うちにやってきた本たち 1、2

うちにやってきた本たち

        2021/05/15

        十河 智

 

 大阪に住んで、企業広告のデザインをしている姪が、緊急事態宣言で退屈だろうと、読み終わった本を送ってくれた。

 

①「幸福を見つめるコピー」

   岩崎俊一著


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岩崎俊一さんは、私達がとてもよく知っているコマーシャルを手掛けたコピーライターであるとこの本を読んで知った。

 

あとがきに、「博士の愛した数式小川洋子著からの引用を踏まえて、コピーの書き方についての考えを述べている。

「コピーは作るものではない。みつけるものだ。」と。

 この空中のそこここに、人知れずひっそりと浮遊している「ほんとうのことたち」を、ひょいとつかまえ、誰の心にも入りやすいカタチにして人の前に提示する。

 なにか俳句の極意も教わった気がしたから不思議だ。

 岩崎さんは1947年生まれ、ひとつ下の同世代。この本に載っているほとんどすべてのコピーを見たり聞いたことがある。広告主を見て、記憶が戻ってくる。すごい人なのだ。

 

「やがて、いのちに変わるもの。」

 

「ジャムなのに、果実。」

 

「英語を話せると、10億人と話せる。」

 

「新宿、渋谷、池袋。日本が世界に誇る迷路である。」

 

「電気があれば、本を読む夜が生まれる。」

 

 

エッセイも面白かった。

 

「消えた娘」

娘が迷子になって、探し回るときの緊迫感、恐怖心、実は私達夫婦にも同様の体験があって、その時を再現したような展開にドキドキしながら読んだ。

 

「父親失格」

 娘さんたちの父親像が、自分の評価する父親やっている感からだいぶ下にあることを考察。コピーに出した父親像に、「よっく言うよ。」と返してきたという話。ここは父親に味方したい。親は仕事中も子を思っている。子供は成長するのに忙しい。

 

面白かった。楽しい本だった。

 

②「IKUNAS」


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私の故郷、香川県、讃岐の名物、伝統の銘品、行事、イベントを紹介する雑誌の様だ。

 懐かしい昔を感じさせる今を見せてくれている。

 

 

 大学の薬学部の同窓生の間で回ってきたもの。

「家族の歌」

 著者:

  河野裕子

  永田和宏

  その家族


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 この本の直接の送り主は川柳をやっている人。もともとの発信元の人は、永田和宏さんが主宰の短歌会の設立当時からの会員。

 私も、NHKの短歌講座の講師をご夫妻お二人ともなさっていて、知っていたので、読んで見たいと思っていた本でした。

 産経新聞への家族のリレー連載が土台になっているこの本の執筆の時期は、河野裕子さんの最後の日々と重なっているという。その辺の事情と家族の心情は永田和宏さんの「まえがき」に書かれている。

 「この連載は、河野の最後の時間を家族全員が共有する、それも濃密な時間地して共有するという機会を与えてくれた。」

 永田和宏さんは生化学者らしく、成り行きを淡々と受け止める。死を間近に感じながらも、生きていることを大切に思う。その時々、家族であるがゆえの心配悲しみ。この本には、家族であることのあたたかさが、家族であってよかったという思いが、満ちている。連載を始めようといった河野裕子さんに感謝したいと述べている。

 「お茶にしようか」、と言いながら気軽に交わした団欒の記録に、つきあっていただきたいという。

 永井和宏さんの言葉の通り、少し深刻な最後のときは、さすがに緊張があったが、歌を鑑賞し、温かい家族のつながるエッセイを気軽に読ませていただいた。

 

 

河野裕子の最後の歌》

手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が 河野裕子

 死の前日に、永田さんが口述を書き取ったものだという。

 「うん、もうこれでいい」が最後の言葉だそうだ。

 

もう一首、口述筆記の歌がある。

 

あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき 河野裕子

 病で死期にある人のこんなに鮮明な思いの丈を聞いたことがなかった。力尽きてゆくのに抗いようがなく、思いはじれったさが募るばかり、歌にできたことへの満足、これらの歌は、歌人河野裕子が最後まで生きていた証となった。「うん、もうこれでいい」という言葉は、歌人として生ききったという別れの言葉であると、永田さんは言う。

 

《夫・永田和宏の挽歌》

あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない 永田和宏

 家庭ではそれぞれに椅子や座が決まってあるものだ。そこにいないということ、永遠に戻らないということ、ましてや、明るく屈託のない笑顔。

 笑顔は河野裕子さんのいつもであったようだ。

 

お母さん笑ってゐるよと紅が言ふ笑っておいでとまた髪を撫づ 永田和宏

 お葬式のお通夜のとき、裕子さんが息を引き取って、家族の何かがはっきりと変わったと言う。裕子さんは子どもたちにお父さんを託し、子どもたちのさりげない心配りに、私は、親という役割から解放され、老後よ言う言葉が実感された、それをまんざら悪くない気がするという。

 

遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに夕日に鳴けり 河野裕子

 

 歌をいつでも書けるように、三菱ユニの2Bの鉛筆を棺に入れたという。

 

いつまでも私はあなたのお母さんご飯を炊いてふとんを干して 河野裕子

 この歌は娘の紅さんの歌を紹介するこの本の最初に挙げられている。

歌なら本音が言えるから。

乳癌再発がわかったあとの紅さんの歌を紹介して、この家族で綴る歌とエッセイの最初のタイトルである。

 

