろの疑心暗鬼はさておき、支払うべきものを支払ったので、文句を言う筋ではないのだが、疑問点が聞きたくて、レシートにある連絡先に電話してみた。個人の携帯に転送され連絡がついた。事実関係を確認してからこちらから連絡するという。連絡先を固定電話にして、待っていたが主人が予想していた通り、返事は来なかった。まあ世の中、そんなものかと、そう思うだけのことではあるのだが。

 しかし、徴収者側からすれば、少しでも回収するための最善の方策であろうが、この、もし二度といかなければ払わなかったという、拭えぬ不公平感。多分いつまでも頭の片隅に残って、駐車場を使う度に、思い出すのだろうなと、今も引きずっている。

 

月冴える深夜の無人駐車場

後日のつけの支払凍て返る

間違はぬ機械に屈す寒夜かな

待てど来ぬ寒きや人はいい加減

自動機に人の企み冬銀河

忘年会を兼ねた今年最後の句会

忘年会を兼ねた今年最後の句会

       2023/12/14

       十河 智

 

 昨日は造形芸大句会の忘年会を兼ねた今年最後の句会でした。

 高槻にある安満遺跡公園のファーマーズクラブというレストラン、その後吟行、会議室が別にあって、ゆっくりと句会が楽しめまた。

 遺跡見物の後、説明会、勉強会、私たちのように句会、会議室も利用が多そうです。建物の外観が雰囲気を壊さないよう配慮がなされているようでした。

 大体、河内から摂津を見ると、電車やバスで会う人も「上品」だなあと思います。私たちも後から入った住人も周りに同化してくるようです。

 会食がお昼で句会は4時まで、たまたま主人も昔の仕事仲間との夕方の食事会なので、途中の枚方で駅前スタバで食事して帰りました。

 

食堂の泣く子に勝てぬ冬麗

凩の人来ぬテント捲りけり

高槻はぐつと上品冬ブーツ

芯に来る冷えや高架のプラットホーム

冬の陽の真正面より来る窓辺    

77歳の誕生日、サンマルクへ出かけました。

77歳の誕生日、サンマルクへ出かけました。

        2023/12/2

        十河 智

 

 昨日は祝う気にもならない77歳の誕生日でした。一昨日、主人がいつもの外食、「ココス」や「さと」よりも少し張り込んで行くところ、奈良の「サンマルク」学園前店に誘ってくれました。サンマルクは、昔は寝屋川にも店があったパン屋さんで、レストランも併設、寝屋川のお店も雰囲気があったのですが、何故か北河内にはおいしいパン屋さん、ケーキ屋さんがが多い激戦区で、寝屋川のサンマルクは閉店してしまったのです。うちの家は、寝屋川でも四條畷寄りで、生駒を抜ければ、奈良にすぐ行ける。車を運転できる間にと、少し遠くても奈良には季節ごとによく出かけて行きます。

 サンマルクでは、常連になり、誕生日を知らせておけば、割引券のついた葉書で、お祝いしませんかと誘ってくれます。いつもそれを使わせてもらうのです。その日のテーブルには、蝋燭の仄暗い雰囲気のある明かりが揺らぎ、何故か一本の棒を小皿に立てておいてあるのです。最近は随分食が細くなって、頼んだコース料理が最後で辛くなり、デザートと、そのうえに誕生日ということで、お店からと誕生日のケーキが追加で出されたのだが、それも手を付けられなかったのです。そんな食事の間にテーブルの上の一本の棒が線香花火だったと火を付けてもらってわかりました。上に向けての線香花火、やはり終わるまで見入ってしまいました。まあ趣向を凝らすというのか、店のスタッフに企画する部門があるのでしょうね。家庭の中のイベントとして着ているお客さんの思い出づくりを盛り上げようとしてくれていて、スタッフの気持は伝わりました。

 食事をこうして雰囲気良くすると、帰りの気分は上上、とても楽しく嬉しいものです。いつも通る道が違って見えます。夕暮れ近いトンネルもいつもより明るい気がします。このトンネルのお陰で、奈良がすごく近くなりました。私が北河内に住み始めた頃からが、この地域の道路が整備され、拓けて過程を゙見せてくれる時代でした。結婚は28歳、来年で50年になります。過ぎてみれば、あっという間とよく言う言葉が実感のこの頃です。人の一生が長くなると、物の見方や価値観にも変化が生じてきます。昔に聞いた、五十年百年持つ家というのは、なにか特別の感じが有りましたが、粗製乱造の建売を別にして、実際はどの家も直し直し住めるものだったのです。この住宅団地も、ディベロッパーの建て売りはことごとく建て替えられていますが、住人が個人で建てた家は、外観の経年変化があるくらいで、しっかり建って堅固です。

