「カズオ・イシグロ」 〈日本〉と〈イギリス〉の間から 、荘中孝之著(春風社) を読みました。

カズオ・イシグロ
〈日本〉と〈イギリス〉の間から
  荘中孝之著(春風社
  を読みました。

           2020/10/28

           十河 智

 

 [もう持ち歩き回って、本がグダグダになるほど読み終わるまでに長くかかった。]

 

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カズオ・イシグロのこと、その作品のこと

 日本人としての度合は、遺伝子を持っている、5歳まで長崎で祖父母との思い出がある。
 実際の彼は、育ったのはすべて英語。小説家になる為のコースで、学んだスキルを持って小説を書いている。
 英語で書かれた彼の文章に欧米人は日本的な物を見つけ、日本の読者や翻訳家はその日本的なものに違和感を抱く。
 元の本を読まずに解説を読むのは冒険、何も知らなかった時より、この本を読んでからのほうが、カズオ・イシグロが、遠くに行った感じがある。難解なテーマがある、文体にも凝った、翻訳者泣かせの大作ばかりのようである。彼にとって、見失った血流、5歳限りの日本では育たなかったかもわからない日本人としての素質、日本を異郷と思うまでには日本を突き放せず、ほぼイギリス人として教育された彼が、原点へ回帰したい微かな思いを秘めて、幻の故郷、祖父母、5歳までの自分を作品の中へ鏤める。その覚めた眼で、人や、社会、世界を見つめ問題を提起する小説を書く。
 大方の研究者や解説者が、彼は日系ではあるが、イギリス的イギリス人、正統的イギリス文学の系譜に連なる本格的英国作家と認識しているようだ。
 イシグロの作品には、作品にあった長崎が、作家の意図する線に沿って描かれているといい、その現実と虚構、あるいは現在と過去のあわいにこそ、小説家としての彼の力量が発揮されていると、この著者は書く。

 あとがきを引用すると、

 「日本」と「イギリス」の間を揺れ動きながら、双方に対する愛着を抱きつつも、そのどちらでもない立場から両者を相対化している。さらにこのイシグロの独特の位置が、あらゆる対象と一定の距離を保ちながら、それらを冷徹に、そして客観的に観察するという態度を生み出し、またそれが特定の価値観だけを支持しないという作品の倫理観とも結びついているように思われる。

ここに全てが集約されているのだろう。
 
この解説書を読んでいて、私はイシグロの作品を想像しつつ、嘗て好きでのめり込みつつも、とても読むのに苦労したカフカを思い出すことが多かった。この筆者も、掠める程度にこのあとがきで、カフカとの類似点に言及していたのには驚いた。
 この年寄が、この先、あのカフカのときのような苦労をして、カズオ・イシグロの作品を一つでも読めるだろうか。クローンのことを扱ったものなど、興味はすごく湧くのではあるが。

 


翻訳についての考察
 
 この本を読んでよかったと思う章がある。
 言語間での翻訳による作品のズレや歪みについて書かれている、

 『第3章 英語で書かれた想像の日本語
 ―――カズオ・イシグロと翻訳』

である。 
 
 普段から言語の翻訳とか母国語でない英語が共通語となりうるか、ということには深い関心を持っている私にはとても興味深い。
 どこを取っても、考えさせられる記述の連続だった。

〈翻訳に関する論争〉
 表現は発信する方にも受け入れる側にも意図、あるいは意志があり、それ故、原文と翻訳双方から歪みが生じる。カズオ・イシグロの作品に翻訳を巡って、または、原文としての彼の英語を巡ってさえも論争や、問題視する評価があったことが述べられている。
 私はまだもちろん原著でも、日本語訳でさえも、カズオ・イシグロを読んだことがない。だが、この章に書かれていることは、外国語を表現の道具として使おうとする者には、普段から直面する不安をそのまま言い当てられ、見透かされた思いがする、普遍的で、逃れられない問題を提示している。
 そして、もっともっと本質的に後方に有しているそれぞれの言語世界や文化に絡め取られて、翻訳者は、原著を読むときと翻訳するとき、原作者と自分の言語世界のズレに悩み、二度歪みを生じうるのだ。
 カズオ・イシグロは、正当な英語教育を受けた英語の表現者であり、そこを誤解してはいけないという。推測するに、彼は、手慣れた英語の文体の中に、日本らしさを意図的に散りばめさせることに成功したに違いない。英語を母語とする国々ではそこを高い評価で受け入れられているという。
 ところがある作品の日本での英文学者飛田茂雄による翻訳を読んだ富岡多恵子が、朝日新聞社で「翻訳が文学作品から遠い日本語になっている。」と批評、高橋源一郎も雑誌『翻訳の世界』で、富岡に同調した。作家の立場から、翻訳においてもまず日本語の文学作品として自立しなければならないと考えたからだと書かれている。
 雑誌『翻訳の世界』に、翻訳した飛田自身が富岡に反論した、
 「富岡多恵子氏に反論する――軽々しい言葉は文芸批評を腐敗させる。」
 ここでの反論が引用されている。
 「富岡さんは原著を読んだことがないのに、イシグロの文体を勝手に想像して、その実態なき幻と邦訳の第一印象とが一致しないいらだちを翻訳者にぶつけてみたかったのかもしれない。」

