文豪と俳句」 を読みました。

文豪と俳句」を読みました。

        2021/09/02

        十河 智

 

「文豪と俳句」

    岸本尚毅著 

    集英社新書

 


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 岸本尚毅さんの選を受けている句会から、岸本さんの新著「文豪と俳句」が送られてきた。一括購入して送料は句会費から出す形で、本が届く。

 この本は軽い読み物として持ち歩いて読める。尚毅さんの文章は纏りが良く、上手く途切れるので、その意味でも持ち歩きに良い内容であった。章の副題が、絶妙で、読む気を起こさせた。

 取り上げられた作家の俳句の半分は昔どこかで読んだ記憶がある。したがって、俳句もそれなりに読んでいたものがあった。名前は十二人、全て知っているが、内田百閒、川上弘美は、作品を読んだことがない。

 副題のユニークさは、各章に独特の核心への迫り方を要求するかのようで、作家ごとの章、それぞれは独立し、その作家の俳句を紹介するのにふさわしい方法で、構成も文章の組み立ても為されているように感じられる。

 全体は、「俳句を読む」という統一テーマ。

 個個の作家へは、その作家の俳句の、一番良い形で丁寧に俳句を紹介し、文豪の、俳句との繋りの緩急・度合から、俳句をどういう思惑のもとで発し、どのような形で発表したか、まで、作家を何も知らなくても、俳句をしているものには、とても興味深く、いつも接する俳句世界とは違うちょっとハッとするものを見せて貰えて、示唆に富み、読み物として、面白かった。

 

はじめに

 小説家に焦点を当てたことで、彼らの多様な俳句への切り込み方に頭を悩ませたとある。

 そして考えた末の切り込み方が、的を射たその対象者によくあった鑑賞法を、引き出せている。

 

【その1】

幸田露伴〉の章

  ─露伴流俳句の楽しみ方

 

「いずこへ行きたもう父上よ。

 

老子霞み牛霞み流砂かすみけり 露伴

 

 逝きたもうか父上よ。

 

獅子の児の親を仰げば霞かな 露伴

 

 親は遂に捐(す)てず、子もまた捐(す)てられなかったが、死は相捐(す)てた。躍りあがれぬ文子が一人ここにいる。」

露伴の娘幸田文が、『父―その死―』

の中で、記した思い。その文(あや)の心の中に露伴の俳句が入り込んでいます。」と岸本尚毅さんは紹介しています。

露伴は少年時代から俳書に親しんだ。青春の鬱屈を俳句に託した。小説の趣向に芭蕉の句を使った。身内を相手に自宅で俳諧を講じた。」

「膨大な仕事の合間を縫っての折々の句作」

「その文人としての全人格を以て、作り手としてのみならず、読み手として俳句に向き合ったこと、さらに、俳句が家族との絆になったことなども含めれば、露伴の俳句生活はとても充実し、幸せなものだった」

 岸本尚毅さんの露伴の章はこう結んでいます。

 

【その2】

尾崎紅葉〉の章

  ─三十五歳の晩年

 

岸本尚毅さんは、『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉俳人としても声望があり、秋声会の幹部であったと紹介し、発表した句に見られる推敲のあとを追っておられる。

 

元日の混沌として暮れにけり 紅葉

「太陽」明治三十一年一月一日、

俳諧新潮』明治三十ニ年と明治三十六年の年頭詠に使う。

 各文節の音数がぴったり五七五、句形が美しい。)

混沌として元日の暮れにけり 紅葉

(明治三十六年九月十九日刊『俳諧新潮』に収載。 

 紅葉は、三十五歳で、明治三十六年十月三十日に胃癌のために死去。

 胃癌で死を意識した後改作したと見られる。

 改作の結果、句意の明瞭さと句形の美しさは減じますが、「混沌」が強調される。元日のめでたさを押し殺すように、「混沌」が一句にかぶさる。改作で、この句は、三十五歳の晩年を象徴するような作品になった。)

混沌として元日の暮れにける 紅葉

(別の『俳諧新潮』が存在し、死を間近にした紅葉がこの句をさらに推敲した可能性があるとしている。「けり」を「ける」に直し、句末の切れを弱めている。これで、句頭の「混沌」が強調され、より作者の気持ちに叶っているように思われると、岸本尚毅さんは書いている。)

 紅葉が、最晩年に残した病床の日常句を、子規のそれとも比べつつ、岸本尚毅さんは、紹介・解説を加えている。

絶筆

 寒詣翔るちんゝゝ千鳥かな 紅葉

(死の八日前の吟。

斎藤松洲の絵の讃として。

 ここでも子規の

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」

をだして比較し、岸本尚毅さんは、紅葉の絶筆の遊び心、最後まで見せた、洒脱さとサービス精神を指摘している。紅葉は、根っからの俳句好きだったと言っている。)

 

【その3】

泉鏡花〉の章

  ─鏡花的世界の精巧なミニチュア

 

(この章は、変に抜粋したりするより、岸本尚毅さんが、句に感じ取った物語、鏡花的ミニチュアのような、という世界を、鏡花が作品に描いた実物大のお話の中に見つけ出して、書き込んでおられるので、是非読んでもらいたいなと思う。とっても面白い展開で、俳句にこんな解説もあるのかと、目からウロコであった。題と句、セットで二、三、上げておく。)

 

❋人とる沼

わが恋は人とる沼の花菖蒲 鏡花

 

❋人形

山姫やすゝきの中の京人形 鏡花

 

❋能の面影

打ち乱れ片乳白き砧かな 鏡花

幻の添水見えける茂りかな 鏡花

 

(岸本尚毅さんは、能に造詣が深く、演目についてもよくご存知だと、仕舞を長く趣味でお習いの句会の先輩俳人から聞いたことがある。一緒に能舞台をご覧になったとも聞いた。そんな岸本尚毅さんの、この節の鑑賞文は、圧巻と言える。舞台が再現されているようであった。)

 

❋母恋

灌仏や桐咲くそらに母夫人 鏡花

 

(この句は、岸本尚毅さんが、愛誦してやまない句だそうです。「桐の花のかなたの空に釈迦の母の摩耶夫人がいて諸々の衆生を見守っている。」そういう句だそうです。鏡花には、摩耶夫人像を素材にした『夫人利生記』という作品があり、九歳で母を亡くした鏡花の母恋の思いがよく現れているそうです。そこにある母の像、「永遠の女性」のイメージが、この句にも美しく現出している。岸本さんの締めくくりの一行にこう書かれていました。)

 

 

【その4】

森鷗外〉の章

  ─陸軍軍医部長の戦場のユーモア

 

”戦場”と”ユーモア”が言葉として並ぶと、かなり違和感がある。岸本尚毅さんはなぜこんな題をこの章に付けたのだろうか。そこが知りたくて、ぐいぐいとひきこまれるように、読み進んだ。

 

 鷗外の俳句にある言葉選びによる遊び、ユーモアと、その俳句が作られた周辺の戦場、日露戦争の戦績の実態とが、並べて交互に記される、奇妙な構成。それを読んでいく。

 

 岸本尚毅さん自体、「鷗外の句の持つおかしみ、一兵卒の句であれば、戦場の一コマということで終わる。しかし『死傷約七千』の陣中にある軍医の句だと思うと、鷗外はどんな思いでこの句を詠んだのだろうか、鴎外にとって俳句とは何だったのだろうか、と問いたくなる。」そう疑問を投げかけています。

 

 岸本尚毅さんの挙げた、鷗外の句と戦況を、並べてみます。句は、戦地で鴎外が詠んだ詩歌を、戦後自ら編集した『うた日記』から引用されている。

 

日露戦争、その戦場のユーモア〙

 

素足らで 粥に切り込む 南瓜かな 鷗外

『「切り込む」は、精兵たる米が足りないので、予備役の南瓜が決死の覚悟で粥に切り込むというユーモアです。』と岸本尚毅さんは書いている。

 この句には、「明治37年8月31日於沙河南岸高地」と詞書が添えられている。

 以下は、その日の戦闘の戦報に記された内容である。

[日露両軍で四万人以上の死傷者を出した遼陽会戦のさなか、31日午前3時頃からの夜襲を決行。初め主山堡南方高地の南部を奪取するも、地勢の有利な敵の逆襲を受け、奮戦乱闘の後、多大の損害を受けて高地脚に撃退せられたり。我が軍の死傷者約七千。]

 

朧夜や 精衛の石 ざんぶりと 鴎外

「明治三十七年五月二日鎮南浦にて閉塞船の事を聞く」と詞書。

『「旅順港閉塞作戦」の報を耳にした鷗外が、「精衛の石ざんぶりと」と洒落たのです。句は威勢がよいのですが、作戦は失敗に終わりました。』と岸本尚毅さんは書いている。

 これは、戦史に残る「旅順港閉塞作戦」のこと。

[五月一日、第三次閉塞隊の輸送船十二隻が出撃。その報を聞き、鷗外は五月二日にこの句を作った。翌五月三日、旅順湾口に突入した閉塞隊は多くの犠牲を出し、作戦は失敗に終わった。]

 

次の節で、岸本尚毅さんは、鷗外と子規・虚子との接点、交流を述べて、先の疑問を解き明かそうとします。

 

〘鷗外と子規・虚子〙

戦場にあって俳味のある句を詠んだ鷗外には俳句の下地があり、俳句との接点に正岡子規高浜虚子がいたと、岸本尚毅さんは、鷗外と、この二人との交流について、書いています。

 子規とは、彼が従軍記者となった日清戦争の戦場で、鷗外を訪ねて出会い、俳句を語り合い、手紙を出し合った仲でした。その弟子である虚子に、鷗外は「俳句のことは分からぬから選をしてくれ」と、虚子に『うた日記』の中の俳句の選をしてもらったそうです。虚子の添削した句も紹介しています。

 『うた日記』には、鷗外が日露戦争出征時戦地で詠んだ詩歌を、戦後自ら編集したもので、短歌三百三十一首、俳句百六十八句、新体詩五十八編、訳詩九編、長歌九首が収められています。