もっとながい時間があると思いいきいつだって母は生きていたのだから 永田紅

 裕子さんもこの歌を切なく感じたと書いている。優しい心配りのできる娘の、歌に出る心の深みを思ったのだ。歌には、日常のコミュニケーションを超える力があるとも。 

 歌に変わるものを普通の家庭で持てるだろうか。歌という手立てを持って、コミュニケーションを取れた、なんと幸福なことかと、この本を読んでいて、そう思った。書いたものは残り、あとからも蘇る。

 

君に届きし最後の声となりしことこののち長くわれを救はむ 永田和宏

 最後に裕子さんに叫んだ言葉は覚えていない。が、その声に応じるかのように、優子さんがもう一度だけ息を吸ってくれた。和宏さんは、裕子さんの精いっぱいのいたわりだったと感じて、この歌を詠んだ。気持ちのままに散文でも書いておられるが、一首の歌2全て込められているように思う。

 

この本の家族リレーという側面から、ここで、好きな家族の歌を一首ずつ、紹介しておこう。()でその歌のエッセイを要約した。

 

「六十兆の細胞よりなる君たち」と呼びかけて午後の講義を始む 永田和宏

(細胞が専門の大学教授が、小学校5年生に細胞の授業をしたという話。わかるというより、興味が湧けば、成功と言っている。)

 

茄子紺に漬かりし茄子のうまかりき母に及ばねど糠床まぜる 河野裕子

(家事のじょうずな河野裕子さん、そのお母さんに教わった糠床のエピソード)

 

海ほたる波の辺(へつり)を青く染む甲殻類とは知らず見ていき 永田淳

(作者は出版社を立ち上げる前は釣り雑誌の記者だった。絶海の孤島で何日も取材したときの星空と波と海ほたる、もう一度見たいと思っているがはたせないでいると。港に戻り銭湯に行って、心の底からやっと帰ってきたと思ったという、そういう話。)

 

親もまた楽しかりけむあと何年信じてくれるかなどとおもいつつ 永田紅

(小さい頃にもらったサンタクロースのプレゼント、お裁縫箱、今も使っていると言う話)

 

鵙には鵙語 朝朝を鳴き合いて四歳児くらい二年生くらい 植田裕子

(永田淳さんの奥様。こども4人。

 子どもたちのことわざ談義から、これからどんな言葉に出会うだろうと思っていると、口喧嘩に発展していたという話。)

 

 

② 永田和宏河野裕子夫妻のエッセイ

 

この本も、直接の送り主は川柳をやっている人。もともとの発信元の人は、永田和宏さんが主宰の短歌会の設立当時からの会員。

 

 

「京都うた紀行」

   著者:永田和宏 

      河野裕子 

 

 京都新聞に連載、その後、京都新聞出版センターより出された本である。

 ご夫妻で、京都近郊の近現代の歌枕を訪ねられた。


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 この紀行中の2年間は前に紹介した本、「家族の歌」と同じ時期、河野裕子さんは、乳がんの再発で、化学療法の過酷さと向き合っていた。この仕事を決めたあと、再発がわかったそうで、最後の打ち上げの対談を終えてまもなく、河野裕子さんは旅立たれた、と永田和宏さんは書かれている。お二人ともに「最後に一緒に時間を共有したい。」そういう思いで、取材していたと、この対談で打ち明けあった、とも書かれている。

 そういう事情を裏に秘めながら、この本は、普通に、京都の各所を散策している。歌人の選択する現代の歌枕は、意外性があって、面白い。

 縁あって、京都の街に慣れ親しむ私も、さながらともに歩くかのように、元歌の時代と、今とを、二人の歌人とともに往来する。元歌の作者と土地との繋がり、歌の由来であったり、コラムの筆者の思い出や縁であったり、地名にまつわる話や、土地そのものの歴史や風物、コラムの中身の行きどころは一定しておらず、それが、かえっておもしろい。結びとしての永田和宏河野裕子の歌がとても印象深く、歌枕を私の脳裏に焼き付ける。

例えば、最初の土地は、

珠数屋町

 ーー京都市下京区

     河野裕子

 

しら珠の珠数屋町とはいづかたぞ中京こえて人に問はまし

  山川登美子

 

 文章は、山川登美子の概略の紹介、京都逗留の事情などに言及し、歌を解説する。

「『しら珠』とは、真珠のことであるが、この歌ではむしろ枕詞のような不思議な美しさと調べの良さとして働いていて、絶妙な言葉選びだと思う。『珠数屋町』『中京』といういかにも京都らしいしっとりとした音感が醸し出すこの歌の風情。『人に問はまし』は誰かに聞いてみようかしら、という心のたゆたいが慎ましくも華やいだ気分をうまく引き出している。登美子の代表作の一首といっていい歌だと思う。」

 そして珠数屋町、実際に歩いて書いた文章である。それがわかる。

 珠数屋町は、昭和40年9世帯45人とささやかで狭い町になっても、町名が残っている。京都ならではのことと記す。

 「登美子はなぜ珠数屋町まで行ったのだろう」

 河野裕子が、登美子の結核罹患と短命をいい、数珠を買いに行ったのだろうか、と推測する。

(このとき、河野さんは乳がん再発をすでに知っていたかどうかは定かではないが、この後の経過を思うと、読者としては切なく、悲しい。)

 

 登美子の歌は残り、生家は山川登美子記念館になり、記念短歌大会も開催されていると、結んでいる。

 

珠数屋町じゆずやまちとぞ超えにきゆくここち 

     河野裕子

 

 このように軽快だが丁寧な文章で、二人で50回、つまり50か所京都・滋賀の歌に詠まれた場所を探訪している。

 回してくれた本なので、いずれ返すか、他に回してあげるのが筋なのだが、できるだけそばに置いておきたい本である。

金子 敦句集 「シーグラス」を読みました。

金子 敦句集 「シーグラス」を読みました。

        2021/05/15

        十河 智

 

