句帖を拾ふ(2020年10月)

句帖を拾ふ(2020年10月) 

          2020/11/01

          十河 智

席題2020年10月第一週

「秋高し」

大木の切り株となり秋高し

ぴーひよろと鳥鳴き行けり秋高し

秋高し回収に出す五百冊

 

席題2020年10月第二週

「萩」

前栽を萩埋め尽くしこぼしたる

萩の寺出町柳を川沿ひに

括り萩お堂へ向かふ石畳

 

ブンゲンストウヒホプシーひときはの銀色ひかる 十河 智

 

silvery leaves shine outstandingly ;

Blue spruce SOGO Tomoko

 

宇治市植物公園で、入園前に、銀色に輝く木を見ました。ネットで木の名前を調べると、杉ではなく、松の一種だという。私の見た木を移した画像も見つけた。やはり目を引くようだ。

 

10月第3週

〜席題で一句〜

夏雲システムを利用した、合評句会

基本季語  蟋蟀(こおろぎ《こほろぎ》)「秋-動物」の季語

 

5句

地下道に一人東京こおろぎと

つづれさせインターネット句会の選

蟋蟀の鳴く叢をやり過ごす

星見る目ちちろ聴く耳感極む

蟋蟀や築五十年の家の庭

 

このごろFBで亡くなられる人のことを聞きます。

FBでのかすかなお付き合いしかない方でも、毎日俳句や言葉を読まして頂いていると、辛いものがあリますね。

 

お互いに気分も高揚させて、元気にいるようにしましょうね。

 

毎日の言葉が止みぬ落葉して

元の木も朽ちてある報秋入日 

 

10月第4週   

テーマで一句  

1.テーマ:「空港」

空港は今まだ疎ら栗羊羹

2.文字:「対」

対角に座る卓なり新走り

3-1.上五の頭文字:あ

朝遅く起きる小春日真中なり

3-2.中七の頭文字=『わ』

冷やかやワープロで打つ文字の列

 

万年青の実自慢げに抱く植木鉢

 

 

「カズオ・イシグロ」 〈日本〉と〈イギリス〉の間から 、荘中孝之著(春風社) を読みました。

カズオ・イシグロ
〈日本〉と〈イギリス〉の間から
  荘中孝之著(春風社
  を読みました。

           2020/10/28

           十河 智

 

 [もう持ち歩き回って、本がグダグダになるほど読み終わるまでに長くかかった。]

 

1 
カズオ・イシグロのこと、その作品のこと

 日本人としての度合は、遺伝子を持っている、5歳まで長崎で祖父母との思い出がある。
 実際の彼は、育ったのはすべて英語。小説家になる為のコースで、学んだスキルを持って小説を書いている。
 英語で書かれた彼の文章に欧米人は日本的な物を見つけ、日本の読者や翻訳家はその日本的なものに違和感を抱く。
 元の本を読まずに解説を読むのは冒険、何も知らなかった時より、この本を読んでからのほうが、カズオ・イシグロが、遠くに行った感じがある。難解なテーマがある、文体にも凝った、翻訳者泣かせの大作ばかりのようである。彼にとって、見失った血流、5歳限りの日本では育たなかったかもわからない日本人としての素質、日本を異郷と思うまでには日本を突き放せず、ほぼイギリス人として教育された彼が、原点へ回帰したい微かな思いを秘めて、幻の故郷、祖父母、5歳までの自分を作品の中へ鏤める。その覚めた眼で、人や、社会、世界を見つめ問題を提起する小説を書く。
 大方の研究者や解説者が、彼は日系ではあるが、イギリス的イギリス人、正統的イギリス文学の系譜に連なる本格的英国作家と認識しているようだ。
 イシグロの作品には、作品にあった長崎が、作家の意図する線に沿って描かれているといい、その現実と虚構、あるいは現在と過去のあわいにこそ、小説家としての彼の力量が発揮されていると、この著者は書く。

 あとがきを引用すると、

 「日本」と「イギリス」の間を揺れ動きながら、双方に対する愛着を抱きつつも、そのどちらでもない立場から両者を相対化している。さらにこのイシグロの独特の位置が、あらゆる対象と一定の距離を保ちながら、それらを冷徹に、そして客観的に観察するという態度を生み出し、またそれが特定の価値観だけを支持しないという作品の倫理観とも結びついているように思われる。

ここに全てが集約されているのだろう。
 
この解説書を読んでいて、私はイシグロの作品を想像しつつ、嘗て好きでのめり込みつつも、とても読むのに苦労したカフカを思い出すことが多かった。この筆者も、掠める程度にこのあとがきで、カフカとの類似点に言及していたのには驚いた。
 この年寄が、この先、あのカフカのときのような苦労をして、カズオ・イシグロの作品を一つでも読めるだろうか。クローンのことを扱ったものなど、興味はすごく湧くのではあるが。

 


翻訳についての考察
 
 この本を読んでよかったと思う章がある。
 言語間での翻訳による作品のズレや歪みについて書かれている、

 『第3章 英語で書かれた想像の日本語
 ―――カズオ・イシグロと翻訳』

である。 
 
 普段から言語の翻訳とか母国語でない英語が共通語となりうるか、ということには深い関心を持っている私にはとても興味深い。
 どこを取っても、考えさせられる記述の連続だった。

〈翻訳に関する論争〉
 表現は発信する方にも受け入れる側にも意図、あるいは意志があり、それ故、原文と翻訳双方から歪みが生じる。カズオ・イシグロの作品に翻訳を巡って、または、原文としての彼の英語を巡ってさえも論争や、問題視する評価があったことが述べられている。
 私はまだもちろん原著でも、日本語訳でさえも、カズオ・イシグロを読んだことがない。だが、この章に書かれていることは、外国語を表現の道具として使おうとする者には、普段から直面する不安をそのまま言い当てられ、見透かされた思いがする、普遍的で、逃れられない問題を提示している。
 そして、もっともっと本質的に後方に有しているそれぞれの言語世界や文化に絡め取られて、翻訳者は、原著を読むときと翻訳するとき、原作者と自分の言語世界のズレに悩み、二度歪みを生じうるのだ。
 カズオ・イシグロは、正当な英語教育を受けた英語の表現者であり、そこを誤解してはいけないという。推測するに、彼は、手慣れた英語の文体の中に、日本らしさを意図的に散りばめさせることに成功したに違いない。英語を母語とする国々ではそこを高い評価で受け入れられているという。
 ところがある作品の日本での英文学者飛田茂雄による翻訳を読んだ富岡多恵子が、朝日新聞社で「翻訳が文学作品から遠い日本語になっている。」と批評、高橋源一郎も雑誌『翻訳の世界』で、富岡に同調した。作家の立場から、翻訳においてもまず日本語の文学作品として自立しなければならないと考えたからだと書かれている。
 雑誌『翻訳の世界』に、翻訳した飛田自身が富岡に反論した、
 「富岡多恵子氏に反論する――軽々しい言葉は文芸批評を腐敗させる。」
 ここでの反論が引用されている。
 「富岡さんは原著を読んだことがないのに、イシグロの文体を勝手に想像して、その実態なき幻と邦訳の第一印象とが一致しないいらだちを翻訳者にぶつけてみたかったのかもしれない。」

そして、この本の筆者は、富岡が
 「イシグロの散文が英国で高い評価を得ているのには特有の文体、リズムがあるはずで」とおそらく自ら原作を読んでいないのであろうということを暴露してしまっており、彼女に翻訳の質について述べる資格が十分にあったとは言い難いとしている。
 また冨岡多恵子、高橋源一郎の二人は英語の原著には触れておらず、翻訳文学への観念的な意見を述べたに過ぎないとも書いている。
 この論争は一応ここまでであるが、その後数名の英文学者がイシグロの翻訳をめぐって、より精緻な議論を展開していると紹介されていて、富岡の一文が、彼女自身が予期していたよりも多くの反響を呼んだ、またこの一文が、イシグロの翻訳に関するより複雑な問題を内包していたと、分析している。

カズオ・イシグロの意図〉
 筆者は次節に、イシグロの原文と、飛田の翻訳、これを並べて、具体的にズレの問題を見せてくれている。イシグロのインタビューなどで残した、証言もあったり、とても面白く読めた。
 イシグロの言葉はこうである。
 「ある意味でそこでの言葉はほとんど疑似翻訳のようなものにならざるをえません。つまりあまり流暢すぎてもいけませんし、あまりたくさん西洋的な話し言葉を使うわけにもいかないのです。それはほとんどまるで英語のうしろである外国語が流れていることを示す、字幕のようなものでなければならないのです。」

 つまりイシグロは日本人の登場人物たちが話す日本語を想像して、まるでそれを英訳していくようにこの作品を書いたというのである、と筆者はこのイシグロの言葉を結論づけている。

 こんな字幕のような、翻訳のような、文章が初めから用意されているのである。こんな文章の翻訳に、さらなるズレとギクシャクさはあって当然で、それが原文に忠実ということなのかもしれない。流暢さを翻訳の際に取り戻しては、原作の風合いが保たれなくなると、私にも感じられた。

 


英語ー日本語、その橋を渡る私のこと

 