 

瞑目す 畔の馬楝の 花のもと 鷗外

 

馬楝(ばりん、ネジアヤメ)

 

この句の前に、四千名の死者を出した南山の戦い(明治三十七年五月)を詠じた「唇の血」という詩が置かれています。その末尾は、「侯伯は よしや富貴に 老いんとも 南山の 唇の血を 忘れめや」と結んでいるそうです。

 岸本尚毅さんは、この詩と句をこう鑑賞しています。

「兵の犠牲で功成った『侯伯』に毒づいた鷗外は、瞑目して兵の死を悼みました。」

 

『うた日記』の俳句と、それに伴う戦争の現実を伝えようとする詩歌、また、元歌として根を下ろす古典の素養。その生み出す軋轢についても岸本尚毅さんは、書いています。

「伝統的詩文の素養を備えた鷗外の紡ぎ出す詩句は、『兵どもが夢の跡』や『海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍』のような古典の地平に近づきます。反面『死傷約七千』という近代戦争の過酷さからは遠ざかります。戦争の現実と、詩歌としての洗練をどう関係づけるか。その問いは詩人の内面に軋轢を生みます。」

 

五百七十五編を収める大著『うた日記』

そこに見る詩想は、多種多彩。

 

「戦地にあって千々に乱れる心をそのままぶちまけたかのように圧倒的です。投入された詩的エネルギーの巨大さは、鷗外の詩心に戦争が重たくのしかかっていたことを物語ります。この『うた日記』にとって、俳句はどのような意味をもつのでしょうか………。」

 

 岸本尚毅さんは、『うた日記』の中の、蠅が妙に印象的と言って、取り上げています。

 

 鷗外は蠅を、詩、短歌、俳句の三詩形に詠み分けていて、「蠅の卑俗さや諧謔味がどの詩形にも生かされています。」と言い、また「漫画的な蠅の様相を鷗外は自在に詠いました。」とも。

 

 その中にあって、

「死は易く 生は蠅にぞ 悩みける」

 この句は肩の力が抜け、無技巧に近い、と岸本尚毅さんは評しています。

 

 森鷗外の章、最後の一ページには、こう書かれています。

 

「気合の入った詩や短歌と対照的に、俳句はのんびりとしています。」

「出征中の鷗外は、詩歌と戦争、文人と軍人、『こすもぽりいと』と国家への忠誠、さらには嫁と姑といった、様々な相克の下にありました。そんな鷗外は、ときには高揚した、ときには沈鬱な詩を書き、蠅の短歌のような吹っ切れた作を生みました。

 その中にあって、俳句だけは超然としています。(中略)俳句ではその短い形式に見合った即時・即興を詠ったのです。鷗外はそれ以上のことを俳句に求めなかった。(中略)肩の力の抜けた、伸びやかな、遊び心のある、とても鷗外とは思えないような句が生まれたのです。」

 

 岸本尚毅さんのこの章のこれが結論です。

 

「鷗外という複雑なキャラクターをすりぬけて、俳句が俳句らしい姿を現した。鷗外の、俳句はそんな俳句だと思います。」

 

【その5】

芥川龍之介〉の章

 ──違いのわかる男

 

 この傍題も面白い。

 最初からなんの疑いもなく受け入れられる。あのコーヒーのコマーシャルに被るような芥川龍之介ポートレートも浮かび上がって、うまく選んだな、という気がする。

 しかし、この言葉を岸本尚毅さんはただそれだけの事で選んだわけではない。この章、芥川龍之介の俳句で最も言いたい事を、一番良く表現できるフレーズでもあるから、ここに置いた厳選された表現なのだ。読んでいくと、なるほど、芥川龍之介は「違いのわかる」男だとわかる。

 

蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな 龍之介

青蛙おのれもペンキ塗りたてか

 

まず最初にこの二句を挙げて、岸本尚毅さんは、芥川龍之介

俳句においても、

“抜群の書き手”、

“才人”、

と褒め上げています。

この二句、いずれも感覚の鋭い、機知に富んだ句と言っています。

「才気を以て易易と句を詠んだのでしょうか。この二句を見るとそんな感じもします。他方、ああでもないこうでもないと一字一字をひねくり回すこともありました。本章では、芥川のそんな一面に着目します。」

 見事に読むものの興味を、「違いのわかる男、芥川龍之介」に向けさせる導入部です。

 実際、冒頭の二句、ひと目見た途端、私も「おっ、これ龍之介だったんか。」でした。作者を失念していても、句は忘れる事ができないくらい独特で印象的です。現代の若者も書きそうな、作りそうな、カタカナを混じえた表記。現に目の前に蝶や蛙を見ているかのように感じるほどの再現性の高い表現。岸本尚毅さんも述べていますが、「小動物に対する愛情も感じられます。」ここに出てくる蝶も蛙も、可愛くてしばらく眺めていたのだと思われます。

 

 本論は、一字一字にこだわり、推敲を重ねた芥川龍之介の俳句を見ていくことです。

 大正九年、二十八歳のときの作、「馬の糞」で作られた七句を並べ、こう述べています。

「これを見ると俳人の頭の働かせ方がわかります。」

「十七音の一部を変えたとき、17音全体がどう変化するか。そんなことに関心を持つのは俳句そのものが好きだから。いわば俳句オタクです。芥川もそうでした。」

 芥川龍之介の自選句集『澄江堂句集』に収録された七十七句を、完成度の高い厳選のものとし、発表された別の句案と並べて見比べ、芥川龍之介の思考過程を探っている。

「芥川がどれほど俳句好きだったか。どれほど一字一字にこだわったか。」

 それを検証している。

 この章の最後、「芭蕉から芥川へ」の段がとても興味深かった。新鮮な感覚を与えてくれた。この先、俳句を私自身で考える上で、この感覚を覚えたことは、かなり重くのしかかるような気がする。

 芥川龍之介芭蕉に向き合う姿勢を彼の作品から紹介している。芭蕉頌ともいうべき『芭蕉雑記』、そこで試みられた芭蕉と蕪村の句合わせで、例えば「春雨」の句を取り上げ、所詮蕪村の十二句も芭蕉のニ句の前には如何ともできぬと評するほかはないと、芭蕉対蕪村の「春雨」対決で、芭蕉に軍配を上げた。岸本尚毅さんは、言葉と言葉の関係の中からうまれる「調べ」について、芥川龍之介のこだわりを述べている。芭蕉と蕪村では一句全体に統べる調べがあるかないかに違いを見つけ出している、芥川龍之介に変わってまとめあげている。芭蕉の句を「春雨」を含めた十七音全体が緊密なアンサンブルを奏でていると言う。蕪村の句は、「春雨」というソリストに依存していて、しかも巧く目立たせていると言う。芥川龍之介は、この俳句の二大巨匠の本質的な違いを見抜いていたとも言う。岸本尚毅さんは、このことを解説する注に記す、「芥川の蕪村批判は、蕪村を称揚し『蕪村派』と称された子規以降の『ホトトギス』派への批判でもある。『発句私見』では、調べにおいて、子規系の『大正人』は『元禄人』に及ばない、と指摘している。」

 私自身はどこに身を置いているか、をこの論により考えさせられた。これは才のものあり、岸本尚毅さんも言う、本質的なものであるから、変えようとする努力の対象とはならない気がする。しかし、心に深く沈んで、現代俳句のあり方を考えさせられた。

 

 この章の最後に、芭蕉俳句を愛し、みずからも俳句を「生涯の道の草」とした芥川龍之介の俳句と子規の直系、「ホトトギス」の高浜虚子の俳句を句合わせ風に並べて、「どちらがお好きですか?」と聞いています。

 

凩や目刺に残る海の色 芥川龍之介

蒼海の色尚存す目刺かな 高浜虚子

 

 岸本尚毅さんは、「人気投票では芥川の圧勝だと思います。」、と書いています。私も芥川龍之介に押しました。

 この句について、岸本尚毅さんが、「中学生の頃に出会い、『凩』から『目刺に残る海の色』への転じにゾクッと来ました。」、と言っています。「たかが目刺でこんな大きな世界をつかむことができるのかと、それ以来、俳句少年になってしまったのです。」とも言っています。

 この一句のおかげで、私は、この本に出会えたということですね。

 

 

【その6】

〈内田百閒〉の章

  ─「現代随一の文章家」の俳句

 

 傍題の「現代随一の文章家」というのは、三島由紀夫が百閒を評して言った言葉だそうです。

 岸本尚毅さんは、この章の冒頭に三島由紀夫の言葉を「『日本の文学34』解説」から、引用しています。

 「百閒文学は、人に涙を流させず、猥藝感を起こさせず、しかも人生の最奥の真実を暗示し、一方、鬼気の表現に卓越している。」

 「百閒の文章に奥深く分け入って見れば、氏が少しも難しい観念的な言葉遣いなどをしていないのに、大へんな気むずかしさで言葉をえらび、こう書けばこう受けるとわかっている表現をすべて捨てて、いささかの甘さも自己陶酔もせず、しかもこれしかないという、究極の正確さをただニュアンスのみで暗示している、皮肉この上ない芸術品を、一篇一篇成就していることがわかる。」

 

 三島由紀夫が大絶賛する文章、読んだ記憶がない。だが、この「日本の文学」中央公論社ではないが、うちにあった別の全集にも、確認すると、内田百閒は収録されていたらしく、高校生の私は、ここに引用されているほんの少しの部分にも見える「妖しさ」「アンバランス」が、肝試しのように思えたか何かで、敬遠したのかもと思う。全く読んだ記憶がない。

 岸本尚毅さんは、百閒の俳句にある情景と様相の似通う散文を百閒の作品中に探して、俳句に添えています。私のように、百閒を全く知らない者にも、面白く読むことができる解説手法だと思いました。

 岸本尚毅さんが挙げた俳句を紹介しておこう。

 

あやしく光る水

 

秋立つや地を這ふ水に光あり 百閒

 この句には、百閒の『東京物語』の一場面が添えられている。

「白光りのする水が大きな一つの塊になって、少しづつ、あっちこっちに揺れだした。」

 