金子 敦句集 

 「シーグラス」

   ふらんす堂

 

をお贈り頂き、読ませていただきました。

 

 シーグラス、この言葉が、私には新しかった。金子 敦さんの制作段階のコメントなどで、浜の砂に交じる、風化されたガラス片とわかった。

 まだシーグラスという言葉が多分なかった頃、桂浜に修学旅行に行った。60年以上前、小学6年生だった。浜辺で女の子たちは、綺麗な光る物や貝殻、小石、色んなものを集めた。ペットボトルやポリ袋の残骸など皆無の大昔。集めた「シーグラス」は、どうなっただろう。誰かは大事に今も持っているかな。

 この本のカバーの透明な丸みのガラス片、そんな記憶を呼び覚ましてくれた。

 見返しの海の青、これから読むページに散らばるシーグラスの光、艶、そして丸みを想像して、興奮する。

 薄い青グレーの栞、仲 寒蝉さんの案内で、この美しい渚を一巡りできた。

 金子 敦さんの句集を読むのは、「音符」についで、ニ冊め。敦さんの本は、「音符」もですが、装丁からのイメージも含めて、句集としての一冊に、作品としての価値、芸術性を見いだすのです。

 

 あとがきに、この本の出版は、

「新緑の光を弾く譜面台 金子 敦」

 という句の中学校国語教科書への採用が決まったことの記念としてと書かれている。

 これは多くのこの句集を読んだ方が、書かれているように、一句一句が浜に散らばりキラリと光るシーグラスの一粒ひと粒で、色も輝き具合もそれぞれで、多様である。

 句作において、題材、表記に、境界を感じさせない。ある意味、作家魂で、次々と挑戦している。その結果の厳選された、俳句にできることのお手本、集大成の一面も持つ句集であると言える。

 私達も、そうであったように、学校で習った俳句、その作家をもっと知りたいと、手に取った若い子たちが、この本の句作における果敢な挑戦を感じ取り、シーグラスのきらめきに感動し、触発されて、次世代の俳句作家や読者になってくれることを予感し期待しているのです。

 

好きな句を挙げます。

 

 選ぶというのはとても難しい。各年ごとに5句と決めました。

 

 

2016年

 

初空へ龍のかたちの波しぶき

 

北斎の波の図を思い浮かべました。)

 

金色の印泥を練る淑気かな

 

(正月らしく、落款の印泥に金色を選んだのでしょう。押したあとの「淑気」、金色が作り出すのです。)

 

カフェテラスの椅子は丸太や花菜風

 

(少し郊外の農村や山の麓の飾り気のないカフェテラス)

 

ゆく夏の光閉じ込めシーグラス

 

(表題に採られたシーグラスの句。)

 

犬の尾のくるんと巻いてクリスマス

 

(部屋犬がちょこちょこツリーの前を行ったり来たり。尾っぽのくるんと、かわいいこと。)

 

 

2017年

 

エレベーター満員バレンタインデー

 

カタカナ語であるけれども、みんなが使う普通の日本語。これだけで情景がよく見える。)

 

強面が金魚一匹提げて来る

 

(ユーモラス。夜店で釣ったのだろうか。この金魚は、お茶碗で飼われるような気がする。)

 

金魚鉢覗く真面目な顔の猫

 

(狙ってますね。)

 

積木のaにappleの文字小鳥来る

 

(アルファベットも日常には必ず目に入るもの。さり気なく使う。)

 

からつぽの菓子袋飛ぶ枯野かな

 

(お菓子の別の側面から捉えた悲しい句。私も奈良や京都の田畑広がる所でよく見かける光景。保津川下りでは両岸のプラスティックゴミを船頭さんが登って清掃していました。この菓子袋もどこかで木に引っかかるのでしょうね。)

 

 

2018年

 

トーストに大盛りの餡山笑ふ

 

(美味しそうです。大盛りが、敦さんらしい。気持ちいい朝がよく出ています。)

 

ミキサーに色混ざり合ふ春休み

 

(春休みの朝、お母さんと野菜ジュース作り、ミキサーに入れたあとは、手を引っ込めて、待つ。色が混ざり合うのが楽しい。)

 

短夜や鳥獣戯画の中へ入る

 

鳥獣戯画、大好きです。画集か図録をお持ちなのかも。見ているうちに、あの中のうさぎになってしまっている自分がいるのでしょう。楽しんでいるうちに、夜が明けてきます。)

 

母校の門より出て来たる夜学生

 

(この情景、見覚えがあるのだ、私には。私の母校も、普通科高校で夜学を併設していた。クラブ活動一緒だったものもある。後に大学時代の友人が、夜学教師で、年上の生徒ばかりだと話していた。この句の夜学生はどんな風貌をしていただろうか。)

 

買物メモ父が秋刀魚と書き足しぬ

 

(この句、私の家の老いた夫婦の日常である。買い物に必ずメモがいる。お父様の場合は、ご自分で行かれないのかもしれない。今日食べたいものを尋ねられて、書き足されたのだろう。)

 

 

2019年

 

ぬかるみは一枚の画布落椿

 

(落椿は、絵になる。苔の上に散乱させた図もよく俳句にはあるように思う。しかしここではぬかるみが画布だという。品種を見せる植物園に一本ずつ離して植えられているのだろうか。黒っぽい背景に、少し沈み込む紅や白の花。)

 

キーボードの enter 薄れ花の雨

 

