「セレネッラ」【第18号・春の章】を読む  2019/03/29

「セレネッラ」
 【第18号・春の章】を読む
        2019/03/29
        十河智

今回は、セブンイレブンで、プリントしました。うまく出ました。
 写真俳句は、二回目。中島葱男さんの写真は、メルヘンを掻き立てる窓辺のぶた
 全体の印象と好きな句、写真俳文への感想を述べる。

そやなあ  金子 敦

亀鳴くやカタカナ多き入門書
 カタカナ多き入門書、きっとパソコンやスマホのものだろうな、と経験からの推測である。気が遠くなるような、正体知れない季語「亀鳴く」にぴったり来る。

そやなあが口癖の人山笑ふ
 「そうだね」、ではなく、「そやなあ」、関西弁のニュアンスがあり、見渡すと、その人とわかるかもしれない。関東の人には、そこで耳を止まらせるような言い回しなのだろう。私たちならすぅーっと聞き流す「そやなあ」である。

[春の訪問者]
 春の空気にはゆらゆらと陽炎が見える
こんな母子の会話もあるかもしれない。事実見えたかもしれない妖精である。

妖精はなべて透明フリージア  敦 
 フリージア、案外と色彩とかたちの強い花である。その強さが前段の軽やかな流れを塞き止め、妖精の透明感を印象づけている。

喉仏  中山奈々

青春の雨青年の喉仏
 文字と音による頭韻、口調がよくて好きなタイプの句である。「雨」、涙や障害、試練の隠喩。それに「青年の喉仏」、きっぱりとした清々しさの立ち向かう姿まで想像させる措辞。

[すずめの涙]
 鬼ごっこのいろいろをテンポよく紹介する、そこに遊ぶ子供の活気を伝える。かくれんぼが間に入る話の展開、「すずめの涙」へと見事な筋立てである。引き込まれて読まされる。
 昔、私もこの順に遊んだ。 小さい弟を置いてけ放りにしたり、靴隠しで片一方をなくしたり、夕日が沈むまで遊びきった。すずめの涙とは呼ばなかったが、多分あれかな、と思い当たる草の茎の中のジュルジュルがある。
 
遊び疲れて佐保姫の遊び方  奈々
 もう少ししたら佐保川の桜も見ごろ、大人になった佐保姫の遊び方をしよう。

亀鳴く  中島葱男

淡雪を餌待つ雛のごと欲す
 雪の少ない地方に育ったものには、雪には夢がある。淡雪に感動し、手に受け、口を開けて待つものまでいたりする。そのような光景であろう。

卒業の手にそれぞれの飛行石
 川でする石投げ用に選んだ石かもしれない。だがこの句を読むと若者がこれから飛び立っていく原動力として手に持つもののように感じてしまう不思議な言葉「飛行石」 
 
[豚の貯金箱]
 「豚! ぶたー! ブター!」と叫んでは走り去る。これは、私の記憶のなかにもある小学6年生の頃の光景。いじめという考え方が浸透していず、こんなことが日常的であった。家ではみんな肥えている。そのように囃されることに、納得できてはいなかった。切なく辛い思い出である。

腹にコイン貯めて子豚の春愁ひ  葱男
 したがって、この句も、思い出す過去を、ささやかな子供の頃の憂いを、言い得ていて、微妙で、面白い。

〔私の写真俳句

春朧ひつこみじあんが一人をり
物憂げな子豚窓辺のスイートピー
暮れるまで隠れんぼして春夕焼  十河智