岸本尚毅句集「雲は友」を読みました。
2022/10/13
十河 智
岸本尚毅句集「雲は友」を読みました。「高齢者」「老人」を意識し、いくばくかの親しみを込めて、「老人」という言葉を使ってみたと、あとがきにある。
私は十何歳か年上であり、どっぷり老人である。尚毅さんの老人事始め的吟詠を楽しんで読もうと思う。
風は歌雲は友なる墓洗ふ
表題の句。いっぱいお墓のある墓地ではなく、ゆったりと一基だけ建つ、集落の外れや屋敷に隣る詣でる人と関係も近い墓であろう。洗われて墓も喜び、気持ちが収まっていく。
Ⅰ
しゅるしゅると鳴き始めたり法師蝉
法師蝉の鳴き方、今度よく聞いてみようと思います。同じ様に聞き取れるでしょうか。
打ち打ちて皆みまかりし砧かな
何代にも渡って有用だった砧という道具。これを使う時代は終わり、使っていた人達はもう皆死んでいった。まだ家に残る道具であるが、これも次の代には博物館でしか見なくなるのだろう。
春塵やマクドナルドの黄なるM
いつも見るマクドナルドのM、ドライブスルーに行ってみたくなる。春の行楽への途中。
Ⅱ
戦争を知らぬ老人青芒
いつも思う、あの歌の作詞者もそうだが、昭和20年8月の終戦の日以降の生まれと、この「戦争を知らない」は言うのだろうなと。私は21年生まれ、ここに入る、主人は20年1月、果たして戦争を知っていると言えるだろうか。
二つ打つ同じ間合の鉦叩
これは合奏、音楽になっているだろうと思った。あまり鉦叩が二つというのは聞いたことがなく、ちょっと聞いてみたいと思った。
Ⅲ
手に触り耳とおぼしく炬燵猫
猫の方の居心地良すぎてだらけた姿、何をされても「だらあーん」の様子が見える。
石としてきらめく墓や冬椿
石の産地が故郷にあります。墓に立てる直前の「石としてきらめく」時を知っています。見事な艶です。墓に立てたばかり、その横に咲く冬椿、どちらも引き立ちます。
Ⅳ
いつかどこかの土筆となって生えてゐし
前にある句、大寺のうちそとにある土筆かな、そこではないのだろうな。これは目の前にあるこれから袴取りをする土筆のことであろう。
この椿いつも室外機に吹かれ
どちらも植えるとき、置くとき、気にせずに結果、大丈夫かなとふと思うものである。
WOWWOWと歌あほらしや海は春
歌詞もうろ覚え、歌っていて続かずWOWWOWーーー、「あほらしや」がうまい。
目借時演説何か怒りをり
これは演者が怒りを顕にしているらしい。でも聞こえてくるが、本気で聞いていず通り過ぎる。よくある光景。ただ今は、すこしあの事件が被さって、大丈夫かなと思う。
Ⅴ
虚子居らぬ世や風鈴を見て欠伸
虚子の句を知らず、風鈴に俳句を詠む風情も感じない、今の時代、欠伸して横になるだけ。「俳句は大丈夫だろうか。」、とも読み取れた。