句帖を拾ふ(2021年6月)

句帖を拾ふ(2021年6月)

 

        2021/07/01

 

        十河 智

 

1

[俳句大学 席題一句]

2021年6月第1週

 鰺(あじ) 「夏-動物」

 

行商のおばさんの出す今日の鰺

娘にと明石魚ん棚鰺を買い

新婚の散らばる鯵の鱗かな

 

[俳句大学 席題一句]

2021年6月第2週 

花菖蒲(はなしょうぶ) 「夏-植物」

 

野花菖蒲咲く池南アルプス

あれこれとこれまでの旅花菖蒲

菖蒲園周遊花に名の有りて

 

3

[俳句大学 席題一句]

2021年6月第3週   

蠅取(はへとり) 「夏-生活」

 

蝿取りぼんゆらゆら揺れる島食堂

蠅叩変はらぬ壁の待機場所

魚市場隅に貼りたる蝿取紙

隣り合ふ田畑のありて蝿取り器

蝿打に蝿の痺れる微電流

 

4

6月の、俳句大学【テーマで一句】

①「遊び」のジャンルに入るものを読み込む。 (例) 電車ごっこ、かくれんぼ、おにごっこ、あや取り、ゲームなど。遊びの道具でも可(めんこ、おはじき、ジャングルジムなど)。スポーツとされるものは不可。季語になっているものは不可。

蝋石の絵と喋る子や水を打つ

茂りより拾ふ小枝やけんけんぱ

 

 ②音に関する物でお願いします。【注意】音の文字が入って無くても良い物とします。

 

黒南風や聴こえにくきに字幕入れ

 

 ③猫をテーマとして、俳句を詠んで下さい。

ユーチューブグラビアの猫明け易し

壁に貼る猫のまつすぐ見つめ夏至

 

5

[俳句大学]

アスパラガス

asparagus

 

アスパラガス細きが芯の強きもの

a thin green asparagus;

a thing of having guts

アスパラガス皮をゆるりと剥きにけり

a green asparagus;

peeling slowly(06/02)  

 

6

[俳句大学]

梅雨

rainy season

 

雨またも亜熱帯的梅雨に入る

repeated subtropical downpour; 

rainy season in Japan 

倒木の残る山道梅雨の闇

darkness of the rainy season;

a mountain path where the fallen tree being left (06/06) 

 

[俳句大学]

走馬灯

revolving lantern 

 

亡き父のための読経や走馬灯

sutra recitation for my dead father;

revolving lantern 

座布団を隙間無く置き走馬灯

setting seat cushions in lines with no spaces;

revolving lantern (06/08)

 

 

 

 

家の50年、庭の50年

家の50年、庭の50年

        2021/06/04

        十河 智

 

 梅雨の朝、窓のカーテンを開けるのは、どきどきもする。雨が降っているか、これから降りそうか、それとも今日は梅雨の晴れ間か。空は梅雨曇で、じっとりした部屋の空気やカーテン越しの光の量では、わかりにくい。昨日は、朝は降っていなかったが、その後降り出して、今朝はだいぶ強い雨である。

 結婚の時に両方の親が建ててくれた、と言っても主人の親が就職のときに買った土地に、主人がローンを組んで建てた家であるが、まあ若い二人の意見は通らない。

 設計や内装、市の指定業者が施工すべき工事も、伝手から紹介してもらい、義父が仕切っていた。基礎工事は、大阪で、そういう仕事をしている、「大企業の本社の基礎もやった。」が自慢の、私の従兄弟に、父が頼んだ。大工と左官は、材木屋をしている義父が、田舎の付き合いのある人を連れて来て、掘っ建て小屋に寝泊まりさせて、家を建てた。大工が、設計図に従って、組み立てるまでに準備ができた材木を運んできて、ここで組み立てた。半年くらい行き来していたと思う。

 主人に言わせれば、余りもの(義父は息子のために置いていたという。)を、跡取りの義弟にせっせとトラックで運ばせた。

 私は、鳴門で仕事をしていて、土曜日もまだ休みではなかった。結婚前の逢瀬は大体が今の自宅での日曜日のお昼の食事の支度、キャンプみたいで楽しくはあったが。フェリーと電車を乗り継いでの日帰りであった。

 そんなややこしい家も、建築確認まで無事に終わり、結婚後、住んでみると、洗濯物干し場がなかった。竹竿売が来たので竿を2本買い、ベランダにの柱に荷作紐で縛りつけて、5年くらい使った。パートに出始めた頃、雨が降っても困らないようにサンルームを増築、そこが物干し場ということにした。

