高宮大杜御祖神社ヘ初詣、散策

 高宮大杜御祖神社ヘ初詣、散策

         2021/01/11

         十河 智

 

 私の住んでいる寝屋川市の高宮地区には古代より人が住んでいて、古墳や住居跡など、遺跡の多いところです。隣には太秦という地名が残り、渡来人の根を下ろした場所と言われています。
 NHKのドラマで大化の改新とか遣唐使の物語をやっていましたが、あのドラマの時代の渡来人の集落があった地域に当たります。
 この住宅街は50年前に竹林の丘を一つ潰して造成されました。もとの地主さんたちも相応の土地を受け取って、私達が来た頃にはまだ家を建てずに畑などにしてそのまま一代過ぎました。
 この頃、代が変わっていく様子が、なんとなく滲み出ています。息子さんが旧村地区は、路地が狭く、救急車や車が通れないということで、建築や改築の許可が下りないらしく、この丘の上に新家を建てるケースや、半分に分けられた土地に分譲の札が立ったりするようになりました。相続などが始まっている様子です。畑や田んぼも、少しずつ地上げされて、街に組み入れられて来ました。
 それと並行して、私達と一緒に子育てをし、壮年期を過ごした「新住民」も後期高齢者核家族が老夫婦世帯となり、庭や家の手入れが行き届かない様子や人が来ない児童公園が荒れ放題になっていたり、施設や子供に引き取られて、こんなことからも、売りに出される家が増えています。丘から見渡せば、日本全国とつながっている高速道路の威容、それも運転免許があればこそ。ここは、私達夫婦にとっても、年々住みにくい場所に変わっていくことでしょう。
 コロナ禍の年明けに、住宅街の裏にある、旧村地区の歴史ある高宮大杜御祖神社に久しぶりに散歩も兼ねて参拝しました。
 遺跡として市が管理はしているが、人とは会わず、2時間ばかり彷徨しました。景色がだいぶ変わっていました。

住宅の脇の小道の枯れ葎
初詣白鵬時代より社
寒林や殺虫剤散布個所ロープ
誰も来ぬ鎮守の森の初松籟
淑気満つ宮御手洗に無き柄杓
初雀拝殿前の日当たりに
古代人住居の跡や卯の杖を
滑り台脇のベンチと枯草と
櫟枯る孫と遊びし昔あり
冬菜畑ちようど我が家の裏辺り
枯草の種引つ付けて大鳥居
橙飾る二千年の村の道
村に今残る枯れ田と住宅街
オリオンの狙ふ高速行く車
徒歩の背を威す三日のクラクション
冬晴れや長屋解体後の戸建て
風物の変はり変はらず年明けぬ  
       

攝津幸彦選集を読みました。

攝津幸彦選集を読みました。

          2021/01/11

          十河 智

 

 邑書林より出ている攝津幸彦選集を読みました。


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 攝津幸彦自身が自らの俳句を語るインタビューもあり、筑紫磐井さんの「摂津幸彦論」も掲載されています。

 

〘〙 わたしの感想です。引用の間に書き入れています。

★  句集や句集抄の、その句集での好きな句、気になる句、を挙げています。

……  解説、評論、インタビューでの引用の 前後中略を示します。

−−  インタビューアーの問いかけ

 

★『姉にアネモネ

亡母(はは)を練るアジアの花の花野かな
姉にアネモネ一行一句の毛は成りぬ
愛は暗し太き仏をながしけり
くじらじゃくなま温かき愛の際
天秤の弱き姿勢や寒卵

 

攝津幸彦賛ーー大本義幸」より
 ………言葉は日常的意味性から切り放たれた場所でこすれあい、重なりあって、非日常的であるから日常的言語よりもリアリティをもつという言語自身の輝きに重きを置く、そういう彼の俳句を私は好きだ。………

 


★『鳥子』

「序 高柳重信」より
 …………………………………

……攝津幸彦の俳句は、俳句形式を簡便な計量カップのごとく使用しながら、早々と自信に満ちて何かを掬い上げるというような安易なものではない。むしろ彼自身は、いつも不安げに躊躇しているが、ときおり俳句形式の方が進んで姿を現わしたとでも言うべきものが、もっとも典型的な攝津幸彦の俳句であろう。…………
 したがって、攝津幸彦の俳句は、ある意味で非常に俳句的である。…………
 しかし本当にすぐれた俳人は、ただ一人の例外もなく、そのときどきの俳句形式にとって予想外のところから、まさに新しく俳句を発見することによって、いつも突然に登場してきたのである。

 

 流体力学
かくれんぼうのたまごしぐるゝ暗殺や
かんなしむゆふいうれにほとげかな
みまなこの蛇ほどけゆく非常かな

 