そして、この本の筆者は、富岡が
 「イシグロの散文が英国で高い評価を得ているのには特有の文体、リズムがあるはずで」とおそらく自ら原作を読んでいないのであろうということを暴露してしまっており、彼女に翻訳の質について述べる資格が十分にあったとは言い難いとしている。
 また冨岡多恵子、高橋源一郎の二人は英語の原著には触れておらず、翻訳文学への観念的な意見を述べたに過ぎないとも書いている。
 この論争は一応ここまでであるが、その後数名の英文学者がイシグロの翻訳をめぐって、より精緻な議論を展開していると紹介されていて、富岡の一文が、彼女自身が予期していたよりも多くの反響を呼んだ、またこの一文が、イシグロの翻訳に関するより複雑な問題を内包していたと、分析している。

カズオ・イシグロの意図〉
 筆者は次節に、イシグロの原文と、飛田の翻訳、これを並べて、具体的にズレの問題を見せてくれている。イシグロのインタビューなどで残した、証言もあったり、とても面白く読めた。
 イシグロの言葉はこうである。
 「ある意味でそこでの言葉はほとんど疑似翻訳のようなものにならざるをえません。つまりあまり流暢すぎてもいけませんし、あまりたくさん西洋的な話し言葉を使うわけにもいかないのです。それはほとんどまるで英語のうしろである外国語が流れていることを示す、字幕のようなものでなければならないのです。」

 つまりイシグロは日本人の登場人物たちが話す日本語を想像して、まるでそれを英訳していくようにこの作品を書いたというのである、と筆者はこのイシグロの言葉を結論づけている。

 こんな字幕のような、翻訳のような、文章が初めから用意されているのである。こんな文章の翻訳に、さらなるズレとギクシャクさはあって当然で、それが原文に忠実ということなのかもしれない。流暢さを翻訳の際に取り戻しては、原作の風合いが保たれなくなると、私にも感じられた。

 


英語ー日本語、その橋を渡る私のこと

 

