老後の暮らし方

老後の暮らし方
  ーーー衰えて、夫婦は二人
  ーーーよく知り尽くしたご近所さん
          2019/11/30
          十河智

 ご近所だった六人の主婦が年に二回ほど、パーティーをする。広島風お好み焼きを焼いてくれる人がいて、お好み焼きパーティーなのだ。
 この会の始めは地域の子供会の世話からで、兄弟繋がりで、二学年分の役員会が絡んでいる。といっても、これももう30年来のこと。もう皆子育ても終わり、孫の何人かいる人ばかりになった。誰がどうか、遠に記憶の奥底に沈み、お好み焼きパーティーのみで続いたお友だちである。どこも夫婦の二人暮らしになっていて、気楽ではある。
 たまの仕事をする人が私と、もう一人、保育士さんで、近頃の人手不足、待機児童対策のためか、手伝いに呼ばれるという。だが、たいていは、仕事をとっくにやめていて、ゆっくり流れる夫婦だけの時間を、テレビと病院と散歩、趣味、庭仕事などで埋める日常を送っている。
 だから、この会は、地域の人との交流としてとても楽しく、意義がある。噂話もしておかなくてはならないのだ。バスであった誰かがどうだとか、平地になったあの家の人はどこへいったとか。
 今回も、子育ての頃は親しかった家のご主人が最近なくなったことを知った。自治会から至急回覧などが回らなくなって久しい。個人情報保護法というののマイナス面なのか、子供と住まない世情のせいか、訃報は、随分後の普通回覧で、「家族葬にて」とだけ。その家に関しては、まだそれさえも回っていない。空虚な世の中になったものだ。私の親類でも最年長の従兄の死が、半年以上も知らされなかった。行き来の多かった従兄弟であるが、遠く離れて久しく、その子や孫とは疎縁のためである。
 だからこそ、近所に寄り添う人が必要で、手作りのこんな会が近所にあることに意義がある。市も自治会主催でカフェとか祭りを補助金を出してやらせているし、努力はしているが、もうひとつ付け焼き刃の親しみのない交流のように思われる。
 ここに集まる六人には十五歳ほどの幅がある。だが体の不調は年の順ではないし、多かれ少なかれ皆に出てきている。私の経験済みの白内障手術を最近やった人がいる。また私と同じように歩くことに多少の不自由を感じる人もいる。
 耳の聞こえが衰えて、電話をとってくれない、取ってくれても殆ど聞こえてない人が初めて出てきた。パーティーの間に、その人と話をするときは声を張り上げる必要があることを悟った。聞こえるように配慮しないと、大勢のなかで、取り残されたような孤独な様子が見えるのだ。この人はご主人も聞こえにくくなっていて、「メールとかファックス等の連絡手段が必要ね。」とそういう話にもなった。
 パーキンソン病が進行して家を出なくなった人もいて、用事以外の欠席も初めてのことだった。その人の家では、食事も旦那さんが用意し、コンビニ弁当のこともあるという。 こういう情報は、将来の自分の生活のあり方の参考にしたいし、どういう形で老いを生きられるか、考える縁になる。夫婦の形もそれぞれであることを長い間に知り尽くしている仲である。ご主人がそれなりに世話を焼き、尽くしているのがわかる。
 近頃は楽しくラインで連絡していたりする。携帯が終わるので続々スマホの変わった為である。時代について行くための教え合いもする。そんなわけで、パーティーの翌日は、ラインで、欠席の人も加わり、会話に花が咲いた。
 お好み焼きは、準備に負担がかかるので、次に集まるときは、おいしいケーキでお茶会か、ガストの宅配で食事会にしようかと言っている。
 集まれるうちは集まりたい。
 

木枯しや耳が聞こえぬとふ孤独
声枯らし伝へんとして虎落笛
冬の夜の語らひ笑ひ合ふ二人
冬の夜や最年長の従兄の訃
冬の旅せしと岩のりばらばらと
食細くなりたりいつの間に寒暮
もの忘れへたる体に冬暖か