(何もすることはない、出かけない生活。パソコンに向かい原稿書き、句の整理、そんなことで毎日過ごされているのかも。enter キーは一番良く使う。長い間に字も薄れてきた。外は花を散らせる雨が降っている。)

 

ポーの村よりやって来る黒揚羽

 

(この句を読んで、あれっと思った。ポーなら黒猫なのに違う、それにポーの村って何、と。先にこの句集の感想を書いている人の文章から、私の知らない、ポーの村の物語があるとわかった。人の出入りは封印されていて、中には薔薇が一面に咲いているという。クロアゲハが見てきたものはなんだろう。一度は読んでみたい物語である。)

 

ドローンを見張るドローン神の留守

 

(監視能力、というのは、監視するほうがされる側と同レベル以上でなければ、意味をなさない。ドローンの話であって、もっと深い話であるかもしれない。神の留守、季語として配置されているが、もっと深い意味を持つかもしれない。均衡を保つ世界ではなく、手を携えあってともに歩む世界でありますように。)

 

オノマトペを考えながら落葉踏む

 

(まさに俳句を作る人の日常であろう。さらっと言ってはいるが、かなりの呻吟であったに違いない。いいオノマトペにたどり着けたであろうか、いつかどこかでその句が読みたい。)

 

 

2020年

 

二円切手の淡きむらさき春愁ひ

 

(つい最近まで、私も二円切手を貼っていた。投稿するのに返信用も含めて結構使うので切手を大量買いしてしまう。不足分の二円、一円切手である。春になる前に私は終わったが、敦さんはまだ続いたのかなと思う。二円切手は、冬の柄、エゾユキウサギの白に、バックは淡いむらさき。春になると、温かみに欠け、合わないとも思うようになったのかも。) 

 

棄てられしキャベツの芯の白さかな

 

(私は、キャベツの芯は、刻んで使ったりもする。白さが際立つ時は、捨ててしまうかも。そんなことを考えながら読んだ。ただ、この芯を水栽培して、台所に小さい緑を添えられることも、最近フェイスブックで学んだので、試しにやっている。)

 

日向ぼこ白猫来ればしろと呼び

 

(楽しい句である。日向でのんびりしていると、白猫が来る。みんな多分しろと呼んでいるのだ。大体の人は、「そうよ、私もしろと呼ぶ。」と頷いている。)

 

いま90%ほど凍つる蝶

 

(この句に、釘付けになった。こんな表現に出会ったことがない。が、程度としておおよその想像はできる。作者と同じ目線で見つめているような感覚が起きた。凍つる、温めれば活動再開もあり得る、そう思わせる言葉だ。)

 

ホットワイン『Moon River』を聴きながら

 

(『Moon River』が聞こえてきます。やわらかく、心地よく。ホットワイン、甘い声が、香りに重なり、一人の時を癒やしてくれます。『Moon River』と書くことで、よく聞いたあの音楽が流れるのです。)

 

 

香川県は故郷です。

香川県は故郷です。

        2021.05/13

        十河 智

 

香川県は、故郷です。ここで、ゴールデンウィーク以後、コロナ感染者数が急増しています。

 私は大阪府民なので、やはり県をまたいでの移動は遠慮するべきだと、1年以上、帰っていません。故郷に暮らす友人のSNSの写真などで懐かしんでいます。その人が、ゴールデンウィーク中、うどん屋が混んでいると嘆いていました。とても心配していました。

 そして現実、その心配通りになっているようです。身内が飲食店や居酒屋をやっているので心配です。今までは、少し縮小してやって来たそうですが、休業となるかも知れません。

 どんどん広がりますね。

 

ゴールデンウィークうどんを食べに来たと言ふ

こどもの日うどん屋に人溢れ

コロナ感染広がる香川県五月 

 

 

追記

 

ゴールデンウィークが遠のくにつれ、香川県の感染者数は元に戻っているようです。一安心。と同時に、出かけてはいけないという証明になった。 

緊急事態宣言下、府立寝屋川公園を歩いてみた。      

緊急事態宣言下、府立寝屋川公園を歩いてみた。

        2021/05/05

        十河 智

 

 世の中は、変異株コロナへの入れ替わりで、蔓延防止にやっき。緊急事態宣言が再発出された。
 日日家に籠もっている。いつもは気楽な二人暮らし、お昼はどこかへ出かけて刺激をもらうことにしていた。
 二人とも、行くところがなくなった。
 主人の将棋クラブはせっかく再開が決まっていたのに、公共施設の全面閉鎖で、やめになった。陶芸クラブも相変わらず音沙汰がなく2年目になった。消えてしまう可能性もある。
 私は、お友達が子どもたちに教える書道教室の脇で、千字文と仮名散らしを習っている。選などで採って貰えた句や、気に入りの句は、お手本を書いてもらって、自筆の短冊や色紙で残す。字に自信がないので、お手本が必要なのだ。そんな大事な書道教室も、今回の変異株は子供も危ないというので、しばらく休むと連絡が来た。

 ほんとに、どこへも行くところがなくなった。もともとゴールデンウィークなど意識にもない暮らしなのに、若者達は渋谷へ、難波へ、嵐山へと相も変わらぬ人出と報じていて、感染は収まらない。少し気持ちにゆとりがなくなりかけてきた。
 近所には散策できる公園が何か所かある。
 昔は湿地帯で水害も多かった、寝屋川水系には、治水緑地が整備されていて、平時には近所の住民の憩いの場である。近くに2ヶ所ある。
 府立寝屋川公園も今ようやく完成に近づいて来た。こういうところは、何十年もかかると、はじめから見ていてやっとわかった。