 H&R
花ぐもりまつかな船を焼いてゐる
 ※
亡母まだまひるの葱を刻むなり
うなぎみづみづしく情人飢ゑし渚や

 

 姉にアネモネ

 (上記の再録、一部原句と異なる)

 

 頌家
十二月あひると愛人疾走す
油蝉飛ぶ三界の軽きこと
花疲れ蝸牛(ででむし)われをなぞるなり
亀転びやすし満月の肩のあたり

 

 幻景
送る万歳死ぬる万歳夜も円舞曲(ワルツ)
秋津洲すそ野しぐれに股肱なる
はるばると死すチチハルに大夕陽
川に落ち山に滑りて戦地とす
亜細亜秋の苦力やはらかし
国語涸れ北支の月夜しぐれかな
南京の香れる花にも雌雄かな
極寒裡埠頭に某の知恵うかぶ
大日本(おおやまと)墨は匂へる新歴史

 

 逍遥
花守の花に生まれて匂ひけり
日に緋なる伯林のばら滅ぶ美枝
鷗・元伯爵・鞦韆・語草

 ※

青春よぐみの実または器具である

 

 あなめりか
自由へのバナナのまつり白きおつり
寄する波・夜する戦・病めるレスラー
舞ふブロンドの髪のサラダよ星条旗

 

 後記

……………………
……この最短定型詩型なる俳句形式の中に塗り込められた数多くの言葉が、果して何を意味し、遂に何を意味しなかったのかに想いを馳せる時、言葉とほとんど同時的に存在してしまう意味なるものにとても不快を覚えてしますのはどういうわけであろう。……………

………………………………

 


★『奥野情話』抄

大学や雀はするめを這のぼる
押入れのダリヤの国もばれにけり
久方の空の耳朶色づきぬ
美しきもの煮ゆるなり夜の河
もう人間の今三名の葱刈りぬ
あたし赤穂に流れていますの鰯雲
寒月や貴女のにはとり静かなり
脳天や秋のうどんのために座す

 


★『鳥屋』抄

水球の男と女と狂女かな
太古よりあゝはいごよりレエン・コオト
死ぬことを怖れよ国立市の燕
野菊あり静かにからだ入れかへる
象徴の詩人を曲げて野分かな
春の海ビニール既に黒ずみぬ
平城山に妻を忍びぬホッチキス
浄土これ畳のヘリにとろゝ汁

 

 

★『鸚母集』抄
水かぶる日本しづかな雛の家
のんのんと風呂敷が行く萬葉へ
てのひらで支ふ頭に雀棲む
蛇生れて国道に死す儀式かな
脳味噌にある空海とダリアかな

 

 

★『陸々集』抄
粉乳とパンの廊下をやよ忘るな

 

 

★『鹿々集』抄
ひんやりとしゆりんと朱夏の宇宙駅
百千鳥一寸先の闇に湧く
十五年戦争十五の十六夜
かたつむりあつまる陛下なみだぐむ
花八つ手しやんしやんしやんで果てにけり
チェルノブイリの無口の人と卵食ふ
煙管火の煙管もろとも厩火事
一月二十八日取りいだしたる馬の骨
弔ひのピストルを撃つ春泥に
十薬の如く干されし能役者

 

 

★『四五一句』抄
チウと泣く嫁が君とか君が嫁とか
お国の忌兵たりしもの減りにけり
きびたきやおゝるりのじこのほととぎす
冬晴れの不二の戴き過誤多し
はいくほくはいかい鉛の蝸牛

 

〘 独特の俳句にびっくりしていますが、好きな言葉の並びでした。口に出してう読むと嬉しくて楽しい。言葉を意味の伝達と捉えると、首を傾げるかも知れないが、音楽や叫び、気持ちそのままの人の野生の呻き声と思えば、受け入れられる。しかし原始的ではない、現代の社会や文化生活の中から言葉はセレクトされ、不思議な俳句に取り込まれてゆく。〙

 

 

〘 この後は、攝津幸彦の自身が語る言葉を引用しよう。「インタビュー」からぬきだしてみる。
 私が、この本で彼の句を読んで来た不思議な感想が、あっこういうことだったんだと、思い当たるかもしれない。また、とても想像を超えていた彼の句がもっとわかるようになるかもしれない。〙

 


インタビュー 1


・できあがった瞬間、全く無意味な風景がそこにある、という俳句が書きたいんです
     聞き手/村井康司「恒信風」

 

     

季語そして定型

 

−− 広く作る、一つのパターンに固まらない、みたいなことを意識していますか。 

(攝津)
「いろんな形でいろんな句を書いてみたいっていうのはありましてね。ただ、基本的な五七五の定形だけは守ろうかな、みたいな部分がありますから。ご存じのように、季語っていうのは全く意識していないですし。」