短夜の浪光りつゝ流れ鳧 百閒

大なまづ揚げて夜振りの雨となり 百閒

稲妻の消えたる海の鈍りかな 百閒

春月や川州の砂の宵光り 百閒

古井戸の底の光や星月夜 百閒

 

〘「あやしく光る水」と括った段に挙げられた句です。間に百閒の散文の描写を挿入して、披露しています。以下も同様の構成で、百閒の句と散文の共通項を紹介しています。〙

 

光る、翳る

 

〘百閒の句はしばしば、明と暗を並置し、薄ら明り、明るい中の一抹の翳り(またはその逆)を感じさせる句が多い。〙

 

内明りする土間の土凩す 百閒

春近し空に影ある水の色 百閒

・・・・・

・・・・・

昼来し家を夜寒心に見て過ぎし 百閒

広庭に虻が陰食ふ日向かな 百閒

 

 

風が吹く

 

〘百閒のフアンは、作品の至るところに風が吹いていることを、指摘し、句中に風が吹いただけで怖いという。〙

 

砂原の風吹き止まず朝の月 百閒

木蓮や塀の外吹く俄風 百閒

軒風や雛の顔は真白なる 百閒

町なかの藪に風あり春の宵 百閒

 

音がする

〘音がする、風が吹く、それをなんの説明もなく俳句にするのが、百閒流なのかも。不吉な感じ、いつも正体不明の何かがつきまとう。そんな句が並んでいます。〙

 

浮く虻や鞴の舌の不浄鳴り 百閒

・・・・・

・・・・

秋風の海に落ちたる音を聞けり 百閒

・・・・・

・・・・・

種豚が猫泣きするや秋の風 百閒

 

〘夜を思わせるものを「ひるの○○」と詠む。百閒はときどき俳句に「昼」を詠みます。百閒の昼の句には、気の抜けたような、不景気な「昼」の気分が漂っています。〙

 

茶の花を渡る真昼の地震かな 百閒

・・・・・

・・・・・

昼火事の火の子飛び来る花野かな 百閒

・・・・・

岸壁の昼のこほろぎに船出する 百閒

・・・・・

饂飩屋の昼来る町や暮の秋 百閒

 

 

俳人百閒の「欠点」

 

 この章の最後には、わざわざ、

 俳人百閒の「欠点」

という段を設けて、百閒の句は三島由紀夫が絶賛した散文と似た雰囲気を持つという。が、一方で、詩人平出隆が指摘する百閒の句の「切れというものへの意識」が弱い、ということについても、かなり詳しく論評している。

 岸本尚毅さんは、百閒に切れを解くのは、角を矯めて牛を殺すようなものかもしれぬという。切れの弱さが百閒俳句という平出も、結論は、「虚実を自在に操る随筆」という百閒文学の本質に結びつけている、と。

 百閒は、自分と同様に怪異を信じていない読者に「鬼気」を味わわせるため、現実から超現実へ漸層的に移行するような書き方をした。この散文の「漸層法」と、切れ(飛躍や断絶)を重視する俳句の文体。「相性が悪そうです。」と、岸本尚毅さんは言っている。

 

岸本尚毅さんが最後に挙げた百閒の二句。この二句だけで百閒の俳句が語れるかもしれません、と岸本尚毅さんは言うのです。

 

冬近き水際の杭のそら乾き 百閒

 そら乾きのそらは、空耳や空音のそら。水際の杭は乾いているような、いないような。無意味な細部へのこだわり。

 

竜天に昇りしあとの田螺かな 百閒

 竜天に登る、田螺、春の季語二つ。「竜」「田螺」の虚実の交錯。

 

 

【その7】

宮沢賢治〉の章

  ─俳句を突き破って現れる詩人の圭角

 

 現存する宮沢賢治の俳句は30句ほどで、「菊の連作」16句が含まれている。

 岸本尚毅さんの評は、「詩人ならではの魅力ある作品」という言葉で表している。俳句を鑑賞するのに、もとになったと思われる原詩をあげて、感覚や言葉の選択について、詩人賢治の作る俳句を読むとき、俳人のメガネを外してみよという。

 一見、下手で、散文的と思われる賢治の俳句。

 

岩と松峠の上はみぞれのそら 賢治

 

 この句を読んだ、石寒太は、

「普通の俳人なら字余りを避けて『みぞれぞら』と書く。」といい、

菅原閧也は、「『峠の上は』と中七に『は』を用いたこと、『みぞれぞら』でなく、『みぞれのそら』と6音にしたことが、この句を散文化した」と指摘します。

 

 岸本尚毅さんは、ここで、

「俳句のメガネを外して見ると、『峠の・上は・みぞれの・そら』という訥々とした調子は、賢治の声を聞くような感じがします。

 詩の中では

『向ふは岩と松との高み/その左にはがらんと暗いみぞれのそらが開いてゐる』という賢治の言葉はのびやかに響きます。ところが俳句の中では『みぞれのそら』が字余りになる。賢治にとって俳句窮屈だったでしょう。字余りを避けて『みぞれそら』『みぞれぞら』とすると

、『みぞれ』が『そら』の一部になってしまう。賢治は『みぞれ』と『そら』が別々の言葉として、それぞれが一語一語として粒立っていることにこだわったのだと思います。」と言っています。

 言葉へのこだわり、誰にもあるような気がします。よくわかります。賢治が詩人だからというわけでもなく、ひとそれぞれの生き様からくる言葉へのこだわりはあると思います。

 さらに、岸本尚毅さんは、「賢治は『みぞれのそら』という六音のフレーズを、俳句の下五に押し込みました。その結果、詩人の腕力が俳句を歪ませた様な、独自の趣の俳句が生まれました。」と、結論しています。私は肯定的に受け取っていますが、読みようによっては否定的とも取れる。俳句を、独立した分野とするか、韻律のある詩歌の一部とするか、そういうところまで行きそうです。

 ここでは岸本尚毅さんが詳しく取り上げたこの一句を挙げるに留めます。

 俳句が、多くの人に作られる、裾野が広がるというのはすばらしいことですが、現代俳句を見渡すと、賢治の句のような、ある意味、その作者の「腕力が俳句を歪ませた様な、独自の趣の俳句が生まれる」時代になっているかもしれないと、感じてもいるこの頃なので、考えさせられる章でした。

 

 

【その8】

室生犀星〉の章

  ─美しい「うた」の背景

 

★犀星の二面性

 この章の初めは、犀星と長い交流のある、生涯の友となった、萩原朔太郎の言葉で、犀星の文学の持つ二面性を語っている。

 

「粗野で逞しいポーズ」

「優しくいぢらしいセンチメント」

 

★美しい「うた」

「優しくいぢらしいセンチメント」は、美しい「うた」となって現れる。岸本尚毅さんがそう言って取り上げる詩。

 犀星の詩「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」は一読すっと心に入ってきます。そう書いて、また何フレーズか、紹介する。

 「蛇を眺むる心蛇になる」「渚には蒼き波のむれ/かもめのごとくひるがへる」「君はいつも無口のつぐみどり/わかきそなたはつぐみどり」「いづことしなく/しいいとせみの啼きけり」のように、と。

 犀星の俳句もまた、美しい「うた」です、と。

 

ゆきふるといひしばかりの人しづか 犀星

 

 この句のこの表記は、『犀星発句集』(桜井書店、昭和十七年)のもの。

この句、初出は「雪ふるといひしままなる人しづか」だったそうです。(星野晃一 『犀星 句中遊泳』)

 

この句、音を見ていくと、

ユ キ*フ ル ト イ*イ*シ*バ カ リ*ノ ヒ*ト シ*ズ カ

 イ段の鋭い音が十七音中七音を占める。この音の効果。

 岸本尚毅さんは他の句についても、音韻について考察されています。音韻は美しい「うた」の構成要素とおもいます。

 

 また、最後の句集となった『遠野集』(昭和三十四年)では、表記を違えて春の章、冬の章に二回現れており、表記によって違う効果をださせています。

 

『遠野集』より

 

藪の中のひと町つゞき残る雪

雪凍てて垣根のへりに残りけり

春もやや瓦瓦のはだら雪

雪ふると言ひしばかりの人しづか

    (春の章)

 

 「ここでは雪の表記は『雪』に揃えていて、『残る雪』『はだら雪』は春季、故に『雪ふると言ひしばかりの人しづか』も春の雪です」と、岸本尚毅さんの解説にあります。

 

かはらのゆきはなぎさから消える

ゆきふるといひしばかりのひとしづか

ゆきのとなり家はかなりやのこゑ

    (冬の章)

 

 「雪は『ゆき』と書かれています。平仮名の多用は音の美しさ──『カ*ハ*ラ*ノ ユ キ ハ*ナ*ギ サ*カ*ラ*キ エ ル』のア段の音の連続。『ユキノトナリヤカナリヤノコエ』のナリヤの反復など──を印象づけます。『雪降ると言ひし許の人静か』と比べると『ゆきふるといひしばかりのひとしづか』は呟くような感じがして、字面が美しい。」と岸本尚毅さんは書いています。

 他のところでも、「手で書いた原稿には、音読へのこだわりがあらわれています。」「犀星の句には文字となる以前に、音声として完成している印象があります。」と書いています。犀星が、音韻にこだわるあまり文法や仮名遣いを誤った事例も取り上げて説明を加えている。

 

 また中村真一郎の『俳句の楽しみ』での評を取り上げて、

彼が犀星の表現を、

「耳に熟さない言葉を平然と使用するところが、犀星の新感覚(『竹の風ひねもすさわぐ春日かな』の『竹の風』について)」

「敢えてこうした、若い娘の口癖のような言葉を、不協和音のように句中に挿入するところに、作者が自分の句が手なれて出来のよくなることへの、片意地な反抗が見られるし、又、作者独特の底意のない意地悪のようなものも、ほのかに感じられる。(『しんとする芝居さい中あられかな』の『さい中』について)」

