奥坂まやさんの句集
「うつろふ」 ふらんす堂
を読みました。
2021/09/26
十河 智
地下街の列柱五月来たりけり
奥坂まや
もう30年くらい前、私が、「鷹」に投句していた頃、出会い、とても強烈に印象に残った二句である。それから、「鷹」を離れ、奥坂まやさんの句を読むことは殆どなかった。
最近になって、俳句の総合誌などで、「鷹」の代表的俳人として、句が掲載されているのを読むことがあり、句集「うつろふ」が上梓されたとSNSなどで知った。懐かしさが湧いた。奥坂まやさんの今に会ってみたくなり、久し振りに、ふらんす堂のHPを開いた。オンラインで注文、代金を振り込んだ。
「うつろふ」が届いた。
奥坂まやさんの「あとがき」に装幀者菊地信義氏への謝辞があるが、とても優しい装幀の本である。
昭和25年生まれ、思っていたより、年齢が近かった。70歳を越えた今を生きておられるのだった。「うつろふ」という句集名に込められた思いは、やはり「あとがき」に、こう述べられている。
「私も『うつろひゆくもの』のひとつとして、願わくば死を迎えるその時まで、季語に捧げる俳句を詠み続けたいと願っております。」
死が身近に感じられる年齢、というのは、現代の日本では、やはり70歳を超えた頃かと、我が身を振り返り、ひしひしと思う。100歳生きるのはどんなに多くいても結果であり、予定できる時代にはなっていない。おそらく一区切りの句集として、出されたことだろう。
「『うつろふ』は、自ら死と向かい合う句集となったと感じています。」
この著者の言葉を念頭に、今から、奥坂まやさんの俳句を、味わっていきたいと思う。
❋達観
全句の中から、この本の最後の句で、帯にもあったこの一句
春の星この世限りの名を告ぐる
春の星、朧の中で、なんとなく曖昧な影薄きもの。私もうつろいゆくものと認めた人生の終わり近き日々。何かの書類に書く自分の名前。この名もこの世限りのものと思い至った時、人生とは、この世限り、あるかなきかに、消えてゆく私とその名、悟りにも似た、達観を得る。
「春の星」うつろうものの象徴として、ここに掲げる。一度告げるたびに、名の寿命を使い果たしていくかのように、未練を残さず、名を告げるのだ。
❋あめんぼ
あめんぼとあめんぼの影のみ動く
「あめんぼと雨とあめんぼと雨と」 藤田湘子
やはりこの句を思い出す。この句がまやさんの句に重なることで、味わい深くなる。あめんぼとあめんぼの影は、藤田湘子の句の持つリズムで動いているのだと思うと楽しい。
❋リズム
芒かるかや不思議の満ちて童唄
この句の持つリズム、
3−4−4−3−5
俳句らしくない不思議のリズム、
それ自体、童唄のようである。
❋韻と動き
きさらぎや風の水面の細(ささら)立ち
少ない音数の中に、うまく韻を入れ込み、句意を補う動きを乗せている。二月に吹く、少し強い風に、池の水面の細かく震える様が描き出されている。
❋季語が決める一句の全貌
はつらつと揚がるコロッケ冬はじめ
この句の上五中七は、ありふれた日常である。「はつらつと」と「揚がる」がうまく呼応して、コロッケが油の中で美味しそうに、揚がっていくのが見えてくる。そこへ、下五の季語、「冬はじめ」の効果は絶大である。暖かそうな揚げたてのコロッケが脳裏に浮かぶ。齧り付くときのサクッとした音と感触が思い出される。湯気が立つ。
つまりこの句は、季語を据えることにより、動画の様に現れた場面が、繋がっていくのだ。句の全貌が見え始めるのだ。
❋鶴の声
鶴の声天に風穴ひらきけり