 

−− 攝津さんは切字を割と多用されているんじゃないかと思うんですよ。意図的に切字を使うという、定型を守るというのは、ずっと最初から今まで一貫されていると。

(攝津)
自由に書いていた時期がありました。そうすると無数にかけていく恐れが出てきて、何か自分にひとつ課さないといかんのじゃないかなって言うことと、五七五っていうのは、もう古事記の時代からのリズムですしね、やっぱりその中に宿る、何かがあるんじゃないかということを最近思っているんですよね。…音律っていうのか、調べの中にいろいろな自分の肉体感覚に近い言葉、…それぞれ各人に根差す音源みたいなものが、遺伝子の中に組み込まれているんじゃないかな、なんて大げさに思ったりしますね。音で自分のあり方を規定してるっていうのか。

 

−− 人名が出てくるあ句が割合多かったですよね。〈春耕や新渡戸稲造雀追ふ〉

(攝津)
ある人がある名前で呼ばれて、それがその人のすべてを象徴するというのは、非常に不思議なことじゃないか、…言葉と単なる肉体に別れてふわりと宙に浮くような。…ただ単なるシンボル、記号であるべきものが、なにかその人の生涯とか運命とかも、決定してしまうような、そういう姓名というものはなかなか怖いものだなあ、と。

 

−− そこにあげられた人物に対して思い入れがあるということではないんですね。

(攝津)
例えば「新渡戸稲造」という人は、あの新渡戸稲造とは限らないってことですよ。

 

−− 吟行会…なさったことは。

(攝津)
 記憶に残る吟行会っていうのはやったことはないですね。……いわば十年ぐらい激しく修行を積んでね、なにかをものにしていくみたいな、そういう若い連中のすごいのが伝統派の中から生まれてくればということを思ってたんだけど、やっぱり全くいなかったですよね。…結社ってところは、そういうふうには人を育てないところかもしれないですよね。…だから、ある種非常に偏った俳句しか生まれないみたいなね。
 ですから、やっぱりある程度僕がフリーに書いてこられたのも、結社に属さなかった部分が大きくあると思いますね。何を書いてもいいということですね。そこで自ら自分似合う書き方を選んでいくっていうことを、二十何年間やってきたわけですよね

 

−− 結社に入らないで俳句を書いている人達が最近はどこにいるのかわからない。

(攝津)
伊藤園」が俳句を募集すると、大変な数が集まってくるで、興味を持っている人は多いとお思います。……これからはパソコン通信の普及によって、パソコン俳句からすごい人材が出てくるんじゃないですか。……これからはデジタル化してしまったところから、アナログ風景を読みとるみたいな、心や感覚や美の世界もこれまでと違ったコンセプトからパソコン通信を通して五七五に切り込んでくる連中が生まれてくるような気がするんですね。

 

 

・わが俳句の青春期

 

(攝津)
僕は1970年に学校を卒業したわけですよ。もうあらゆるものにエネルギーがあったみたいなあの時代っていうのは、今までもこれからもないね。今から思えば非常に素人っぽいわけだけど、暗黒舞踏とか、寺山修司天井桟敷とか、唐十郎とか、あるいは映画もいろいろ、ヌーベルバーグですか、吉田喜重とか、大島渚とか、そういう人が活躍していた時代で、今ではそういうのを懐かしく思い返せる時代になっているわけですけれど、そういうところから俳句を始めたわけです。……おふくろが「青玄」で俳句をやっていた……身の回りの人が俳句をやっていたっていうのが圧倒的に多いですね。僕もおふくろがやってた関係で、まあそれもいいだろう……俳句をやるのも洒落てていいなというようなことでやりはじめて。……やっぱり僕は「青玄」調は体質に合わないっていうのかな。例えば音楽で言うと、俺はジャズが好きなんだけど、ポピュラーはちょっとみたいな感じで、「青玄」には所属することはなかったですね。

 

−− 「豈」という攝津さんがされている同人誌は、そこを拠点にして何かをしようという場としては考えてられませんでしょうか。

(攝津)
これはもう、全くないですね。「豈」は俳句形式の浪人集団っていうのかな、あるいは不良集団って言ってもいいけど、そういう人の寄り集まりの場であって、今までになかった俳句や評論なりを勝手に書くという、そういう場なのだと思います。

 

 

・「何もない風景」を現前させたい

 

−− 例えばある単語と単語とを併置して置いた場合にですね、それが「当たり」とか「外れ」とかいう判断を常にされてると思うんですけれども、そのご自分でされている作業っていうのを、別の言葉で置き換えることはできますでしょうか。