と評していると紹介しています。

 これらについて、岸本尚毅さんは、

終日吹き続けている風と竹が一つになっている感じを出そうとすれば「竹の風」、「芝居さい中」は荒っぽい言い方ですが、話し言葉に近く、その点を犀星は好んだのかもと言い、霰の寒さを背景にした句ですから、「シントスルシバイ」の後に「サイチュウ」という鋭い響きが欲しかったのかもしれませんと言う。

 この段の最後に、

朔太郎は、犀星の句を「人物と同じく粗剛」と評し、おなじ印象を、中村真一郎は、「作者独特の底意のない意地悪」という言い方で語っています、

と書いています。

 

★「匹婦」

 この段の題は、「匹婦」私は「ひっぷ」と入力して最初に変換される、「匹夫」しか今まで見たことがありません。岸本尚毅さんは、この段で、犀星の句の「粗野で逞しいポーズ」を伴った句を取り上げています。

 

おそ春の雀のあたま焦げにけり 犀星

昼深く蟻のぢごくのつづきけり

炎天や瓦をすべる兜虫

 

 岸本尚毅さんは、鳥や虫に対する情がある。どれも響きの良い句だと言っています。

 そしてこうも書いています。

「犀星の句は美しい感情を湛えています。その『優しくいぢらしいセンチメント』と同じ根っこから、全く対照的な『粗野で逞しいポーズ』を伴った句も生まれます。」

 

夏の日の匹婦の腹にうまれけり 犀星

 

 犀星は、詩の中でも出生の事情を問い続けたと言います。娘の室生朝子はこの句について、「人間のすべてをいい表している凄まじい一句」(『父 犀星の背景』)と評しているそうです。

 犀星が、「俳句研究」に発表された、日野草城の「ミヤコ・ホテル」を、絶賛し、逆に草城が犀星の「昼深く蟻のぢごくのつづきけり」の句などを褒めた話もあり、おもしろかった。

 

★生活者犀星

 この段に書かれている内容は、俳句をやるものならなんとなくわかっているようなことである。   

 が、犀星が、こんなにちゃんと考えを著作の中で述べていたとは、驚きでした。岸本尚毅さんも、犀星の言わんとする処を、きちんと受け止めて紹介しています。

 犀星の出自とその作家としての暮らしぶり、売文稼業と岸本尚毅さんが断ずるほどのタフな生活者、犀星がいるようです。

 犀星は、軽井沢に別荘を持ち、再三訪ねてくる志賀直哉を、迷惑がっていたというエピソードを紹介しています。

「志賀はまるで自分の庭のように大股で入ってきて、犀星が執筆の最中の書斎に座るとひとしきり四方山話を楽しむ。犀星は『何も仕事をしないあの人(志賀)が、他人の都合を考えないで生きてゆけるのも、あの人が美貌だからだ』と、話を容貌にもっていって口惜しがった。育ちも器量もいいから遊んでいても名士でいられるのだという。」(田辺徹『回想の室生犀星』)

 小説と文筆で、基本的な生活を成り立たせ、俳句は余技であった犀星の俳句は、生きること、食っていくことを正面から詠んでいると、岸本尚毅さんはここで書いています。

 

元日や銭を思へばはるかなる 犀星

 

 犀星は、小説を書かない韻文家はどうやってメシを食うか、ということを考えていました。『芭蕉雑記』(昭和三

年)の中で、芭蕉の生活費に言及し、「芭蕉の選料は相応に収入があったものに思へる。」と俳人の稼ぎは選句料という俳人のビジネスモデルの本質を突いています。

 犀星が、「ミヤコ・ホテル」を称賛した「俳句は老人文学ではない」の中で、俳人の生計に触れています。ここでは、岸本尚毅さんの引用から、犀星の考えをお伝えしたいと思います。

俳人は俳句を職業としていない。俳句精神の神聖さを感じ過ぎて、本当の職業として俳句を取り扱っていないからだ。文士が原稿料を取るように俳人は執筆料を取らなければならない。俳人が俳句で食うのになんの恥かしさがあるのだ。俳句ももっと生活苦の中をくぐり抜けなければ、磨かれずに終って了う。」

河東碧梧桐氏が赤貧に甘んじて居られるという文章を読んで、怏々としてたのしまなかった。門下で一万円くらい集めて碧梧桐氏におくることくらい出来ないのか。」

 犀星は、河東碧梧桐の新傾向俳句の影響を受け、後に芭蕉に傾倒し、それを離れます。芭蕉と碧梧桐の俳句人生を経済的側面から語っている文章が残る所以です。

 岸本尚毅さんはこの犀星の文章が書かれた翌年、門下が支援して家を持たせたが、直ぐに急病で63歳の碧梧桐は亡くなったと、エピソードとして、書いてくれています。

 「他に職業を持っているため遊びのように見られるが、実際俳句は苦しまなければ生まれない。」

「ナマ若い詩や歌にはいり切れない心には重いものを負い、その重いものを片づけるために俳句の精神にくぐり込もうとしている。老年者の手弄びのような生やさしいものではない。」

「単に俳句を作るというようなノンビリさはもう見えなくなって、芸術制作の苦しさばかりがある。」

 

 確かに、俳句の世界は不思議です。かなりの大宗匠でも、江戸時代から今に至るまで、本業のある人が多かった。俳句を始めた頃、句会で、俳句以外の事に立ち入らないようにと釘を刺されたりもした。句友たちの本業についても、だんだんに知る、というのが、今も礼儀であるように思います。

 私が接する俳句世界は、現実、俳句をやる人の平均年齢は高く、老年者の手弄びのような俳句も永々と続いてはいます。

 また、句集として発表されたり、雑誌に投稿される読む方の俳句には、ここで犀星の言う芸術、文学としての俳句もあると感じます。こちらの俳句もまた、滅する事なく、根を張って勢いづき、今があるように思います。

 

★「骨髄まで俳人なり」

 この章の最後の段です。犀星が、虚子が金沢に来たとき、虚子に会って、語ったときの印象をこう表わしました。

 岸本尚毅さんは、犀星が、五十歳、十五歳年上の虚子に、俳人としての腹の据わり方を見たのだと思うと書いています。詩歌でメシが食えないという点は、犀星も虚子も同じですが、小説に転身した犀星とは異なるビジネスモデルを、虚子は構築し、全国の俳句大会への出席は、虚子の営業活動であり、「ホトトギス」の選者として声望を得ていたのです。

 犀星は、散文家たる虚子に思いをぶつけ、「虚子の発句を採らないでも、彼のかいた小説をとりたい」と挑発し、鋸歯はそれを受け止めて引用、後に小説も書いたと、いきさつが書かれています。

 

鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな 犀星

 

と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな 虚子

 

 岸本尚毅さんは、最後に二人の夜寒の句を並べます。「同じ『夜寒』でも、犀星と虚子は肌合いが違います。ともに偉大な韻文家ですが、両者は対象的な道を歩みました。『虚子氏と語る。骨髄までの俳人なり』は犀星ならではの重い言葉です。」と締め括りました。

 

 

【その9】

太宰治〉の章

そして、

  〈読み終えて〉

 

太宰治〉の章

 太宰治は、句作はあまりしていないこともあり、芭蕉連句評『天狗』が取り上げられているのみで、短く簡単に一章となっていた。ここで、印象に残る太宰の一句と、岸本尚毅さんが引いた、『天狗』の一節を掲げておこう。

 

幇間の道化窶れやみづつぱな 治

 

 岸本尚毅さんは、この句を、太宰が自分の人生を振り返っているかのようです、と書いている。『人間失格』に貫き通す、自己嫌悪感が、ここにも表れている。「みづっぱなが」が、妙に具体的、現実的で、やつれ切った気分が増幅されていると、私も感じる。岸本尚毅さんも書いているが、この句の裏に、『人間失格』、落語『鰻の幇間』や『幇間腹』を、匂わせて入るが、実は、学生運動をしていた東大生の頃の作だという。あとから読むと、『人間失格』をつづめたような俳句と岸本尚毅さんの評価に同意するのだが、実はずっと若い頃の作だという種明かし。太宰治は一貫して太宰治であったと思う。

 次に、『天狗』より太宰が俳句というジャンルの本卒を見抜いていたことの証左となる一節と、岸本尚毅さんが押す文章を掲げて、太宰治から離れます。

 「芭蕉だって、名句が十あるかどうか、あやしいものだ。俳句は楽焼や墨流しに似ているところがあって、人意のままにならぬところがあるものだ。…………なにせ、十七文字なのだから。」

 

〈読み終えて〉

 一冊を、こんなにのめり込んで、丁寧に読むのは久しぶりだった。学生時代に返ったかのように、レポートを書く気分で、まとめを書いてきた。書き過ぎたかもしれない。でも、まあいいかと思う。いい本に出会った証になった。

 あと、横光利一川上弘美、の俳句はその作品との関係が深そうで、作品自体をあまり知らない。ここでは取り立てて取り上げることはできないと感じた。

 

夏目漱石永井荷風〉の章は、変わった仕立、十番勝負になっている。ただ、句座を同じくして作者が直接対決する俳句甲子園などとも違い、対決にあまり意味があるように感じなかった。あくまで私の不勉強のなせる結果であるのだが、勝敗の根拠が十分に納得はできなかった。こういう遊び方もあるのだと教えてもらえたことは良かった。好きな俳人二人、三人の同じ題の句を並べて、自分なりに競わせるのも楽しみかもと思ったりした。

 

 フェイスブック内を、「文豪と俳句」で検索かけて呼び出してみたら、この本を紹介、レビューしている人が、私だけでなく、他にも何人かいるようであった。

 多くの人に読まれるといい本だと、あらためて思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年9月11日、今日の出来事

2021年9月11日、今日の出来事

        2021/09/11

        十河 智

 