 この翻訳論を読んでいて、ここで少し、私のことを書きたくなった。私と英語との60年。
 
英語は、昭和21年生まれの地方育ちの日本人としては、普通に、中学校1年生から始めた。中学校の英語の先生3人、どの先生も、熱心だった。
 どういう経緯だったか忘れたが、その頃、プロテスタントの宣教師さんのおうちで、新約聖書の対訳本で、毎週一回読書会があって、ほぼ一冊読み終えるくらい参加している。公立の学校だったし、家も真宗、ほんとにどうしてそんなところに行ったのだろう。友達とお茶を目当てに行ったのかも。ホームメードのケーキというものをそこで食べたことは思い出された。
 新約聖書は対訳本だったので、そのときはほぼ日本語での講義だったが、のちのち英語を読んでいる。このときの日本語にとても違和感を感じていた。宣教師さんの話す日本語の肌合いなのかもしれないが、聖書に書かれた日本語訳自体に感じたと思う。大人になって読んだ旧約聖書は普通に物語であったので、やはり訳が原因なのだろう。
 高校では、ESSで活動し、英語劇を毎年文化祭でやった。皆で、英語のドラマ脚本を、自分たちのわかるレベルに翻案簡潔に仕立てて、1年生でアリババ、2年生で、何故かシェイクスピアの喜劇、でも難しいことをやりすぎて、何がなんだか忘れてしまって。その後3年では受験もあったので、ただ当日の照明を手伝っただけ。ただこれらの英語のドラマ公演の活動に付随して図書館で読んだ原語のシェイクスピアには驚いた。英語にも古文があったことを知ったのだ。たどたどしく拙くしか読めなかったが、韻律が心地よい吟遊詩人の語り部の部分が今も少し思い出されるのである。
 大学でもESS、ドラマをやった。主にハリウッド映画の脚本を取り上げたので、アメリカ英語だった。地方から出てきて、学校でしか英語教育を受けていない女子は、しごかれた。発音が悪いと達人から矯正された。私が話す英語に億劫なのはこのときのことがトラウマなのかなと思う。
 ESSでは、そのころ流行りのフォークソングBeatles、Simon&Garfancle、Carpenters、と歌も歌い、ディベートなどもした。英語に気楽に親しめた。
 教養の授業で読んだ、あまり多くはないが、原著の名文も、糧にはなっているだろう。
 その頃から、童謡だけではなく、レコードやNHKなどの放送で英語で詩の朗読などを好んで聞くようになった。歌詞の中にある深い意味の内包に、英語の魅力を感じ、音楽のリズムに乗る英語が耳に心地よかった。
 ボブ・ディランノーベル賞を受賞したというニュースは私には驚きではなく当然だった。
 英語は、意味を獲得し内包できる言語で、重ねて言い尽くし文章にすることで、より正確な彩、容貌が表現されていく。文章の表現者の力量が、読むものの理解に、即影響を及ぼす。
 カズオ・イシグロに少し戻ると、彼が、小説の中の日本人の英語力に応じた表現ということに拘った訳が、このあたりにあるような気がしてならない。
 大学時代に、専門課程で、Merck Index、そしてChemical Abstructという、化学をするものには必須の英語に接した。薬学部の図書館によく通った。
 これは後に社会人になって、製薬会社の分析部門に入ってからも、会社の図書室で閲覧し続けた。実験の手法や取っ掛かりのヒントを得るものであった。CAは入社試験に読んだ頃のある一文が出て、得をした。この頃から、部署のために、研究報告や抄録などを翻訳することがあった。後に結婚して産業衛生関係の職場に変わっても、有害事象や、規制の最新情報を翻訳することが続いた。
 子育てのために常勤を辞めたが、翻訳だけは在宅でと頼まれた。ある意味暇になったので、翻訳関係の半年コースの通信教育を受けてみた。文学作品の課題が多く、まあまあいけた。
 その後、トライアルを経て、医薬品開発関係の文献の翻訳をする会社から仕事をもらった。しかし、もっとこなれた日本語をと、全面の赤が入る。直されてくる日本語を実験者としての私が気に入らない。これでは実験の再現には曖昧で意味がないと思うのだ。そういうことが続き、すぐにそこは辞めた。今思えば、実験する人は原文を読める。別にそれほど考えずに、続ければよかったのかも、なのだが。
 子育て中は童話なども読んでやったりはしたが、少し英語からは遠い暮らしになった。
 俳句を始めた時、英語で俳句を作る結社があって、興味を持った。何かわからないが、辞書を片手に、自分の英語で作り始めた英語俳句が、丁度いい吟行にもなったアメリカ西海岸旅行を経て、習い性となってきた。
 インターネットに慣れた頃に俳句大学というフェイスブックのグループに参加したが、類が類を呼んでいたのか、このグループに、国際俳句の部門ができた。背伸びせず、片意地を張らず、自分の英語で、俳句を作って行ってみようと、英語でも日本語でも俳句を作っている。訳ではなく、どちらも作っている。
 なんとなく英語に愛着がある。
 他の外国語は続かなかった。音の連なりとして聞くのは好きで、ドライブ中はNHK第2放送の語学講座を流したりする。ながらで外国映画やワールドニュースっをテレビで聞き流したりもする。意味のわからない流れるような耳で聞く言葉が気持ちいい。何語でもいいのがおかしいが、とにかく音楽よりも心地よい。しかし私にはなんの学習効果もないようだ。
 意味を知りたければ字幕がある。世の中にほんの少し専門家がおれば、いい時代になった。
 孫たちは、どんな田舎にいてもテレビや教材でオリジナルの英語を聞いて育っている。
 日本語の古語の美しさを返って特別に教える時代になってきた。

カズオ・イシグロの本の一部だった章にのめり込んで、ついつい英語との付き合いを思い出しつつ、いっぱい書いてしまった。これでやめておこう。
 

 

 

 

コンサーは久しぶり 

コンサーは久しぶり 

         2020/10/24

          十河 智

 

 有馬みどりさんのコンサートに神戸西宮まで出かけた。

 去年暮れに集大成のベートーヴェンピアノソナタ全曲の演奏が完結、その後コロナ禍により久しくコンサートは開かれなかった。

 JRに乗っていくのも約半年ぶりのことである。

早めに出かけようと支度を始めたのに、髪の毛を少し念入りに手入れしようとして、ブラシが絡まって抜けないというハプニングが起きた。髪の毛も老化しているのか、すっと櫛が通らず、一人ではどうにもならなくなった。今更美容院に駆け込む時間もない。ちょっとふんわりカーブをつけてと思ったのが仇になった。主人に少しずつ緩めてもらい全部抜くのに小一時間。大事な毛をごそっと無駄ににいてしまう結果になった。それでも、なんとかブラシが外れてよかったのだが。

 気を取り直して、寝屋川公園駅の前のタイムズに駐車して、学研都市線で西宮へ。3時ごろ、JR西宮では時間があったので、いつもと違う出口のお惣菜やさんでおにぎりとおかずをイートインコーナーで食べたあと、向かいのマクドナルドで食後のコーヒー、そして時間つぶしの読書、いつの間にか寝屋川と同じ昼の過ごし方をしている。夜は遅くなるとわかっているので、惣菜店で、夜のおかずはテイクアウト。しっかりと袋に包んでもらい、コンサート会場へ持って入った。

 兵庫県立芸術文化センター、小ホール。150人限定、なのでコロナ的には大丈夫だろうが、興行としては、難しそうであった。

 演奏の曲目が、わたしにはめずらしかった。モーツァルトで変奏曲があるのは知っていたが、ベートーヴェンの頃にも高尚な遊びとして、即興や変奏が行われていて、わたしたちが今、ジャズを楽しむように興じていたと解説されている。同じ主題で、ベートーヴェンの最後の曲とリストの最初の曲が並ぶと解説にあって面白いとおもった。

 パガテルというのも小曲という意味のようで、実験的に色々と作曲されてきたようである。

 楽しく聴くことができた。久しぶりの優雅な時間であった。

 演奏後のエントランスでの挨拶などはなく、9時には外に出た。雨がひとしきり降っていた。

 学研都市線に乗ったが、木津経由奈良行と書いてあり、どこかで乗り換えが必要かどうか不安だった。結局この電車は木津から大きく奈良まで回っていくのだとわかり、いつものとおり一本で寝屋川に帰れたのだが。

 行きには満車満車で4つ目にやっと停められた10台くらいの小さいタイムズだが、どこも空になっていて、うちの車だけであった。

 帰って、お惣菜と冷凍ご飯で夕食。

 主人が、CDを持ってきた。クラウディオ・アラウ演奏のベートーヴェン、ディアベリ変奏曲 作品120。持っているんだ、と思った。

 それを聞きながら書いている。

 

冷やかな雨の降る日のコンサート

秋の雨イートインある惣菜屋

長き夜の遅き夕食想定し

ベートーヴェンディアベリ変奏曲夜霧

秋の夜やピアノ小曲パガテルとふ

木津経由奈良行きに乗る秋湿

秋時雨夜のタイムズに一つだけ  十河 

《シンガポール旅行》

 

令和のシンガポール旅行

        2020/10/24 

        十河 智

 序

いま中国から発生した新型コロナウイルスによる肺炎で、日本にもシンガポールにも、患者が出て、大変なことになっている。

 令和二年がこんなことになると、お正月にシンガポールへ旅をしたときには、想像だにしていなかった。まだひと月も経っていない。中国ではもう始まっていたかもわからないが、まだシンガポールでも日本でも何も起こっていない、平穏に旅を楽しむことができた。

 

ウイルスは飛行機船で去年今年

春節の人倒れゆく武漢かな

新年の猛威新型ウイルスの 

 

数回に分け、去年から今年にかけての、シンガポール旅行を書く。

 

1 

出発

 孫が中学生になる前に、外国を見せておきたいと家族旅行を娘一家が計画、もう外国は無理かと思っていたけど、家族旅行ならと一緒に行くことにした。現地では別行動ということもありで。

 インターネットを駆使して、娘たちが夫婦で綿密な計画を練り、5泊6日の綿密な計画がお正月の難しい時期に予約もできて、行けることになった。

 シンガポール、何も考えずに支度をしていた。一応詰め終わった頃に主人がテレビでシンガポールの気温は30℃だと言っていると教えてくれた。シンガポールがそんな南の国と認識していなかった。「赤道直下やで。」そして荷物を入れ替えて、夏物を持っていく。軽くなったが、この寒いのにと、実感がわかなかった。