(攝津)
「腑に落ちる」って言葉があるけど、自分が先験的に持っている肉体感覚に落ち込むみたいな、そのへんでやめるっていう言い方が一つあるのかな。………

 

−− 意味はわからないんだけど好きだってケースが、特に攝津さんの俳句の場合は多いんです。

(攝津)
読みっていうのは面白くてね。<階段を濡らして昼が来てゐたり>っていう僕の句を、歌人の小池光が、「昼」っていうのは、朔太郎の詩に「浦」っていう女が出てくるから、「浦」の妹で「昼」っていう名前の女だろうって言うんですね。そういうある種わからないものを固有の名称に置き換えて読むと、けっこう抽象俳句でも分かるようになるケースが多くて………

 

−− でも本当に攝津さんの句を読んでいると「なんだかわからないけどすごく好きだ」という感じがすることが多いんです。

(攝津)
それはかなり意識的な部分もありましてね。一番難しい俳句っていうのは、何かを書き取ろうとして、実は無意味である、しかしなにかがある、みたいな俳句だろうと思っているわけです。……そういう「何かがあるけど何もない」みたいな俳句を目指すためには、やはり膨大な
量を書いて、その中の何句かが生き残るみたいなことになるのかなあ。……とにかく非常になんでもない句、しかし俳句然としてそこにあるみたいなね。なんか原初に帰るみたいな、そういう一句が書きたくてしょうがないんですね、今は。

 

−− 俳句の短さが、そのために役立つということがありますでしょうか

(攝津)
うん、それは多分にあると思いますね。……僕はやっぱり現代俳句って言うのは文学でありたいな、という感じがあります。「文学」ってどういう意味だと言われるけれど、これはやっぱり読み返すたびに新しい何かが見いだされて、その底にはある種の悲しみとか、あるいは毒ですね、そういうものがないとあまり書く意味はないんじゃないかと。……


  (1996年1月13日新宿にて)

 

〘 攝津幸彦は、極めて真摯に、言葉と俳句に対する思いを語ってくれている。現代俳句は文学でありたいな、というのが彼の目標であると語っている。〙

 

 

インタビュー 2 

 

・狙っているのは現代の静かな談林
 「太陽」平凡社)のインタビューに答えて

 

−− いわゆる典型的な団塊の世代。この世代は俳人の層も目立って薄いし、しかもあの1970年頃に俳句を始めたというのは、かなり特異なケースのように思われるのですが。

(攝津)
それはそうですね。でもえあたしのばあい、幸運だったのは、大学で伊丹三樹彦の娘と同級で、「青玄」の若手グループだった坪内稔典などを通して俳句を知ったことでしたね。そこで教えられたことは、とにかく自分の思っていることを、できるだけ短いことばで書けばいいということでしたから。だから今でも続けられていぇいるんだと思います。
 ……風景を見て俳句を作るということは思いもしないんです。サラリーマンですから、作るのは土、日で、まず土曜日は静かにことばとなれるというか、日常のことばと違うことばを切り取る作業にあて、日曜日は朝から原稿用紙とにらみ合うといった作り方です。………
 以前は自分の生理に見合った言葉を強引に押しこめれば、別段、意味がとれなくてもいいんだという感じがあったけど、この頃は最低限、意味は取れなくてはだめだと思うようになりました。そのためにはある程度、自分の型を決めることも必要でしょうね。高邁で濃厚なチャカシ、つまり静かな談林といったところを狙っているんです。

 

〘 攝津幸彦は、風景を見て、俳句を作らないんだとひしひしと実感する。たしかにそれは言語の本質的一面であったと気づく。生き物としてあることが、動けばかすれ、触り、音を発する。赤ん坊は泣き、子供は騒ぐ。成長により人に表現材料としての言葉が蓄積される。攝津幸彦は、せっせと貯め込んだ言葉の山を俳句を作る土曜日に掘り起こすのだ。日曜日に五七五の棚に見た目が自分の嗜好に合うように色々飾っては楽しむのだ。そんな楽しみ方も言葉にはあると、攝津幸彦の句集に展示してくれているのだ。ピカソを楽しむように、攝津幸彦を楽しみたい、そう思った。〙

 

最後になるが、

 

「摂津幸彦論」

    筑紫磐井

 

俳人は結社で育つと疑いもなく多くの指導者はいい放つが、現代にあって同人誌だけで俳人として大成したたった一人の作家が攝津幸彦であった。……………現代俳句派でありながら伝統俳句との距離など少しも感じていない不思議な人であった。……………………

  ✱

………………

しかし、攝津が俳句という表現形式で本領を発揮し始めるのは、大学卒業後、広告会社東京旭通信社に入社し、関東(浦和、与野)で生活するようになってからだった。広告代理店という、クリエイティブで無国籍な仕事をする環境は、幸彦俳句の本質をなしている。