 庭の木は、メインの松は、鬼無という植木の産地で松を3本買って、植木屋に移植させた。やはり両方の家の父親が、自分の知り合いから分けてもらった、果樹や雑木の苗を植えに来た。住宅地の端で、造成地なので矩があり庭は広い。柿、八朔、ゆず、ユスラウメ、梅、南天、山吹、沈丁花、樫、槇、カイヅカイブキ、椿、山茶花

 私達も枚方によく立っていた植木市でたまに苗を買ってきて植えた。すもも、白木蓮木瓜

 クチナシと皐月は造成の石垣を飾っていた。

 実が生り始めると、鳥が来、虫も寄ってきた。それらが持ってくる木もあった。蘇鉄、櫟。欅、榎も生えてくるが、大木になると往生するので見つけたら抜いている。

 そして草花は、私が隙間に植えた。花屋で買ったり、貰ったり、生花のあと挿し木、挿し芽をしたり。柳、紫陽花各種、杜鵑、蕗、スギナ(つくし)、野茨、カンナ、どくだみ、ムラサキツユクサ、庭石菖、茗荷、じゃがいも。ただこれらは植木屋に雑草としてあえなく引き抜かれることもよくあった。頼んだ出入りの植木屋は松でいくらというほど松が大事。下草は見えない人だった。

 子供と遊びに行ったあやめ花菖蒲園で、花菖蒲を予約、3ヶ月後に取りに行くというのをやっていて、花菖蒲を買った。漬物樽に泥地を作り、そこで育てた。

 長い間には、大病もした。主人は土、草、虫が嫌い。私が草抜きができなくなると、親切を装って、前栽と矩、あと少しの土の部分を残し、私の入院中に芝生と石のタイルで平地の半々を敷き詰め、小さな池も作っていた。「病後に楽なように。」と自慢げに言っていた。草抜きは確かに楽だし、視界に入らないので矩は生え放題にしておいて問題ない。しかしこの温暖化の時代、石のタイルの夏の照り返しは尋常でないくらいである。

 その池には、漬物樽ごと花菖蒲を入れ、病後しばらく通院していた時、バス停近くの花屋で見つけた睡蓮の苗を沈めた。その頃まだ多かった田んぼの水路で毎年芹を取っていたが、その根も花菖蒲の脇に植えておいた。

 もうそこからでも、40年くらいになる。道路が整備されたり、市街地に区分が変わり、住宅地になってしまった。芹は何処にも生えなくなり、池で代を継いでいる。花菖蒲も睡蓮も毎年花が咲く。住み始めたときに植えた実の成る木は、柿と梅以外は全て木の一生を終えていった。李は桜と同様で大きく枝を広げていたが、一昨年崩れるように倒れた。その後がポッカリと寂しかった。そこにこの頃流行りのフェイジョアを植えてもらった。もう大きくなった木だったので、今年初めて花が咲いた。すももとは違うので、まだ慣れない。ミカン類で残っているのは金柑のみ。もう収穫できないので、鳥の食べ放題。今頃が甘くなるのかよくヒヨドリが来る。


f:id:haikusumomochan:20210604100824j:image


f:id:haikusumomochan:20210604104238j:image

f:id:haikusumomochan:20210604104452j:image

f:id:haikusumomochan:20210604104526j:image


f:id:haikusumomochan:20210604104654j:image

f:id:haikusumomochan:20210604104728j:image

f:id:haikusumomochan:20210604104751j:image

f:id:haikusumomochan:20210604104825j:image

f:id:haikusumomochan:20210604104901j:image


f:id:haikusumomochan:20210604104939j:image

f:id:haikusumomochan:20210604105008j:image

梅雨菌すもも大樹の崩れけり

フェイジョアの花開く朝喫驚す

片隅に残し置きたる母子草

朝の陽に光り返してスベリヒユ

どくだみの花群生の幾何模様

ムラサキツユクサ既に花閉づ午前九時

毎年の呟きこれは花菖蒲

山田池花菖蒲園娘は三歳

大病の快癒記念や睡蓮は

病院帰途花屋の甕に咲く睡蓮

夏の鵯金柑残り少なきに

        

句帖を拾ふ(2021年5月)

句帖を拾ふ(2021年5月)

        2021/06/01

        十河 智

 

1

 

「俳句大学」

〜席題で一句〜 

5月 第1週 

席題=茶摘(ちゃつみ《ちやつみ》)「春―生活」

静岡の艶めく茶山今ごろは

茶園より注文時期と手紙来る

茶畑の真ん中若き娘たち

 

2

「俳句大学」

〜席題で一句〜   

5月 第2週 

席題=蜘蛛(くも)