 朝、分厚いクロネコヤマトの宅急便が届く。

 谷口智行さんのご著書

 「窮鳥のこゑ」

   熊野、魂の系譜Ⅲ

 その分厚さに少し驚いたが、ざっとめくってみると、とても読み易そうな構成になっていて、座右に据えて、気に入った部分から読んでいける様である。

 熊野は知らない土地ではない。何度も旅の目的地としたし、海と山には、出身大学の関係先があり、そういう意味でも出向いたこともある。高野山に行ったときドライブしつつ新宮から遠回りして大阪へ帰ったりもした。何度かあの山道で、危ない目にも遭いながら。そんなこんなの私の知る熊野を重ね合わせながら、存分に楽しませていただこうと思う。



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 お昼はレトルトのカレーと作りおきの餃子をスープに入れて、簡単に。

 

 今日は、寝屋川市のコロナワクチン接種の会場で、薬剤師としての出務があった。

 ワクチン接種に関しては、各地域薬剤師会で、取り組み方やお手伝いの部分が違う様で、寝屋川市では、医師の問診の前に、主に現在の服用医薬品、正確なアレルギー歴、予防接種での副反応歴を聞いて、問診票を完成させるということをしている。2回めの人には1回目の後はどうだったかを尋ねる。何事も無かったか、少し注射部位が痛かったという人がほとんどであるが、ごくたまに、熱が出たという人がある。どの副反応も3日目くらいには収まっているようだが。今日テレビで池上さんもいっていたが、「もし熱が出てなかなか下がらないときや腫れがとても酷いときには、お家で普段使っている自分にあった解熱鎮痛剤を使ってください。」という。熱は抗体ができている証とされているためである。

 今日は午後の3時間で270人、薬剤師4名、医師、看護師のブースは5箇所の体制であった。その他に市から受付、案内、接種証明の交付、次回の予約など、約30人ほどの人たちが関わっている。私は週2回か、3回、午後しか出ないが、ほぼ毎日、何か所かで、この体制で、コロナワクチン接種が行われている。各医院での個別の接種もあるが、寝屋川市では、集団接種が主である。

 今日は、1回目の摂種自体が原因でアレルギーを起こした人がいて、一人、接種不可となった。ワクチンを無駄にしないために、そういう場合の連絡できる予備軍があって、その人が来て、接種が終わるまで、会場は閉じない。前にあったことだが、会場に入る手前で転倒し骨折した人が、ワクチンだけは打たせてと言いながら救急車に乗せらたことがあり、私の知る所では、希望して打てなかった人はこの2例だけである。昨日まで風邪で発熱、PCR検査陰性で、今朝は下がったので受けに来たという人もきちんと摂種して帰って行かれた。

 

 接種会場の中学校は、路地の突き当りで、車では来ないでとあるので、送迎を主人に頼んだ。

 終わって、一息入れたくて、スタバに行って、タルトとコーヒーを注文。小一時間ほど休んだ。スターバクスは全面ガラス張りで、夕暮れ時の道路の往来を見るのが好きである。今日は夕焼けが少し掛かって、とてもいい感じの夕暮れであった。

 

 そのまま、今日は、途中の王将に入った。「お昼も餃子、夜も餃子はありかなあ。」など馬鹿なことを言いながら。土曜日、まだ早い時間で、すぐに座れたが、帰りには待つ人もいるくらいいっぱいになっていた。今は8時で終わり、それ以後は持ち帰りのみとなる。

 

 家に帰ると、封書が3通。

 一つは、お世話の方が交代する「ゆう通信句会」の会計報告。20名弱で、もう長年続いているが、お年もあって交代となった。私は今前述のコロナ対策への出務があって、お断りせざるを得ず、少しこの件に関しては後ろめたい。

 2通目は、故郷の、やはり、「ゆう」のお仲間の高松句会の結果。高松では、対面の句会がいまもやられている。この句会は今は5,6人になったが、古く、波多野爽波さんの「青」から、田中裕明の「ゆう」へと移っていった方たちの句会である。私は途中から入れてもらった。今は、岸本尚毅さんの選である。

 私は、いつもそれほど成績が良いわけではない。で、この今日の結果に驚いている。ちょっと嬉しくて、写真にとって出してしまった、という次第である。

 

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 3通目は、FBのお友達からのプレゼント。前に話題になった手作りのカードとジャナッツのアールグレイ。今、アールグレイティーを飲みながら、これを書いている。




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熊野より「窮鳥のこゑ」秋に読む

体育祭中止ワクチン接種場

接種後の待機者秋の扇かな

秋暑し迷ひ迷ひて遅れしと

接種不可一人の補充白露かな

総出にて最後の人を秋の夕

接種医の左ハンドル爽やかに

日は西に秋のひまわり背を向けて

出務後のスターバクスや秋夕焼

土曜日の王将に皆稲雀

友よりの紅茶とカード秋灯  

句帖を拾ふ(2021年8月)

句帖を拾ふ(2021年8月)

 

        2021/09/01

 

        十河 智 

 

1 

[俳句大学 席題一句]

【オリンピック記念句会】

 夏雲システム

 

水泳日本復活示す水しぶき

感染爆発オリンピックの七月尽

混合ダブルスマッチポイント汗迸る

台風の北斎の波千葉の海

炎天のストリートより金メダル

 

2

『田舎倶楽部』

台風の中へポストのバス停へ

台風の風あちらからこちらから

 

3

[俳句大学 席題一句]

2021年8月第1週 夏雲システム  

 祭(まつり)

祭獅子祖父母の村の鎮守様

船渡御や水の都に相応はしく

コロナ禍の今年も山車の蔵開かず

祭髪結える長さか問ふ娘かな

「おたびしょ」とオウム返しに教はる子

 

4

[俳句大学 席題一句]

【お盆に関する句】 夏期休暇句会

お盆特集 夏雲システム

 

コロナ変異盆の帰省を禁じられ

盆供にと送る銘菓の送り状

花と灯籠過不足の無く盆用意

墓地の灯の揺らめく盆の夕間暮

割箸をパキつと折りぬ茄子の牛

 

5

【「俳句大学」第6号発行記念句会】

参加資格:「俳句大学」6号の注文者・7号参加者

夏雲システム

 

向日葵や三三五五と押韻

また人のその名憐れとヘクソカズラ

雨降ればそれも喜び向日葵の

秋揚羽歌舞伎役者の如く舞ひ

秋の蝶辻から辻を舞台とし

 

7

[俳句大学 席題一句]

 2021年8月第2週 夏雲システム

 

朝顔(あさがお《あさがほ》)秋

 

あさがほを持ち帰る子の通学路

あさがほの垣根外れて狼狽へる

ベランダに招き朝顔自慢かな

團十郎歌舞伎ではなくあさがほの

朝顔や色水遊びばかりして

 

8

【俳句大学投句欄】

 

秋に入り線状降水帯とふ乱暴者(あばれもの)

{ 線状降水帯 

linear rainband, linear precipitation zone, lengthy band of rain}

the beginning of autumn ;

rampages of lengthy bands of rain

 

秋の豪雨一年分降る一日(ひとひ)

the heavy autunm rain ;

having a day's rain equal to a year's precipitation of normal times

 

この秋の鴨川の水恐ろしき

this autum ;

awful volume of water in the Kamo River

 

9

[俳句大学 席題一句]

 2021年8月第3週 夏雲システム

 

 霧(きり) 秋

 

 川霧や温泉宿の裏手下る

紀伊山中行くに行かれぬ霧襖

気紛れに逸れたる岐路や山は霧

瀬戸濃霧魁夷の決めし橋の色

夕霧を走り抜けゆく救急車 

 

10

[俳句大学 席題一句]

2021年8月第4週  テーマで一句

夏雲システム

 

初秋、仲秋、三秋の季語で

テーマ

「お酒」 

「ふるさと」

 

故郷の瀬戸の濃霧を見ず長き

お家酒鰯生姜煮うまくでき

ふるさとのまだまだ遠し盆の月

酌み交はすこと禁じられ今年酒

いが踏みて栗拾ふすべ里山

 

11

【俳句大学投句欄】

 

漸くに光溢れて秋の色

full of light finally to the colors of autumn ;

after the terrible rain

 

秋の川古今未曽有の雨の果

the autumn river ;

the result of the rain on unprecedented scale

 

秋なかば新図書館に検温計

the middle of autumn ;

non-touch type thermometer at the entrance to a new city library

コロナ禍の暮らし。ある夏の日。

コロナ禍の暮らし。ある夏の日。

        2021/08/18

        十河 智

 

 ことここに至ってコロナウイルスに感染力の強い変異株δ型が、猛威を振るっている。第4次、第5次の感染ピークが起こり、緊急事態宣言の再度の発令となった。

 話す相手がお互いだけの老人夫婦。どこかへ出かけるというと、ドライブで人がいない野外、広い空間があり、注文はタブレットでするファミリーレストラン、そんな生活を続けもう2年目になるのだ。

 スーパーでの買い物も、他の人と話すことなく、黙黙と必要なものをカートに取り込んでいき、セルフレジで会計する。友達とはライン、句会はメールや夏雲システム。

 一番人を感じるのは電話の声だが、娘くらいしかかけてこない。日頃直接会っている友達と今更電話で長話はなかなかできない。電話では話が途切れると間が持たないのだ。

 この間、俳句のお仲間で、すごく話の合う人が、電話をくれた。何の話をしたか覚えていないが、若いときの電話が主な通信手段だった時代の申し子だった自分が蘇って、ただただ2時間半喋り倒した。お相手も、そういえば、同じくらいの年齢。きっと同じ経験を持っておられるのだと思った。思い切り喋ってほんとに楽しい時間だった。でもそう何回も期待できることではない。

 人と会わない暮らしは、何に対してもやる気が失せる。すごく億劫になってくる。少し前まで、思い立ったらすぐに立てたと思うが、今は2回に1回は止める。主人も遠出の運転はやりたがらなくなった。気力が落ちたというか、到って健康に、感染に気をつけながら暮らしてはいるのだが、なんとなくやる気パワーが減じているように思う。