 

迫りくる正月にいくシンガポール

 

年用意年代物のスーツケース

冬の旅なれど詰めゆく夏の服 

 

風邪引くなシンガポールへ皆で行く

 

 

2 

羽田前泊

 静岡ヘまず出掛けて、そこから、シンガポールに向けての計画がスタートした。

 娘と下の孫、私達夫婦が第一班で、30日朝8時発の飛行機に乗るので、29日に羽田で前泊、30日夕方シンガポール着、空港隣接のホテルで一泊して、第2班の二人を待つ。

 第2班は、婿と上の孫、30日夕方静岡出発、31日早朝にシンガポール着、ホテルで合流する。その日は、この旅の間3泊する本来のホテルに移動するだけとなる予定である。

 羽田空港の近くに前泊のホテル、京急蒲田で乗り換え、穴守稲荷駅で下車、ほてるJALシティ羽田東京。朝4時バスで羽田ターミナルに送ってくれるホテルだそうだ。

 京急という電車も初めて。街を夕方歩くのも、そんなにはない。ホテルでの食事はないので、外にでかけた。お酒の飲めない子供連れはすき家に入った。すき焼き定食は売り切れて、牛丼にした。

 ホテルと街の間は大きな幅の道路だった。輸送用のトラックが夜は多いようだった。羽田空港の方角は暗かった。

 朝が早いので、すぐに寝た。朝のバスにはこれほど客がいたのかというほど乗り込んできた。寒い。空港へ着くと荷物をすぐに預けた。

 何年ぶりかの海外旅行で、娘まかせ、待っていることが多かった。Wi-Fiを借りに行っているようだった。

 シンガポール航空に乗った。スチュワデスの制服が南国らしく薄物のワンピースで、とてもスタイルが良い人ばかりだった。改めて思うこともないが、容姿を言われれば、私は、絶対に不合格。そして、彼女らの今いる東京は、真冬。暖房の中でも空港は寒い。私はマフラーを離せない。

 あまりに朝が早かったので、宿泊ホテルの部屋のキーカードを娘に渡し忘れて、そのままバスに乗っていって、旅の間中気づいていなかった。娘がチェックアウトをすんなりできたのが不思議、案外よくあるのかもしれない。一週間後になったが、帰宅後、ホテルに郵送しておいた。最近よくある物忘れ話である。

 

これで最後冬の羽田のターミナル

京急のの各駅停車年の果

すぐそこが羽田と冬の夜の灯り

すき焼きは売り切れてをリ牛丼屋

タイ語らしき会話のロビー暮れ早し

小晦羽田辺りの午前四時

流石まだ動かぬ東京冬の灯よ

ダウンコート冬暁を空港へ

マフラーを間際まで巻き搭乗す

寒暁や財布に残るホテルキー

年を越すホテルのキーを返すまで 

 

3 

機内

 シンガポール航空に乗った。私達夫婦と娘・孫は、二人ずつ離れて座った。エアバスは、前後は狭苦しいが、大昔の海外渡航のときの飛行機よりもゆったり感があった。キャビンアテンダントの数も多かったように思うが、乗客の数も多い、七時間なので食事も出る。忙しそうであった。

 機内食に、日本食と国際食があった。子供がハンバーグは国際食と思い込んだらしく間違えたと、日本食を頼んでいた私に交換してくれと言ってきた。よく見ないとハンバーグは日本食なのかということになる。漬物があるというのが分かれめらしい。

 タブレットが備え付けられていて、面白いのは、今現在の飛行状況を教えてくれ、外の空の映像を見せてくれることだ。羽をつけて天空、雲間を飛んでいるように感じる。

 主人は時代劇映画、私はチューダ王朝の連続テレビドラマを見た。これはCSで見逃したもので、面白かった。

 

冬の機やハンバーグある日本食

エアバスの配食にあり沢庵も

凍て雲や今ゐる空を見る画面  

 

** 以下、シンガポール現地では、俳句の季語は、悩みましたが、現地の気候に合わせることにしました。無季ということもあります。**

 

4 

チャンギ国際空港と隣接のホテル

 チャンギ国際空港シンガポールの空からの入口の名前を、到着寸前に知ったという始末。何もかも娘任せで、パスポートの管理しか頭にない。それともう一つ、出発前に渡された分厚い日程表とチケット予約の控の束。出かけるときは持ち歩けと言われた。もしも迷子になった場合は、これを見せると宿泊先や飛行便がわかるという。

 空港内の通路を抜けて、ホテルのあるエリアへ移動。ここで一泊する。

 私達はまだ上着を脱いだだけだったが、周りは夏そのものであった。背の高いバックパッカーや家族連れが、夏の装いでホテルに向かっていた。みんな速い。隣接するとはいえ、結構、長い通路であった。

 宿泊施設のある建物は巨大で、自動ドアを入ると、食堂街、アミューズメントエリアになっている。階を貫く大きな滝と亜熱帯の植生で目を惹きつける。写真スポットになっていた。

 気候が違うと感じたが、異国に来たという圧迫感は不思議となかった。空港やモールの造りも、通行する人たちも、東京と変わらない気がした。

 入り口近くに、案内人がいた。この人は、ある一定区域へ誘導する人のようで、大きなビルの全部を知っているのではないようだった。で、ホテルの名前を出して聞いてみたが、わからないという。私の発音が通じないのかと思っていたが、地図案内板で確かめると、ややこしい名前を間違えて覚えていたこともわかった。地図を見てわかったのだが、ホテルが二つあるようで、ある一角の4階以上が泊まるホテルになっていた。どういう構造になった建物なのか、かなりの施設が繋がり同居しているようだった。

 かなり奥まで歩きエスカレーターで、ホテルの階へ上がると、チェックインカウンターがただ一つ、ソファーが二ヶ所、サイドにカフェがある、そんなホテル受付だった。宿泊スペースへは、カードキーが必要で、重い扉になっている。

 ビジネスホテルのようで、部屋もベッドとテレビ台で目一杯。洗面台とシャワーがある。が、私達の部屋は、故障で、洗面台の止水栓がレバーが上がらず閉じたままであったし、湯が出なかった。娘の部屋はそんなことはないというから、故障中の部屋にも詰め込んだ気配があった。それほどシンガポールのお正月は、書き入れ時だったのだろう。

 年末年始の番組はNHKの国際放送で見られると思っていたが、特別仕立てで英語の別番組であった。またオーストラリアの放送が入っていて、山火事によるコアラの被害を伝えていた。

 夕飯までは部屋で一寝入りした。

 

冬服を着て常夏の国に立つ

汗じみてセーターを脱ぎ入国す

空港と繋ぐ回廊麻の服

背のありて半袖短パンにて闊歩

空港ホテル涼しき滝を見せてをり

道案内に通じぬ言葉暑きかな

オーストラリア近し夏山火事のニュースかな

紅白を見ぬ大晦日とぞならむ

作り滝部屋は故障の洗面台

 

5 

合流

 翌日のチェックアウトは、12時でよいらしい。午前5時着の第二便の二人をゆっくり寝かせられると、娘は喜んでいた。
 空港直結のホテルは、水周りの不具合を除けば、ベッドもシーツはさっぱり真っ白、気持ちよかった。
 娘が昔の来たときのものを探して渡してくれた変圧器をセット。それにスマホを繋ぎ充電した。
 今から下の子を連れてアミューズメントコーナーに行くという。チケット予約に、サービスもあれこれついているので使ってくるのだそうだ。空港内の周遊トラムにも乗れるらしく、孫を退屈させないように手配していた。苦労して取ったサービスが、実際に有効なことを確かめに行ったとも言える。
 夕食にレストラン街に降りたとき、その子は、「空港を見てきた。」と、やっと楽しそうに話した。言葉が通じない未体験ゾーンは、興奮したり、興味津々たるには、この子はまだ小さすぎるのだろう。親だけが頼りという不安そうな様子でもあった。
 夕食は、小籠包が人気という中華屋さんがあるというのでそこにした。客が一杯で娘が順番待ちの間、私達夫婦は空いているカフェでコーヒーを飲んで呼んでくれるのを待った。下の孫も一緒にオレンジジュースを飲ませた。一応注文はしたが、どんなものが来るか、写真も絵もない英語のメニューだった。かなり大きいカップでコーヒーが来た。支払いはこんなファーストフード店の少額でもクレジットカードでさっと処理してくれる。
 順番が来たと呼びに来た。こんな一杯の客をどう処理するのかというほど混んでいた。が、案外、システマティックに、スムーズに注文も配膳もしてくれた。メニューは漢字表記もあり、意味が掴めた。
 小籠包は、ニオイが気に入らないと食べない。この子は白いご飯の好きな子である。炒飯も頼んでみたが、食べられないと言う。こんなとき家だと、ご飯にふりかけがあると解決するが、旅先では、そうはいかない。かろうじて小籠包一個だけ食べさせたが、それ以上は無理だった。まあ、飛行機の中ではハンバーグもご飯も食べているし、さっきのオレンジジュースと、今はコーラを頼んだ。当座のカロリーは足りている。
 あまりにも混雑の中にいて、美味しさを味わう雰囲気ではなかった。少し薄味で香辛料が料理によって複雑で、そういう意味で異国に来たという感じだったように思う。一番口にあったのは、豆苗の炒めものだった。山盛りで出てきた。
 小籠包の他に、レシートを見ながら思い出しているが、焼売や肉まん、牛肉の一品物も頼んだ。温水という項目もある。主人は冷水は飲まず、夏でも熱いお湯かお茶を頼むのが常で、ここでもそうしたのだが、Coke5ドル2杯と同列に温水1ドル1杯が並んでいる。シンガポールでは、水も有料のところが多いのだ。私はここでは水を飲んだだろうか、覚えていない。
 クレジットカードの処理は、大昔に、アメリカやニュージーランドに行ったときより、確実に速くなっている。VISAの2月の明細書には、正月に使ったシンガポールでの出費がすべて決済されている。
 昔は、店によって、決済がかなり遅かった気がするし、クレジットカードを使えず、両替できるところを探し回った記憶がある。後々述べる公共交通機関も、ガイドブックでは現金必要と書かれていたが、プリペイドカードは、クレジットカードで入金できた。便利である。後にタンスの引き出しに残る旅先通貨の小銭というのも、今回はなかった。
 食事を終えて、部屋では、湯船のある部屋にしてくれていたので、お湯にだけ浸かった。(このお湯はちゃんと出てくれた。)
 娘が、空港で借りたWi−Fiを持ってきて、説明してくれた。これにも充電が必要で、それもセットした。婿がもう一台借りてくるので、こちらは私達専用にしてくれると、設定もしてくれた。電話はラインでと言われて、電話回線の設定は断った。繋ぎ放しだと、高額の電話料が請求される可能性があるという。ここも娘におまかせである。
 婿たち後発組は飛行機に乗ったと連絡があった。一時間ほど遅れているとのことであった。
 翌朝、ロビーにあるカフェで、宿泊者向けの朝食をとった。夫婦で座っていると、英中日と順に言葉を変えて、おはようと言ってくる店のおじさんがいた。挨拶しか知らないようではあったが、久しぶりの知らない人からの日本語、ほっとした。
 ロビーで婿と上の孫に再会した。家族四人が、ニコニコしている。これから本格的なシンガポールの旅が始まる。

