「コーヒーを飲みに行こう」

 「コーヒーを飲みに行こう」

        2024/09/24

        十河 智

 


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 コロナ禍でしばらく我慢していたが、また二人で、ドライブがてら、買い物ついでのコーヒーが復活した。コロナの前は、京都のホテルや名のある喫茶店、外環沿いの四条畷や富田林、河内長野のゆったりと寛げるケーキ屋のおいしいケーキが目当ての喫茶店、数軒の候補があって、気の向いたところへ出かけていた。コロナ禍の数年の間にそれなりに歳を取り、その長い距離のドライブが億劫になってきた。
 それで、今は「コーヒーを飲みに行こう」と出かけて座るのは、スーパーの角の窓際のカウンター席、飲むのは自販機の紙コップに入れたコーヒーである。スーパーにはだいたい自販機コーヒーが置いてある。自販機のコーヒーも豆を曳いて抽出するタイプになってからおいしいと思う。私はお湯で倍に薄めて飲む。窓から外の人の行き来を眺めて、ひとときゆっくりと楽しむ。家で飲むコーヒーとはやはり眺めが違うと気分が変わる。コロナの前は、たまにお喋り相手の友達とフードコートなどで待ち合わせたりもしていたが、今は夫婦で並んで、外で飲む自販機コーヒーを楽しむだけである。夫以外の人と話をしなくなったとつくづく思う。
 最近、スーパー駐車場への途中の行きつけだった美容院から手を振られたのだが、この三年以上、髪の毛は伸び放題、祖母や母がやっていたように髷を作るのだが、祖母がきつく縛りすぎて禿ができていたのを思い出すので、私は緩くピン一本で止めている。それで、美容院もコロナ禍とともに行くことが無くなったのだ。せっかく手を振ってくれたのだが、美容師さんに手を振り返して、そのまま通り過ぎた。もうこの先は美容院とは縁が切れることだろう。そう、この美容院でも、サービスに、週刊誌を膝に置いてくれ、脇の小テーブルにコーヒーを出してくれていたなあと、思い出している。
 髪の毛が白髪でなく、量も多い主人は、きっちり定期的に床屋へ通っている。通っている床屋は二代目が継いでいるという。調髪の直後は、さすがきりっと若くかっこよく見える。髪は黒黒と、羨ましい限り。
 コロナ禍も終わり、だんだんに普通の、制限のない暮らしに戻ってきた。しかし、我が身が年寄りになり、前と同じ行動範囲に戻れない。コロナ禍の、失われた数年は、私たちの年齢にとって、思う以上に大事で、取り返せないものだったかもしれない。
 疫学的にはどうだったのだろうか。感染は防止できたと思うが、ワクチンの接種が行き届いた為なのか、マスクや接触制限のおかげなのか、どこかでやっているのだろうけれど、私の情報への到達度が低いせいかもしれないが、あまり論理的に検証している説明を聞かない。
 あの騒ぎは何だったのだろう、というくらい、コロナにかかったという人は周囲にはおらず、これは対策がよく効いたということだろうと理解はしている。しかし、密着度の高かった人付き合いはほぼ失われた。今の時期、数年前は、河内音頭がそこここで歌われ、地域ごとに踊りの輪ができていた。それは今年もまだ復活していない。盆踊りの舞台には、音頭取りがいて、プロもアマも日暮れから夜十時まで入れ替わり立ち替わり歌い続けた。河内に河内音頭があるように、故郷の讃岐では、「いちごまいた、もおみのたあね(一合撒いた籾の種)」と、中央公園やお城で、唄い踊っていた。最後には、大通りを地域の連が連なり、見物人もでて賑やかだった。独身時代に住んでいた鳴門はやはり阿波踊り、これも徳島市内の総踊りまで繰り出す連もあった。日本各地で、その土地の盆踊りが、子供から年寄りまで、みんなが参加して、踊られていた。おいおいに復活してほしい風習である。盆踊りの会場には屋台も建ち、疲れたものは抜けて、見物に廻り、紙コップのコーヒーを飲むのである。今年も全く河内音頭の櫓は建たず、大音量で響く音頭取りの美声を聴くこともなかった。この風景が昔語りにならないことを祈るのみである。

 

今年こそ河内音頭の踊りの輪
コーヒーはドライブがてら秋の雲
人恋しマスクを外し外へ出る