 この翻訳論を読んでいて、ここで少し、私のことを書きたくなった。私と英語との60年。
 
英語は、昭和21年生まれの地方育ちの日本人としては、普通に、中学校1年生から始めた。中学校の英語の先生3人、どの先生も、熱心だった。
 どういう経緯だったか忘れたが、その頃、プロテスタントの宣教師さんのおうちで、新約聖書の対訳本で、毎週一回読書会があって、ほぼ一冊読み終えるくらい参加している。公立の学校だったし、家も真宗、ほんとにどうしてそんなところに行ったのだろう。友達とお茶を目当てに行ったのかも。ホームメードのケーキというものをそこで食べたことは思い出された。
 新約聖書は対訳本だったので、そのときはほぼ日本語での講義だったが、のちのち英語を読んでいる。このときの日本語にとても違和感を感じていた。宣教師さんの話す日本語の肌合いなのかもしれないが、聖書に書かれた日本語訳自体に感じたと思う。大人になって読んだ旧約聖書は普通に物語であったので、やはり訳が原因なのだろう。
 高校では、ESSで活動し、英語劇を毎年文化祭でやった。皆で、英語のドラマ脚本を、自分たちのわかるレベルに翻案簡潔に仕立てて、1年生でアリババ、2年生で、何故かシェイクスピアの喜劇、でも難しいことをやりすぎて、何がなんだか忘れてしまって。その後3年では受験もあったので、ただ当日の照明を手伝っただけ。ただこれらの英語のドラマ公演の活動に付随して図書館で読んだ原語のシェイクスピアには驚いた。英語にも古文があったことを知ったのだ。たどたどしく拙くしか読めなかったが、韻律が心地よい吟遊詩人の語り部の部分が今も少し思い出されるのである。
 大学でもESS、ドラマをやった。主にハリウッド映画の脚本を取り上げたので、アメリカ英語だった。地方から出てきて、学校でしか英語教育を受けていない女子は、しごかれた。発音が悪いと達人から矯正された。私が話す英語に億劫なのはこのときのことがトラウマなのかなと思う。
 ESSでは、そのころ流行りのフォークソングBeatles、Simon&Garfancle、Carpenters、と歌も歌い、ディベートなどもした。英語に気楽に親しめた。
 教養の授業で読んだ、あまり多くはないが、原著の名文も、糧にはなっているだろう。
 その頃から、童謡だけではなく、レコードやNHKなどの放送で英語で詩の朗読などを好んで聞くようになった。歌詞の中にある深い意味の内包に、英語の魅力を感じ、音楽のリズムに乗る英語が耳に心地よかった。
 ボブ・ディランノーベル賞を受賞したというニュースは私には驚きではなく当然だった。
 英語は、意味を獲得し内包できる言語で、重ねて言い尽くし文章にすることで、より正確な彩、容貌が表現されていく。文章の表現者の力量が、読むものの理解に、即影響を及ぼす。
 カズオ・イシグロに少し戻ると、彼が、小説の中の日本人の英語力に応じた表現ということに拘った訳が、このあたりにあるような気がしてならない。
 大学時代に、専門課程で、Merck Index、そしてChemical Abstructという、化学をするものには必須の英語に接した。薬学部の図書館によく通った。
 これは後に社会人になって、製薬会社の分析部門に入ってからも、会社の図書室で閲覧し続けた。実験の手法や取っ掛かりのヒントを得るものであった。CAは入社試験に読んだ頃のある一文が出て、得をした。この頃から、部署のために、研究報告や抄録などを翻訳することがあった。後に結婚して産業衛生関係の職場に変わっても、有害事象や、規制の最新情報を翻訳することが続いた。
 子育てのために常勤を辞めたが、翻訳だけは在宅でと頼まれた。ある意味暇になったので、翻訳関係の半年コースの通信教育を受けてみた。文学作品の課題が多く、まあまあいけた。
 その後、トライアルを経て、医薬品開発関係の文献の翻訳をする会社から仕事をもらった。しかし、もっとこなれた日本語をと、全面の赤が入る。直されてくる日本語を実験者としての私が気に入らない。これでは実験の再現には曖昧で意味がないと思うのだ。そういうことが続き、すぐにそこは辞めた。今思えば、実験する人は原文を読める。別にそれほど考えずに、続ければよかったのかも、なのだが。
 子育て中は童話なども読んでやったりはしたが、少し英語からは遠い暮らしになった。
 俳句を始めた時、英語で俳句を作る結社があって、興味を持った。何かわからないが、辞書を片手に、自分の英語で作り始めた英語俳句が、丁度いい吟行にもなったアメリカ西海岸旅行を経て、習い性となってきた。
 インターネットに慣れた頃に俳句大学というフェイスブックのグループに参加したが、類が類を呼んでいたのか、このグループに、国際俳句の部門ができた。背伸びせず、片意地を張らず、自分の英語で、俳句を作って行ってみようと、英語でも日本語でも俳句を作っている。訳ではなく、どちらも作っている。
 なんとなく英語に愛着がある。
 他の外国語は続かなかった。音の連なりとして聞くのは好きで、ドライブ中はNHK第2放送の語学講座を流したりする。ながらで外国映画やワールドニュースっをテレビで聞き流したりもする。意味のわからない流れるような耳で聞く言葉が気持ちいい。何語でもいいのがおかしいが、とにかく音楽よりも心地よい。しかし私にはなんの学習効果もないようだ。
 意味を知りたければ字幕がある。世の中にほんの少し専門家がおれば、いい時代になった。
 孫たちは、どんな田舎にいてもテレビや教材でオリジナルの英語を聞いて育っている。
 日本語の古語の美しさを返って特別に教える時代になってきた。

カズオ・イシグロの本の一部だった章にのめり込んで、ついつい英語との付き合いを思い出しつつ、いっぱい書いてしまった。これでやめておこう。