数え日や重き戸開けるカードキー
シンガポール炳としてあり年の暮(COVID19、中国で興る)
冬から夏季節変はりの一夜かな
幼きに訳のわからぬ暑さかな
飛行場大好きな母一人占め(無季)
先着の二人ホテルの白シーツ
年の瀬の書き入れ時や水有料
小籠包のだし蓮華よりちゆちゆちゆつと
飲み慣れた味のコーラよ小晦日
晦日ホテルカフェのフランスパン
兄弟の最初仲良し夏の服 

 

6 

ブギス(武吉士)へ

(2019/12/31)

 はるばる四日間かけて着いたシンガポール、いよいよ大晦日のこの日から、市内へ入り観光となる。

 空港隣接の複合施設JEWELを出て、空港の方へ戻り、搭乗口の手前のMRTという公共交通機関のターミナルへ行く。

 MRTは整備されつつあり、とても便利になっている乗り物だそうだ。駅は近代的で、広々としている。ガイドブックでは、現金必須と書いてあったが、今は

プリペイドカードを自動券売機で買えて、クレジットカードで支払い。カード代金5ドル、初回チャージ7ドル。電車、バス共通で、日本と同じ使い方である。しかし、常に乗車時に残金3ドル無いと乗れず、降車時に使い切ってしまうことができないシステムになっている。最後に払い戻してはもらえるのだが、カード自体は手元に残り、次の機会までお蔵入りとなるのだ。

 余談だが、現在新型肺炎ウイルスの拡散状況がテロップで流されており、シンガポールも大変な状況になっているようだ。なんの支障もなく行って帰れたことが、幸運かいうか不思議なくらいだ。それ以降は、お互い、国を出るのも入るのもできないのだから。

 MRTを空港から一度乗り換えてブギス(武吉士)というシンガポールの中心部に向った。

 これから3泊するこの旅行の拠点のホテル、インターコンチネンタル・シンガポールに、まずは落ち着くことにした。

 若い人たちと旅をすると、歩く、電車、バスに乗る。街がよく見える。観光客がとても多く、どこも混み合っていた。

 このMRT、乗換駅で、線と線の間がかなりの距離であった。今は雨季というが、町の空気はそれほどジメジメしていない。それでも、地下通路を歩き続けていると、喘息の身にはきつくなってきて、みんなを待たせて立ち止まり、吸入をせざるを得なくなった。やはり湿度を身体は感じているようだ。

 私は白髪のおばあさん、MRT車内では、若い乗客が、席を立ってくれる。ありがたく、清々しい。電車の中の人の光景が国際的で、皆宿に着く前なので、衣服もさまざま、飽きなかった。從って、この初めてのMRTでは、ほとんど車窓の外は見ていない。

 ブギスの駅に着いた。初めてシンガポールの公道に出た。きれいな街、道路が広い。駅から一直線に800mくらいだが歩けるかと聞かれた。ホテルまで頑張ろう。

 お昼は駅ビルの出口にあるパンケーキの店に入った。子どもたちは、食べ慣れた味だったので、いつも通りの食欲が戻っていた。現金なものだ。

 店に入ってビルの中が見えると、向いのテナントにウェルシアが入っている。

 娘がこの店の棚の紅茶の空き箱に気づいて、「この店は沖縄紅茶を使っている。」と言った。改めてメニューで見ると、本店は東京の会社だった。

 なんのことはないシンガポールにまで来て、なのである。が、ある意味年寄りや子供には馴染んだものがありがたかった。この先も実は、こんなことばかり続く。

 

冬服を脱ぎいざ赤道直下旅

晦日旅行鞄の重き音

階下また電車のホーム歳の暮

乗り換えの地下通路にて吸入薬

薄物の服に国籍ありにけり

席空けて立つ白靴の若き人

歩けるか歩ける雨季の晴間なり

ブギスにて沖縄紅茶アイスにて

パンケーキオレンジジュース笑顔の子 

 

7 

異国のホテルで、大晦日

(2019/12/31)

 ホテルに入った。インターコンチネンタル・シンガポール。普通に気持ちよくサービスがあり、部屋も居心地良かった。水回りも快適、飲用水のペットボトルも備えられていた。携帯電話と Wi-Fi の充電をまずセット。

 テレビは、NHKworldがあるが、BSは入っていなかった。從って、日本語は聞くことができない。それで、スマホでニュース。ホテル内の Wi-Fi は、安全だそうだ。借りているWi−Fiは、外出時のために充電、使わない。

 娘たちは予定しているカウントダウンのイベントがあり、出かけるので、夫婦二人で夕食はしろと言ってきた。

 食事時にロビーへ行ってみる。

 ホテルには、ステーキレストランと、うなぎの竹葉亭があった。年寄り二人、外に行くのも面倒で、自然と竹葉亭に足が向いた。

 店内は、寿司のカウンター席に寿司職人、仲居の女性、どちらも日本人だった。改めて名乗ることなく、日本語で注文した。鰻丼を二人で一人前でいいというと、それぞれを半人前にして、二膳運んでくれた。親切。

そして、大晦日だからといって、負担にならない程度の、一口の晦日そばがサービスについてきた。大晦日らしいことができて、何か安堵があった。嬉しかった。ゆっくりと食後に緑のお茶を飲んで、一時間ほどで部屋に帰った。

 主人が慣れないクレジットカードで支払った。これは後でわかったが、前の日の、チャンギJEWELの中華店が円で決済、この竹葉亭はシンガポールドルで決済、どうなっているのか、面白い交錯である。中華料理店の料金、一行だけ数字が大きいのでよく見ると、単位がJPYだった。

 部屋で、コーヒーを飲もうとしたが、機械がうまく操作できず、説明をしに来てもらった。メンテナンスの人で、英語はダメ、身振り手振り、無言でも伝わるものだ。

 入浴して、洗濯もして、スマホでお友達に新年の挨拶をして、寝た。

 その夜の娘たちのことは知らない。

 

日本語に誘導されて晦日蕎麦

鰻竹葉亭仲居と話す年一夜

熱き茶をクーラーの効く料理店

東から年改まりゆく地球

若者のカウントダウン年送る

除夜の鐘二十三時の異国にて

旅にあること発信の去年今年  

 

8 

セントーサ島へ、S.E.A.Aquarium

(2020/01/01)

 

8−1[ゴーン出国]S.E.A.Aquarium
 元日、とも思えない暑い日。街はあかるい。異国へ来たと空気が伝えてくれる。
 まずスマホ。ホテルのWi-Fi、繋がっている。充電もできている。外でのWi-F用機器も、使用可。
 ニュースを開く。速報で、変な事が目にはいる。「ゴーン出国」意味を掴みかねた。NHKワールドで、確認すると居場所が分からないと、担当弁護士が憮然としているインタビューがあった。事件そのものの正義がどちらか、それはさておき、「日本大丈夫か?」と思った。ついこの間も、刑務所や留置場からの脱走事件があったばかりだ。

元日にゴーン出国とふニュース
明けましておめでとうとふホテルロビー 

 