「夏―動物」

 

蜘蛛の糸最強と人が知り

蜘蛛の巣を纏ひて納屋を出できたる

女郎蜘蛛獲物は後でゆつくりと

 

3

ヒヤシンス

hyacinth

 

ヒヤシンス保ちてソーシャルディスタンス

hyacinthes ;

social distances to be kept

ヒヤシンス水栽培の根の記憶

hyacinthes ;

recollections of the roots of hydroponics

 

4

スイトピーsweetpea

 

スイトピー子はすやすやと乳母車

sweetpea ;

a baby carriage with a little girl sleeping peacefully

スイトピー添へ賑やかに華やかに

lively and gorgeously ;

adding sweetpeas to the flower arrangement

 

5

躑蠋

azalea

 

躑躅花嫁衣装に選ぶ白

white azalea ;

white, a selected color of the wedding dress

躑躅咲く土手には走る人ばかり

the azaleas bloom ; nobody on the bank but running people

 

6

wisteria

 

私だけの物干し場より愛でる藤

the wisteria I alone enjoy ;

from my clothes−drying area 

竹林や大き自然の藤の棚

wisteria along a big natural trellis ;

bamboo forest

 

7

チューリップ

tulip

 

チューリップ赤白黄の同心円

tulips ;

concentric circles of red, white and yellow colors 

子供らと話したがりのチューリップ

tulips ;

loving to talk with children

 

8

金鳳花

buttercup

 

金鳳花高野山下り五條まで

coming down Mt. Koya to Gojo City ;

buttercups

金鳳花京街道は古き道

buttercups ;

the Kyo Highway is a historic road 

 

9

牡丹の芽

bud of peony

 

牡丹の芽薬草園の古木かな

buds of peony ;

the old tree at the medical herb garden

この辺に確かあるはず牡丹の芽

sure to be in the ground around here ;

a bud of peony 

 

10

thistle

 

ちくちくと胸に抱きたる薊かな

holding thistles in my arms ;

prickly to my chest 

今もなほかの女(ひと)思ひ挿す薊

still thinking of the woman ;

the time to arrange thistles in a vase

 

11

燕の子

small swallow 

 

燕の子ちよこんちよこんと電線に

small swallows in even space ;

lightly and softly on an electric wire

山裾の道の駅なり燕の子

a road service station on the foot of a mountain;

small swallows 

 

12

mackerel 

 

鯖の道遥遥日本海の鯖

all the mackerel way;

the mackerels in the Japan Sea  

アレルギー出てよりうまき鯖なれど

no mackerels since having had allergic reactions;

how tempting this mackerel looks  

 

13

玉虫

jewel beetle 

 

玉虫の煌めき蜜柑成らぬ木に

the glitter of a jewel beetle;

an orange tree boring no fruit 

玉虫や永久の煌めき見する厨子

jewel beetle;

showing an eternal iridescence on a miniature house of Budda 

 

14

青りんご

green apple

 

青りんごあの酸っぱさを懐かしむ

green apple;

missing that taste of sourness 

甘きもの好む時代や青りんご

an age of people being fond of sweetness;

green apples 

 

15

夏草

summer grass 

 

夏草や庭ある家に梃擦りぬ

summer grasses growing rampant;

the house with a garden  

夏草や評判のよきレストラン

summer grasses;

a restaurant of a good reputation  

 

16

走馬灯

revolving lantern 

 

亡き父のための読経や走馬灯

sutra recitation for my dead father;

revolving lantern 

座布団を隙間無く置き走馬灯

setting seat cushions in lines with no spaces;

revolving lantern 

 

17

夕顔

bottle gourd

 

ゆうがおの花夕闇に静かなる

flowers of bottle gourd;

still and silent in dusk 

夕顔の花や源氏の君の腕

flowers of bottle gourd;

on the arm of Hikaru Genji 

 

18

アスパラガス

asparagus

 

アスパラガス細きが芯の強きもの

a thin green asparagus;

a thing of having guts

アスパラガス皮をゆるりと剥きにけり

a green asparagus;

peeling slowly  

 

19

梅雨

rainy season

 

亜熱帯的豪雨ばかりや梅雨に入る

repeated subtropical downpour; 

rainy season in Japan 

倒木の残る山道梅雨の闇

darkness of the rainy season;

a mountain path where the fallen tree being left  

 

20

「俳句大学」

〜席題で一句〜   

5月第3週 

席題=卯波(うなみ)

「夏-地理」の季語

 