…………

 このように攝津波結社の俳句作家と違った独自の方法論を持っていた。………………

 

 

〘 筑紫磐井さんは、まこと攝津幸彦論を書くに相応しい幸彦との関係、距離を持った人である。俳句の社会も攝津幸彦もよく知り、両方の側面から、切り込んでいける人である。

この本の最初に攝津の書いた、「皇国前衛歌」の書というかイラストが掲載されている。皇国は広告でもある、としっかり書いてくれている。皇国と前衛が矛盾すべきものである(広告と前衛は、多分相性が良い。)が、幸彦は結びつけ、これは俳句の連作でありながら、幸彦は「歌」であるという、ともそこまで解説してくれる。皇国という特別な時代の言葉を使った幸彦の心象についても、広場で野球している少年時代の米軍キャンプのラッパの音と、若くして戦火に散った、野球選手の影について幸彦自身の述懐を示している。

 攝津幸彦自身が書く俳句論にある「言葉と言葉がこすれ合うことにより、ジリジリと姿をあらわすダイナミックな抒情、言葉の意味のみを追求しようとすれば、その一貫性の欠如ゆえに失敗し、句の雰囲気を感じとろうとすれば、忽ち作者の肉体性というべきものに邪魔される。そんな抒情を、少しでも味わいたいと常々思っている。」これは、まさにこの本の幸彦の句に接して、私が直面し狼狽えたゆらぎそのものである。言葉の意味に固執しすぎて、理解不能の空回りに陥り、五七五の持つ韻律に頼ろうとして、ふと構成する一つの言葉の硬さに躓く。初めて味わう言葉の世界であった。慣れが必要なのか、肯定ばかりでなくてもよいのか、この判定不能こそ作者の術中に入るということなのかもしれない。抒情として、危うい美意識としてそのまま受け入れるべきものかもしれない。この論文の最後の一節、入院した攝津幸彦を見舞う筑紫の、攝津にとって、あの死はちょっとした休息、という思いは、ほぼ同年のそれから15年も生き延びた今の私には、響くものがある。筑紫は、攝津でも旧世代の無理解と戦って疲れていたのであろう、そのための休息だったのだ、という。側で親しい筑紫には、そんな姿が見えていたのだろう、別の分野ではあるが、五十半ばのわが戦いを振り返ると重なるものがある。私達学園紛争の世代は、学生時代は紛争を横目で見ていたものも、どこかで旧世代との戦いに直面する羽目に陥りがちなのだ。ふとそういう思いがよぎる。

この評論の最後に上がっている、攝津が書いた一文「何も考えず今はゆっくり静養しようと思っています。」は、この思いのまま、天国に行ったのならばよかった、と思わせてくれた。今もゆっくり休んでいてくれていることだろう。戦いの末に残してくれた俳句を長く味わっていきたい。〙

 

年賀状 2021


やつとこさ乗り越え来たる初日の出

        十河 智



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 一月はまだシンガポール旅行で興奮気味でした。二月、三月、少しずつ豪華客船、中国武漢、と怪しい雰囲気になり、五月にとうとう緊急事態宣言。夫婦二人、マスクを作ったり、空いてそうな時間に外へ出たり、なんとか息をしてきました。

 九月、十月は、もとに戻り比較的自由でしたが、夫の趣味の将棋と陶芸のクラブも私の俳句の句会も開かれぬまま、また次の緊急事態になりつつあります。

 今年は、初詣に遠出はせず、コロナ終息しますようにと、近所の小さい神社にお参りして祈ることにします。

 

       2021元旦

 

the sunrise on New Year's Day ;

overcoming hardships in the life under the spread of COVID-19  SOGO Tomoko

 

A Happy New Year !

 

In January last year, I was on the journey to Singapore and in a state of excitement.

In February and March, a strange atmosphere was coming from Wuhan, China, or from a luxury liner.  

In May, Japanese government made an announcement of emergency.

 My huzband & I were breathing somehow, putting on handmade masks, going out in clear zones and time.

In September and October we were released to relatively free conditions, but we could not make the reopening schedules of my huzband's hobby gatherings, a shogi club and a pottery class. It was the same to my Haiku meetings.  

Now we are getting in the 3rd peak of COVID-19 epidemic

My huzband & I, instead of going far, will pay the New Year's first visit to the little shrine in the neighbourhood and will pray for a rapid approach to the end of COVID-19 epidemic. 