8−2[セントーサ島へ、街の風景]
 9時頃、娘たちと出かけた。どこへ行くかは聞いていない、おまかせ。
 ムギスの駅ビルにあるマクドナルドで朝食。孫たちが拒否しないマクドナルド。
 孫たちは、物珍しそうに、自分たちが入力する自動注文の機械を経験していたが、私は並んで対面注文。これも国によって、やり方が違う。順番が来て、レジで注文すると、名前を聞き、コーヒーカップにマジックでを書いている。そこにレシートを貼り、間違いが起きないようにしている。流れに乗って渡され、持ってきたコーヒーを、まさに飲もうとしたとき、それは自分のだと言ってくる外人?(金髪白人同世代)がいた。少し怒りの表情。よく聞いてみると、カップに店員がマジックで書いた名前が、自分の名前だと指差す。私が名前の確認を間違えたらしい。まだ飲む前だったが、渡すとその人は、作り替えさせていた。まあ、私もそうするに違いないと思ったが。
 それから、同じビル内の並びにある、前の日見ていたwelcia で、濡れティシュを買ってみた。別に急ぐものではないが、シンガポールのドラッグストアの店内を見て回りたかったので。商品の展示の位置など、すこし違う。雑貨などは少ない。
 そのまま駅へ行く。カードに出るときに残金が規定以上に残るようにチャージした。入場のときにチェックされ、入れないそうだ。娘が予め調べておいてくれる。だから、予期せぬ出来事はこの旅もではあまり起こらない。もう頼り切りである。
 ムギスから、MRTでハーバーフロント駅へ。
 ハーバーフロント駅からセントーサ島へはモノレール、キップは往復で買う。セントーサ島は、帰りの切符を持って入島することになっているという。
 セントーサ島へ入れば、私達には無縁のカジノがまず目に入る。その入り口付近で見渡し、飲食店などが並んでいる通りの方へ。ここでも日本で馴染みのスタバックスに。コーヒー、ジュースで少し休憩した。
 そこで、娘たちには、「私達はプールに行くから。」と、見放された。
 島の入り口、モノレールの駅でもらった案内図で、娘一家と左右に別れて、私達は水族館(S.E.A.Aquarium)へ向かった。
 途中で、アイスクリームの店があった。 "Little Hokkaido" 、名前に引き寄せられたアイス好きの主人が食べるという。北海道のアイスクリームかもと、なんとなく安堵はするのだが、どこまでも日本がつきまとう。
 シンガポールでは歩きながらの飲食は禁止で、店の前に必ずテーブルと椅子が設えてある。ソフトクリームを食べていると、隣のテーブルには、関東地方かららしい親子連れ、少し離れた席に陣取ったのが、関西弁の大学生の男子3人。フードコート中、日本語だった。

去年今年世界チェーンの店ばかり
正月は休む異国の日本人
元日の日本語ばかりセントサに 

 

8−3[水族館、空と海、お年玉、ピザの店]
 S.E.A.Aquarium、入場料は、シルバー料金で一人 60$。大阪・海遊館や沖縄・美ら海水族館と同様の展示形式なのだが、ここの大水槽は、高低差が大きい、幅36メートル、高さ8.3メートルのパノラマ水槽が圧巻。この水槽の周りを巡回する形で、順路が決められていて、かなりのグルグルと歩かされた感があった。
 シンガポールの建物は、高く聳えるものが多く、空港のホテルの滝も、この水族館の水槽も、また後に行く亜熱帯植物園の高山植物の展示も、全階を貫く形で中心に展示物を置き、周りを回廊方式で見せる所が多かった。これは日本にはあまり無いやり方だと思う。高低差のもたらす威容は圧巻で見応えのある展示法だと思った。
 途中で一度座り込んで休憩した。遠足のような子供たちの一団の中に混ざって。お決まりの大水槽をゆったり泳ぐ魚たちに波長を合わせて、暫く楽しんだ。
 水族館から出て、亜熱帯らしい海風を受けた。空の青さが目に染みる。シンガポール本島が対岸に見え、ケーブルカーが行き来している。気持ち良い。島をめぐるモノレールも、空近く見える。プールに行ってきた孫たちが水族館前まで来てくれると連絡があった。設置の休息所で自販機で買った飲み物を飲みながら待っていた。自販機を初めてみたような気がする。
 気持ちが晴れ晴れ。シンガポールに来た感じがする。セントーサ島にいるという感じがする。
 子どもたちが来た。下の子がトイレと騒いでいる。父親が水族館のトイレを貸してもらいに行って交渉、それが帰ってくるのを待って、セントーサ島の駅へ向かった。
 歩きながらの話、娘が言うには、あのケーブルカーは本島との行き来用で、モノレールと同じく往復を買うようになっているので帰りだけは乗れない。島を巡るモノレールも、私の足には駅が遠いので乗れない。年を取ってからの観光では、諦めることも多いなと感じる。
 泳いだので若い人たちはお腹が空いたようで、通り道のピザが食べられる店に入った。
 そこへ行く途中、下の孫が突然、「お年玉は?」と言い出した。「そうだ、今日は1月1日」思い出しもしなかった。シンガポールの街に正月らしさは全くない。「静岡に帰ったら用意してあるから。」そう言って安心させた。
 ピザの店は混んでいた。やはり出稼ぎの外国人らしいウエイターが注文を聞きに来た。
 孫が、英語通訳できる機械を持っていた。娘が試しに wi-fi と一緒に借りてきたという。

元日やシンガポールのシーサイド
冷房やスマホで英語会話して
反抗期見え来少年去年今年
お年玉異国の旅の空に請ふ
氷水ピザ注文のポケトーク 

 

8−4[ムギスの夜、王将]

 夕方、ムギス戻ってきた。ホテルまで歩くとき、方向はわかっていたが、私は遅れて一人になった。少しずつ街に灯が点りだす。皆はビルの間のマーケットプレイスに入ったのだが、私は大通りをそのまま行ってしまたようだ。ホテルに着くと、婿が私を探しに行ったと騒いでいる。信用されていない。

 部屋で、スマホwi-fiの充電。テレビ。オーストラリアの放送を見たりした。

 夜はマーケットプレイスを抜けたところにある王将に出かけた。メニューは英語。日本と同じように注文したが、味は少しシンガポールだった。店員のおじさんが、片言の日本語で孫に話しかける。閉店間際で私達だけだった。

 そこから、みんなが夕方通った道を、ホテルまで帰った。東南アジアの土産物が満載の屋台が並んでいた。

 歩き疲れた。

 

のろのろと歩き初市外れたる

冬の灯の異国情緒に彷徨ひぬ

シンガポール王将の味暑き国

這這(ほうほう)の体で熱帯夜のベッド

一月一日スマホの中の日本かな 

 

9 

ユネスコ世界遺産、Singapore Botanic Garden と National Orchid Garden (2020/01/02)

 

9−1[駅前のカフェ、Ya Kun Kaya Toast、MRT− DT線]

 1月2日は、娘一家は、セントーサ島の、別の一角にあるUSJシンガポールに行くという。私たちには、世界遺産の植物園を勧めてくれた。

 朝食は、地下通路に面した結構広い、駅前のカフェ、Ya Kun Kaya Toast。スープとドーナッツをセットを売っており、カウンター式の簡易なイートインになっている。メニューは数種類。孫はあまり食べない。スープに特有の香辛料が使っているような味を感じた。これがだめなんだと思った。

 駅で娘たちとは別れた。娘たちはまたセントーサ島へ。私達二人は、MRTのDown Town 線(青色)という違う路線で、世界遺産シンガポール植物園へ。MRTは今も路線拡大中で、駅はとても整備されていて、わかりやすく路線が色分けされている。迷うことなく植物園に入ることができた。

 

駅ナカのカフェのスープや汗をかく

USJへ植物園へ二日かな

色分けの路線図そこいら中の夏 

 

9− 2[Singapore Botanic Garden と National Orchid Garden]

 入口付近の案内書で地図を貰い、広大な敷地に驚く。歩くことを覚悟して、まず一休みと決めて、そこのスタンドでコーヒー。

 すぐ後に来た、英語を話す白人の4人家族、アイスクリームを頼む子どもたちは、背が高く、脚が長い。お母さんもかっこよく半袖短パン。一家でこれから園内を歩き回る様子。元気そうで羨ましい。私は喘息持ちで、すぐに息が上がる。休み休みでないと歩けないので、こういう歩くことが楽しみ方の基本のところでは、ほぼ100%の満足が得られない。

 主人がトイレに行くというので待っていたが、なかなか戻らない。駅まで戻ったとのこと。いろいろ探し回って迷子になるよりはいいかも知れない。

 地図で蘭を地植えで栽培しているナショナルオーチャードガーデンを目指した。地図では、一本道で、園の端を辿れば行けるのだが、両側に背の高い木立の森があり、鳥が鳴き、蜥蜴がはしる。大きな池があった。水鳥が燥いでいる。白鳥は見たことがあるのだが、この池には、黒鳥が優雅に泳いでいた。初めて見る。

 後で調べたら、渡り鳥ではなく、オーストラリアにいる漂鳥らしいが、シンガポールには移入されたらしい。日本でも移入がなされて、外来種とされている。厳密にはここにはいてはならない鳥なのかもしれないとわかった。

 鶯も正当な鳴き方でとても気持ちよく囀っていた。木々が高いので、鳥の声も高いところを通って行く。日本ではほんとにたまにしか聞かなくなったので、嬉しかった。

 ベンチがあると休む。いろんな母国語を喋りながら、いろんな人たちが往ったり来たりする。木陰は涼しいが、歩きはじめると、汗だくになる。

 オーチャードガーデンの前の広場に着いた。案外と人が多い。主人は植物園に興味が薄く、前の広場で、待っているという。いつもの将棋世界の付録を持ってきている。世界中どこへ行っても、これがお供、これさえあれば時間を潰せるようだ。

 私だけ、チケットを買って、入場した。見せるために工夫があって、面白かった。日本では温室でも、こんな立派な大きい仕立ての蘭は見たことがない。コーナーや道にテーマがあって、色んな種類の蘭が咲き誇っていた。手入れする人たちが忙しそうな一角もあった。まだまだ途上だそうだ。

 小一時間ほどかけて一巡りしてそこをでた。お土産に絵葉書か何かと思ったら、天然由来(じゃがいもデンプン)のエコバッグという、蘭を印刷した買い物袋を売っていた。ちょうど、レジ袋が有料になる前だったので、これをお土産にと20個まとめ買いした。女の人には喜んでもらえるかなと適当に配るつもりで買った。

