コロナ禍、あれこれ

コロナ禍、あれこれ
          2020/04/02
          十河 智

 今日はいつもの食パンを外環沿いのヤギカフェに買いに行ってびっくりした。コロナの影響で、4月12日で閉店するという。3月初めくらいから、営業時間は短縮していた。横断歩道を隔てた向かいが府立の治水緑地公園で、桜並木があり、運動公園や遊具のある広場になっている。たまにしか行かないが、いつも座席は埋まっていたし、食パンが美味しく、ウリにしていて、私も、それを買いに行っていた。
 今日、パンを買いに行くと、閉店の貼り紙、嘘かと思った。パンのことを聞くと、それも終わりという。もう他のパンが食べられないくらい気に入っていたのに。
 早めに閉めるのだろう。復活もあるかもと期待しつつ、帰ってきた。我慢。客も店も。

その下を歩く人なし夕桜
霾るや鰻登りの感染者
花時の行楽自粛カフェ閑散
閉店の告知突然三月尽
春三日月食パン旨き店閉ずと

京都産大クラスターが発生。
 実は、二三日前のこと、いつも集まる友人たちに、京都で花見をしたいという話が持ち上がっていた。10人グループで花見となれば、飲食もする。やはりやめておこうとなった。一昨日のことである。
 その晩、家に籠もって退屈なので、友人に電話したりしていた。京都の別グループの友人は、アマチュアのオーケストラに大阪いずみホールにその日出掛けてきたという。京阪は空いていて、ホールも、3分の1くらいしか充足していなかったと言うが、不要不急の外出は、まだまだあるような感じがある。
 そこへ、京都産業大学の学生の大クラスター発生。件の友人の行ったオーケストラ公演はこの大学関係の人たちもいたと聞いていたので、ちょっと心配になってきている。
 若者は、移動が迅速かつ広範囲なのに驚く。帰省という時期でもあろうが、全国に往来闊歩している。そして、新たな地域で感染者として数に上がってくる。しかしまだいい。後からでも行動がわかってくる。対策、いわゆるクラスターつぶしが可能だからだ。
 昨日から、中高年の夜の行動が、問題視されている。「接待を伴う飲食」、詳しく語らない人が多いそうだ。そこがわかれば、かなり感染を追っていけるということのようだが、できないらしい。
 保健所による調査は規模が大きくなるにつれ難しいとは思うが、よくがんばっていると思う。
 拡大させない努力は、全ての人に求められている。

 ”Stay Home!”

三密に集まるなかれ春の夜
会はずとも壊れぬ絆三月尽
学生の町再確認京の春
ウイルスは人を選ばず朧中
桜時世界の標語ステイホーム

 学校は、あと少しで春休みというところで、再開となり終業式だけはやって、春休みとなった。
 学校薬剤師の担当校から電話があった。
 学校は、人の集まる場所としてのウイルス対策が必要で、物資の調達はたいへんである。マスク、消毒用エタノールまでは今までもよく言われてきたが、四月からは、体温測定が必要で、非接触型の体温測定器が多数を一度に衛生的に測定するによかろうと、薬局、ドラッグストアなどをを探してみたがどこにもないという。手に入るルートはないかという。私は今店を持たないので、薬剤師会を通じて何軒かの医療機械卸に聞いてもらった。どこの薬局も卸は在庫がないという。薬局では、電子体温計の普通タイプは普段なら売り場に置いてあるが、今はそれさえも、卸から入ってこないそうだ。こういう特別なものは、いつも置いているわけではなく、平時でも注文して取り寄せる。お手上げ状態である。
 体温計が全くないわけではないので、一度使っては消毒、で当面はやり過ごしてくださいと、そういう結論にならざるを得なかった。
 その後親しい学校薬剤師と話をすると、その人は、担当校用に、卸にいつ届くかわからないが、入り次第での注文をかけているという。それに相乗りしてあげることも考えた。が、うちは主人がヘルスケア用品も作る家電に勤めていたので、ひょっとしてメーカー直結の電器店には在庫があるやもと、上新電機の関連売り場へ行ってみることにした。はじめは何ヶ所か回るつもりでいた。上新になければ山田電機にも。
 マスクは国内でも生産していて、流通がうまく行っていない面と買い占めで、市場が空になっている。需要が増えたことだけが理由ではない。しかしこんな非接触型の体温計は、どこかで大きな店の片隅に置き忘れられたかのように残っているのではないかと期待したのだった。
 上新に行って、驚いた。中国で作る部品の製造がストップしていたのが、店に入らない理由だそうで、今は予約を受け付けているという。ただ入荷時期については、はっきり言わない。言えないとの一点張りである。
 現品であれば、とりあえず買って押さえて、学校が買わないときは返品もできるが、予約は勝手にはできないので、予約可能なものの、品番、メーカー名、価格を、学校に伝えることにした。上新のどの店舗でも予約受付可能ということも確認した。
 早速に、相談を受けた学校ともう一つの担当校に連絡、FAXで、得た情報を流した。
 四月の始業までに、間に合うかどうかはわからないが、折しも今日のニュースで、中国で工場再開と言っている。楽観的にぎりぎり間に合うと考えておこう。