 寝屋川公園を歩こうということになった。桜の頃にはよく行くし、子や孫を連れて、噴水や人工の川、芝生の上で遊ばせたりもした。今は施設は利用できないが、各所にベンチや椅子、床几が置かれていて、疲れが出やすい私にも良さそうだ。存分に青葉若葉の空気を吸いたいと思った。
 すぐ横にあるコンビニでコーヒーと柏餅を買って、桜の木の下の床几に広げた。桜の実が可愛く揺れている。あまりそういうことに興味のない夫に指差してやる。外でのコーヒータイムをしばらく楽しんでいると、夫は「少し歩こう。」という。
 あまり人はいなかったが、たまに同じようにコンビニ弁当のカラを持って帰る人がいたり、老人夫婦や、父と幼児の組み合わせもいた。ゴールデンウィークの真ん中という感じだ。乳母車でくる人を覗くと、犬が2匹乗っていてびっくり。まともに赤ちゃんが乗るベビーバギーにも会ったけれど。
 会館とかバーベキュースペース、野球場はすべて利用休止の張り紙。木の間に立て看板で、県の形から県名を当てるクイズが並んでいた。これが、案外忘れていて難しい。北の方はよくわからない。
 公園の真ん中あたりになる広場が見えるところに来た。丸い大きな花壇があって、周りに座れとばかりに、スツール型の黒い石、不規則な置き方なのでオブジェなのかも知れないが、一休みさせてもらった。いつも車で通る道が見えている。周囲を見渡すと、噴水も止めてある。従って川も流れていない。春の落葉が掃かれずにそのまま積もっている。多分、出勤も停止しているのだ。
 帰りの道は少し変えてみた。「烏がこのあたりのどこかで子育て中だから、親烏の気が荒い。」との注意がある。私達は、会わなかった。
 上を道路が走るトンネルがあって、その道路に出ようと潜り抜けて、出口を探した。出たところはコンビニと道路を隔てたところだった。
 小一時間の散歩だったが、いい気分転換になった。

 

コンビニで買ふコーヒーと柏餅
指差すはくすめる空の桜の実
少し歩こう夏の変種のクリスマスローズ
コロナ禍の散歩コースの春落葉
緑陰に遊ぶ県当てクイズかな
ネモフィラの青いつぱいのプランター
初夏の花ベビーカーには犬二匹
黒石の椅子にて拭ふ汗ありき
みどりの日娘に父のよーいどん
全施設利用休止や烏の子
親烏注意と掲示ある欅
トンネルの上が車道で若葉風
葉桜の下抜けをして帰りけり 
     

谷原恵理子さんの句集「冬の舟」を読みました。

谷原恵理子さんの句集「冬の舟」を読みました。

        2021/05/03

        十河 智


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 実は、この句集を手にしたのは冬である。鑑賞の言葉を書きたいと思いつつ、様様のことが重なり、もう春の終り、若葉頃になってしまった。

 初めて、谷原恵理子さんの句に接したとき、目が醒めるような、個性的な俳句に出会ったと感じた。視点が確かで、一句の画面が見える、そういう俳句なのである。スケッチ帳でも繰るように、一句一句を楽しんでいった。

 

 句集の「序に代えて」の中で、岩渕喜代子氏の言葉、

「恵理子さんの作品は、確かな具象がその感覚に支えられて成立している。」

 

 跋「慈愛」の中で、辻村麻乃氏の言葉、

『恵理子さんの句にはまず基本的な写生の目があり、自身を抑えて詠む対象に同化する力が元来備わっている。

 読み進めるうちに、対象となる動植物や人物への鋭い観察眼と慈愛とを感じる。意識的に「我」を入れようとすると実感の伴わない心象句となってしまう。しかし、敢えて我を詠まなくても対象物と一体化することで十七音の中に「我」を超えた自然界、宇宙なるものが現れるのである。』

 

 お二人の言葉の教えてくれる、谷原恵理子さんの句の本質を、この鑑賞文を書くに当たり、もう一度句を読み直し、噛み締める。

 谷原恵理子さんのような句をあまり知らない。客観写生の句と言っても、発見ということを手柄にしたい、私も含めて、そういう句になりがち、辻村麻乃氏の言う、「我」が入りがちな句が多いのだが、谷原さんの句には、本当にそれがない。しっかりとした描き手がいるだけである。一句の表現するイメージが全てという世界になっている。余韻を広げる句ではないが、一句からは、谷原恵理子さんが伝えたいビームのようなものが、発信されている。

 

 絵画といえば、表紙絵は、画家である娘、谷原菜摘子さんが描かれたという。

 私が感じている谷原恵理子さんの句風に、完璧なほどにマッチしたこの表紙にも、敬意を評したい。

 

「さみしくなっても荒涼とした世になったとしても、ただ生きて雪が降る速度でゆっくりと俳句を詠んでいこう、そんな決心を「冬の舟」という題に込め、しっかりと歩を踏みつつ演じる能役者を描いた表紙絵、他の句集では感じたことのない確かな個性を感じました。こういう決意で俳句を作ると表明をされるのも、他では見たことがないように思いました。今脳裏には、龍安寺の石庭が浮かんでいます。あそこに置かれた石の一つ一つのように、この句集の中に、句が置かれているように感じています。

 また至極の句集に出会えた気がしています。

ありがとうございます。」

 これは、この本を手に入れて一読の後、谷原恵理子さんに送らせていただいたメールでの感想文である。

 

 帯にもある句、

 

能舞台一歩は雪を

踏むやうに」

 