私は鶴の声を聞いたことがない。映像で見る鳴き声は本物のようで本物ではない。ことわざに言う、「鶴の一声」、これも想像する範囲で、威嚇的であるに過ぎない。
しかし、この句の作者は、それを聞いて、感じたままを、「天に風穴ひらきたり」と表現したのだ。私は聞いたことがないが、この句を鑑賞して、度肝を抜かれる。天に風穴が開くほどのエネルギーがあるのかと。その凄い爆発的エネルギーが表現により伝播してくる。そして信じられる。
❋真理
寒夕焼生死蔵して海静か
生命の素はどこから来たか、宇宙。生命はどこから始まったか。海。現代の科学が辿り着いた結論ともいえる。実証は学者に任せて、その成果を受け入れる。
そうして見る海は、とても静かで、何かが起きているようには見えない。だが、全て、生と死のドラマがそこに内包されて、しかも静かだというのだ。寒夕焼の、冷たい朱さが、太陽、地球上に効率良く構築された生命を媒体とするエネルギーの循環(生と死の繰り返し)、その尽きないエネルギーの供給源を表していて、この十七音の中に真理を納め込んでいる。
❋死と向かい合う章
「Ⅷ」に収められた句の色合いに、特に「自ら死と向かい合う句集」を感じた。
❋川、自我であり龍であり
春浅し川総身の鱗波
春の息吹、何かが生まれる力。「総身の」に川の精として乗り移ったような自我が感じられ、川が天へも向かう龍の様にも思わせる「鱗波」全てが漲り溢れる季節。
❋剪定の刃
咲き充ちて刃のつめたさの山桜
俗に言う「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」というときの桜は、ソメイヨシノ。山桜の場合は、剪定して、樹勢を調えるのだそうだ。
山桜、本来の桜だった筈の品種、そして、ソメイヨシノの興盛に押され、追いやられたもの。
この句を普通に読めば、実は、「少し咲き方が密になったので、剪定が必要、風に空かせてやろうと、木のためになることをしてやろう。」という記述なのだが、そのソメイヨシノと山桜の宿命を踏まえて、この句を読むと、世渡りの残酷さ、切なさ、無惨が、見えてくるようである。
❋❋その他に、各章ごとに、印象に残る句を挙げて置きたいと思います。
Ⅰ
隕石の黒き密度や若葉冷
やや老いて写真館出づ罌粟の花
熱帯夜都会は無音怖れをり
西日との押問答や四畳半
Ⅱ
釘抜がのつと釘曲げ秋暑し
かなかなの溢れ出でては退(しざ)るなり
天高し軍手をはめてやる気になる
曼珠沙華茎の直情有りてこそ
鏡が待つ家に帰りぬ鵙の声
Ⅲ
高千穂や雲踏むやうに神楽舞ふ
人間寒し言葉を連ねビルつらね
白鳥の首をぐにやりと水より抜く
万象枯れ人間の声なまぐさし
少年の手が水仙をいきなり抜く
Ⅳ
日にかざすわが手儚しねこやなぎ
吉事(よごと)呼ぶごとくに蝌蚪の揺るるかな
市電ゆつくりひかりを進む日永かな
桜咲き充ちコンチクシヤウおまへは居ない
わが肉(しし)もいづれ炎に散る花吹雪
Ⅴ
どの窓にも老人が居て梅雨深し
灼くるなり声を捨てゆく街宣車
真暗な生簀匂へる溽暑かな
灼熱の大地を呼吸するケニア
日盛や全き拒否として黒犀
Ⅵ
鉄筋が瓦礫に突き出カンナ咲く
汗ばみてをり鶏頭の襞のなか
星なべて自壊のひかりきりぎりす
十月の天は真青に打ち下ろす
月射してビルも私もいづれ砂
Ⅶ
地下街のひかり均質十二月
極月や白く飢(かつ)ゑて磧石
滅びよと黒き手袋落ちてゐる
貨車溜月光溜大晦日
浜捨ての鮫かがやける寒暮かな
Ⅷ
勘三郎亡し浅草の春の突風
キイキイとぶらんこの音死へ近づく
女雛にも髪衰ふといふことあり
ひろびろと波打つ布のやうに春
ロック響かせトラック過る桜かな