秋の月
2024/10/15
十河 智
冷蔵庫にストックが全くないことが判明。買い出しに出かけたました。
昔は近所にあったスーパーオークワが車で20分ほどかかるところに移転したのです。大阪外環を20キロほど南に下り、昔星野珈琲、今コッペ田島の角を右折して、寝屋川を横切る。橋からすぐのところにスーパーオークワはあります。
ここの駐車場は、平面で大きく、とても楽に車を置けます。昔の店舗は店の前と屋上に駐車スペースが設けてあったのですが、少し狭めにラインが引かれ、駐車台数を確保しているようでしたし、エレベーター待ちなど、買い物に至るまでに、道のりが長かったと思います。そこらへんも、少少遠くなっても移転して良くなったと思う点なのです。
この店舗は、近所にあったときよりは、通路もイートインコーナーも広く取ってあり、いつも買い物を終えた後、自販機のコーヒーを休憩がてら最後に飲んでから、帰路に就くので、いい具合の店構えだと気に入っているのです。まあコーヒーは自販機なので、そうおいしいわけではないですが、合間の一服には、ちょうど良いのです。おいしいコーヒーは家で飲めますので、最近はカフェにもあまり行かなくなった様に思います。
新店舗に移っても、というよりはいっそう、品質管理は行き届いていて、いつも安心して買って帰ります。もともとオークワのそんなところが評判になり気にいって常に行くようになったのです。一回の買い物は、3・4日分が一応の目安です。そんなこんなで、今は冷蔵庫は満杯になっています。最近年を取ったせいか、食べる量がかなり減ったと思います。そのことをあまり気にせず、買ってきましたが、今日は、小分けの時に、一回分の量を少なめに取ってみました。これからはますます歳を考えて暮らすことになるだろう、そんな自覚を持つようになったのかも。しかし車あっての遠出の買い出し、いつまでもは続かないし、できなくなる日はそう遠くない将来であると思います。地区から出してくれるお買い物バスは、大東にあるオークワにまでは行ってくれません。日替わりで、寝屋川市内のライフと四条畷市との市境にあるイオンへの送迎をしてくれるのです。帰りは荷物があるので自宅前まで送ってくれて降ろすのだそうです。うちも運転しなくなれば、これに頼ることになると思います。こんなお買い物バスを出してくれるサービスは、とてもありがたいですね。発案者に感謝。
しかし、私の住むこの街の行く末が思いやられる。向こう三軒両隣と言うが、すべての家が年寄り二人、いても独身の50代の息子か娘。家を引き払って、遠く縁者を頼っていく人や施設に入居する人も追い追いに出てきているだろう。私の身内にも、主人の姉が夫をだいぶん前に亡くし、一人暮らしが長かったのですが、八十歳を機に東京に移り住むことになりました。二人いる子供が、娘も息子も首都圏に住むので、娘の近くに終の住処を定めたのでした。うちでは、夫は男だからか、なかなか娘を頼るという決断はしてくれません。こういうことは思ってはいけないのだろうが、独り身の義姉がうらやましくなったりもするのです。
少し明るいうちに買い物から帰ることができ、車を車庫に納め、玄関先で立ち止まり、惹かれるように月を眺めました。こういうことはあんまりやったことがないのですが。美しい。癒されています。荷物を地に置き、夫婦で立ち尽くして、暫く眺めていました。
と、ここまでは昨日の話。
今日は十三夜、家のサンルームから、ついさっきまで、月を眺めていました。月光が、そう冷たくはなく、柔らかいエネルギーを注いでくれて、少し年寄りも元気になれました。
眺めて、光を受け入れて、月を愛でる。これは「大和心」とでも言いたくなる、日本人の心情でしょうか。太陽の光には過剰の叱咤激励を感じるのですが、月の光は包み込んでくれて、優しく慰めてくれる。そんな光を十分すぎるほど浴びて、やる気を起こして、この文章を認め、また気を取り直して、年寄り二人分の食事の用意に掛かります。
夫は料理ができないようで(夫の自己申告)、うちでは、未来永劫、料理は私の役目らしいです。そうはいっても、最近は手抜きも甚だしく、今日も市販の餃子を焼くだけです。子供と一緒に60個包んでいた頃もありました。懐かしく思い出しています。どちらがおいしいかと言えば、市販のものかなと思うのですが、餃子には、こういう思い出があって、楽しいメニューの一つです。
料理は楽しいとまではいかないですが、嫌じゃないので、当分この生活スタイルが続くといいのですが。将来のことは、「成るように成る」、ですね。その時は、「老いては子に従え。」ですね。日本語には、ちゃんとこう言うときに使う言葉があるのです。
「成るように成る」
「老いては子に従え。」
今も自分に言い聞かせるように呟いています。また月を眺めています。
買い出しは遠くのスーパー夕月夜
夕支度始めむ黄昏時の月
じんじんと身内に沁みて十三夜
玄関に少し佇む月夜かな
この老いの行く末月光浴びつつ