       SOGO Tomoko

       in the morning of Jan.1, 2021

 

 

句帖を拾ふ(2020年12月)

句帖を拾ふ(2020年12月)

          2020/12/01

          十河 智

1

水仙

narcissus

 

水仙や陽当る坂を一面に

narcissi ;

a sunny slope all around

 

水仙を生ける葉の向き花の向き

arrangement of narcissi ;

the direction of leaves and flowers facing

 

2

焚火

open-air fire

 

そこいら中(じゅう)焚火してゐし昭和中(なか)

the middle of Showa era ;

everywhere on the road open-air fire was made

 

ドラム缶廃材木つ端焚火する

a drum , waste lumber and wood chips in it ;

open-air fire at building site

 

3

[俳句大学 席題一句]by 野島正則

席題2020年12月第一週

お取寄せ青き大皿河豚につき 

釣の果ありし箱河豚防波堤

河豚に中る事件の一つ三津五郎

 

4

冬三日月

crescent moon of winter

 

冬三日月気を取り直すやり直す

crescent moon of winter ;

changing the mood to make a fresh start

 

冬三日月夢二の女など夢見

crescent moon of winter ;

a dream of becoming a Takehisa Yumeji's beauty 

 

5

室咲

in house flower

 

室咲の一色床にワンルーム

a color of indoor flowers ;

the floor of one-room apartment

 

室咲と始める一人暮らしかな

with a inhouse flower ;

starting to live by myself

 

6

凍蝶

butterfly suffering from cold temperature

 

凍蝶やコロナ禍過ごす老夫婦

butterflies suffering from cold ;

an elder couple living in an unfortunate world of COVID-19

 

凍蝶や漫ろ歩きの連れとなり

a butterfly in a cold night ;

to be a walking companion of mine

 

7

冬晴

winter good weather

 

冬晴やカーナビ設定終了す

winter good weather ;

it's over to set today's course on car navigation system

冬晴や老いの目醒めの昼近き

winter good weather ;

almost around noon aiging persons awake 

 

8

会えぬ行けぬ歳暮を送るラインする

 

コロナウイルスはまだまだ驚異です。

 

9

2020年 12月第3週~席題で一句~ 夏雲システム 合評句会 クリスマス

街閑散聖樹煌めくばかりなり

実は兄サンタの正体知りたりと

孫のいる沖縄へ飛ぶ聖夜劇

その家の聖夜を飾るLEDかな

ステイホーム二人の小さき聖菓買ひ

 

10

写真で一句「コロナ撲滅特別企画!」第5弾 12月

あの山の向こう大雪昨日今日

白骨の湯へ分け入りぬ年の果

落葉踏み穂高を見上げ上高地

 

11

12月の、【テーマで一句】

夏雲システム利用の合評句会です。

 

①*イメージなど

「お酒」

誘はれて試飲に酔ひぬ冬の川

年用意金箔入りの酒を買ふ

②「開」

漢字1文字(この漢字を使った季語は不可)

極寒も人集まれば窓開けよ

③575のどこかの言葉の指定(季語で始まる言葉は不可)

中7「み」で始める

ミスタッチミスの変換悴む手

④自由な発想でのテーマをお願いします。

「散歩、そぞろ歩き」

冬夕焼たつぷり歩く丘の町

 

12

カイツブリ

grebe

 

池に浮くサッカーボールかいつぶり

a soccer-ball floating in a pond ;

a few grebes coming in and out 

カイツブリ軌跡ふつくらまつたりと

grebes deeply relaxed on the pond ;

drawing bold lines leisurely on the surface

 

13

木枯(こがらし)

cold winter wind

 

木枯や階段登るレストラン

cold winter wind ;

a few steps to the street door of the restaurant

引き籠もる暮らし木枯見るばかり

our lives of social withdrawal ;

outside nothing but watch the wintry blast wailing

 

14

晦日

New Year's Eve

 

学生と家族分断大晦日

NewYear's Eve ;

students are separated from their families

晦日出雲の蕎麦が茹で上がる

New Year's Eve ;

soba noodles of Izumo are boiled up for my family

 

睡眠導入剤誤投入経口抗真菌剤による被害は何故起きた?

睡眠導入剤誤投入経口抗真菌剤による被害は何故起きた?

       2020/12/25

       十河 智

《薬剤師のつぶやきです。独り言です。》

 医薬品製造工場での普通は起こり得ない成分の誤混入によって、多くの被害が発生した。

 この会社の規模ほどの製薬工場に身を置いたことも過去のキャリアに持つ薬剤師から見ると、「あってはならない」を超えて、「あり得ない」事件が起きている。

その顛末について、言いたいことが湧いてきて、少し呟きたくなりました。覚えとしても書いておくべきと思いました。

 

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 最初の疑念の声は、処方医から上がった。処方した患者が次々と事故や意識障害を起こしたと薬の販売会社に電話と書面で訴えた。