 この句は、表紙の絵とともに、句集の代表句として記憶に残る。

 能の演目も観劇したこともあり、周りにもお能や仕舞を習う人達がいる。能舞台に上がったことのある作者であろうか。ただ能を観ているだけでも、独特の一方踏み出す所作は雪を踏むようであることに納得できる。音もなくしっかりと踏み込む、ぐっと押し込む確実な着地、雪の上を今歩いている実感がある。作者にとって、能舞台も雪を踏むことも並行する現実であろう。

 

 以下、鑑賞の言葉も添えて、好きな句を挙げたい。

 

 

 

「星するり」

 

一本の桜を母と見る夜かな

 日本人にとっての桜、ただ一本あるだけで、華やぐ。

「母と見る」の意味が現実の叙述とも、比喩とも取れて、そこが桜を大きく見せている気がした。家の近くのお母様との思い出のある桜と思う。

 

春昼のざらりと映画館の壁

 よくわかる。スクリーンのある部屋の通路。真っ暗になって、つい手を壁に。その時の手触りが、「ざらりと」、私はちょっとがっかりするかもしれない感触である。

 

星するり体を抜けるスキーの夜

 私はスキーはしない。しかし、できたらいいな、あのスピードに生の体が乗れたら、どんな感覚があるのだろうと、滑れる人が羨ましく思う。「星するり体を抜ける」これが体感できるに違いない。彼女がそういうのだから。

 

石段の青きしづくや蜥蜴跳ぶ

 瞬間を捉えて、目の中の残像をしづくと表現。それが的確で、読むものに伝わる。

 

みちのくの星押し寄せてねぶた引く

 最近はねぶたがどういうものか、遠く四国、関西で育った私も、イメージができている。映像文化の浸透の賜である。夜も明るく、地上の星となるねぶたに、空の星が、押し寄せてくるという、壮大でとてつもないスケールの舞台展開である。

 

 

 

「天使の羽根」

 

大琵琶や雪は水輪にまた水に

 しんしんと雪が降る。大きな琵琶湖が感じられる辺りに雪の行方を追っている。落ちる瞬間は硬いものとして水面に当たり水輪が広がる、そして雪の本質の水に戻っていく。当たり前のことを書いている。しかし、あの大きな琵琶湖を舞台に、雪の壮大なショーが繰り広げられている、それを観ている。

 

天使の羽ちよつと直してクリスマス

 微笑んでしまう。家族で祝うクリスマスの飾り物の天使。みんなが集まる前に気になった羽の形を直したのだ。ほんのちょっとのことだが、これで気持ちいクリスマスになるのだ。

 

シュレッダーの飲み込む文字や小鳥来る

 大量の保管期限を過ぎた書類をシュレッダーにかけている。経験あるが、引き込まれてゆく文字を見ているだけの単調な作業。窓の外に小鳥が来ればとてもいい気分転換である。

 

ばしよんふあしよんくさめ大きな月の客

 なにか童話の書き出しででもあるような、面白い場面設定である。オノマトぺの実際を出してみたくなる作者の創作した音が、月夜に響き渡る。

 

ジャングルジム色なき風の通り道

 色なき風は体に確かに感じている。どこから来るのだろうと周りを見渡す。ジャングルジム、骨組みだけのあの格子を通り抜けて私の体を擦っていくのかと思う。

 

 

 

夜想曲

 

夜想曲藤はねむたき長さまで

 藤の花は思いの外垂れ下がるものです。あのだらりさ加減、重みの作る揺れは、眠気を起こさせる。夜想曲まで重なって。

 

ぽつかりと浮巣余呉湖の白き朝 

 余呉湖の辺りは何度か行き、雰囲気がわかります。何もかも見えるところです。一周は歩いても自転車でもそれほどかかりません。山も近い。朝日とともに晴れ渡る夏の余呉湖。その明るさが、明白、白昼の白、白き朝と言わしめているのではないかと思うのです。

 

二百十日大きな虹の恐ろしき

 二百十日に当たる日の不穏な空模様。雨が上がって大きな虹が出たが、まだまだ安心ならぬ気配なのだ。単刀直入な「恐ろしき」が、突き刺さってくる句。

 

焼き立てのパンの膨らみ鳥の恋

 鳥にはあまり詳しくない。「鳥の恋」の持つ幸せ感、春の陽気を信じるのみ。焼きたてのパンの膨らみからの湯気や気持ちの高鳴りの象徴のようなまだまだ膨らんでいきそうなふっくら感。美味しそう。満ち足りている。

 

囀や十色聞きなす雨上がり

 なぜか雨が上がると囀り始める。十色を聴き分ける、私からすると超人的である。鳥もそれだけいる環境ということである。

 

檻の鷲届かぬ空を見てをりぬ 

 大空を舞う鷲ではなくて、囚われの鷲。見ている空も、真上ではなく、鳥の真っ直ぐの視線の向こうの広く大きな空。今の私達が読むと、コロナ渦中の自分の鬱積した心情が映し出されているかに思う。

 

 

 

「パリの灯」

 

黒セーターレノンの歌は雨のやう

 ジョンレノンの歌う姿、黒セーターのイメージが強い。そして「レノンの歌は雨のよう」この措辞にも強烈に共感している。レノンの濡れた雨の雫のような声が好き。このような句を読ませてもらえたことに感謝している。自分には出てこない表現に、読者となれた喜びを感じる。

 

まつすぐな道牛小屋と赤のまま

 農道を歩いているのでしょうか。昔のように家で飼わない牛。農耕用ではなく、肉や乳の生産用の牛。牛小屋もある程度おおきい。道端には赤のままが大きくなって揺れている。ここがどこかは知らないが、私も見ること、体験することのある風景である。

