年末年始あれこれ

年末年始あれこれ

      2024/12/30

       十河 智 

 

 年末、今日娘一家がお正月を過ごしに帰省した。長年お節料理を作ってきたが、後少しで80という歳になって、今年はいつも買うお総菜がおいしいスーパーで、揃えることにした。ほんの少し形ばかりでいい。いつも作りすぎて、3日には飽きてくる。味は少し濃いのだが、ふるさとの白味噌餡餅雑煮と合わせるので、気にならないと思う。思い出すのは、祖母の家に3が日のうちに行くとお雑煮なのだが、大根とお餅のみの白味噌雑煮であった。どこへ行ってもこれなのだ。でも味噌は微妙に味が違っていて、それぞれの家の味がある。懐かしい。こうして書いていて、味はしっかり思い出せるのが、驚きでもある。
 そのふるさとの弟から97歳の義叔母が昨日亡くなったと知らせが来た。案外と年末年始のお葬式はあるものだ。もう自分も歳なので、思い出はたくさんある人なのだが、無理をしてまで、お葬式には参列しない。一昔前なら車で駆けつけたのだが、さすがにこの高齢では、大阪高松間はハードルが高い。みんな長生きはとても良いことではあるが、こうしてお葬式に集まれず、久し振りの旧知との再会の機会も失われる。親戚同士もだが、友人知人たちも、ぽつりぽつりと亡くなっていく。コロナ禍のせいで、知らせが後後にくることが多くなった。同窓会ももう長く開かれていない。淋しい世の中になってしまった。俳句をしていると句集の出版記念パーティとか結社や句誌の周年記念パーティもあるのだが、それもコロナ禍で、やらなくなったようだ。そういう場所でお会いした俳人たちの句を読むと、身に染み方が違ってくる。若い人には、一時期のことで、もう少しずつ元に戻っていくのであろうが、私たち老齢のものには、取り返しのつかない年月であった。同窓会がないからと、帰省の時に集まる友人のグループもあるが、少人数である。そのグループに認知症の人ができ、一人引いていった。いつまで集まることができるだろう。まさかこんな世の中になるとは、想像していなかった。このまま死んででゆくのは、心残りが大きい。少しもとに戻ってきているので、嬉しい。間に合った、という気持ちである。誘われたら、出来る限り誘いに乗ろうと思っている。
  テーブルに孫に渡すお年玉のぽち袋を置いた。今日USJに行くらしいので、年明けを待たずに渡してしまおうと思う。私は行ったことはないが、USJは楽しいらしく、大阪に来ると必ず行く。ディズニーランドの経験からすると、乗り物に乗るのにも資金と行列待ちの忍耐がいるだろうと思われる。楽しんでもらいたいので、タイミングよくお年玉を渡しておきたい。
 というわけで、娘たちが来ても、食事はいつもと同じ年寄り二人のテーブルである。
 主人と二人で一家4人分の布団を敷いて帰りを待つのだ。真冬なのでこたつも毛布もあるだけだした。子供が格段に背が伸びて、大人の客布団になり、不安だったが何とか揃えることができた。冬は時間と手間がかかる。
 もうみんなは夢の中。
私も寝なくては,

 

八十近しお節料理は買ひに行く
百歳に足らぬ訃報や歳晩に
歳用意合間に葬儀へと参る
故郷出づる身にコロナ禍と師走の葬
娘には友孫にUSJとふ正月帰省