 処方箋薬であったことが、当該のLot.を服用した人の全数把握、被害状況の事実確認、回収の迅速さに繋がった。

 医師が販売会社に患者の異変と、投与の薬が同一Lot.であり、何らかの製造過程での不都合が考えられる由を通報し、販売中止を求めてから、ほぼ一ヶ月以内で被害が広がらず食い止められた。不幸中の幸いであった。

 しかし本来の成分、イトラコナゾールの常用量は50㎎から200㎎、誤って混入した成分、塩酸リルマザホンの常用量は1mgから2mg、桁が違うのである。どれほどの量を継ぎ足したのかどこにも詳しい情報が見つからなかったが、少ない量で作用が強いものを多い使用量に合せたオーダーで投入するのであるから、誤投入薬物の通常使用量を超える含量の一錠ができ、思いもかけない作用を表す結果になったのは、当然といえば当然の結果である。

 

甚大な健康被害発生に伴う

『イトラコナゾール錠 50「MEEK」』の使用中止と回収のお願い

(製造販売:小林化工株式会社、販売:Meiji Seika ファルマ株式会社)

 

[製造工程の中で、認可手順にない成分の継ぎ足しを行い、それの取り違いによって、全く別の催眠作用を持つリルマザホン塩酸塩水和物を混入、健康被害が生じているという。]

 12月7日に日本薬剤師会から全国の薬局と薬剤師に向け、ニュースの号外として、製薬会社からの上のお願いが発出され、被害のでた成分混入のLotは、販売会社、卸会社、調剤した薬局を通じて追跡され、ほぼ一週間で、回収を終えた。処方されていた患者の服用を全て止めることができたと報告されていた。これ以上の広がりはないようで、一安心である。

 

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[この会社では、認可された手順にも違反があったということで、イトラコナゾール錠の他のLot.、別の用量の製品もすべて回収対象としている。]

 新聞報道によると、認可された製造工程表には、「投入・混和の際のロスを調整するための継ぎ足し」という今回問題を起こした工程はない。

 届け出て認可された工程に基づいて作業するのが医薬品製造では、大前提である。それゆえ、継ぎ足しをしていたすべてのLot.が適法でない医薬品なのである。

 

四 

 この工場の社内の規定でも、ここはニ人で確認し合いながらの作業の筈だった。それを、一人で行ったとある。製薬工場の、秤量、投入の作業を一人で行うなどは考えられないし、あり得ない。何人もの目で、何段階かの確認を行うのが普通である。私が、半世紀前であるが、勤めていた工場でも、どの工程も、慎重に複数で行うようになっていた。

 薬を作る、扱う業務の鉄則であるし、一人一人が、心底間違いがあってはいけないと、自覚していたように思う。

 そういう意識の面を考えても、あり得ない事件なのである。

 

 また、この発端の誤薬混入は、7月頃の事で、出荷は9月頃だそうだが、医薬品の在庫(残量把握も含めて)管理を的確に行っていれば、出荷前に過ちに気づいて、被害を未然に防げたかもしれない。棚に管理もされずに睡眠導入剤が置かれているなど、これもまた、あり得ない保管の仕方なのだ。

 私も、今まで色々と職場を変わってきたが、品目によっては、法令に定められているものもあるし、範囲を越えて、誤使用によって起きるリスクがある医薬品や成分のもの、睡眠薬などは、特に厳密な在庫管理をしてきた。製薬会社でも病院でも薬局でも、棚を別にしたり、毎日数量の確認をし、記帳していたし、数が合わなければ、原因がわかるまで調べた。病院ではよく夜間の緊急事態などに急な使用があったので、大変だったが、記帳と数量の確認は、この様に、業界ではごく普通のことである。だから、これが製薬工場で起きたことだと今も信じられないくらいである。 

 

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 医薬品の品質に関しては、出荷前になすべき試験が課されている。現場ではルーチンとなってはいるが、気を抜いてはいけない。異常を見逃さず、適切な処理をする為に、やっている事を忘れてはいけない。

 報道によると、製造過程で、投入した成分の正体を示す番号の記録があったという。毎日の記録をよく見れば、ここで違う成分が投入されようとしているとか、してしまったとわかったはずである。原料がまだ粉の段階で、廃棄する事ができた。

 また報道によると、有効な成分の定性定量のための液体クロマトグラフィもサンプリング試験として実施され、この混合異物もピークとして小さく現れていたという。ここで見過ごさず、疑いを持っていたなら、箱に入れられた製品になっていても、この段階で廃棄し、市場に出さずに終わっただろう。

 コンピューター管理の導入云々も取り沙汰されているが、この会社の場合、それ以前の問題ばかり。

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 厚労省の立ち入り調査で、明らかにしてほしいし、詳細を公表してほしい。「してはいけないこと」「間違いが起きる道筋」、それをきちんと明らかに見せてもらう事で、他の者たちの気が引き締まる。もう一度考える機会ができる。