卯波あり綿雲ありて富士の山

一冊を読み切りにけり卯月波

卯波立つ島より帰る舟の上

赤白の灯台を抜け卯浪かな

卯月波長き鳴門の防波堤

 

21

「俳句大学」

2021年5月第4週 

「テーマで一句」

①「時計」

扇風機接種会場午後の2時 

四分の接種行程梅雨湿り 

②「田園風景を詠み込んだ一句」

琵琶湖よりまた琵琶湖へと代田水 

玉葱の畑が続く土讃線 

③「擬音語、または擬態語を入れた俳句」

ぐしやぐしやと蜘蛛の囲丸め家主ごと 

 

22

「俳句大学」

〜席題で一句〜

第5週

席題=麦の秋(むぎのあき) 

「夏-時候」の季語 5句

麦秋の讃岐平野に戻りけ

麦の秋さぬきの夢はうどん粉に

麦の秋少し遠出の近江かな

祖母の立つ姿見返る麦の秋

麦秋や一人で暮らし二月め

 

23

「俳句大学」

写真で一句「コロナ撲滅特別企画!」第8弾開催❗️

梅雨もコロナも吹き飛ばせ!

 

あじさいの雨に雫や肩寄せぬ

梅雨湿り気晴らしに出むお洒落着で

傘も服もピンクのデートさつき咲く

 

24

サロン ケ・セラ・セラ(坂本大吉)

 

写真で3句。

 

紅白のやはりめでたき躑躅かな  智

毎年の呟きこれは花菖蒲 智

額紫陽花至高の色に濡れにけり 智

うちにやってきた本たち  5

うちにやってきた本たち 

        2021/05/29

        十河 智

 

5 俳人前田霧人の「新歳時記通信」

   第12号 2021年4月


f:id:haikusumomochan:20210529120223j:image


f:id:haikusumomochan:20210529120159j:image


f:id:haikusumomochan:20210529120121j:image

 

 高校時代の同窓のよしみ、俳句をする者同士として、刊行すれば送ってくれる本である。

 

 彼とは、高校も男子組というクラスが何組かあって、また、大学も同窓であったが、理学部と薬学部で、その頃は交流がなかった。40歳かの記念の高校学年同窓会で、出会い、俳句をしていること、俳句に関する本を書いていることを知ったのが付き合いの最初である。

 その後は毎年の定例化した同窓会で合うたびに俳句の話をし、関西現代俳句協会の会合でも、顔を合わす様になった。

 その頃は、代表句「しんしんと肺碧きまで海の旅」の篠原鳳作については、ある結社誌に連載をしていて、後に出版もした。

 その後の仕事として、歳時記を成す事をライフワークにしたようだ。一里塚のように、これまでも中間の成果がまとまると、読ませてくれていた。

 

 「新歳時記通信」 

  第12号 

   2021年4月

 

 この本は、今までの成果の単行本版の各論編、第一部という位置づけのようで、これ自体のボリュームから考えると、単行本版というのはどれほど膨大なものとなるのだろうか。

 前田君が後記に記す、工程表ではあと5年かかるとしている、壮大な仕事である。

 彼のリサーチ力はすごいと思う。例句には、つい最近読んだ句集や、フェイスブックなどで知った俳人たちの句が入っている。角川の歳時記よりも親近感が湧く。現代、生きている時代を感じて読んでいる。

 彼も私も、長生きをして、ぜひともこの歳時記が成書として日の目を見るところを見たいと思う。 

 

 通読後は、たまに拾い読みする歳時記。この本も、そんな本の一つになろう。引用の句は新しい。

 

 まずは、好きな季語を捲ってみたい。

 

 前田君の努力を思いつつ、長く座右に置いて参考にしたい。

うちにやってきた本たち 4

うちにやってきた本たち

        2021/05/29

        十河 智

 

4 句会で一括購入した虚子の本

「進むべき俳句の道」

 著者:高浜虚子
角川ソフィア文庫

 


f:id:haikusumomochan:20210529115647j:image


f:id:haikusumomochan:20210529115835j:image

 

 この本の解説を、
俳人のキャラクターと句風の関係の面白さ」と題して、私が属する3つの「ゆう」の流れを汲む句会の選をしてくださっている岸本尚毅さんが書いておられる。そんなことから、2つの句会でまとめて買うことにしたのだ。2冊になれば、どなたかに差し上げてもと、思っていたのだが、一か所だけで、もう一か所は在庫がなくて手に入らないといってきた。好評な本のようだ。まあ、私としてはダブらなくてよかったのだが。