アイスクリーム金髪の娘の食べ歩き

どの国の子も纒ひつく露台かな

緑陰のベンチに聞こゆフランス語

鶯や正調異国の植物園

大とかげ世界遺産の藪にのそり

黒鳥の後姿や涼しげに

植民地時代の遺産植物園

熱帯の森に世界より来し言葉

暑き国蘭を咲かせる植物園

蘭園に結婚式場水を打つ

ひとり行く蘭の隧道プロムナード

数千数万蘭華やかに咲き誇り

誰にとも蘭の図柄のエコバッグ 

 

9−3[園内レストラン、タクシーとMRTでホテル]

 外に出ると、風の通る涼しいところで、主人がまたアイスクリームを頬張っていた。向かいにカフェスタンドがあったのだ。

 レストランもあった。昼食はそこで食べることにした。

 広い店内で大きなテーブルがいくつもあった。従業員は役割が決まっている様で、中国語、英語、会計担当がいるように思った。隣に韓国人の一家が座った。テーブルがとても大きいので、半分その一家が占めた。どうも英語を話すのは、高校生らしい男の子の担当らしく、メニューを説明して、ウェイターに注文を伝えていた。なかなか頼もしい息子のようだった。

 ここでは軽くサンドイッチのようなものを頼んだように思うが、マッシュルームのスープ以外は覚えていない。

 ここでは、残り少ない旅程で、シンガポールドルを残しても仕方がないので、クレジットカードを使わず、手持ちの現金を使うことにした。ところが、カードの控は大事にするが、ここのレシートを失くしてしまった。ここで何を食べたか思い出す取っ掛かりがなくなってしまっていた。

 マッシュルームスープ、これは、飲んでみてわかったが、朝のカフェで飲んだくせのあるスープと同じものだった。シンガポールでは定番のものなのだろうか。

 またしばらく出口の方へ、地図を頼りに歩いた。私の脚と肺が、ほぼ限界に達していた。暑くて湿度の高い気候は、私の病気には良くないようだ。

 植物園内はよく見ていけば、見るところも、催しもまだまだあるみたいだったが、諦めた。

 バスやタクシーの待合所にようやく辿り着いて、係の人にタクシーを手配して貰った。その間に吸入を使い、呼吸を整えた。

 ほんの数分でタクシーは駅に。またMRTに乗り、ブギスへ戻った。ブギスの駅は大きくて複雑、出口を清掃の人や駅員に聞きながら、外に出た。見慣れた大通りの交差点で、安心したことを覚えている。

 ホテルにはまだ明るいうちに帰って、昼寝をして、娘たちたちの帰りを待った。 

 

マッシュルームスープレストランでは現金で

多国籍英語で動くシンガポール

亜熱帯湿度に負けぬ吸入す  

 

9−4[(付)

鳥たち、大とかげ、オニバスの池]

 

※マイナーバード※

 

烏は、シンガポールではあまりいないと思ったら、駆除される鳥だとわかった。ネズミのように。

 街なかで、カラスのよく似た黒い鳥をよく見かけた。マイナーバード(オオハッカともいう。)烏に似てるが、烏が天敵、カラスが駆除されるので、カラスのいそうなところにはいるようだ。

 

烏かと脚と嘴黄の小鳥

植物園街にも黒きマイナーバード 

マイナーバード街が明るき

シンガポール

 

 植物園で見たり、鳴き声を聞いたりした鳥たちを書いておきます。

 

※キゴシタイヨウチョウ※

 

 国鳥だそうです。、キバラタイヨウチョウもいるようですが、どちらを見たなかな?

 

太陽の真下の国やタイヨウチョウ

国鳥のその紅が目を引きぬ

熱帯の植物の色鳥の色

 

※黒鳥、白鳥※

 

 植物園の池で、泳いでいました。

 黒鳥のことは、前段で触れました。白鳥も同じ池で泳いでいました。白鳥の湖のシーンを思い出しました。

 

目の前にオデットオディール並ぶ池

白鳥の儚し黒鳥に力

 

カッコウ、ウグイス※

 

 鳴き声で背の高い木立を見上げ、姿を探しました。うぐいすの飛ぶところは捉えられました。カッコウは見つけられませんでした。

 

澄み渡る鶯の声木木高し

カツコウが鳴く熱帯の木下闇

 

コウライウグイス

 

 ウグイスとは別種、チュウーイーと鳴きます。これも鳴き声だけ聞きました。

 

また別の鳥の声聞く異国かな

 

※オオトカゲ※

 

ついでにオオトカゲ、植物園や後段で書くマリーナベイサンズの道端など、いろんなところで見ました。

 

頭だけ藪につつ込みオオトカゲ

オオトカゲ畏まりやうあな可笑し

 

オニバスの池※

 

もう一つついでに、植物園内では、オニバスの池が良かったです。亜熱帯地方に来た感じがしました。

 

オニバスの所を得たる植物園

 

10

夫、75歳(2020/01/02)

 今日は夫の誕生日、75才になる日です。

 旅の途中ですが、1月2日、夫の誕生日です。だいたい、昔から忘れはしないのですが、おめでとうはお正月用、田舎に帰省中ということもあり、祝うということを取り立ててしたことは少なかったのです。

 まず、夕方のひととき、ホテルの部屋で、みんなで集まって、ケーキでお祝い。娘に、「昨日セントーサ島へ行くMRTの乗換駅の構内に、馴染みのアンリシャンパルティエの出店があったので、誕生日のケーキを買って来て。」と頼んでおいたのです。主人は、お酒は全く駄目で、ケーキ大好きなのです。店には気づいていないと思うので、好きなケーキ屋のケーキは、サプライズになると思いました。

 シンガポールには日本がかなり入り込んでいるようです。地下鉄などの技術も最先端と言いつつ、日本の会社が請け負っているとも聞きました。シンガポール風でしたが王将やウェルシアもありました。ちょっと立ち寄ったカフェも本社は東京六本木とメニューに書いてあり、紅茶は沖縄産でした。

 風光は亜熱帯気候ですが、町の雰囲気は、たまに行く東京

とあまり印象が変わらない。そうそう、自動車も右ハンドル、左側通行なのです。これもしばらくしてから気が付いたのですが。

 飛行機の中は外国でしたが、シンガポール国内では、あまり人と話さなくて、物事が進むカード時代。それもあると思いました。

 アンリシャンパルティエのケーキ、ホールは持ち歩きに不便なので、カットのケーキを買ってきてましたが、皆で食べると、主人は喜んでいました。

 今年は、折角のシンガポール、娘たちが、ホテルのレストランで、お祝いの食事を予約してくれたのです。これが第二段。

 午後8時、レストランに行きました。雰囲気のある少し暗めの灯し具合です。ステーキを頼みました。私達夫婦は、お昼軽めだったので、ご馳走をとても美味しく頂きました。ゆっくりと時間をかけての食事は本格的で、英国風、やっと異国に来た感じでもありました。

 ところが、これで終わりではなかったのです。第三段。

 9時半頃、ドアがノックされた。ホテルからの誕生日ケーキがきました。これもサプライズ。

 さすがに、これ以上は無理だったので、冷蔵庫に保管、次の日の朝に頂きました。

 

一月二日時差あれど夫誕生日

笑初め望外アンリシャンパルティエ

ニ日の夜誕生祝のフルコース

常夏の薄宵闇に淑気かな

ステーキを切り分く孫の去年今年

伊勢海老に目を輝かすビュッフェかな

年酒や異国に有りて飲むワイン

ホテルより誕生ケーキ宝船

初日記シンガポールにある日本 

 

11

シンガポール、最後の長い長い一日(2020/01/03)

 

11−1

[マリーナベイサンズ]

 この旅も最後の一日となった。夜遅くの便で、日本へ帰る。朝にチェックアウトを済ませ、荷物をフロントに預けて、観光に出た。

 予定は、ベイフロントにあるマリナベイサンズの展望台、隣のガーデンズバイザベイに行くという。私達は娘に付いていくしかない。

 このコロナ禍のブランクのうちに記憶が飛んでしまって、この日のことは、忘れていることが多い。

 ホテルからの交通手段がうろ覚え、多分バスに乗ったと思う。MRTにしても二駅くらい、どこかでバスに乗るとしたらここなのだ。検索したバスの車内のまっ黄色の手摺、特徴的で見覚えがあった。

 マリーナベイサンズ。シンガポール観光では、今、最強スポット、ビルが船を掲げている。その船へ上ると展望台になっているのだ。チケットは航空券購入時にもらう割引券で、少し安いらしい。手続きはすべて娘一家に任せて、エレベーターで、57階の展望台へ直行する。展望だけは、宿泊していなくても楽しめるようだが、カフェやプールは宿泊客以外利用できない。そのことを知ってがっかりの人がいっぱいいるようだった。、

 シンガポールの展望は素晴らしかった。何よりも空がここまで高く来ると広い。海まで見えて、森もある。後で行くという植物園のエリアだ。熱帯気候の植物の森は緑が黒く、鬱蒼として密な感じである。この日の明るい空と海、空気の解放感とバランス良く配置された景色であった。

 この展望台も広々としていて、人は多いが、三三五五、写真撮って楽しんでいる。緊張の全くない空間。平和。

 多分この頃から、コロナウイルス感染は、武漢から始まっていたのだ。

 一廻りしたら、もう何もない展望台なので、下に降りた。

 