 

白亜紀の貝一億の秋思持つ

 白亜紀、大まかに行って1億年前の地球の年代。正直言ってこの句は正しい事を言っているわけではない。植物相も大変化した時代のようで、今と同じような秋が繰り返されていたわけではない。

 だが、詩、詩情とはこういうことなのだと、こうもすっぱり言い切られてしまうと、感じ入るしかない。一億の秋思について深く思いを寄せている私がいる。

 

蓮根の穴よりパリの灯が見えて

 面白い、いたずら心のある句。蓮根の穴、穴があれば覗きたい。一節大きい蓮根をほった直後かもしれない。外で、望遠鏡でも覗く気持ちで見るとパリも見えてくる。

 

一人子は喧嘩を知らず室の花

 子供には言えない親としての実感、かな。うちの子は喧嘩知ってて親とやったかな。

 

ハンガリー舞曲の一打天高し

 これも胸元にぐさっときた一句。落ち着いたらハンガリー舞曲が鳴り響いている。球音が高くバシッと決まり、あの音楽に乗って飛んでいく。田舎の球場だと思う。プロ野球か草野球か、どちらでもいい。球の行方だけが浮かんでいる。

 

 

 

「名将の弓」

 

この街にわたくしの位置梅香る

 今年この句を読むと、殊の外身に沁みる。コロナ禍の影響で、ありとあらゆるものを断念してきた。梅見に毎年の北野天満宮やその他の名所へは行かなかった。

 家の梅の木を改めて見直したり、ご近所の散策で、この句の心境がよくわかる。自分の家、自分の家から数歩のところのお庭で梅の香りに立ち止まる。ここがわたくしの位置であると、再確認した。

 

母思ふ日の淡くなり柿の花

 何とも言えずうまく取り合わせている。若葉の陰に隠れて、探せば分かる、そんな柿の花が、草葉の陰から見守ってくれている母とイメージで一致する。もうだいぶ日が経って、面影もだんだんに淡いものになる頃、柿の花が呼び覚ましてくれるのだ。

 

名将の弓に礼して寒稽古

 普段接する人にはいないのだが、弓を引く人にはたまに出会える。友人の娘が大学の弓道部で、三十三間堂の通し矢に参加するとか、研修会に行った公民館の一角に弓道場があったりとか。弓道する人の道具を抱えて出入りする姿は凛としていて美しい。この句の道場はかつて名将と言われた人が創始者なのだろうか。稽古の前の「弓に礼」キリッと気持ちが切り替えられる所作となっているのだろう。寒稽古の気構えが伝わる。

 

盆の家書棚に探す青年期

 この句にも読むと同時に自分の記憶としてあるものを引き出してくれた。実家には案外捨てずに残るものがあり、お盆に帰ると、こんなものがまだある、とか、懐かしいものばかり。18歳で家を出た。家を出るのは進学、就職、嫁入り(ジェンダーフリーで言えば、結婚)、だいたい、そのようなものだろう。

 例えば私の実家には、日本文学全集を専用書架付きで買ったものがまだある。まさにこの句通りで、帰るとその当時心躍らせた作家の本に手を伸ばす。「青春期」を探し出す。

 

新涼や千姫に吹く一の笛

 一の笛。はっきりとした意味はわかりませんでしたが、千姫にゆかりのある大切な曲か大切な楽器に違いありません。涼しさを感じることのできる季節、笛の音色がさらに涼しさを感じさせる。千姫の移ろいゆく一生のことが思いをさらに秋の気分へと浸らせていく。

 

ブナの木に水巡りけり星月夜

 植物を生育させるのに必要な水、水の循環の一部に私達生物を育みその内側に入り流れる水がある。ブナの大木に耳を傾けると、水を吸い上げる音を聞けるという。星のきれいな夜水はたしかにブナの木を巡っている、その枝葉から抜けてあの星の煌く天へと還っていく。

 

生きてゐる井戸きいきいと冬の寺

 人の五感が冴えているとき、「生きている」とかんじるのだ。つぶやいているのかもしれない。冬の寺に作者はなぜ滞在しているのか、わからなくても、この俳句は、井戸の滑車の擦れて出す「きいきい」という音を再現し、空気の冷たさまでわからせてくれる。

 

硬質の水巡るパリ時雨くる

 また別の「水巡る」句である。この句は、二つの言葉「硬質の水」「パリ」で、広くヨーロッパの山野の土の性質も、地形も、生活も、全てを表現する。ヨーロッパアルプス、セーヌ川、ミネラルウォーター、連想が連想を呼ぶ。エビアンを手におしゃれなパリジェンヌも歩いている。傘をささない彼女に時雨が降り、カフェに逃げ込む様子が見える。

 

山茶花や昨日と今日の境目に

 昨日と今日に境目はあるのだろうか。不思議な句である。山茶花は境目なくいつの間にか花過ぎとなっていく。昨日と今日の境目にいるのは人であろうか。境遇が変わるなにかに直面している、そういう緊迫感がある。深入りさせてもらえない。

 

赤坂に花を残して逝かれけり

 お知り合いの方が逝かれた。赤坂に住んでおられた。地方に住まう私は、赤坂という大都会の真ん中に、残された花は世話をしないと枯れてしまう鉢植えのものかもしれないと思うばかりである。心残りを感じてしまう。縁故の方に引き取られたであろうか。

       

句帖を拾ふ(2021年4月)

句帖を拾ふ(2021年4月)

        2021/05/01

        十河 智

 