 この歳になると、特別な病がなくとも余命について、考えてしまいます。一つ年をとりました。一年短くなったわけでもない、ゴールが見えたときは終わるマラソンなのかなと思って、走っているのです。ゴールどころか来年の誕生日さえ、確かなものとしての未来が思い画けていない。同窓会では、「また来年」と言って別れると思うが、近年、開会直後に幹事が、物故者の名簿を読み上げ、黙祷を捧げるようになってきており、ついに、最後にしようといった同窓会もある。実に確実に人生の終わりを生きているように思う

 

枯芒道なき道でありし頃

トンネルを抜ければ街の冬灯

年の暮百年短かしとぞ思ふ

十二月二日祝うて線香花火かな

人生の終わりに近き小春日に

物故者へ黙祷をまず忘年会

日記買ふまた来年の不確実       

紅葉は京都の北へ

紅葉は京都の北へ

        2023/11/28

        十河 智

 

 

 

 

 

 

 暇なので、やっぱり紅葉ということになり、今日は、京都の北の方、宝ヶ池まで行きました。辺りに京都プリンスホテル宝ヶ池があります。そこのロビーの喫茶で、池の鯉を見てゆっくりお茶をしました。鯉はよく育っていて、立派でした。元気があって、跳ねたりもしていました。周りに楓紅葉を配し、小ぢんまりときれいに作ってありました。少し強めの風が吹いて、池を波立たせ、木の葉を散らしていました。写真が多めになりました。

 

街路樹のまだ紅葉して川端通

枯葉舞ふ雀来たかと瞬きぬ

池辺(いけのへ)に窓の切り取る冬紅葉

時折に跳ね上がる鯉冬紅葉

凩の吹く日厭はず池の鯉  

紅葉狩りと近江牛の近江八幡へ

紅葉狩り近江牛近江八幡

          2023/11/19

          十河 智

 

 少し北へ行けば紅葉が早いかもしれずと、懲りずに紅葉で名高い、永源寺までドライブしました。しかし、永源寺でも紅葉は全くと言っていいほどまだでした。昨日は土曜日、有名なお寺なので、観光バスで団体などもたくさん来ていましたが、期待外れで、私たち以上に残念だったことだろうと、同情の念が湧きました。紅葉を念頭に置かなければ、川も樹木も周辺の近江平野もある、お寺も立派、観光地として、十分価値があると思うのですが、目的は紅葉のお寺、なので、がっかりでしょうね。

 寝屋川からは、高速にも乗る遠い距離なので、10時と早めに家を出て、お昼はサービスエリアのコンビニで、巻き寿司と飲物をコンビニ横のテーブルで簡単に済ませました。

 永源寺から、コロナ前にはときどき行っていた、レストランで食事ができ、精肉販売もする、近江八幡のカネ吉という近江牛の専門店で、久しぶりに、夕方の食事とお肉の買い物をしようと、目指しました。

 カネ吉は、コロッケもやっていて、それも必ず買って帰ります。ところが、行ってみると、店は閉まっていました。インターネットでは営業時間。レストランは、昼食時と夕食時の間に一旦店を閉じる様で、少し遅かったのだと、後でわかりました。今度は席を予約して行こうかと思います。そんなわけで、紅葉もまだ、近江牛にもありつけず、残念なドライブになりました。

 ただ月の出が早い時期だったようで、夕日が落ちる前に出た三日月が、くっきりと綺麗でした。

 家の近所のココスで、早めの夕食を取り、6時には帰りました。ココスも土曜日は、並ぶほど来ていました。

 どうにか一日を過ごせて、退屈はしていないなと、そんな気分です。なんか生産性もない年寄暮らしの話にもならないある日のことです。

 これからもこんな一日の積み重ねだと思います。

そうそう、今日は丁寧にお掃除をしました。掃除機も綺麗に集塵器の掃除をしました。

 それで気持ちが晴れた気がします。

 

草枯れて山は緑を残すまま

薄紅葉バス駆りてくる永源寺

秋の川赤き欄干ある小橋

こんにゃくと看板紅葉と旗あり

穭田の低き穂先や夕茜

目立ちたるたそがれ時の蔦紅葉

お目当ての近江牛店近江秋

 

龍田川、そして平群の道の駅、鶺鴒もいました。

龍田川、そして平群の道の駅、鶺鴒もいました。

         2023/11/16

         十河 智

       

 

 もう例年ならば紅葉の頃、今年は異常な暖かさで、紅葉も遅いと聞いてはいるが、紅葉の頃のは行きたくなる、龍田川の辺りへ行ってみようと、主人をけしかけて、出かけた。

 龍田川は、うちからすると、奈良の手前、生駒を越えれば、すぐである。三時出発でも、明るいうちに着く。桜の頃の佐保川と違って、疎らに訪れている人はいるが、特に飾り立てられることもなく、のんびり散策できる。