 それでも、このところワクチン接種がこのところ進み、コロナ禍の閉塞感が少し薄らいできた。

 少し前のある日、こんな事があった。

 買い物に出てみようかと思っていたところ、テレビでたこ焼き粉の美味しいブレンドを専門に売っている店があり、それが我が住む街だという。いつも家でやるたこ焼きの粉っぽさが気になっていたので、買いに行こうということになり、大きなスーパーのたもとにあるその小さい店を探して入った。たこ焼き粉と、専用ソース、いか天かすを売っていた。うちにはたこ焼き粉だけ買ったが、お中元代わりに兄弟の所に送ることにしてセットを3個発送して貰った。去年も今年も帰っていない故郷。帰るときには、大したものでなくても、美味しいお菓子を選んで土産にする。その代わりにと考えたのだ。どの家にもたこ焼き器はあったと思うので、子どもたちが集まったときにやってくれたらと、多目にセットを組んだ。

 せっかく出てきたので、普段はあまり行かない大型のスーパーへも寄った。買い物が目的ではなかったので、涼しい館内を一巡り。フードコートでかき氷を食べてすぐに駐車場へ。

 そこまで来て、主人が車のキーがないと騒ぎ出す。「えぇー」である。

 売り場へ戻り、買ったものの陳列の前に立ち、道順を辿る。フードコートにも寄る。行動を思い出す限り繰り返してみるが、どこにも見当たらない。

 サービスセンターに届けておくことにした。連絡を待つより仕方がないと、タクシーでスペアキーを取りに帰ろうとして、行きかけると、かき氷を買った店の人がすれ違いました。ぶらっと指先に揺れているもの、「キーだ。」そう閃いて、主人に追いかけて聞いてきてと言いました。

 帰ってきた主人の手には、車のキーが。

 何事もなかったかのように家に帰ると、30分もせぬ頃、静岡の娘婿から鰻が届いた。「遅くなりました。土用はもう過ぎていますが。」とメールも来ていた。

 遅くても、全く問題ない。今日が良かった。験直しにもってこい。美味しく、機嫌よく食べさせてもらった。

 

美味いとふ粉を買ひたし日盛へ

片蔭にたこ焼き粉売る小さき店

蛸を買ふこの先にあるスーパーへ

一巡の涼しきスーパーマーケット

コロナ禍のフードコートや氷レモン

車のキー失くす西日の駐車場

桃豆腐ハムも買ひしと探すキー

お中元を売る横サービスカウンター

キーはまだ届かずと言ふ開衿で

困憊の失せもの探し汗拭ひ

白服の他人(ひと)の手許のキーホルダー

難儀の日締めの幸せ鰻飯

       

線状降水帯大暴れ

線状降水帯大暴れ

         2021/08/14

         十河 智

 

 もう夏も過ぎて、その途端に大雨、洪水。暑くないのはいいが、ひどい災害が全国で起きている。木津川、寝屋川水系、生駒山地と災害が起きそうな地域でもあり、近隣の市町村から出される災害アラートがスマホを触っていると、何度も鳴り響く。テレビに映る京都の鴨川、河川敷が水に沈んで堤防いっぱいに川となって濁流が勢いづいている、こんな鴨川は初めて見るような気がする。テレビの中でのインタビューの人もそう答えていた。淀川や寝屋川はまだテレビの中継では見ていない。家の前の側溝は、雨になる前の日に、台風の強風で落葉が溜まっていたのを掃除したところだった。おかげで、家の前ではあふれることなく流れている。雨が小止みの間にポストまで出しに行ったが、掃除ができていないところでは溢れていた。このへんの降雨量も相当なものだったようだ。

 ニュースでは大阪よりも京都寄りの降雨が凄かったようで、高槻や山科あたり、清水坂の土砂崩れが報道されている。

 この雨はまだまだ続くようだ。明日は大阪府下もかなり降るらしい。大丈夫とは思わず、ニュース、警報には気をつけようと思う。

 

秋に入り線状降水帯とふ乱暴者(あばれもの)

土砂崩れ警戒区域近隣も

コロナ禍に川の氾濫打つ手無し

秋の豪雨一年分降る一日(ひとひ)

この秋の鴨川の水恐ろしき

青柿の風雨に健気投函す

側溝に塞がる秋の落ち葉かな

猛烈な雨を帰るや榠樝の実  

句帖を拾ふ(2021年7月)

句帖を拾ふ(2021年7月)

        2021/08/01

        十河 智 

1

[俳句大学 席題一句]

席題2021年07月第一週 

*夏雲システム

七夕(たなばた)  

「秋-行事」 

 

星の恋ゆかりの地名市に残す

コロナ禍の牽牛織女逢ふ逢はぬ

七夕や短冊流す天の川

七夕竹伐るところから小学生

交野倉地機物神社より二星

 

2

[俳句大学]

義妹に頼む銘品梅雨の月

the moon of the rainy season ;

asking young sister-in-law to get the specialty of my hometown

 

3

[俳句大学]

望郷の讃岐は美味し冷素麺

a dish of chilled Japanese vermiceli ;

longing for my homeland Sanuki where all the food is delicious

4

[俳句大学]

和三盆ロール売る店盆の帰省客

the shop selling fresh cream rolls of Wasanbon - sugar ;

returning vacationers for the Bon Festival 

 

5

[俳句大学 席題一句]

2021年7月第2週  席題で一句 

燕の子

 「夏-動物」

*夏雲システム

 

建て替えの新駅舎にも燕の子

親燕行き交ふ入江渡船場

子燕を見せたき家を開け放つ

野も畑も田も失せてをり親燕

子燕の並ぶ電線立ち話

 

7

「俳句大学」

幼子はすぐにびしよびしよ夏の川

an infant instantly into a drippig-wet condition ;

summer river

 

8

「俳句大学」

病室の窓開け放ち夏の川

opening all windows of riverside sickrooms of the hospital ;

summer river

 

9

「俳句大学」

 

夏の川草葉の陰に隠れし子

summer river ;

the boy playing in the water goes behind in a patch of grass

 

10

[俳句大学]

7月第4週  「テーマで一句」

【季語】

三夏・仲夏・晩夏 このあたりの時期の季語を使ってください。

 

①「手」

母と手の皺見較べし大西日

仕事する手にマニキュアを合歓の花

 

②「占い」の光景

手相観の夏の灯一つある机

向日葵で占ふ恋の行方かな

 

③「岬」

海の向かう大志の出づる岬かな

 

11

[俳句大学]

山野辺 茂の

写真で一句「コロナ撲滅特別企画!」第9弾開催 

山の中、青葉の中のトンネル、赤煉瓦。

 

トンネルの向かうに青葉浮かれけり

蔦茂る明治を残す赤煉瓦

涼しさや隧道濡れて暗くとも

 

2021年夏の話

2021年夏の話

        2021/06/17

        十河 智

 

(コロナ禍、すぐに終わると思っていた。だが長引いている。すでに夏。

 この夏の話を書いておこう。)

 

私達のコロナ禍の暮らし

 

 去年お正月はシンガポールで過ごしていた。思えば別世界であった。全世界から人がシンガポールに集まってきていた。

 日本ではコロナ感染の緊急事態宣言が2020年3月から5月、2021年1月から3月、そして現在、2021年4月から6月、3回発出された。

 その間に、2021年6月15日現在、累計感染者 776,319人、死亡者数 14,136人、未だに感染性の強い変異株に置き換わり、感染拡大がぶり返す可能性もあるのだ。

 

毎日新聞の6月17日の記事。「アメリカでのコロナ感染者スウが3300万人、死者が60万人。昨年1月に最初の感染者、2月に最初の死者が報告されて以来の数字で、バイデン大統領は、演説で、この一年間のアメリカのコロナ死者数は二つの世界対戦とベトナム戦争で合わせたアメリカ人死者よりも上回ると指摘した。」)

 

 日本では、この1年間で、感染防止対策が徹底し、体温測定、アルコール消毒、マスク着用も普通になった。

 また、この一年間、私が電車に乗ったのは、3回だけ。西宮の神戸芸術劇場であった知人ピアニストのコンサート。今年に入ってまだ感染が緩かった京都、がんこ寿司での高校同窓女子会。大阪の天王寺の美術館の日展。どこの会場も、入場者のマスク体温測定、アルコール消毒は必須で、会場としての人数制限、換気が加わり、完璧であった。

 コンサートと日展は夫婦で行った。思えば、こんなに夫婦が一単位として密着行動したことは今までなかった。コロナ禍のおかげで仲良く歳を取っている、とも言える。毎日が日曜日、老人世帯なので、普段の土、日は外出しないようにしている。コロナ禍で、人が来ていないだろうと踏んで、一度日曜日であるということを失念し、道の駅に買い物に出かけたとき、駐車場で待つほど人で溢れていて、入らずに行き先を変えたことがある。多分、このご時世の閉塞感に、日頃行かないけど、ほんの少しの楽しみプラス・アルファを求めているのだ。

 週日には、国道170号線を端から端までドライブ、どこかのコメダ、スタバ、ガスト、王将でお昼ごはん。大きいところがいい。2時頃になるとどこも空いている。(娘は、行くなというが、一日一度は外の空気を吸いに出たい。)

 帰りに、ライフ、オークワ、パルコープの店、その何れかによる。買い物は2週間に一度くらい、大量に買う。これも3時頃だと余り混んでいない。帰宅後、肉や魚を夫婦二人の一回分ずつ小分け、冷凍庫、氷冷室、冷蔵庫と、使う順を考慮して、保存する。冷蔵庫はほぼ満杯になる。賞味期限は経験上の判断優先で、あまり気にせず、冷蔵庫がほぼ空になるまで、間では、牛乳や卵、野菜を足すくらい。そのときには、ぱぱっと買って、なるべく店に長居をしないようにしている。