シンガポール観るぞ三日の深夜まで

荷を預け軽装熱帯雨林気候

子どもは立て常夏の国のバス

しつかりと黄色の手摺汗滲む

歩け歩け正月気分なき異国 

マリーナベイサンズ雲へ近づく淑気かな

遊歩道プールも特別客のため

もう一つ入店拒否のカフェ高み

運河悠悠熱帯の森高層のビル

背景に赤道直下の青空を

マリーナベイサンズ首を傾げてピースして

 

11−2

[Twinning Teaのカフェとショップ]

 ショッピング街の中に Twinning の、カフェとショップがあって、カフェは並ぶほど盛況であった。しばらく並んで、そこで昼食を取った。娘たちはここで土産の缶入り紅茶をたくさん買っていた。一つ、家にも買っておいた。日本で買うのと同じように思うのだが、香りが違う気もする。産地直売になるのかな

 食器など、凝っていたし、何より紅茶が美味しかった。入れ方が違うのだろうか。サンドイッチとかパンケーキ、マフィン、それぞれに頼んで、楽しんだ。

 今で言う三密の状態である。あれからのコロナ禍にあって、シンガポールもどのように変容していったであろうか。感染者数など数字はたまに見るが、気になっている。

 

植民地そして紅茶の積出し港

トワイニングアフタヌーンティー並んでも

缶入りの香りの高きとふ紅茶

紅茶飲む少しぎゆうつと六人で

縦横に名店ばかり作り滝

熱帯とカード払ひにもう慣れて

 

11−3

[ガーデンズバイ ザベイ]

 飛行機は23時発なので、20時までに空港に行けばいい。

 隣接する植物園はどうしても見たいという。歩いてもすぐというので、歩いたようにも思うのだが、記憶が曖昧。昔はこうではなかった。思い出すべきときに思い出せるのが私だったとまた思ってしまう。

 植物園の入り口にやってきた。園内周遊バスなどもあるようだったが、時間がないので、マリーナベイサンズから見ていた2つのドーム植物園を見ることにした。

 実は、入場券を買いに行った娘が、車椅子を押して帰ってきた。疲れるし、流れに乗れないから、車いすで回りなさいというのだ。娘には孝行してもらうのがいいかなと、友人たちが、同じことを言ってくれるときには自分のペースで行くからと断っていたのだが、折角のシンガポールの見せ場は満喫したかったのもあって、受け入れて、車椅子で回ることにした。孫たちが押してくれた。初めてでちょっとペースが乱れるのだが、楽だった。入場も裏口へ回してくれて、優先的にのエレベーターに乗せてくれた。

 二つのドーム、どちらも計算され尽くした人工の自然であった。

 一つは、乾燥地や地中海などの特別な気候帯ごとの植物の展示をするフラワードーム、もう一つは山を一つ再現し高地から麓の亜熱帯気候までの植生を見せるクラウドフォレスト。

 どちらも面白かったが、高低差をつけて、螺旋状に降りてゆく、クラウドフォレストが圧巻だった。クラウドは、ここではもちろん雲、ガラス張りであるため、外の青空と繋がり、ほんとに天空にいる心地だった。そこから少しずつ降りてゆくのである。実際に高温多湿の熱帯雨林の高地から低地へと気温や湿度、植生が変化していく体験ができた。

 

(フラワードーム)

樹木高き植物園を車椅子

車椅子背後の押し手夫から娘

車椅子もつと見たいと言い辛く

枯れ蔓で造るキリンと目が合ひて

車椅子エレベーターある裏側へ

 

クラウドフォレスト)

正月三日ドームの中の雲霧林

今し方をりし舟形マリーナベイサンズ

高山を螺旋に降りてゆく造り

霧と雨作り全館湿潤し

植生の高地低地に親密度

 

11−4

[夕暮れの広場]

 外へ出るともう夕暮れ。涼しくなっていた。しばらく車椅子を孫に押してもらう。突然、手を離された。孫が、道端のオオトカゲを写真に取りたくて、そちらに走ったようだ。びっくりしたが、家族中から、その子に非難轟轟も可愛そうでもあった。途中で車椅子を返して、入り口に戻った。

 娘一家は電車で、私達夫婦はタクシーでホテルに戻った。

 

風涼し暮色に染まる広場にて

大とかげ見たしと放す車椅子

暮れ泥む広場光の樹のオブジェ

再びのホテルのロビー三日夕

 

12

亜熱帯夜から極寒へ、帰国(2020/01/04)

 

12−1

[空港]

 

 ホテルロビーでまた合流し、荷物を積んで、タクシー2台で空港へ向かった。今度はかなり長い乗車で、女性ドライバーは饒舌だった。道路も交通が日本と同じせいか、安心感があった。

 きれいな夜景である。

ちょうど良い時間に空港に着いた。支払いはカードオンリーだった。

 ここで、来た日に両替した通貨が残っていたので、皆から集めて、タクシードライバーに、チップとして全部渡すことにした。女性ドライバーは、すごく喜んでくれた。家には昔海外旅行で残った小銭が、ずっと残っていて、結局使うことがなく、そのままなのだ。これは良いアイデアだった。

 出発ロビーは広々としていた。娘たちは到着の時と同じく、ここで待っていろ、と場所を指定。WiFiなど返したり、必要な手続きを済ませ、夕食の場所を探してきた。まず大きな荷物を預け、夕食へ。何を食べたか思い出せない程の軽い食事をして、長い通路を歩いて、搭乗窓口へ向かった。

 その前に化粧室によって夏服を冬服に着替えた。狭い所で、ごちゃごちゃと脱ぎ着したため、マフラーをきちんと巻いていなかった。一度人に呼び止められて、引きずっていると教えられた。その後、日本に帰るまでマフラーに気が回らず、空港のどこで落としたのか、置いてきたのか、全く覚えていないが、成田で首筋に寒さを感じて、失くしたと気付いた。

シンガポールチャンギ空港で、保安検査のどさくさで、母の形見のカシミヤの紫のマフラーをどこかに忘れてきてしまっていたのだ。残念。

 シンガポールでは暑かったので、娘は子供たちに飲ませるつもりで、ペットボトルの水を保安審査の前に買ってしまった。もちろんそれは全部開ける前に捨てさせられたといって入ってきた。あまり経験しない海外旅行では、やはりいろいろと小さい失敗をしてしまう。

 飛行機の中はずっと寝ていた。

 

正月を過ぐししシンガポールの灯

本物の熱帯夜抜け空港へ

ドライブで異国三日の夜景かな

日本の正月語るドライバー

半袖の人へあるだけチップの小銭

出国ターミナル冬服の人もをり

マフラーをシンガポールに置いてきし  

出国審査ペットボトルの飲料水

寝てをりし夏から冬へ戻るとき  十河 智

 

12−2

[成田から静岡へ、そして自宅]

 シンガポールからの便は成田着である。今まで2回外国へ行ったが関空発着便ばかりだった。成田は初めてである。朝の7時30分に到着した。日本だと思った。張りというか、緊張が取れた。

 しかし、成田につくと同時に喘息再開。深夜早朝着だったので、堪えたのだ。移動の途中で薬を飲む羽目になった。周りがびっくりするほど、薬のおかげで生きていることが証明された。

 荷物を受け取り、空港内の不二家に行った。ここでも外国人のウエイトレスだったのが、すこしどきっとした。朝食を取り、電車の駅に行った。成田エクスプレスというのに初めて乗る。千葉を窓から眺めつつ、東京へ。千葉県を横切つた。フェイスブックで俳句のお友達のあの人この人が住んでいるのだと、町の景色を目に焼き付けていた。皆さんと近いなと思ってみていると、主人が「千葉におる人と会えるやんか」と、電話していた時を思い出したのか、そんなふうに話してきた。無関心そうでも、ちょっと嬉しかった。ほんとに道がわかったからいつか会いに行きたい。

静岡に帰った。どこにも行かず、寝転がり、テレビでゴーンさんを追いかけていた。

 自宅へは6日に帰った。7日、七草粥を炊いた。

 

早朝の成田空港淑気満つ

寒の前不二家でコーヒーパンケーキ

成田エクスプレス仕事始めの人らしき

千葉に住む句の友のあり冬麗

初売りやもう大阪のおばちやんに 十河 智

 

13

[その後、コロナ禍の暮らし。遠い思い出](2020/9~10)

13−1

[コロナ禍]

 あれからコロナ自粛で家に閉じこもり、もう大方一年が来ようとしている。

 

春の雪自粛促すかのやうに

春浅し新型ウイルス猛威へと

触れ合ひを奪ふウイルス地球の日

夏の昼街角ピアノにシンガポール

思ひ出のガーデンズバイザベイの霧

コロナ禍の弾かれぬピアノ夏の駅

黒南風やウィズコロナウィズアルコール 十河 智

 

13−2

[ゴーツーキャンペーン]

 秋になって、人が動かされ始めたが、世界はまだまだコロナの禍中だ。トランプ大統領も感染したという。

 日本での感染者数、少ないと言いつつ、すでに8万人を超えている。いつまで続くのだろう。

 ゴーツーキャンペーンで、お得な旅とか食事とかができるらしいが、一方で地方でクラスター発生も、現実になった。

 マスクもアルコールも、心して続けなければいけない。慣れは恐ろしい。

 田舎へも帰らず、娘のところへも行かず、夫と二人だけのほぼ10ヶ月。呆けも鬱も、ひたひた近づいてきている。

 今度、10月第4週の月・火と日程だけ決まっている高校同窓の女子旅を、予定の日に、ゴーツーキャンペーンを使って、やることになった。

 このグループ、実は4月にも会食している。感染対策の万全なところで、安全に行動すれば大丈夫、幹事が確認しし、やることができた。

 今度の旅行も、いつもなら対面4人席にしておしゃべり全開となる筈のところを、お知らせメールで禁止と釘を刺されている。会える嬉しさが勝つので、みんなよく言うことを聞く。