 

コロナウイルスのワクチン接種

コロナウイルスのワクチン接種

         2020/12/19

         十河 智

 

《薬剤師のつぶやきです。独り言です。》

 いよいよワクチンの開発が進み、少し安全性の確認を省略した段階で、緊急性を優先して、各国が承認し始めた。
 新聞やテレビの報道で知る限り、全く副反応がないわけではない、ファイザーのワクチンでは、アナフィラキシーショックが出ているようだ。
 アレルギーは今まで経験しなかったとしても、いつが最初となるかもしれず、また誰にでも起こりうると考えるべきである。想定される範囲内として、摂取後の一定時間の経過観察ができ、アナフィラキシーショックが出た場合への処置の準備があるところでの摂取ということになっていくだろう。  
 もちろん、製造に使われたアレルゲンとなる可能性のある物質に既反応の人や、アレルギー性疾患のある人は、ワクチン摂取の拡大による集団免疫が社会に備わると思うし、ワクチンにも各社様々の製法や由来のものは出てくると思うので、それまで気をつけて過ごし、今すぐの段階では、ワクチン接種を慌てることはないと思う。

 気になるニュースがあった。
 次期アメリカ大統領のバイデン氏が、ワクチン接種の安全性と必要性を示す為に公開で摂取を行うと発表したという。
 何故?
 うまくバイデン氏の思う通りの結果になる確率は圧倒的に高い。しかし、安全に終われない逆の可能性もあるのだ。普通に一市民として摂取をすれば、何が起きても確率の中に含まれて、客観的に冷静に統計学的に、ワクチンの安全性が判断される。公開という、いわばショーにする、こんな危ない橋は渡る必要はない。

医療逼迫と境界線

医療逼迫と境界線

        2020/12/13

        十河 智

 

最近聞いたコロナウイルス感染症の対応裏話。

 姪は、人工透析をしている医院の受付をしている。久しぶりの電話だったので、何気なく、「コロナはどう?近づいてないか?」と聞いたのだ。
 意外にも、「それが大変なんよ。」と返ってきた。透析患者の一人が若い家族に感染者が出て、濃厚接触者と認定されたというのだ。
 コロナ感染患者自身は入院は何日かできず自宅待機となっていて、透析患者を気遣って、縁者の家に、退避させてもらった様で、その後入院となったという。
 コロナ感染者の住居は大阪市。透析医院は隣接の守口市にある。医院の院長は、自分の患者の感染の有無をできるだけ早く知りたい。だが、大阪市ではPCR検査も待たされる状態なので、そこで、かかりつけ医として守口市内の大阪府のコロナ受け入れ病院でPCR検査をしてもらいたいと、大阪市の担当保健所と掛け合ったらしいが、大阪市内で完結するシステムだと、受けられなかったらしい。何日か判定されないまま、医院は、もしものときと同じ対応で、透析することになり、他の患者の透析が終了後、その患者さん一人と対応ということになり、負担が大きかったという。
 府下でありながら境界線があることにも驚いた。保健所は政令都市である大阪市などは系統が分岐しているとはわかっていたが、実情に対応できていない。この透析患者の感染の有無は即座に知るべき重要事項で、当事者が訴えていたのに、である。

 

 話は飛躍するかもしれないが、この境界線を神戸の震災のときにも感じていた。
 淀川を渡れば平穏に業務を行う大阪があったが、皆しばらくそれに気づかなかった。おそらくは気づく人がいても表面に浮き上がっては来なかった。

橋隔つ大阪日常花キャベツ  

 

 コロナの今に話を戻そう。
 提案があるのに受け入れられない頑なさ、システムにこれを破る方策を用意できないものだろうか。柔らかい臨機応変は、法律にあり得ないのだろうか。
 医療逼迫とよく言われるのだが、日本各地でこういうことがあるのではないだろうか。
 国境のない医師団というのがあるが、府県境、市町境界線までもがコロナ禍に災いしている。これを取り払って、現状に全力で対応しなければいけない。

 この話を聞いてから後、昨日今日のことではあるが、吉村大阪府知事が、府内7大学病院にコロナ患者の受け入れ強化を求めたり、西村大臣のコメントに北海道、首都圏、中部圏、関西圏と、"圏”というより広い範囲を捉えて、対策するとしたり、少し考え方の変化が見られるようにはなって来ている。いい方向に向かえばいいのだが。
 高齢で基礎疾患のある私は家を出るのも最小限にして、テレビを見て過ごしつつ、このまま孫にも子にも会わず、年を越そうとしている。

コロナ禍や戦争に似て開戦日
救急車止める縄張り虎落笛
冬暖か防護服より差し出す手  十河