 大量買いの片付けは、私一人でささっとやる。そのほうが早い。主人は、もと店舗だった別宅に行く。大型テレビを置いてあって、家で見ると文句を言われる野球やサッカー、録画している時代劇を見ているらしい。この家は、ついこの間、片付けて、手放すばかりになっていたが、今は適当に夫婦が距離を置ける緩衝帯の役割をしていてありがたい。「すももへ行く。」あるいは、「別荘へ行ってくる。」と言って、私から逃げる。最近めっきり遅寝遅起きになってしまい、食事の時間も2時間ずつずれてしまった。それでも夜は、夫が逃げている間に、案外きっちり夕食の料理して、ゆっくりと食べている。買ったものを計画的に使う。

 主人も私も、運動する質ではない。今はいいが、運転ができなくなる日が近づいている。そう思いながら、このコロナ禍を、車に頼って、暮らしている。やり過ごしている。

 出掛けない日はスマホ。最近は俳句や原稿は、スマホのメモアプリを利用する。フェイスブックにも俳句を中心に、今までとは違う超結社的お友達ができた。コロナより前から始まっていたが、見る時間、入力している時間は確実に、この一年で増えている。依存症に気をつけなくては。

 私は喘息持ちで、機能的に歩くのに不自由はないが、すぐに息が上がる。暑い日などは熱中症とも重なって、死ぬ目にあったこともある。それでも、俳句の通信句会への投稿のために、ポストへ出向くときなど、町内巡りや、近所の公園への散歩は楽しい。俳句のおかげで、季節の移り変わりが五感を揺さぶってくれる。一人がいい。休みながら、自分のペースで歩くことができる。

 しかしこんな生活は気分を参らせる。何事も鬱陶しく、億劫になる。早く元の人と交わる暮らしに戻りたい。句会に行きたい。将棋をさせたい。旅に出たい。

 

いつも二人飽きもせずカートにトマト

ドライブの国道かき氷の旗

夏の夜やスマホの電池警告音

マイペース梅雨の晴れ間を歩きけり

冷蔵庫より肉じやがの肉といも

コロナ禍の死者感染者鰻食ふ

海亀の子を産む浜に変はりなし 

 

 

 

2 

学校のコロナ対策

 

 学校なども対策が軌道に乗るまでは、先生がたも試行錯誤が続いていた。去年は、年度代わりを挟んで、卒業式、入学式、新学期と、コロナ対策事始めであった。学校薬剤師である私にも、春から夏にかけて、相談や問い合わせが多かったように思う。

 

 まず体温計が市場から消えた。ドラッグストアや薬局にないと、先生から言ってきた。3月卒業式の頃だった。

 コロナでは、今は常識になった非接触型体温計、薬局などでは卸が医療機関に繋がっていて、そちらからの注文を優先させる場合が考えられた。医療機器のカタログ販売でも同じことが起きる。系統を変えて電気店で探してみた。上新電機で、現物はないが注文を受け付けるというので、先生方に連絡した。

 入学式には間に合った。

 

 次に多かったのがウイルス除去を標榜する製品の品定めであった。

 アルコール製剤にも用途により規格があり、消毒や殺菌には向かないものもある。

 例えば、食品添加物として鮮度を保つ用途のものは、ウイルスの除去には向かない。

 たまに、酒造メーカーが作り売り出すアルコールがあるが、成分はエタノール、濃度も消毒用として十分な濃度であっても、局方品としての規格を満たしているわけではない。品薄のときは緊急避難的に使ったとしても、手に入るのであれば、学校では十分に品質が保証されたものを使うべきであろう。

 薬局方製剤にしても、成分として、エチルアルコールイソプロピルアルコールがある。イソプロピルアルコールは、教室の清拭で、完全に揮発拡散させる場合は使ってもいいが、手指消毒など、子どもたちの体内に移入してしまう状態では、多用は勧められない。ただ、エタノールの方には酒税がかかり、高価であるので、使い分けが必要である。

 また工業用エタノールは、工具、機械の洗浄用が主な用途なので、酒税を免れるため、人体に有害なメタノールが混ぜられている。子どもたちの教室には絶対に使ってはいけない種類のものである。

 以下は、実際にあった問合せと対処である

《インターネットや、カタログで見ると、アルコールの規格が様様で、どれを選んでいいかわからない。ーー

 見ている画面、カタログを確認し、説明した。》

 

《市や教育委員会が、寄付を受けたあまり耳慣れないウイルス除去製品などを送ってきたが、清拭に有効か。ーー

 一般的な細菌に対する殺菌効果の試験成績しかなく、コロナウイルス対策としては使えない物が殆どだった。添付の試験成績書がない場合は製造元のHPなどで調べた。今の時代はこういうところは便利になった。》

 

 コロナ蔓延に伴い、学校での子供の掃除というのが一時的になくなった。先生が感染対策の拭き掃除をやることになった。養護教諭が、感染対策清掃マニュアルを作り、教職員総出で放課後に清掃をやっていると聞いたことがある。

 この学校では、清拭用の消毒剤は、次亜塩素酸水を選んでいる。6月頃には、厚生省のHPに、コロナウイルスに有効な清拭用薬剤のデータが発表されてきた。次亜塩素酸水も、物を拭いたあとの殺菌効果を認められている。後は水に戻るので、二度拭きしなくてもいい。広範囲の清掃には、費用もアルコール製剤よりも安く、使い分けるようになってきた。

 

 学校行事はほぼ中止となり、プール授業も着替の場所での密を避けられないと、行われなかった。音楽から歌が消えた。子どもたちのソーシャル・ディスタンスを保ち、感染を防止する方策が様様練られた。

 

 家族に感染者がでると、その状況によっては、クラスや学年出席停止の措置が取られる可能性があった。幸いにもこれまで学校の中で感染拡大が起き、PCR検査で陽性者がでるということは聞かなかった。当該家庭の児童生徒だけ、陰性であっても、2週間の自宅待機となったが、その間もリモート授業を受ける。学級での授業をそのままインターネットで繋ぎ、同じ授業に参加できる形式だという。この様子が、テレビでニュースになっていた。日程調整で学校に電話連絡すると、ちょうどそのリモート授業の準備中で忙しい様子だったこともあった。

 秋、冬の検査業務には学校に出向いたが、その頃には、体制が整い、感染が波状攻撃のように起きてはいたが、対応のマニュアルがきちんとできていて、落ち着いてきていた。

 去年一年間、先生も初めての事だらけで、学校全体で取り組んでいる様子が見えた。こうして去年度が過ぎていった。

 

 今年度もプールの授業はやっていない。だが、一部の中学校で、感染対策ができる体制で部活の水泳が復活した。遠足などはまだのようだが、運動会はするようだ。ただ、運動会練習中の熱中症がよくニュースになっている。こちらも気をつけなければとは思うが、コロナのことを思うと、体育館での密集や激しい運動は避けなければいけない。痛し痒しである。

 学校薬剤師の仕事も、去年のコンサルタント的な相談への回答ではなく、本来の環境検査業務が戻ってきた。

 子供たちも、コロナ禍の生活に慣れてきているようで、午後4時頃の、マスクをして、下校する姿は、楽しそうである。

 

学校を拭き上げてゆく涼気かな

リモートで教室にゐる更衣

中庭の向日葵窓は全開で

今年また泳がぬプールありにけり

コロナ禍の夏の下校時マスクして

 

人類とコロナワクチン

 

 ワクチン接種は去年12月から、アメリカとイギリスで始まった。その後、日本でも医療者、高齢者、と順に接種が実現してきている。

 従来ワクチンといえば、不活型と言われるものが多かったが、コロナウイルスワクチンは、急を要している、効果が確実にある、という社会の要求が強く、様々な手法でアプローチが取られ、接種を進めながら知見を得ていく最速の少し乱暴な実用化が進められ、しかしそれが功を奏して、感染が抑えられた国が見られるようになった。

 

以下、ワクチンについて、厚生省のHPより抜いて、貼り付けておいた。

 

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ワクチンの種類

 

 国内・海外において、不活化ワクチン、組換えタンパクワクチン、ペプチドワクチン、メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン、DNAワクチン、ウイルスベクターワクチンなど様々な種類のワクチン開発が行われています。

 

 不活化ワクチン、組換えタンパクワクチン、ペプチドワクチンは、不活化した新型コロナウイルスの一部やウイルスの一部のタンパクを人体に投与し、それに対して免疫が出来る仕組みです。

 

 メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン、DNAワクチン、ウイルスベクターワクチンは新型コロナウイルスの遺伝情報をそれぞれメッセンジャーRNA、DNAプラスミドとして、あるいは別の無害化したウイルス等に入れて、人に投与するものです。それが、人の細胞に入り、ウイルスのタンパク質を作ることによってウイルスのタンパク質に対して免疫が出来る仕組みです。

 

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 ファイザー社、武田/モデルナ社のコロナワクチンは、メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン。

 アストラゼネカ株式会社のコロナワクチンは、遺伝子組換えサルアデノウイルスベクターワクチン

 

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話を続けよう。

 

 ワクチンがこんなに早く実用化され、生産も供給も総力が結集されて順調に見えるのは、すごいことだと思う。研究開発、生産、流通の各段階で、迅速で的確な対応があったことを思わせる。

 

 世界人口78億7500万人、世界中のどの国にもワクチンが行き渡り、人類がコロナウイルスを手懐ける日の早からんことを心から願っている。

 

 ただ、ワクチンの生産は、全人類の規模に対してまだまだ足りず、デルタ型という変異株の蔓延速度はワクチンの供給・接種の拡散の速度を凌駕する勢いである。

 現にファイザー、モデルナ頼りの日本でも、供給不足の兆しが出てきている。

 国産ワクチンも遅れてはいるが、開発中とある。全世界の人が接種するためにはまだまだ足りないし、接種が毎年のことになるかどうかもわからない。

 日本発のワクチンの不発の要因は、治験の事例数が感染の広がりがなかったために、承認に必要なだけ得られなかったこととも言われている。

 制度に忠実ということも必要だが、緊急事態ということの中に、ワクチンの第3相と第4相の同時進行のような方策はないのだろうか。または外国での治験を必要量実施できる体制とそのデータも認めて承認へということも、あってよいのではないか。あまり、治験、承認について現在の法律には詳しくないのだが、そういった議論を漏れ聞いたことがある。ファイザーのワクチン承認には、緊急事態を受けて、政治的判断もなされ、承認から製造体制構築まで、それは迅速であったという。