1

茶摘

tea picking

 

静岡に縁のできて茶摘かな

some new connections to Shizuoka Prefecture ;

tea picking

 

茶山はや摘み終はりたる車窓より

tea picking already being over ;

hills of tea plantation from Shinkansen window

 

2

俳句大学

2021年 4月第2週 

〜席題で一句

 汐干狩(しおひがり《しほひがり》)  「春-生活」

汐干狩都会(まち)より来た子連れ来しが

行く道の土産にせんと汐干かな

砂遊びセットを持たせ汐干狩

 

潮干狩

shellfish collection on the beach, shell gathering, clam digging, clamming

 

懐かしき鳴門の島の汐干狩

a nostalgic memory of the island in Naruto City ;

shellfish collection on the beach 

ここ掘れと熊手で招く汐干狩

"Dig here! ", beckoning with a rake ;

shell gathering

 

陽炎

heat haze

 

陽炎や前途遮るものとして

heat haze ;

something to block the route to the destination 

陽炎やネットの中の商店街

heat haze ;

an Internet shopping mall 

 

5

俳句大学

2021年 4月第3週

〜席題で一句〜  夏雲システム

 

席題:藤(ふじ《ふぢ》)

「春-植物」

 

山藤やトンネル多き高速道

藤浪が頭上に逼り山の道

藤の花揺れて誘ふ水辺かな

藤棚長く長くありけり積もる話

藤咲くやものを干す手を止めてゐし

 

6

春灯

evening spring light

 

雪洞に浮かぶ俳句を春灯

haikus written on the paper-shades of lamps ;

evening spring lights on the bank

春の灯のゆらりゆらゆら水都かな

the water capital ;

evening spring light wavering on the surface of the river

 

7

春セーター

spring sweater

 

春セーターラフに一枚肩に掛け

a spring sweater ;

hanging casually on the shoulders

軽やかに春セーターのさくら色

lightly wearing a spring sweater ;

this light pink of cherry blossom 

 

8

俳句大学

2021年4月4週「テーマで一句」

 

 1.海の情景、海の思い出を三春、晩春、初夏の季語でお詠みください。

 

麗らかや三段壁に供養塔

海の子の水泳授業命札

 

 2.食べ物を詠み込む。ただし季語になっている食べ物はNGです。 *季語になっているNGな食べ物例:アスパラ(=晩春)、目刺(=三春)、苺(初夏)、柏餅(=初夏)等。

 

すじ肉を出す買ひ貯めの冷蔵庫

 

 3「夏めく」そのままでお願い致します。   *補足:夏めく=初夏の季語に分類されています。

当季雑詠(三春、晩春、初夏の季語でお願いします)

 

夏めくやたそがれ時のスターバックス

夏めくや更にコロナの変異株

 

9

plowing

 

街の田の耕されける安堵かな

a rice field in the city is plowed ;

relieved

耕しやスタートラインの耕耘機

a cultivator at the starting line ;

plowing

 

10

苗木市

sapling,young plant market

 

苗木市おじさんに聞く若夫婦

an old gardener at the sapling matket ;

a young couple asking 

 

つい選ぶ通りがかりの苗木市

dropping into a.young plant market ;

an idea of selection occurs

 

11

少年の心を寄せる春の月 

(上手い❗️まさにそれがいいたかった。/ 少年の弁 )


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12

春の土

spring soil

攻防のユニホームに春の土

The defensive and offensive plays ;

spring soils on the uniforms 

春の土歩き通せる裏の山

walking all the way through the local hill ;

spring soil

 

八条ヶ池のキリシマツツジ

八条ヶ池のキリシマツツジ

        2021/04/16

        十河 智

昨日は、いつもと方角を変えて、長岡天満宮の横の八条ヶ池の躑躅を見に行きました。フェイスブックの投稿の写真の躑躅の紅に魅せられて、3時頃から急に出かけることにしました。

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 梅はよく見に行きますが、躑躅や桜の季節にはずっと昔あるかなしか、記憶も定かでないくらい。躑躅は神社までの参道に植えられているので、少し遅くなってもと、出かけることにしたのです。
 大山崎での句会はもう1年以上中止、通信句会となっているので、こちら方面は久し振りです。
 国道170号、171号と道は良いので、走りやすく、近い感じがします。f:id:haikusumomochan:20210417023551j:image


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 いつも行くときには、道の反対側のレストランに寄り、食事かお茶をしてから、天満宮を廻ります。昨日もお茶のあと30分ほどですが、躑躅を堪能できました。阿蘇で見た緑の枠のキリシマツツジとは全く違う、燃える紅が心を揺さぶるようでした。


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 短い時間でしたが来てよかったと。両側から躑躅に迫られる通路は、皆が写真を取りたがるところで、人がいなくなる間がなくて、写真に撮れませんでした。
 階段を降りる前にもう一度振り返り、眺めてから、道に降りました。
 帰り道は助手席からまだ残る淀川の菜の花を垣間見ながら春の朧を楽しみました。枚方大橋から見えるひらかたパークの観覧車はコロナ休園なのか、営業時間短縮なのか、動いていません。不思議な感じがしました。

この紅を見たくて渡る春の川
躑躅咲く八条ヶ池と名を知りぬ
スロープより上りて紅き躑躅
鮮やかや霧島ツツジ背に写真
また人来躑躅の道を撮りたきに
ゆったりと噴き上る二基春の水
八重桜今はひつそり控え咲く
若楓まだ春なのに活き活きと
駐車代代わりの春の午後のお茶
菜の花や淀の堤に沿ふ道を
観覧車動かぬ街の朧かな