 前に読んだ「俳句の五十年」も、同じルートで家にやってきたが、高浜虚子が最晩年に自分の俳句人生を回想、口述したものを起こした本で、これも、岸本尚毅さんが解説していた。これは2冊になったので、作らないが俳句が好きという友人にあげた。この本も、とてもおもしろかった。虚子の、話し言葉で語られる思い出話の雰囲気が忘れられないでいる。

 話を戻そう。

「進むべき俳句の道」

 ホトトギス雑詠欄
から作家を選び、論評することで、これらの句によって、暗示されている筈の、我等(と虚子は書いている。)の進むべき新しい道を、探ろう、というのである。
 虚子は、選者によってその道が唯一つ、一本道に定まるようなものでもない、という。
「作った人は、同一人で無いのだから、仔細にそれを調べていったならば、その各作家にはそれぞれの特色があって、一見似寄ったような句と見えたものにも、争うことのできぬ異色を認めるようになる。」
「雑詠は雑詠という一団としてはある一つの方向に進み来ったものともいえるのであるが、その中にある分子分子は各々異なった本来の性質を持ってそれぞれ歩趨を異にしているのである。」
「この雑詠評では、こういう方向もある、ああいう方向もある。こんな道もある。あんな道もある。というふうになるべく種々雑多の違った道を指定してみようと思う。」
「諸君の進み来った道は諸君の進むべき道である。」 

 虚子のこのような考え方が、この本には貫かれていると思うと、嬉しくなる。なんと柔軟な指導者なのかと、目を覚まされる思いであった。ここに挙げられた32人の作家にはそれぞれの諸君の道がある、それを私、虚子が、読み解いて探してみようではないか、というのである。

 時代が明治から大正の作家たちなので、よく知っているという人はいない。聞いたことがある程度の人も、そう多くはない。しかし解説で、岸本尚毅さんも、「本書は読み物として抜群に面白い。」と書いている。まだ拾い読みをした程度であるが、俳句の言葉選びに見える人柄など、捉え方が独特で、俳句をどういうふうに感じ取って読み込むかということも教えてもらえそうである。 
 私のように、良い俳句の読み手となりたい人間には、とても良い指南書であると思う。時間をかけて、ゆっくりと、読んでいこうと思っている。

 帯にも、「愛溢れる名俳論」と言っている、そういう言葉で表されるこれはとても魅力ある本である。虚子の心を感じる本である。

うちにやってきた本たち 3

うちにやってきた本たち

 

3 大学の薬学部の同窓生の間で回ってきたもの。

 

生化学教室出身の人から、先輩の研究の総まとめの本として、うまく纏まっているからと。

 

「記憶と学習を支える分子

カムキナーゼIIの発見 基礎研究の方法と魅力」

 

 著者:山内卓

 


f:id:haikusumomochan:20210527211652j:image


f:id:haikusumomochan:20210527211613j:image



f:id:haikusumomochan:20210527211848j:image


f:id:haikusumomochan:20210527211914j:image


 

大学の生化学教室の先輩の先生が、一つの神経伝達物質の発見の経緯を書かれた本、この教室の人で同学年の友人が、この川柳をしている友人に送ってきたという。この2人は生化学系の教室の人。

 「難しかったのですが、読んでみて楽しかった。」

 専門の違う分析系の私は読みきれるだろうか。

 

 著者がアメリカ留学から帰国後、新設の旭川医科大学へ赴任、研究室の整備、研究目標の設定から始まって、成果を得るまでの地方大学の一研究室の道程を、後に続く研究者に大筋理解ができるよう配慮して、かなり丁寧に実験のデータまで示して、説明している。

 新設医科大学の創設から10年余りの期間の成果であり、神経科学の黎明期に行われた昭和の記録、21世紀の脳の時代を先取りする研究と、「はじめに」の中で述べている。

 生化学関連の講義・実習を受けた学生・大学院生・若手研究者が理解できるように、実験や同定、酵素活性の測定について、詳細過ぎる程の測定条件や反応液の組成を参考資料等で明示している。

 この本を表すに当たって、著者の目は常に、現在の若い研究者に向けられていて、わかりやすく、しかも、新たな現代的な研究テーマの設定を促すように、経験談の中から、随所にヒントを散りばめている。

 

 「今、令和の時代に振り返る昭和、そして、新型コロナウイルス感染症パンデミック下での、基礎研究の必要性が認識されており、生命科学の基礎研究も注目されている。」

 「この研究はおよそ40年前のものであるが、基礎研究における実験計画を立案し、それを遂行するために最適な条件を整えるという考え方は共通するところがあると思われる。何人もの研究者がなにか新しい分子があると思いながらもカムキナーゼⅡのように単離できずに発見されなかった分子が、一度論文が発表されるとそれに気付き、多くの研究者が参加してさらに広い範囲で研究が発展することがある。」