 案の定、薄く色づく山の端ではあったが、紅葉はまだまだ先のようだ。川縁は芒ももう枯れていて、気候と植生のアンバランスが痛痛しい感じがした。

 暫く来ないうちに、道筋のスーパーマーケットが、看板を掛け変えていた。新たな出店なのか、合併とかでの名称変更なのか。コロナ禍のあとには、いろんなことがあるので、そう驚くことではないのだが。

 帰り、少し早かったので、平群の道の駅にこれも数年ぶりに立ち寄った。ここに、この平群一体の花卉農家の多くが直売の花を持ち寄るので、わたしの生ける花の仕入先になっているのだが、コロナの数年は遠のいていた。今日は、花は買わず、まだ時短営業なのか食堂も閉まっていたので、自販機のコーヒーだけを買って、ベンチで休憩して、帰った。

 駐車場には、川近くらしく、鶺鴒が二羽来て、アスファルトの色に隠れ、白線の上に現れては、遊んでいた。暫く眺めて、楽しい気分にしてもらえた。

 夕方なので、外環状線が混んでいた。少しましになったとはいえ、まだまだアイスクリームを食べたいと思う人は多いらしく、今日はそれほど暑い日ではないのだが、沿道にあるサーティワンアイスクリームの店には並ぶ人たちがいた。

 まだ早かったのだが、ゆっくりすればいいかなと思い、帰りに一番近くのガスト大東店に入った。最近は食べる量が極端に減った。ガストなどのファミレスでは、夫婦で一人前でも文句を言われないが、一度京都の名店と言われるところで、そうしたところ、二人できたなら二人分頼めと叱られたことがある。そこにはそれ以来足が向かない。今日は、ポタージュスープ付きのカットステーキとご飯少なめを、二人分注文した。

 無駄なような一日だったが、出かけて気晴らしにはなった。

 紅葉の紅こそなかったが、秋はそこかしこで感じられた。暦の上ではもう冬、寒い冬は南国育ちには堪えるのだが、それでも真っ当に寒い冬であるほうが、安心できる。

 

 

冬に入るひときは高き皇帝ダリア

薄紅葉期待に沿はぬ竜田川

枯野ゆくいまだ背高泡立草

蔦紅葉スーパー看板変はりをり

県道の落葉掃かれてゐる途中

平群の野冬菜冬菊枯芒

寒鶺鴒駐車場には白き線

別別に鶺鴒遊ぶ冬の川

短日や午後五時半の外環状

冬並ぶサーティワンアイスクリーム

温かきガストのポタージュスープかな

      

 

 

歌代美遥さんの句集「ひらひらと」 を読ませていただきました。

歌代美遥さんの句集「ひらひらと」

を読ませていただきました。

        2023/11/14

        十河 智

 

 歌代美遥さんの句集、「ひらひらと」を、お贈りいただき、読ませていただきました。

 装丁の上品な色合い、優しい、光に包まれた明るさのある句集だと思いました。美遥さんのお人柄そのままの。

 実は、もっとお若い方と思っていました。1946年12月生まれの私とほぼ同じ年齢に少し驚いています。

 

 帯の一句、

 

 真四角の水のかたちや水中花

 

 真四角の水の形、にも懐かしさがあります。十代の頃か、それとももっと後だったか、そういえば、という心当たりがあるのです。流行りというか、私も、真四角の水の形の中に水中花をわくわくしながら広げて行ったことを思い出すのです。

 

 現在の心境としての一句

 

 夫より少し生きたし春の星

 

 この句も、泣きたくなるほど、私の気持ちと重なりました。もうこの年になると人生は平均値では語れない、現実味があります。幸せな二人の暮らしと相俟って、「一人の自由」への憧れも、少しはあるのです。

 

 

「初蝶の風」

 

 ゆく末を語り春菊茹でにけり

 青き踏む私の脚のまだ若く

 老いいゐても流行りを少し春の服

 鎌倉の山が支うる春の月

 本物になりたき造花遍路宿

 ふらここに一句の思考揺らしをり

 松毟鳥夫の病よ死よ来るな

 

 

「金魚玉」

 

 もう少し長さの欲しき祭髪

 赤四葩紫四葩紀尾井坂

 梅雨明けや座敷膨らむ笑ひ声

 

 

「月浮いて」

 

 がやがやと生き死に語る墓参かな

 ひらがなの案内の手紙敬老日

 

 

「寒紅梅」

 

 道なりに曲がれば冬の無言館

 紅侘助閉店の謝辞貼られけり

 逝く友や冬の牡丹の濡れしまま