桜咲く校門通過体温は
接触社会的距離保持の春
中国の工場再開黄砂降る
気がつけば四月一日パンデミック
春の夜にあるとふ接触接客業


 刻刻と情勢が変化する。ヤフーでクリック。朝からテレビでニュースを追い続けている。同じことを何度も聴くことも多いが、少しずつ、ほんとに刻刻と状況が変わっていく。特に外国の状況が気になる。今まで興味本位でたまにしか見なかったCSのCNNやBBSをよく見るようになった。
 各国首脳による会見の模様には緊迫、切迫した状況が滲み出ている。そのような段階にまで行ってはならないと切実に思う。
 ニューヨーク州知事は、毎日のように、あなた達の明日の姿だ、他人事ではないぞと叫んでいる。人工呼吸器が足りないと悲鳴を上げている。テレビを安穏に見ている自分が情けなくなるくらいだが、どうしようもない。
 ただ、医療崩壊がどういうものか、新型コロナウイルスがどれほど恐ろしく、移りやすいものかがとても伝わる。
 今日のテレビの専門家の解説では、増加の傾向が規模はまだ小さいが指数関数的なものに変わっている傾向が見られるという。爆発する傾向があらわれてきているという。
 家にいることが一番というのなら家に籠ろうではないかと思う。テレビを通じてではあるが、外国の有り様は、心底、出歩いてはいけないと、思わせる。

麗らかや消えてしまひしニューヨーカー
アメリカの春暁にある呻きかな
刻刻と数字は変はるはや四月
若駒や所業所在の奔放に
春灯や家に籠もれと留処なく
 

 母の末の弟が、3月30日亡くなった。跡取りの弟から、通夜はもう終わっており、31日が葬儀だと連絡が来たが、お香典だけ頼んで、行くのはやめました。
 郷里は香川県、ちょうど香川出身の京産生の行動履歴が報道されたところだったし、大阪や兵庫での感染者の増加もある。自分がキャリアに既になっている危惧も万が一にはあるのだ。感染地域から外へ出るのは控えるべきだと思った。
その日、東京から愛媛県へ葬儀に参列した人から、感染が広がっていると報道があった。そういうことを見ると、この判断は正解だったと思う。
 それでもかなり寂しい。
 母の5人の兄弟の最後の人であった。年が近く、10歳も違わず、あんちゃんと呼んでいた。
 若いときは、進学校の高等学校を勝手にやめたり、家出したり、祖母に「不肖の息子ほど可愛い。」と言わしめ、尻拭いばかりをさせていた人で、「高校だけは。」と、祖母が主張し、別の高校へ入り直した。が、卒業後、出奔し、10年くらい行方がわからないときもあった。30歳過ぎに、明治牛乳のトラックに乗って帰ってきた。そして、それからは地元で結婚し、子供二人を育てて、地味に暮らした。牛乳と新聞の配送配達を生業とし、カラオケが趣味であった。面白い叔父であり、思い出ばかり溢れてくる。祖母の本屋の本を手当たり次第読み進める競争者であり、仲間であった。「学校だけが、価値を作るものでもないし、人生でもない。」と教えてくれた人でもあった。
 叔父や叔母、母の兄弟が80歳台で、次次亡くなっていった。戦後すぐの出産で母も栄養状態に問題があり、長女の私はよく祖母に預けられていた。みんなにかわいがって貰った。先おとどし、おとどしと他の二人が亡くなったときには飛んで帰って、見送ったのだが。その時時にこの叔父にもあっているが、足が萎え始めてはいた。支えられて歩いていた。最期は介護施設にいたそうである。
 故郷がぐんと遠くなる。切ない。寂しくて涙が出る。

入学式二度目は母に願はれて
大海へ飛び出してゆき遠蛙
菜の花やトラック野郎になり帰る
カラオケの自慢話や春の雪
あんちゃんと呼びたる昔春炬燵