 

 この本に紹介されている研究は、まさにその出発点の研究だった。私は、研究とは無関係の門外漢だが、大学で受けた初歩的な薬理・生化学の授業の中で、極めて初期の研究成果として、神経伝達物質カテコールアミンがあると教わったとき、付け足しのように、その生合成に関わる物質が分離されたが、まだ同定されていないと聞いた。今思えば、この本で述べられている研究が、端緒についたばかりの頃だったのだ。学生の実験の指導は、大学院生だったこの研究の参加者たちもいただろう。まだ方向性も定まらぬ頃でも、薬理学の教授は、何らかの明るい見通しを持って、学部の授業でも披露したのだと思う。

 私が大学卒業後、すなわち著者らが旭川医科大学に新研究室を構える頃から、分子薬理学、分子生化学の分野は著しく発展し、社会人となった私も、その発展した成果を後追いしつつ勉強しなくては、新規に開発され発売される医薬品について理解することが難しい状況で、成書を求めては読んでいた時期でもある。

 この分野の彼らの研究の成果は、時期を少しずらすが、私達が使う医薬品の開発に応用され、新規医薬品による治療が開始されたり、製造工程の改善により、医薬品の収量増大や安定性の確保に繋がっていく。そのことを、末端の薬業界に棲む社会人として、見続けてきて、今日に至る。

 東京化学同人の「代謝マップ」、大学卒業後すぐに買ったときは、図の一つ一つは見やすく、すかすかだった。だが、時代が変わったなとその後2回買い替えたが、その度に、全巻のボリュームが膨れ上がり、1頁に書かれる図の矢印が増えており、複雑になっていく。この矢印とその先にある物質それぞれが、この本のような研究がなされた結果だと思うと、人の営みの底深さを思う。

 2021年3月1日発行、発行されてまだ日が浅いこの本を読むことができ、私自身も人生を振り返る機会になった。巡り巡って私が出会うことができた縁に感謝したい。

うちにやってきた本たち 1、2

うちにやってきた本たち

        2021/05/15

        十河 智

 

 大阪に住んで、企業広告のデザインをしている姪が、緊急事態宣言で退屈だろうと、読み終わった本を送ってくれた。

 

①「幸福を見つめるコピー」

   岩崎俊一著


f:id:haikusumomochan:20210509190233j:image


f:id:haikusumomochan:20210509190308j:image

 

岩崎俊一さんは、私達がとてもよく知っているコマーシャルを手掛けたコピーライターであるとこの本を読んで知った。

 

あとがきに、「博士の愛した数式小川洋子著からの引用を踏まえて、コピーの書き方についての考えを述べている。

「コピーは作るものではない。みつけるものだ。」と。

 この空中のそこここに、人知れずひっそりと浮遊している「ほんとうのことたち」を、ひょいとつかまえ、誰の心にも入りやすいカタチにして人の前に提示する。

 なにか俳句の極意も教わった気がしたから不思議だ。

 岩崎さんは1947年生まれ、ひとつ下の同世代。この本に載っているほとんどすべてのコピーを見たり聞いたことがある。広告主を見て、記憶が戻ってくる。すごい人なのだ。

 

「やがて、いのちに変わるもの。」

 

「ジャムなのに、果実。」

 

「英語を話せると、10億人と話せる。」

 

「新宿、渋谷、池袋。日本が世界に誇る迷路である。」

 

「電気があれば、本を読む夜が生まれる。」

 

 

エッセイも面白かった。

 

「消えた娘」

娘が迷子になって、探し回るときの緊迫感、恐怖心、実は私達夫婦にも同様の体験があって、その時を再現したような展開にドキドキしながら読んだ。

 

「父親失格」

 娘さんたちの父親像が、自分の評価する父親やっている感からだいぶ下にあることを考察。コピーに出した父親像に、「よっく言うよ。」と返してきたという話。ここは父親に味方したい。親は仕事中も子を思っている。子供は成長するのに忙しい。

 

面白かった。楽しい本だった。

 

②「IKUNAS」


f:id:haikusumomochan:20210509190335j:image

 

私の故郷、香川県、讃岐の名物、伝統の銘品、行事、イベントを紹介する雑誌の様だ。

 懐かしい昔を感じさせる今を見せてくれている。

 

 

 大学の薬学部の同窓生の間で回ってきたもの。

「家族の歌」

 著者:

  河野裕子

  永田和宏

  その家族


f:id:haikusumomochan:20210513205437j:image

 

f:id:haikusumomochan:20210513205458j:image

 

