家と半生の整理をしました。  

家と半生の整理をしました。

          2020/09/30

          十河 智

 このところ、家の中を整理していた。

 薬局を廃業してから6年過ぎ、保存期間がある書類などを廃棄できるようになり、もとの薬局の知らない間に、倉庫化していた店の中を空にして、ほんとに動けなくなったときに備えたいと考えた。

 まずやったこと、保存期間の過ぎた書類をシュレッダーにかけては、焼却ごみに出す。かんたんなシュレッダーが、あと少しというところで潰れ、鋏で切り刻む羽目になった。

 また、廃棄する医薬品は、薬とわかる原型は留めないのが原則、包装を全て外し、粉々に砕き、水を含ませて、捨てられる状態にする。これが案外時間と指先の力を使う。これも、廃業直後から少しずつかなり時間がかかった。

 今も継続中の学校薬剤師業務以外の痕跡は全て消えた。

 

 いよいよ、家自体の整理にかかる。

 店舗だった部屋に荷物をすべて、まず集めた。不用なもの、自宅へ持ち帰るものを、場所を決めて分けて置く。

 各部屋から運ぶとき、3階建ての家の上下の移動はかなりの体力を使う。思っていたとおりにはなかなか行かなかった。

 ここは、娘たちが転勤の度に荷物の預かり場所になったり、姪たちが、大阪へ出てくることで一時暮らした場所でもあった。姪たちの残した家具もあるのだ。

 整理ということでは、新しい経験もあった。去年の今ごろから、思い立っては移動したり、売りに行ったり、捨てるものと残しておくものを仕分けていた。ブックオフは経験済みだが、セカンドストリートにもだいぶ通った。ほぼ0円での引取だったが、たまに値が付いた。

 インターネットは送ったり、お金のやりとりが面倒そうで、手を着けなかった。

 廃業直後に、これも一年ほどかけて、免許まだのあるうちに、在庫医薬品の処分をした。

 その折には、府内の業界内でのオンライン取引でほぼ全品の処分をしている。こまごまと薬価の1円単位まで計算し、伝票を作り、送り状を書き、処理していった。

 それを思うと、できるかもしれないが、5才歳を取った今、いかにも面倒そうに感じて、インターネットで売るというのはやらなかった。

 ある程度のところで諦め、片付け屋さんに一括処分してもらうことにした。

 薬局で使っていた大きな棚や椅子などの備品は、すべて処分した。

 細々した調剤用の道具類は、同業者に見せて、ほしいという人に渡していった。開設当時は、薬局の備品として必要とされた無駄になる器具類があった。一度も使わなかったそんなものも出てきた。まだ使えるが、消耗品の未開封の試験紙や濾紙は、ハンドオフに引き渡した。

 残ったのは、

 一揃のガラスの実験器具(計量用、一輪挿しなどへの転用)

電子天秤(台所に置いた)、

300℃と100℃目盛の温度計2本(調理用に使うつもり)、

ステンレスの篩セット(主人の陶芸に使うらしい)、

PH、遊離残留塩素濃度用比色計(学校の水質検査用)

顕微鏡(孫に取っておいた)、

照度計(何かの役に立つかもと)

 掲示用に使った額とか、開店の祝としていただいた書や絵は、残した。額は、気に入りの自分の句を書いたりしたいと思うし、贈られた書と絵は地方の展覧会では入賞するくらいの人の作品で、思い出深いのだ。

 将来は、やはり娘のいる街へ行こうと思っている。主人は郷里へと考えるようだが、弟たちには孫が少ない。同じように老いる友人たちがいつまでも付き合ってくれるとも思えない。

 店舗付き住宅は、まだどうするか未定だが、今のところ夫婦が角突き合わせたくないときの避難場所として機能している。

 娘の希望通り、全て処分して、最後の土地へ行くべきか、月々の収入源に貸家にすべきか、まだ迷っている。ここは市内の便利な場所にあり、しっかり建てられているのだ。

 

 親が用意してくれた自宅は売って出るつもり。車がないと暮らせないかつての新興住宅地、60年経って、今若い人達が入ってきている。古い家は、まず壊されていく。少し寂しいが、あの家もこの家も、更地になり、新しい家が建つ。もうそう遠くない自分ちの未来を見て暮らす。

 賑やかにご近所で暮らした人たちは、どこかへ消えていった。まだ亡くなってはいないはずだが、今生の別れになるだろうと思っている。

 

手際よきプロ片付け屋菊日和

長月や残す残さぬまだ迷ふ

新米も三合炊いて小分けして

秋天や祝うてくれし画家や書家

秋思また余生を過ごす場所のこと

セイタカアワダチソウ帰化半世紀

壊されし家の住人秋彼岸

秋気澄む真四角真白なる新屋

望月やわれらもいづれこの屋去る  十河 智