 ゴーツーキャンペーン効果で、幹事は3万円台のところ1万5千円、半額になるという。確かに安い。マイナンバーカード、運転免許証、パスポート、身分証提示が宿泊施設で求められるので、忘れないようにとある。

 既に準備して、洋服も吊るしている。ワクワクする。 

 

菊日和いろいろゴーツーキャンペーン

秋高しコロナ禍中の選挙戦

初紅葉もうしばらくはウィズアルコール

マスクつい忘れて外の風寒し

十月の女子旅に要身分証

 十河 智

 

              完

あけびの実、初めて食べました。

あけびの実、初めて食べました。

          2020/10/07

          十河 智

 

 あけびの実を、生協の店で見つけて、その浅い紫色にみせられました。
 でも育った里の山で、食べたことがなくて、品物にもなんの説明もなく、食べ方がわかりません。関東以北の人たちのフェイスブックで、よく写真があるので、FBお友達に聞きました。
 千葉県に住むお二人は、子どもの頃、種の周りのジェリーを種を吐き出しながら食べたというのが答え。
 そのお一人が、山形の人のブログを教えてくれました。皮の食べ方がありました。どうもアク抜きをして煮て食べるようです。皮と実の間のもやもやが苦いと書いてあるので、想像するに、はっさくの苦味と近いかなと思いました。
 たまたまお習字の稽古日でした。ここのご夫婦は、お友だち先生は私と同郷、もともと娘たちが中学、高校で同じだったお母さんで、店をしていたとき、経理を手伝ってもらいました。掲示物が多い薬局で、それもイッテに書いて貰ってました。その旦那さまは、山形の人です。
 お習字の稽古の合間に、聴いてみました。
 私と同じで、故郷では、食べたことがなく、山形では、実よりも皮が大事、よく料理に使うと、ブログの人と同じ調理法を教えてくれました。
 地方色、ありますねえ。
 さて、買ったあけびの実、苦味と種で、主人は食べないと踏み、私一人でまず、二つに割り、まずジェリーをスプーンで掬いたべましたが、味わえる状況ではなくて、種を口中で選り分けるのに必死になりました。種が多すぎる。油断すると、呑み込みそうになるし、ジェリーがついたまま吐き出すともったいない。初めてだと難しい。でもあとで思うと、美味しかった。
 皮は、黒砂糖、蜂蜜とたっぷりの水で甘々に煮ました。アクをつきっきりで取りましたが、出来上がりは、ふわっと柔らかく、苦味が好きな私には、いい味でした。私の好みの味になりました。一瞬でなくなったです。
 あけびの実は、これで、私の一年に一回の味に、エントリーされました。

あけびの実その紫の色に惚れ
あけびの実種の多きにやるせなし
山形のソールフードかあけびの実
我にある苦味と同期あけびの実
あけびの実一年一度の味とせむ

句貼を拾ふ (2020/09)

句貼を拾ふ (2020/09)

        2020/10/01

        十河 智

1

渡り鳥

migratory bird

 

渡り鳥ざわざわ騒ぐ遊水池

migratory birds ;

a buzzy flood control basin 

 

2

渡り鳥

migratory bird

 

渡り鳥羽を休ます田の減りて

migratory birds having greatly reduced rice acteages ;

the places they have been resting their wings 

 

3

七夕

the Star Festival

 

七夕や伝説の地に住まふなり

the Star Festival ;

living in a place of legends and traditions

 

4

七夕

the Star Festival

 

今宵七夕短冊と竹の一枝(いっし)

this evening of the Star Festival ;

a strip of paper and a sprig of bamboo

 

5

秋の空

autumn sky

 

晴れの日の久しく無けれ秋の空

after the absences of sunny days for a long time ;

autumn sky

 

6

秋の空

autumn sky

 

秋の空暗雲立ちて不穏なり

autumn sky ;

a threatening situation of dark clouds hanging 

 

7

啄木鳥

woodpecker

 

啄木鳥の叩く音して旅の宿

an inn on a trip ;

hearing the sound of woodpecker knocking

 

8

啄木鳥

woodpecker

 

啄木鳥やふる里離れ住むところ

my residence far from hometown ;

woodpecker

 

9

鈴虫

bell cricket

 

鈴虫やこれをきくものわれひとり

bell cricket ;

I, the only one to hear its chirping

 

10

鈴虫

bell cricket

 

鈴虫の暮色に染まる世を治め

bell cricket reigns the world ;

the world where the dusk is descending  

 

11

松虫

matsumushi cricket 

 

少し山歩き松虫鳴く小道

hiking a short distance in the mountains ;

the path where a matsumushi cricket chirps

 

12

松虫

matsumushi cricket 

 

松虫の人恋しくて鳴きにけり

a lonely matsumushi cricket ;

chirping for an audience to be attracted

 

13

pear

 

ごはごはの手触り梨の個性とも

stiffness to the touch ;

characteristics of pears, exactly

 

14

pear

 

加へたる梨の甘味を褒めらるる

an addition of a pear ;

recieving praise for slight sweetness

 

15

席題2020年9月第一週(09/05~09/06)

「秋刀魚」

 

高すぎて目黒で秋刀魚焼かぬかも

新さんま虚しや今年売れ残り

鮮魚のサンマちらと眺めて干物取る

 

16

赤とんぼ昔在りし昭和と言へり

red dragonfly ;

" In the past there was an era called Showa ." they say

 

娘は、たまにしか連絡してこない。生存確認だそうだ。それでも、二時間は喋る。孫たちの話は楽しい。この頃小学校で、子どもたちには、「昔ね、昭和という時代にね、…………… 。」と教えるそうな。

 昭和生まれの娘がつくづくと言う。「私らが明治時代のことを言うのとおんなじやわ、よう考えたら。」

音楽の時間に、赤とんぼも歌わないのだろうか?

 

17

相撲せし姉弟もともに七十過ぎて

 

18

席題2020年9月第二週(09/12~09/13)

「秋晴」
①「秋晴」
②「秋日和」「菊日和」 

秋晴や庭師の手際飽きもせず
菊日和搬入忙しき市場かな
秋晴の飛行機高く高くとぶ

 

19

令和二年昭和生まれの秋思かな

sorrow of autumn of the middle of Showa era born ;

those occurrences at the second year of Reiwa era

 

令和二年、年を取って、こんなに大変な暮らしを強いられようとは。新年にはシンガポールを旅していたが、ゴーンさんが逃亡という大事件をそこで知った。コロナウイルスが蔓延、日本に豪華客船や空港からやってきた。そして豪雨、暑さ、台風までの異常気象。秋が来たと肌が感じてきたが、憂いがあるばかり。野山の惨状があるばかり。

 

20

9月第3週 

夏雲システム利用の合評句会

〜席題で一句〜

コスモス

秋桜(あきざくら)

 

コスモスの咲くといふ野を尋ねけり

コスモスに若者好むチョコ黄色

見はるかす埋め尽くしたる秋桜

コスモスの野にふはふはと風になる

休耕の田の持たらせるコスモス野

 

21

〜写真で一句〜

(イメージ、日本庭園園の池、太鼓橋)

 

花嫁のしゃんしゃん太鼓橋雨月

水澄むや借景の山その中に

秋晴れの青天赤き傘は伊達

 

22

9月第4週  

〜席題で一句〜

夏雲システム利用による合評句会です。

添水(そうず《そふづ》)

 

茶室へと導かれゐる添水かな

山奥の一際響く鹿威し

釘付けのおかつぱあたまばつたんこ

鹿威し夜中に光る獣の目

僧院の合宿の夜の僧都かな

 

 

漫ろ歩きの住宅街

漫ろ歩きの住宅街

          2020/09/30

          十河 智

 

 通信句会の投句をポストに入れにいく途中、住宅街の中を回り道、ぶらぶらしてみた。最近脚力に自信がなく久し振りの長い散歩になった。一人だとペースが決められるので案外楽に歩けた。

 私がここに来たとき、旧村との境にあった4軒長屋が、新しい一戸建て2戸に変わっていて、もう人が入っていた。

 住宅街の中も、コロナが少し収まって、工事が盛んに行われていた。多分、中途で停止していたものなんだろう。

 ポストもあるバス停で待合の椅子に座り、一休み。バスに乗る人たちが振り返って不思議そうだったが気にしない。サイレンを鳴らしてパトカーが疾走して抜けていく。滅多にないことで、驚いた。

 また住宅街の端っこの野鳥が観察できる池にまわった。この池は、あの池の水を全部抜くテレビ番組で、きれいにしてもらって、その後整備されたものだ。小さい池だが、気持ちよく風が吹いていた。睡蓮の葉が揺蕩い、しらさぎの羽毛が一つふわりと目立っていた。

 池の隣は運動場、端っこには雑然と秋の草花が咲いていた。萩、マーガレット、サルビア、キバナコスモス、そしてなぜか、彼岸花

 石のテーブルとベンチが、工事の人たちのお弁当の場所になっていた。私ももう一度休憩した。本当にいい風の吹く日だ。

 帰り道でちょうどわが町を一周する。住宅街の自治会役員の札は、新しく着た人たちの家にぶら下がっていた。途中であった人は、地域のお米屋さんで、多分私よりも10歳は若い人だが、もう老人になっていた。店は閉めた様だ。

 1時間半、暑すぎず、寒すぎず、ちょうどいい散歩コースだった。

 

秋の陽を選びて漫ろ歩きなり

朽ち長屋消え去りてをり菊の庭

バス停のベンチに長居秋蝶来

公園のベンチ弁当開け素秋

場違ひに植木の間曼珠沙華

一毫の白鷺の毛や秋の池

植えしやら飛んで来しやら秋の花  十河 智