 この本の直接の送り主は川柳をやっている人。もともとの発信元の人は、永田和宏さんが主宰の短歌会の設立当時からの会員。

 私も、NHKの短歌講座の講師をご夫妻お二人ともなさっていて、知っていたので、読んで見たいと思っていた本でした。

 産経新聞への家族のリレー連載が土台になっているこの本の執筆の時期は、河野裕子さんの最後の日々と重なっているという。その辺の事情と家族の心情は永田和宏さんの「まえがき」に書かれている。

 「この連載は、河野の最後の時間を家族全員が共有する、それも濃密な時間地して共有するという機会を与えてくれた。」

 永田和宏さんは生化学者らしく、成り行きを淡々と受け止める。死を間近に感じながらも、生きていることを大切に思う。その時々、家族であるがゆえの心配悲しみ。この本には、家族であることのあたたかさが、家族であってよかったという思いが、満ちている。連載を始めようといった河野裕子さんに感謝したいと述べている。

 「お茶にしようか」、と言いながら気軽に交わした団欒の記録に、つきあっていただきたいという。

 永井和宏さんの言葉の通り、少し深刻な最後のときは、さすがに緊張があったが、歌を鑑賞し、温かい家族のつながるエッセイを気軽に読ませていただいた。

 

 

河野裕子の最後の歌》

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子

 死の前日に、永田さんが口述を書き取ったものだという。

 「うん、もうこれでいい」が最後の言葉だそうだ。

 

もう一首、口述筆記の歌がある。

 

あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき 河野裕子

 病で死期にある人のこんなに鮮明な思いの丈を聞いたことがなかった。力尽きてゆくのに抗いようがなく、思いはじれったさが募るばかり、歌にできたことへの満足、これらの歌は、歌人河野裕子が最後まで生きていた証となった。「うん、もうこれでいい」という言葉は、歌人として生ききったという別れの言葉であると、永田さんは言う。

 

《夫・永田和宏の挽歌》

あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない 永田和宏

 家庭ではそれぞれに椅子や座が決まってあるものだ。そこにいないということ、永遠に戻らないということ、ましてや、明るく屈託のない笑顔。

 笑顔は河野裕子さんのいつもであったようだ。

 

お母さん笑ってゐるよと紅が言ふ笑っておいでとまた髪を撫づ 永田和宏

 お葬式のお通夜のとき、裕子さんが息を引き取って、家族の何かがはっきりと変わったと言う。裕子さんは子どもたちにお父さんを託し、子どもたちのさりげない心配りに、私は、親という役割から解放され、老後よ言う言葉が実感された、それをまんざら悪くない気がするという。

 

遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり 河野裕子

 

 歌をいつでも書けるように、三菱ユニの2Bの鉛筆を棺に入れたという。

 

いつまでも私はあなたのお母さんご飯を炊いてふとんを干して 河野裕子

 この歌は娘の紅さんの歌を紹介するこの本の最初に挙げられている。

歌なら本音が言えるから。

乳癌再発がわかったあとの紅さんの歌を紹介して、この家族で綴る歌とエッセイの最初のタイトルである。

 

もっとながい時間があると思いいきいつだって母は生きていたのだから 永田紅

 裕子さんもこの歌を切なく感じたと書いている。優しい心配りのできる娘の、歌に出る心の深みを思ったのだ。歌には、日常のコミュニケーションを超える力があるとも。 

 歌に変わるものを普通の家庭で持てるだろうか。歌という手立てを持って、コミュニケーションを取れた、なんと幸福なことかと、この本を読んでいて、そう思った。書いたものは残り、あとからも蘇る。

 

君に届きし最後の声となりしことこののち長くわれを救はむ 永田和宏

 最後に裕子さんに叫んだ言葉は覚えていない。が、その声に応じるかのように、優子さんがもう一度だけ息を吸ってくれた。和宏さんは、裕子さんの精いっぱいのいたわりだったと感じて、この歌を詠んだ。気持ちのままに散文でも書いておられるが、一首の歌2全て込められているように思う。

 

この本の家族リレーという側面から、ここで、好きな家族の歌を一首ずつ、紹介しておこう。()でその歌のエッセイを要約した。

 

「六十兆の細胞よりなる君たち」と呼びかけて午後の講義を始む 永田和宏

(細胞が専門の大学教授が、小学校5年生に細胞の授業をしたという話。わかるというより、興味が湧けば、成功と言っている。)

 

茄子紺に漬かりし茄子のうまかりき母に及ばねど糠床まぜる 河野裕子

(家事のじょうずな河野裕子さん、そのお母さんに教わった糠床のエピソード)