 製薬会社にコロナワクチンについての製法などを、人類のために公開し、特許使用の自由も与える様促し、世界のあちこちで製造する体制を整えたいと、WHOなどは考えているようであるが、実現には、製造工程における技術不足、貯蔵・在庫・運送過程、全ての側面での衛生管理、品質管理の不適切、など問題も多く難しいようだ。

 ワクチンの製造は、単なる物質の合成ではない、生化学的複製の技術があり、技術的に特別なのだ。ウィルス、DNA、RNA等、特別に管理の難しいものを原料、主薬にしていて、扱うには技術者だけでなく製造工程の要員にも、熟練が必要である。今のところ、大元のメーカーが生産の規模を大きくする方法が一番であるようだ。

 運送にも普通のコールドチェーン以上の厳格な温度管理が求められる。日本でも今の配送体制が構築されるまで少し時間がかかった。

 真の原因は定かでないが、日本のワクチン接種会場において、管理上の不手際から廃棄処分となったワクチンもかなりあるとニュースになっている。

 今現在、アストラゼネカのワクチンが日本で製造され、途上国支援に使われている。願わくば、安価な 日本発のワクチンが、何種類か開発され、国内生産が進むことがあればいいなと思っている。

 また、今の認可済みワクチンも改良により、扱いやすいものになっていけばと願ってもいる。

 普通はこれらのことは、やり尽くした上での実用化なのであろうが、コロナウイルスの勢いを削ぐためには、先ず防衛手段を持たなければならなかった。人類とウイルスとの大戦争という視点からの判断が必要だったのだ。

 

夏のマスクこれは戦と思ふべし

半夏生感染死者の棒グラフ

ファイザーのワクチン片肌脱ぎの我が腕に 

 

コロナワクチン接種の現場 

 ー薬剤師としての出務

 

 ワクチン接種の接種券の配布の仕方や接種の方法などは、市町村によっていろいろらしい。

 私の住む市では、かかりつけの医院での個別接種よりも、小規模集団接種会場での接種が主のようです。

 集団接種になると、かかりつけ医と違い、状態の把握がでできていない被接種者からの薬歴、アレルギーの既往歴の有無の聞き取りが、接種前に必要で、その要員として、薬剤師にも動員がかかるのです。

 平日は市のコミセンや体育館、市民に馴染みのイオンモールの8会場、14時から17時、医師のブースは1個から4個。これに土、日は、学校の体育館を使って5会場くらい増やす。朝10時から13時の回も増やされます。

 毎日のことで、会場数も、医師ブースの設営状況によっては、受け入れ予約者は増えるので、スタッフも増員される。全体で薬剤師も毎日15人程度出務しているだろうと思われる。土、日は規模の大きい学校体育館の会場が加わるので、倍くらい30人程度動員されていると思います。

 私のような年寄り薬剤師に出番は来ないだろうと高を括っていましたが、まだ足りないと、薬剤師会からファックスでの募集が繰り返されると、やはり協力しなければと考えるようになったのです。

 チェーン薬局の勤務薬剤師の若い人が相棒になったときに聞くと、土日やローテーションの空きのときに、ワクチン接種に出務しているという。休みを削っているらしい。日常業務に組み込んでいるわけではなく、あくまで個人的に引き受ける形で、上乗せして働いているようだ。

 市の設営する会場以外に府の大規模会場への要員募集も来ていた。大規模会場の場合は、注射薬の受け取り、保管や希釈も業務になるようで、これは、現役世代でバリバリ動ける人でないと務まらないと思う。

 私が薬剤師として出務のとき、風体から、必ず、入り口で、接種を受けに来たと間違われて、時間まで待てと制止が掛かります。なにせ白髪のヨボヨボのおばあさんですから。水戸黄門の印籠のように、「何度も薬剤師です。」も繰り返すので、少しうんざり、辟易としている。

 接種を受けた日の前日、同じ会場で、薬剤師として出務しました。小学校なので土、日だけ、市のスタッフのこのグループが慣れていないのか、私の出務は3回目でしたが、薬剤師ブースに用意すべきものや、薬剤師が点検する事になっている救急用カートの中身にも不備があったり、大変な状況でしたし、この日の会場設営では、接種に来た方の動線も悪く、行ったり来たりがわからず戸惑う人が多かったので、他の会場のように、受付から問診票の点検、薬の確認までを一直線に置くべきと日報に書き入れておきました。

 翌日、被接種者として訪れると、薬剤師ブースの位置が変わっていて、被接種者の導線が改善されていました。受付で「昨日はどうも。」とご挨拶もありましたが、業務日報に思ったまま苦言を呈して、改善されたのは、良かったと思います。

 薬剤師がお薬手帳や聞き取りで確認することとして、はじめは、筋注後の出血防止のために注射部位の圧迫を促す注意をするために、抗凝固剤、抗血小板薬の服用の有無を確認するだけでした。

 そのうちに、アナフィラキシーファイザーで一定数出ているというデータが上がってきて、最近はアレルギー、アナフィラキシーの既往も聞くように、となりました。接種後の一般的な待機・観察時間は15分ですが、既往の人は30分とするためです。

 ごく最近は、私の住む市の接種会場でも、結構アナフィラキシー様の事例が見られて、救急車を呼ぶこともあるのです。現場での応急処置と、迅速な救急搬送で、後は回復していて重大な結果にはなっていないようです。そんなことから現場で処置を行う医師から、処置に使うアドレナリンの効き目を弱めるので、β− blocker の処方があるかどうかも、予めお薬手帳で薬剤師が確認を、と申し入れがあったそうです。十分ではないのですが、数も多いので、アナフィラキシー既往の人だけ、確認するようにしています。

 エピペンを常時携帯している人は、既往歴を聞く前に申し出てくれます。

 「アナフィラキシーは、30年以上前に起こしたが、それ以降は皆無、起こしていない。」と言う人が案外多いのですが、ひどい目にあった経験から、原因物質を忌避した生活のおかげかもしれません。薬剤師会からは、そういう事例も漏らさず聞き取るように指示されました。用心には用心なのです。観察時間15分の差ですが、それが大事なのです。

 幾重にも大事にならぬ様、防御しつつ、コロナワクチンが行き渡る様、協力して、この危機を乗り切りたいと願っている。接種会場にはそういう空気が漲っている。

 

小満や緊急事態宣言下

梅雨湿り今休業中のモール街

梅雨の闇抜けてその奥接種会場

今日薬剤師明日高齢者芒種かな

海の日やオリンピックがすぐ間近 

 

コロナワクチン接種の現場 

 

✱1回めの接種

 マスクをしての外出から開放されたい。そう思って、市の大規模集団接種に予約しました。

6月6日、日曜日、自身も、1回目のコロナワクチン接種(ファイザー製)を受けました。

 その前の日、薬剤師として出務した小学校の会場へ、立場を変えて行きます。面白い経験でした。

 被接種者として流れに乗るととてもスムーズです。なかなかうまく考えられてラインが組まれています。

 市の係員はスタッフ側にいると多いなあと感じましたが、こうして、指示と誘導をされる側に入ると、必要な人数だとわかります。距離を保たせ、滞りなく流すためなのです。

 医師は、予診のところで摂取可の判断をしています。見守りのところにもうひとり待機していました。薬剤師の席には知り合いが座っていました。看護師さんも打ち手、見守り、救急要員と、それぞれ役割分担、実際は打ち手のみが動いているのですが、要員としては、他の2つの役割も必要不可欠です。案外と気分悪くなったり、アナフィラキシー様の症状で、救急搬送ということあるようです。(なにかあるときは、応急処置の後、原則、救急車。)

 皆専門職で、寄せ集めですが、それぞれの本分を全うしています。自分がそのレーンに乗ってみてよくわかりました。

 第1回め接種後、痛くもなんともないですが、体がだるくて眠たく、帰宅後4時間位爆睡。

 広い会場を結構歩かされるのと、あちこちで待たされるのも疲れた原因かと思います。

 2回目の予約も、やってくれるというので、順番を待ってやってもらって帰りました。

 1回目の予約に手こずったので、少し待ってもこの方がいい。楽でした。

 主人の接種券が届いて次の日に私のが届いて、2人分同時に予約したいと思いましたが、電話は全く通じません。ネットで市のHPのサイトを探し、予約したのですが、行き着くのにとても手間取りました。接種券の番号文字が小さいし、1人ずつ、別々だし、2人分、同じ時間に予約できたのが奇跡的。もたもたしてる間に予約番号が1000番も差ができてました。

 2回めの予約、接種会場でやってもらったら専用サイトがあるのか、すぐできて、2番違い。慣れている人がやるというだけでもなさそうです。ほんとにあっという間に予約できました。

 

✱2回めの接種 

 3週間後の6月27日、2回めの接種を、同じ会場で受けました。

 スムーズに進んで、終わりました。アレルギー体質の私は30分待機となり、主人を少し待たせましたが、午前中だったので、お昼には家に帰っていました。

 50歳前の娘は、医療従事者枠で、すでに済ませていて、翌日、元気にも関わらず、高熱が出ました。それで、その日の晩と次の日電話で様子を聞いてきました。二人とも、接種部位の痛みはひどくあるものの、熱もふらつきなども全くありませんでした。私は1回目のほうがしんどかったくらいです。

 ほんとに免疫ついたのかなと心配なくらいですが、テレビで説明を聞く分には、大丈夫そうなので、3週間過ぎたくらいから、行動範囲を広げたいなと思っています。

 ただそれでも、生体としてウイルスを受け入れ感染の媒介をするおそれは少し残るそうです。マスクはまだ当分外せないとわかりました。

 広報される注意にアンテナを立てて、守りながら暮らさなくてはと、最近の感染者状況を見ていると改めて感じているところです。

 

梅雨晴の山の学校接種の日

マスク外す日はまだ遠く雲の峰