 

海ほたる波の辺(へつり)を青く染む甲殻類とは知らず見ていき 永田淳

(作者は出版社を立ち上げる前は釣り雑誌の記者だった。絶海の孤島で何日も取材したときの星空と波と海ほたる、もう一度見たいと思っているがはたせないでいると。港に戻り銭湯に行って、心の底からやっと帰ってきたと思ったという、そういう話。)

 

親もまた楽しかりけむあと何年信じてくれるかなどとおもいつつ 永田紅

(小さい頃にもらったサンタクロースのプレゼント、お裁縫箱、今も使っていると言う話)

 

鵙には鵙語 朝朝を鳴き合いて四歳児くらい二年生くらい 植田裕子

(永田淳さんの奥様。こども4人。

 子どもたちのことわざ談義から、これからどんな言葉に出会うだろうと思っていると、口喧嘩に発展していたという話。)

 

 

② 永田和宏河野裕子夫妻のエッセイ

 

この本も、直接の送り主は川柳をやっている人。もともとの発信元の人は、永田和宏さんが主宰の短歌会の設立当時からの会員。

 

 

「京都うた紀行」

   著者:永田和宏 

      河野裕子 

 

 京都新聞に連載、その後、京都新聞出版センターより出された本である。

 ご夫妻で、京都近郊の近現代の歌枕を訪ねられた。


f:id:haikusumomochan:20210517041317j:image

f:id:haikusumomochan:20210517041340j:image


f:id:haikusumomochan:20210517041408j:image


f:id:haikusumomochan:20210517042332j:image

 

 この紀行中の2年間は前に紹介した本、「家族の歌」と同じ時期、河野裕子さんは、乳がんの再発で、化学療法の過酷さと向き合っていた。この仕事を決めたあと、再発がわかったそうで、最後の打ち上げの対談を終えてまもなく、河野裕子さんは旅立たれた、と永田和宏さんは書かれている。お二人ともに「最後に一緒に時間を共有したい。」そういう思いで、取材していたと、この対談で打ち明けあった、とも書かれている。

 そういう事情を裏に秘めながら、この本は、普通に、京都の各所を散策している。歌人の選択する現代の歌枕は、意外性があって、面白い。

 縁あって、京都の街に慣れ親しむ私も、さながらともに歩くかのように、元歌の時代と、今とを、二人の歌人とともに往来する。元歌の作者と土地との繋がり、歌の由来であったり、コラムの筆者の思い出や縁であったり、地名にまつわる話や、土地そのものの歴史や風物、コラムの中身の行きどころは一定しておらず、それが、かえっておもしろい。結びとしての永田和宏河野裕子の歌がとても印象深く、歌枕を私の脳裏に焼き付ける。

例えば、最初の土地は、

珠数屋町

 ーー京都市下京区

     河野裕子

 

しら珠の珠数屋町とはいづかたぞ中京こえて人に問はまし

  山川登美子

 

 文章は、山川登美子の概略の紹介、京都逗留の事情などに言及し、歌を解説する。

「『しら珠』とは、真珠のことであるが、この歌ではむしろ枕詞のような不思議な美しさと調べの良さとして働いていて、絶妙な言葉選びだと思う。『珠数屋町』『中京』といういかにも京都らしいしっとりとした音感が醸し出すこの歌の風情。『人に問はまし』は誰かに聞いてみようかしら、という心のたゆたいが慎ましくも華やいだ気分をうまく引き出している。登美子の代表作の一首といっていい歌だと思う。」

 そして珠数屋町、実際に歩いて書いた文章である。それがわかる。

 珠数屋町は、昭和40年9世帯45人とささやかで狭い町になっても、町名が残っている。京都ならではのことと記す。

 「登美子はなぜ珠数屋町まで行ったのだろう」

 河野裕子が、登美子の結核罹患と短命をいい、数珠を買いに行ったのだろうか、と推測する。

(このとき、河野さんは乳がん再発をすでに知っていたかどうかは定かではないが、この後の経過を思うと、読者としては切なく、悲しい。)

 

 登美子の歌は残り、生家は山川登美子記念館になり、記念短歌大会も開催されていると、結んでいる。

 

珠数屋町じゆずやまちとぞ超えにきゆくここち 

     河野裕子

 

 このように軽快だが丁寧な文章で、二人で50回、つまり50か所京都・滋賀の歌に詠まれた場所を探訪している。

 回してくれた本なので、いずれ返すか、他に回してあげるのが筋なのだが、できるだけそばに置いておきたい本である。